冷戦終結後の1990年代初めに鈴木 忠志、Θεόδωρος Τερζόπουλος [Theodoros Terzopoulos]、Robert Wilson ら演出家・劇作家によって創設され、 1995年に第1回が開催された国際演劇祭 シアター・オリンピックス。 第9回はロシア (サンクトペテルブルグ)、日本 (利賀) の二カ国開催です。 日本開催は第2回の1999年の静岡以来ですが、その頃は演劇に遠征して観るほどの興味が無く見に行きませんでした。 最近は『ふじのくに⇄せかい演劇祭』へ行く程度には演劇を観るようになり、 シアター・オリンピックスの雰囲気に触れ、生で観る機会の少ない海外の演劇を観る、そして、利賀に行ってみる良い機会かと、 第一週の8月25、26日に利賀へ行ってきました。 まずは、25日に観た2本について。
鈴木 忠志 演出の舞台を生で観るのは、実は初めてです。 1984年に初演されて以来、世界各国で上演され続けられている作品です。 Shakespeare の King Lear を複数言語で演じる、 複数の国からの俳優がその役のセリフをそれぞれの母国語で演じるというという作品です。 初演時は男優のみで上演されたとのことですが、今回の上演では女性の役は女優が演じていました。
ライティングや引戸を使って空間を文節して、所作で場面を描き、そのイメージで物語るような舞台でした。 King Lear という有名な物語に基づいているだけでなく、 イメージで物語っていくような演出もあって、複数の言語での上演ということは物語を追う妨げにはなりませんでした。 ライティングも所作も美しいところは好みだったのですが、 奥行き感を殺した舞台美術で絵画的というか映像的な演出に感じられてしまいました。
初演時は男性のみの上演だったということもあるのか、 リア王の3人の娘の存在感が薄くなっていて、むしろ、グロスターと2人の息子の物語のようでした。 3人の娘の存在感が薄いだけに、リア王が精神病院に入院しているという設定の説得力も薄く感じられました。 上演に選ばれた5つの言語についても、そんなリア王の設定に関係あるのか、 英語とロシア語が含まれているのは初演時が1984年という冷戦時代を反映している、 もしくは東アジアの外交に関わる言語ということなのか、などと思いつつ観ていたのですが、 腑に落ちる事も無く。 いろいろ釈然としないまま終わってしまった感もあった舞台でした。
Θεόδωρος Τερζόπουλος [Theodoros Terzopoulos] は、シアター・オリンピックの創設者の一人ですが、 今まで演出した作品を観たことが無く、作風についてはほとんど予備知識はありませんでした。 今回観たのは、 紀元415年にアテナイで初演されたというエウリピデス [Ευριπίδης, Euripides] によるギリシャ悲劇『トロイアの女』 [Τρωάδες, The Trojan Women]。 王女カッサンドラ [Κασσάνδρα, Cassandra] をはじめトロイア戦争に敗戦したトロイアの女たちが、ギリシャ側の軍の指揮官などに妾や奴隷として分配される様を描いた作品です。 これを、内戦等で分断された都市ニコシア (キプロス)、モスタル (ボスニア)、エルサレム (イスラエル)、そしてシリアとギリシアからの俳優によって、 ギリシア語、トルコ語、クロアチア語、ボスニア語、ヘブライ語、アラビア語の6ヶ国語で演じるという作品でした。 ちなみに、Νιόβη Χαραλάμπους がキプロス、Hadar Barabash がイスラエル、Sara Ipsa がクロアチア、Evelyn Asounant がシリア、Erdoğan Kavaz が北キプロス (トルコ)、 初演の時には出演していたが今回の公演にはクレジットされていない Ajla Hamzic がボスニア、 他がギリシアの出身の俳優ということのようです。 (ボスニアの方がクレジットされていませんが、ボスニア語のセリフがどうなっていたのかは、自分にはわかりませんでした。)
黒い短ブーツ (軍靴か?) が直径3〜4 m程度の円形に渦巻くように並べられ、その後ろに椅子が並べられた程度のミニマリスティックな舞台。 女性たちはみな黒のドレス、男性も黒シャツに黒パンツという出で立ち。 クレジットの通り役を割られてはいましたが、それぞれの役を個性的に演じて物語っていくのではなく、 現在も東地中海世界に広がる紛争・内戦地帯の戦争被害者としての様々な女性の嘆きの嘆きを、 『トロイアの女』のセリフを使って現前させていくかのようでした。 冒頭に俳優たちが実際の内戦の犠牲者の遺影を掲げてその名を呼びかけたり、 カサンドラの狂乱する様を、複数の言語で繰り返し演じる様などに、特にそれを感じさせました。
効果音に近い電子音の音楽の他に、多くはないものの俳優が歌う場面もありました。 一つは女優が歌う Henry Purcel の “The Cold Song”。 あと、Κορυφαίος [Chorus leader] 役の男優が時々、憂いを感じる旋律の歌を少々がなるように詠唱していたのが気になりました。 Σαβίνα Γιαννάτου & Primavera En Salonico が取り上げそうな東地中海世界の民謡を思わせる旋律で、 自分も聞き覚えがあるので有名な曲と思うのですが、曲名を思い出せません。 Σαβίνα Γιαννάτου & Primavera En Salonico [鑑賞メモ] もそうですが、 トルコの Kardeş Türküler など Kalan レーベルが多く取り上げる多言語のプロジェクト [関連発言] など、 音楽 (特に world music) の文脈では、東地中海世界の多言語プロジェクトというのは広く行われています。 そして、多くの場合、そのプロジェクトの背景には少数民族問題や宗教が関係する紛争、内戦があります。 この『トロイアの女』にもそれと共通するものを感じた事も、観ていてこの作品の世界に入りやすかった一因かもしれません。
第9回シアター・オリンピックスで観た作品はここに書いたものだけでなく、 翌26日に Алаш [Alash] のコンサート、中國國家話劇院 / 劉 立濱 (導演): 《人生天地間》、 Российский государственный академический театр драмы им. А.С.Пушкина (Александринский) / Валерий Фокин (постановка): Сегодня. 2016 - ... [鑑賞メモ]、 第二週の31日に Robert Wilson (dir.): Lecture on Nothing、 鈴木 忠志 (演出) 『世界の果てからこんにちは』 [鑑賞メモ] を観ています。