今年2月に続いての彩の国さいたま芸術劇場での Noism。 小ホールから大ホールとなってのトリプルビル、映像を含めると4作品という本格的な公演です。
最初の『夏の名残のバラ』 [鑑賞メモ] は 最近の金森、井関の一連の受賞の対象になった作品というとこもあっての再演。 作品世界に浸るというより、最初に観たときに気づけなかったライブの映像からラストの事前に録画された映像の切り替えのタイミングを答え合わせするかのような見方になってしまいました。 (カメラを一旦下に置くあのタイミングか、と。) 続いて、裏で舞台転換しつつ、映像舞踊『BOLERO 2020』 [鑑賞メモ] の上映。 ウェブ会議システムの映像スタイルがベースにあるので、それを大写しするという違和感を覚えつつも、ユーモアを楽しみました。 前半ラストは、『Fratres I』 [鑑賞メモ]、 『Fratres II』 [鑑賞メモ] に続く三部作を締めくくる『Fratres III』。 三部形式らしく、ソロのIIからグループでのIの変奏に戻ります。 白米の滝に打たれつつの祈念を思わせるダンスでした。
休憩を挟んで、後半は有名な曲 Igor Stravinsky: The Rite Of Spring 『春の祭典』 に基づく作品です。 舞台前方、半透明の幕の前に並べられた21脚の椅子にバラバラとダンサー21人が着くとろこから始まります。 不健康そうな薄く白いメイクと白い服は匿名性を現しているのでしょうか。 音楽が始まるとオーケストラの各パートの音にそれぞれのダンサーが合わせるように 迫りくる脅威を恐れながら見るような動きをします。 元の音楽のポリフォニー、不協和音といった音の構造が、 バラバラなパニック群集の動きとして意味づけられて可視化されるような面白さ。 やがて、幕が上がり、ダンサーたちは椅子の間から逃げるように後方の舞台へと移動します。 そこからは、舞台上手下手後方の三方にかけられた幕の上下で脅威の襲来方向を暗示したり、 閉塞感、追い詰められた状況を示したり。 椅子を様々に並べて変えての足場や柵などへの見立てとか、ミニマリスティックな道具使いも効果的。 Noism のスタイリッシュさも生かされた演出です。
この『春の祭典』での脅威は、もしくは現在の実際の脅威である新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) をいやでも連想させられるわけですが、 視線をやる仕草などはオーソドックスなパニック映画でのゴジラのような怪獣を思わせる時もありましたし、 椅子の上でしゃがむ姿や、奥から一列に並んだダンサーたちに他のダンサーが飲まれるような動きからは、洪水や津波の脅威も連想させられるなど、多義的に描かれていました。 そして、そんな脅威に脅かされる人々を描くような動きから、 やがて仲間割れを起こし、やがて2人のスケープゴートが選ばれるという展開になります。 オリジナルの『春の祭典』も第2部は生贄の儀式ですが、 それを人々が大規模な災害など危機に見舞われた際のスケープゴート探しの物語として描きなおしたのか、と。 ここまで救いの無い展開ですが、ラスト、一旦、幕が降りた後、幕が上がると、全てのダンサーが客席に背を向け手を繋ぎ一列に並んで立っており、 静かに脅威と立ち向かうかのように、奥に進んで行くところで終わるところに、救いというか希望を感じることができました。
COVID-19パンデミックから1年半、δ株への置き換わりで首都圏では最悪となるであろう第5波が立ち上りはじめている一方、東京オリンピックが開幕するという、 スローで見えない大災害の中にいるような今の自分の気分にとても響く内容で、とても見応えのある作品でした。 ここまで現在の状況にがっつりと組み合ったような作品が出てくるとは予想していなかったので、 不意を突かれたようにも感じました。 使われている曲からしてこの長さは致し方ないのですが、この『春の祭典』が40分で終わってしまうのは物足りない、というか、 作品単独で1公演打てるような1時間半程度の作品として観たかったようにも思いました。