TFJ's Sidewalk Cafe > Dustbin Of History >
Review: Anselm Kiefer: Solaris @ 元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所 (美術展); Cerith Wyn Evans @ Taka Ishii Kyoto (Yoda-cho) (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2025/07/06
Anselm Kiefer
『アンゼルム・キーファー:ソラリス』
元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所
2025/03/31-2025/06/22 (会期中無休), 09:00-16:30.

(西)ドイツで1960年代から現代美術の文脈で活動するAnselm Kieferの大規模な個展は、 回顧展ではなく2010年代以降の作品で構成された、美術館・ギャラリー以外の場所を使っての展覧会です。 20世紀の作品を美術館の収蔵品展示で観たり、 この展覧会の主催者でもある Fergus McCaffrey の Tokyo ギャラリーで最近の作品の個展を観る機会はありましたが [鑑賞メモ]、 この規模の個展を観るのは初めてです。

会場となったのは1994年に「古都文化の文化財」の一つとしてUNESCO世界遺産 (世界文化遺産) 登録された元離宮 二条城。 といっても、1600年前後の桃山文化の絢爛さを残す国宝の二の丸御殿を展示に使ったわけではなく、 展示会場はその隣の1626年築と言われる台所・御清所、豪華絢爛とは対照的な装飾を排した壁、板戸、柱や梁からなる内部を持つ、二の丸御殿の舞台裏とでもいう性格の建物です。

二条城の豪華絢爛な金箔地の襖や壁と Anselm Kiefer の金字の絵画の類似がこの会場へ導かれるきっかけ [『美術手帖』の記事] という一方、 ステートメントで谷崎 潤一郎『陰影礼賛』の一節を用いた [『Tokyo Art Beat』の記事] といいますが、 『陰影礼賛』を二の丸御殿が象徴する豪華絢爛な桃山文化と関係付けるのには無理がありますし、 結局、二の丸御殿とは対照的な空間を展示場所としていますし、 サイトスペシフィックな展示における場所の文脈を考えると釈然としない所が多い展示でした。 会場でPDF配布された展覧会概要の「IV 江戸、そして時の河」のテキストの、 狩野派と琳派 (尾形光琳) と浮世絵 (印象派へ影響を与えた) が日本美術として一括りとされているような記述も引っかかってしまいました。

しかし、大人数の宴席の調理を目的とした機能的で飾り気ない広い土間や板の間が広っており、 日本家屋にしては現代美術の大きな作品の展示に向いた大規模な空間です。 作品や展示の文脈を読み込むことを促されるような展示ではありませんでしたが、空間の雰囲気を展示込みで楽しむことができました。

ホワイトボックスというよりブラックボックスに近い展示空間に、 ほぼ照明を使わず開かれた戸や障子ごしの自然光を生かした展示は、抽象表現主義にも近い粗いテクスチャの画面の凸凹や金色の煌めきを際立たせていましたし、 大判な絵画も狭苦しく感じず、その展示空間の光の趣も含めて楽しみました。 特に、台所の板の間が広がる空間を使い、障子こしの柔らかい光をオブジェに対して逆光というか背景光とする展示が気に入りました。

台所の入り口前、土蔵に囲まれた場所に置かれた高さ10m近い鉛、スチール製の Ra (2019) などは空間に対する異化作用の方が大きく感じられました。 しかし、19世紀半ば風の女性のドレススカートを樹脂や鉛で模った上に象徴的な立体を載せた Maât-Ani (2018-24) や Margarethe von Antiochia (2024) のようなシュールレアリスティックな立体作品を白川砂敷きの庭や土間に配した展示や、 板の間いっぱいに金の麦畑を作った Morgenthau Plan (2025) は、 Joseph Beuys のヴィトリーヌ (vitrine) 作品の影響を感じる Kiefer のガラスケース作品の 日本家屋の部屋や庭園を使ってスケールアップした変奏のようにも感じられました。

Anselm Kiefer: Solaris を観た後、このギャラリーにも足を運びました。

Taka Ishii Gallery Kyoto (Yoda-cho)
2025/05/03-2025/06/21 (日–水・祝休), 10:00-17:30.

Cerith Wyn Evans はウェールズ出身、1980年代は映画監督 Derek Jarman のアシスタントして 映画だけでなく Throbbing Gristle、The Smiths や Pet Shop Boys のミュージックビデオを、 また自身が監督として The Fall のミュージックビデオを手がけるなどの活動をした後、 1990年代以降はコンセプチャル・アートの作風で現代美術の文脈で活動しています [VICE 誌のインタビュー記事, 2010]。 といっても、British Young Artists とは微妙に文脈がズレることもあってか、現代美術作家としての作品を観る機会は無く、今回、初めて観ました。

会場は京都の築約150年の町屋をほぼ築当時の状態に復元して使うという形で2023年にオープンしたギャラリー。 そのギャラリーに入り、建物の内部を眺めても、一見、展示があるようには見えません。 注意して見ると、壁際に透明なガラス板が立てかけてあります。 障子やガラスの窓や戸を越して入ってくる光をそのガラスが反射するささやかな煌めきを、 陰影深い近世日本建築である町屋の空間と合わせて楽しむインスタレーションでした。 内藤 礼 のインスタレーション [鑑賞メモ] にかなり近い鑑賞体験でした。

それ以外にも、床の間を使ったインスタレーションや、ギャラリー内を撮影したフォトグラビュール (フォトエッチング) 作品もありましたが、 インスタレーションで体験する陰影のあわいに比べると趣に欠けるものでした。

このギャラリーへ足を運ぶのは2024年の Sterling Ruby: Specters Kyoto [鑑賞メモ] に続いて2度目。 今回は Anselm Kiefer: Solaris と続けて、 計らずしも『陰影礼賛』を参照した展示を観ることになりましたが、 力技の感もある Kiefer よりも、ひっそりささやかな Evans の方が、今の自分には合っていました。