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Review: Zabou Breitman et Eléa Gobbé-Mévellec: Les Hirondelles de Kaboul 『カブールのツバメ』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2021/10/10
Les Hirondelles de Kaboul
『カブールのツバメ』 The Sparrows of Kabul
2018 / Les Armateurs (France), Mélusine Productions (Luxembourg), Close Up Films (Switzerland) / 80min / colour.
un film de Zabou Breitman et Eléa Gobbé-Mévellec.
adapté du roman de Yasmina Khadra.
Scénario: Zabou Breitman, Sébastien Tavel et Patricia Mortagne; Univers graphique: Eléa Gobbé-Mévellec.
Musique: Alexis Rault.
Avec Simon Abkarian (Atiq), Zita Hanrot (Zunaira), Swann Arlaud (Mohsen), Hiam Abbass (Mussarat).

アルジェリア出身でフランス在住の作家 Yasmina Khadra による小説 Les Hirondelles de Kaboul (2002; 『カブールの燕たち』, 香川 由利子 (訳), 2007) に基づくアニメーション映画です。 (残念ながら原作は未読。) 舞台は2000年前後のアフガニスタンの首都カブール、イスラム主義のタリバンの抑圧的な統治下で不条理な状況に追い詰められる2組の夫婦を描いています。 2019年に Annecy Festival で sélection officielle に選ばれるなど評価されているものの 日本の配給会社が買い付けておらず日本の劇場上映が困難な状況ですが、 今年、再びタリバンがアフガニスタンを掌握したという情勢を受けて、 フランス大使館文化部/アンスティチュ・フランセ日本のパートナーイベントとして特別上映されたものを観てきました。

主役の夫婦2組のうち1組は大学出のインテリ夫婦。 歴史教師 Mohsen と妻の画家 Zunaira は活動の場を失い、次第に貧しくなり、抑圧的な生活の中、次第に尊厳を失い、関係が壊れて行きます。 もう1組はアフガニスタン紛争時は戦士 (ムシャヒディーン) で戦傷で足が不自由な女性刑務所の看守 Atiq と、 彼を救った元看護婦の妻 Mussarat。 Mussarat は末期癌で苦しんでおり、元戦友がタリバン統治下の状況になじんていく中、Atiq は疎外を覚えるようになります。 Zunaira は夫婦喧嘩の中で過って Mohsen を殺してしまい Atiq が看守をする刑務所に収監されるのですが、 牢でチャドリ (ブルカ) を脱いだ Zunaira を見て Atiq は彼女に情 (同情とも愛情とも取れる) を抱くようになり、結局 Zunaira が拒んで未遂で終わったものの、脱走の手引きすらしようとします。 そんな Atiq の情に気づいた Mussarat は Zunaira の身代わりとなることを提案し、 実際に身代わりで処刑されるのですが、処刑後に気付かれて Atiq も殺されます。 なんとか逃げ延びた Zunaira が Mohsen の師の家に匿われる場面で、物語は終わります。

冒頭の売春婦に対する石打ち刑や、外出時はチャドリを着ることを強制され音楽も街中での笑いも禁じられるという、 イスラム主義のタリバン下での女性たちの置かれた抑圧的な立場を描いたアニメーション映画で、 今回の特別上映もその文脈で実現したものです。 しかし、今の自分の気分がそう観させているのかもしれませんが、男性側の描写も丁寧で、 普遍的なポストアポカリプスのディストピア物語として観ました。 アフガニスタン紛争後の貧困が蔓延し暴力が支配する街で、 映画館や書店はもちろん大学も荒廃し、書籍も打ち捨てられ、歴史や文学も教えられない状況は、 核戦争後ではないものの、終末後の世界を見るようでした。 そして、私生活の細部まで振る舞いを規制され、誰が敵なのかはっきりとしない中、支配者の意に沿わない Atiq が支配者に放たれた狙撃者につけ狙われる様は、 ハイテクではないものの、監視社会のディストピアを思わせます。 そんな描写に、そして、ディストピアに対する絶望的な抵抗としての愛情、欲望の物語という点でも、 George Orwell のディストピア小説 Nineteen Eighty-Four (1949) すら連想しました (ちょうど今年読み直したばかりだったからかもしれませんが)。

その一方で、演出は、 激しい感情描写やアクション、暴力的場面の描写を控え、主人公の女性2人だけでなく男性2人も含め心情を淡々と繊細に描写します。 そして、演出に合った水彩画のような淡いタッチを多用した画面。 物語からはマジックリアリズム的な飛躍がほとんど感じられないにも関わらず、特に最後の身代わりになるという決断とその結末は、リアリズムというより寓話的。 今年、特集上映で観た 川本 喜八郎 のアニメーションの [鑑賞メモ] 中世の説話を通して描く世の不条理にも通じるように感じられました。

余談ですが、この映画の冒頭の場面で Zunaira がラジカセで聴いているのは、 Burka Band の “Burka Blue” (Monika Enterprise, 2003)。 Goethe Institut が2002年10月にカブールで開催したワークショップで誕生したバンドです。 そのワークショップにドイツから招かれたのが A Certain Frank (Kurt Dahlke & Frank Fenstermacher) と Saskia von Klitzing (Fehlfarben) という縁もあり、 2003年に Monika Enterprise から7inchシングル、 さらに翌年には Ata Tak からCDもリリースされました。 Gudrun Gut (ex-Malaria!) 主宰の Monika Enterprise といえば、 Riot Grrrl 流DIYフェミニズムの indietronica からの反応とでもいうレーベルカラーです [関連レビュー]。 そんな文脈で知った音楽が冒頭でかかったことも、自分にとっては、掴みとしては良かったでしょうか。 といっても、作品の舞台設定はタリバン支配下の2000年前後、 一方、Burka Band のきっかけのワークショップはテロとの戦い (2001年) を経て新共和国が成立 (2002年) したから可能になったものですので、 よく考えると時代設定的には整合しないのですが。