第一週は8月25日[鑑賞メモ]、26日[鑑賞メモ]に観た利賀の 第9回シアター・オリンピックス。 第一週も8月31日に観てきました。
2012年の Ruhrtriennale で初演された John Cage のテキストに基づく、Robert Wilson による (ほぼ) 一人芝居です。 Wilson の作品は動画やスチルで色々観てきていますが、生で観たのは Woyzeck だけ [鑑賞メモ]。 オペラなどの大規模なプロダクションが目立つ中、一人芝居とは珍しいと、観てみることにしました。 床一面に書類が丸めて捨てられたかのような状態で、 Cage のテキストがプラカード的な手書きで黒で書かれた白地の布が舞台狭しと下げられています。 舞台中央に机椅子が置かれ、顔を白塗りにして白い服を着た Robert Wilson が、 椅子にかけて「何についてでもないレクチャー」を繰り広げる、というものです。 冒頭の場面こそ、悪魔を思わせる人物が後方の上方にいるのですが、特に何をするでもなく去ってしまいます。 Mayakovsky のポートレートなどの映像が後方に投影された李もするのですが、レクチャーとの関係は判然とせず。 照明の明るさが変わったり、Wilson が舞台上手のベッドに横になったり、激昂した口調になったりと、それなりに変化はあるのですが、劇的に何か起きるとは言い難い作品です。
いかにも禅問答のような Cage のテキストも彼らしいし、舞台のビジュアルも Robert Wilson らしいと思いつつ、 このような作品はそもそも「レクチャーには何らかの伝える内容がある」という前提があってこそ成り立つものじゃないのではないかと。 John Cage のテキストが書かれた20世紀のこのような作品の受容層にはそういう前提が共有されていたのだろうとも思います。 しかし、現在、経営セミナーやITセミナーの類に行けば、それなりの確率でそれに近いレクチャー、トークの類を聴くことができます。 そんな中でのこの Lecture on Nothing は、「何についてでもない」ことの意味深長さを考えさせられるというより、 アートのコンテクストで John Cage や Robert Wilson をありがたがるようなものではないかと、感じてしまいました。 Lecture on Nothing を観た後にこの動画を知ったのですが、 TEDのトークのパロディにして、セミナー等でよく見られるTED流のプレゼンテーションへの風刺にもなっている Will Stephen: How to sound smart in your TEDx Talk [YouTube] の方が、アクチュアルに感じられてしまいました。
1991年に利賀フェスティバル10周年を記念して、それまでの 鈴木 忠志 の作品から抜粋された場面を再構成し、花火ショーとしたものです。 鈴木 忠志 の作品を観てきていれば引用されている場面の意味もよくわかるのでしょうが、 観たことがあるのが『リア王』だけなので [鑑賞メモ]、そういったとこは掴みかねました。 しかし、花火ショーとしては、とても近いところから打ち上げられる花火だけに迫力満点でした。 舞台の後方に広がる池の反対側の岸がら打ち上げられると、花火が真上に広がり自分へ降ってくるかのよう。 池の上で繰り広げられる仕掛け花火も多様。 確かにこれは、利賀芸術公園以外での上演がかなり難しい作品だと、納得。 フェスティバルを盛り上げる花火ショーとして十分に楽しむことができました。
第9回シアター・オリンピックスで観た作品はここに書いたものだけでなく、 第一週25日に 鈴木 忠志 (演出) 『リア王』、Θεόδωρος Τερζόπουλος (Σκην.): Τρωάδες [鑑賞メモ]、 翌26日に Алаш [Alash] のコンサート、中國國家話劇院 / 劉 立濱 (導演): 《人生天地間》、 Российский государственный академический театр драмы им. А.С.Пушкина (Александринский) / Валерий Фокин (постановка): Сегодня. 2016 - ... [鑑賞メモ] を観ています。 シアター・オリンピックスは9月23日の第五週まで続きましたが、それ以降は足を運べませんでした。 一概に比べられるものではありませんですが、観ることができた7つの舞台のうち もっとも良いと感じられたのは Θεόδωρος Τερζόπουλος (Σκην.): Τρωάδες でしょうか。