2001年に 大道芸ワールドカップ in 静岡 初登場 (2001年と 2002年の写真)、 2003年には六本木ヒルズでも Faunèmes を上演した (写真集) l'Éléphant Vert が、日本未公開作を2作持って六本木ヒルズに再登場した。3日に2作とも観てきた。
2003年作の
Chercheur de Mémoire
(「記憶探知機」もしくは「記憶研究者」といった意味)
はソロの回遊パフォーマンスだ。
巣箱の代わりに「記憶探知機」 (スピーカが仕込まれている) を
積んだカートを共に「記憶研究者」が登場。
養峰家のような格好で、
「記憶研究者」というより「音の養峰家」という感じだ。
道具を積んだカートの色合いといい、ずんぐりむっくりした格好といい、
可愛らしくもあり、カートを引いてちょっとした仕種をしただけで引きつけられる。
子供にとっても警戒心よりも好奇心の方が上回るもののよう。
カートに付いている拡声器のようなものが付いたポールは取り外し可能で、
ラッパにもなっている。
時折鳴らして、周囲を驚かせたりもする。
メインのパフォーマンスは、
「記憶」がありそうな場所へ行き、「記憶探知機」を取り付けるなどして、
その場の「記憶」をセリフを用いず
「記憶探知機」に仕込まれたスピーカから出る効果音と仕種のみで演じる。
場所によっては、あらかじめ黄色いダストボックスを設置しておき、
それを小道具に使用していた。
演じる場の「記憶」はその場で実際にあったことではなく、 行き交う自動車であったり、犬だったり、赤子だったりと、音だけで判り易いもの。 むしろ、壁に書かれた広告や看板、彫刻モニュメントを違うものに見立てて、 音と演技でそれらしく見せてしまう。 工事現場を隠すパネルに書かれた広告の絵も 彼がその前で演じている間は自動車が行き交う大都会の痕跡といった具合だ。 そして、それがこのパフォーマンスの面白さだ。
しかし、観ていてそういう見立てにリアリティを感じることができるのも、 そこにいるだけで引きつけられてしまうような、 丸っこい格好と笑顔と可愛らしい仕種だけのおかげかもしれない。 また、拡声器付きポールがラッパになったりするだけでなく、 外套の前を開けると下にたくさんの革の小物入を掛けていたり、 カートに付いた革の小物入から小道具を出したりと、 細かい仕込みも楽しい。 そういった細かい仕込の積み重ねも、 探索した「記憶」に対するリアリティ作り出していたように思う。
2006年作 (現在の最新作) の
C'est du propre!
(直訳すると「これはちゃんとしている!」、「これはきれい!」だが、
実際は反語表現で「これはひどい!」、「こりゃきたない!」といった意だ)
は、ストーリー性が控えめで、6人の演じる洗濯ダンスシアターに近いものだった。
男性3人女性3人の6名が洗濯女 (もしくは洗濯男) の格好をし、 洗濯板付き手押車 (スピーカも仕込まれている) に洗濯物を載せて登場。
まずは、機械化以前の洗濯労働の動作をモチーフとした
ダンス的なパフォーマンスを展開。
しかし、次第に、洗濯物が人格を現しはじめ、
パフォーマンスの中からストーリーが生まれ始める。
洗濯物に人格を乗っ取られた男女2人がギャングのようになり、
残りの4人を支配するが、最終的には退治される、というストーリーだ。
ストーリーは終って、
洗濯板付き手押車をオートバイに見立ててのパフォーマンス。
ストーリーを演じたスペースを離れて、広くあちこち走り回ります。
終り近く、観客も参加させて洗濯物を包んでいたシーツを畳んだり。
エンディングでは、経血に染まったかのような真っ赤な下着が懐から登場。
何かのメタファーというより、エンディングを彩る白以外の鮮やかな色で、
洗濯と関係する自然な色という程度のものだったように感じたが、
真っ赤な下着だけでなくわざわざ真っ赤なタンポンまで出すあたりが、
ちょっと可笑しかった。
ストーリー性の控えめなダンス的なパフォーマンスも充分に楽しめた。 しかし、Faunèmes や Chercheur de Mémoire にある 音と仕種だけで物語世界を作り上げていくような面白さが後退して、 普通のパフォーマンスに近くなってしまったかな、と感じたところもあった。