Royal Opera House Cinema Season 2018/19 唯一のコンテンポラリー・バレエのプログラムということで楽しみにしていたこのトリプル・ビルを観てきました。
Alice's Adventures in Wonderland [鑑賞メモ] や The Winter's Tale [鑑賞メモ] でハイテクな物語バレエという印象が強い Wheeldon ですが、これは抽象バレエ。 といっても、群舞も駆使しての音楽の構造の可視化というより、 「愛の形」のスケッチとしての pas de deux をライティングも駆使して時間的空間的にコラージュして構成していくよう。 手前の pas de deux をライティングで浮かび上がらせる一方、赤く暗い背景で黒いシルエットの踊りを見せる、などの立体感あるライティングによる演出も好みでした。 衣装も、シルエットにすると体のラインが綺麗に出るようスカートなどがシースルーな上、 断片的な金のストライプが黒いシルエットの中で煌めくという、ライティング映えするものでした。 Klimt 着想ということで、初演から衣装は Klimt の絵を意識したものに変更されたようですが、 体のラインが綺麗に出る女性のワンピース風衣装は、Secession というより Art Deco 風に感じられました。 けど、Secession 風 (例えば Schwestern Flöge のドレス風) はダンス向けとは思えないですし、 むしろ、これで良かったのではないでしょうか。
最近、Secession (分離派、セゼッション)、Wiener Werkstätte (ウィーン工房) 界隈の展覧会を立て続けに観たわけですが [鑑賞メモ]、 その時はさほど良いとは思わなかった Klimt の魅力に、 このバレエで少し気付かされたようにも思いました。
大幅に翻案されているものの、ギリシャ神話の Medusa の逸話に着想した物語バレエです。 Sutra [鑑賞メモ] や Dunas [鑑賞メモ] など、 大掛かりだったりスペクタクル性高い作品を観ることが多く、 テーマで緩く場面を繋げはするけど物語るというほどのものは感じてなかったので、 心理描写も繊細なナラティブな作品に、こんな表現も出来たのかと新鮮でした。
上映中の Cherkaoui のインタビュー中で 「Poseidon は力づくで Medusa の純潔を奪うが、Athena は同じ神の Poseidon を罰することが出来ないので、被害者である Medusa の方に罰を与える。現代でもよくある話ですが。」 (大意) と仄めかすように言っていたように、 Medusa の物語はセクハラや性暴力の被害の不条理、苦悩や憤り、そして救済の話に読み替えられていました。 罰として蛇髪の怪物に変えられるというのはまさにセカンドレイプで、怪物というのは性暴力被害者というスティグマ、 もしくは、その不条理への苦悩と憤りを象徴しているかのよう。 神話的な枠組みを使うことで、あくまで象徴的で普遍性を持たせた形で表現しているのも、良かったでしょうか。
そんな Medusa を演じるのはかなり難しいと思うのですが、 演ずる Natalia Osipova の演技力が凄い。 以前に観た Anastasia [鑑賞メモ] もそうですが、 内面に狂気というか、トラウマや妄想などを抱えたようなキャラクタを品位を失わずに美しく演じることができる、稀有なダンサーではないでしょうか。 以前から Osipova は Björk に顔立ちが似ていると思っていましたが、 蛇髪の怪物マスクをかぶるとますますそれらしく。 (というか、Medúlla か、と。)
Medusa の救済の物語の鍵となるのが Perseus。 この作品では怪物にされる前、互いに想いを寄せていた相手という位置付けで、Medusa から愛の証のお守りとして渡されていたベール様の布に守られて、Perseus は怪物となった Medusa の退治に成功します。 この Medusa と Perseus の pas de deux は、怪物退治というより、トラウマで狂乱する Medusa を Perseus が受け入れ宥めるよう。 Medusa にとっては Perseus に殺されることが救済だったのか、 もしくは殺されたのは「怪物」となった Medusa の心の一部だけだったのか。 いずれにせよ、現実に比べたらロマンチック、もしくは御都合主義かもしれませんが、 ラスト、怪物から元の美しい姿に戻って Henry Purcell の “The Plaint” に合わせ憂いを含む表情で美しくも切なく踊る Medusa の姿に、涙しました。
ラストだけでなく各所で Henry Purcell の “The Plaint” が使われていましたが、 “O let me weep, for ever weep” という歌詞も Medusa の心の声のよう。 (“He's gone” の部分の歌詞を使わず、作品のテーマに合わせていました。) 今まで、“The Plaint” といえば Pina Bausch の Cafe Müller のイメージでしたが、 この Medusa のイメージで上書きされたかもしれません。
最近注目を集めているカナダの振付家 Crystal Pite ですが、これでやっと作品を観ることができました。 ポーランド・シレジア地方の民謡にある戦争で失った息子を嘆く母親の歌や、 ゲシュタポの監獄の壁に残された女性の言葉などに着想したという、 Henryk Mikołaj Górecki: Symphony No. 3 - Symphony of Sorrowful Songs を音楽に使った作品です。 36名という大人数のダンサーを使っての音楽の構造の可視化というシンフォニック・バレエにも近い面 (といっても、整然としたダンスではなく、不規則に蠢く難民の列でしたが) と、 曲の歌詞を難民人道問題という現在的な問題に読み替えての演技による可視化を、 どちらか一方が浮くことなく作品していて、 選曲と読み替え先の題材の選び方のセンスの良さを感じました。 しかし、ある程度予習して知っていたということもあるかと思いますが、 直前に見た Medusa の強い印象で、 少々霞んでしまったかもしれません。
それにしても、最初の一本はさておき、性暴力被害に難民人道問題と、 なかなかにヘビーな題材に取り組んだ見応えあるトリプル・ビルでした。 Royal Ballet の来日公演にもこのような見応えのあるコンテンポラリー作品のプログラムがあれば、 足を運ぼうと思うのですが……。