Anne Teresa De Keersmaeker 率いるベルギーのコンテンポラリーダンス・カンパニー Rosas の久しぶりの来日公演です。 コロナ禍前2019年の Mitten wir im Leben sind / Bach6Cellosuiten [鑑賞メモ]、 A Love Supreme [鑑賞メモ] 2演目公演以来、7年ぶりでしょうか。 今回は Keersmaeker 単独で振付た作品ではなく、モロッコ出身で Keersmaeker 設立のコンテンポラリダンスの教育機関 P.A.R.T.S. を卒業し現在は自身のカンパニー A7LA5 vzw を率いる Radouan Mirziga との共同の振付で、 ダンサーも Rosas の3人にブレイクダンス (ヒップホップダンス) のバックグラウンドを持つフランス出身のダンサー Nassim Baddag を加えて制作しています。
2019年来日時の2作品がそうですが、近年の Rosas の作品はレコード音源やクラシックの楽曲をそのまま使い、タイトルも使う曲から採られることが多くなっています。 この作品も有名な The Four Seasons 『四季』を含む12番からなる Antonio Vivaldi による18世紀バロック期のヴァイオリン協奏曲組曲 Il Cimento dell’Armonia e dell’Inventione 『和声と創意の試み』からタイトルが採られています。 『埼玉アーツシアター通信』2026年4月号に掲載された (パンフレットにも収録された) Keerskaeker へのインタビュー記事で16世紀ブラバント (現ベルギー) の画家 Pieter Bruegel の季節を描いた六連作 (月暦画) にインスパイヤされたと書かれていたので、 Vivaldi の音楽を春から冬まで通して使い、Bruegel の絵に着想した身体の姿勢や動きを交えたダンスで、その音楽を表現するような作品を予想していました。
実際のところは、音楽を使わない場面が半分近くあり、Vivaldi の音楽も季節順ということは無く、四季全て使ったわけでもありませんでした。 音楽を使わない場面では今までの Keersmaeker / Rosas の作品とは異なる有機的な印象を与える動きで、 拍手や指鳴らし、ボディーパーカッションはもちろんタップダンスを含む足を踏み鳴らす音もそれ自体が音楽的でした。 こういった所はむしろ Mriziga が主導した場面でしょうか。 Mriziga の作風には疎く、彼の作風なのかこの作品が特にそうなのか判断しかねますが、 身体の出す音を重視した振付に、Rosas というより、 William Forsythe, Rauf "RubberLegz" Yasit: Friends of Forsythe [鑑賞メモ] に近いものを感じました。
Vivaldi の音楽を使う場面には、手を広げての旋回や幾何学的なパターンでのステップなど、Keersmaeker / Rosas らしさを感じました。 Bruegel の絵画に着想したと思われる動きは、さほど抽象化されず、意外とわかりやすく使われていました。 種蒔き、鍬振るい、銃を撃つ動き、寒さに身を屈める歩き、スケートなどがあったように思うのですが、 Bruegel の月暦画には種蒔きや銃を撃つ場面はない (種蒔きはあったかもしれないですが春の季節の作品は残っておらず、狩りは描いているが16世紀なので槍を持っているが銃は使っていない) ということを考えると、 むしろ農村を丁寧にかつ活き活きと描いた Bruegel に倣いつつも Keersmaeker ならではの視点で、農村の四季を描いたといったところでしょうか。 Keersmaekeer がインタビューで自身を農家出身と言っているので、自身の農家での体験に基づいているのかもしれません。
Vivaldi の音楽を使う場面でも、Rosas の3人のダンサーの動きに、 Nassim Baddag によるヒップホップダンスのパワームーブ (床に手を突いてのアクロバティックな動き)、ウィンドミル (背中や肩を付けて回転する動き) などを組み合わせて、Rosas らしさを感じるパターンをずらして行きます。 Nassim のヒップホップダンスを対比するだけでなく、ブラジル出身の José Paulo dos Santos によるストリートダンス的な動きを対比させた時もありました。 また、Vivaldi を使った場面の中にも、赤く暗めの照明下で3人が下手で蠢くような動きをする一方で上手で1人腕を上げてパターンで動くような場面があり、 これなどは非 Keersmaeker (おそらく Mirziga) 的な世界を逆に Keersmaeker 的な動きで異化するようにも感じられました。
舞台美術はミニマリスティックで、剥き出しのブラックボックスに後方と左右に蛍光灯をずらりと並べてその点滅で変化を付けて行きます。 後方の足元近くに白布の帯が光っており、時々、フランス語と思われる単語が後方に投影される程度。 しかし、ラストは後方の白布が上に引き上げ蛍光灯を覆って背景一面を光らせた上で、 照明を落として逆光にした中で、詩の朗読に合わせてのシルエットでのダンスに大きくイメージを転換しました。 朗読されたソマリ系のバックグランドを持つデンマーク出身のアーティスト Asmaa Jama の詩 ‘We, the salvage’ は、 Bruegel の描いた牧歌的な農村のイメージとは対照的な、ポスト・アポカリプス的とも感じる殺伐とした荒野を想起させるものでした。
そんなエンディングもあって、作品全体として、Vivaldi の曲と Bruegel の絵画に着想した Keersmaeker / Rosas 的なイメージに、 おそらく Mriziga の振付や Baddag のヒップホップダンスによってもたらされた異質なイメージが剥き出しのまま衝突したような、そんな印象を受けました。 見る前に予想した Bruegel 的な農村のイメージを重ねた Vivaldi の四季の整然とした秩序が、異質な要素との衝突で異化されるのを観るようでした。 Vivaldi と Bruegel に着想する牧歌的な農村の四季のイメージはもはや自然にそこにあるように描き示すことができるものではない、むしろ、エンティングのような殺伐なイメージこそが現在である、と、そんなことを思わされた作品でした。