2016年に始まったさいたま市を開催地とした国際芸術祭です。 ほぼトリエンナーレ形式で (初回は「さいたまトリエンナーレ」という名称だった) 2016年、2020年に続いて今回が3回目です。 今回はディレクターが現代アートチーム目 [mé] という興味もあって[関連する鑑賞メモ]、主にメイン会場へ足を運んでみました。
メイン会場は大宮駅から南東へ徒歩十分余、氷川神社参道沿いにある 旧市民会館おおみや (旧称 大宮市民会館)、2022年3月末で閉館した1970年オープンの公共ホールです。 使われなくなった建物を会場にすることは芸術祭でよくあることですが、 ホールやロビー、部屋や通路などをそのままに生かして作品を展示するのではなく、 芸術祭後に解体される予定ということを生かして建物に大きく手を入れています。 その一方で、事務室や楽屋、設備保守担当者が常駐する部屋などは、今でも使用されているかのように什器備品の類がほぼ残されています。 また、コーヒー紙コップ、時計などが観客からは手の届かない意味深な所に置かれていたり、 工事作業中を思わせる養生シートなどが敷かれた部材置場などもあり、 現役で使用中の雰囲気ではないものの、解体に向けて準備中のような雰囲気の内部です。
受付こそ1階入口ロビーを利用していましたが、展示会場への入り口は、 ホール前から直接ホール2階のガラス窓を突き破り (実際、突き破っているかのような窓ガラスの処理がされている)、 2階ロビーに繋がる鉄骨製の通路が仮設されます。 会館の中には通路、ホールや部屋の空間を、本来の壁とは別の観点で区画し分断する様にガラス張りのパーティションが設置され、 その一方で、窓が移動ルートにされたりします。
会館として通常に使用していた際に観客が足を踏み込むことのない舞台裏の楽屋、事務室やそこへ繋がる通路、 電気室や設備保守担当者が常駐する様な部屋に繋がる通路などが、むしろ積極的に会場として活用されていました。 受付で案内図は手渡されますが、会場内の順路の案内は意図的に不親切になっています。 通常の公共ホールの様なイメージで移動しようとすると、パーティションで行く手を阻まれたり、意外な通路に誘導されるので、まるで迷宮です。
会場には観客監視も兼ねた案内スタッフ以外に、 什器備品の類を整理整頓するか清掃するかしているかのようなスタッフ、 屋内外の環境測定の類をしているかのようなスタッフ、 その他、不自然に佇んていたり、観客の視線を遮るようにカーテンを閉めたり、と怪しげな挙動をする人が会場のあちこちに。 さすがに仮設のパーティションや通路まで動かすことは無いと思いますが、 そのようなスタッフおぼしき人々により会場のディテールは日々刻々と変化しているようでした。 会場の案内スタッフが全員男性だったことが印象に残ったのですが、これも意図的なものでしょうか。
会館の建物はパーティションで不規則気味ながら大きく左右に分割され、 ホール上の三階の部屋のパーティションの左右もそれぞれ一階から別のルートで上がらないと到達できない作りです。 ガラス張りのパーティション越しに向こうが見えることもあり、まるでお互いが鑑賞の対象となったようでした。
ライティングで悪夢中のような幻想的な空間に仕上げていた大ホールも、パーティションで大ホールを折半するように区画しつつ、舞台上まで観客通路を作ることで、客席の関係を逆転させるような構成になっていました。 小ホールでも、客席を見下ろせるようで客席から見られるような小部屋 (おそらく元オペレーター室) がルートとなっていました。 観る者と観られる者の関係の反転可能性というのも、空間構成の一つのテーマでしょうか。
何かの作業中のよう日々刻々と変化する少々謎めいたディテールとその作りこみ、いかにも不条理に区画されて迷宮のように幻惑される空間は、 明示的なクレジットは無いもののメイン会場全体がいかにも目 [mé] らしいインスタレーション作品と言えるもので、 使われなくなった建築にトリッキーに手を加えたシュールで癖のある空間と、スタッフらしき人たちの怪しげな挙動を楽しみました。 しかし、会場自体の印象が強過ぎて、展示されている他の作品の印象が霞みます。
会場規模の割に展示されている作品の数も少ないのですが、展示作品の中では、 床から約 1 m 程の所に水面のような反射面があるかのようにオブジェを三次元に配した 今村 源 《うらにムカウ》 (2023) が印象に残りました。 しかし、展示空間がノイジー過ぎて、むしろホワイトキューブの方がその面白さが際立ったのでは無いか、とも感じてしまいました。
この後は北浦和へ移動して、連携プロジェクトのこの展覧会を観てきました。
関連プロジェクトと銘打ってますが、特にメイン会場の展示とテーマ等の関係を見出すことはできず、 同じ時期に開催中の企画展という程度でしょうか。 むしろ新収蔵作家展 + αという内容でした。 李 禹煥 [鑑賞メモ] や 関根 伸夫 など もの派 と関わり深い美術評論家でもあった 林 芳史 の作品が 関係する作家の作品と合わせてまとめて観られたのが収穫でした。 新収蔵作家ではなくゲストの 潘 逸舟 の作品が、 最近よく目にするユーモアを感じる作風ではなく [関連する鑑賞メモ]、 むしろ、まるでモノクロの抽象画のようなビデオで、この作家のまた違う一面を知りました。