2004/1の一連のウェブサイト開設10周年回顧話の抜粋です。 順番は古いものほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
ところで、既に気付いている方もいると思いますが、 1994年1月4日に TFJ's Sidewalk Cafe のウェブサイトを作り始めてから、今年で十年になります。 この十年間を振り返っての話もしたいと思っていますが、それは追って少しずつ、ということで。 あと、1月末頃に十周年記念のオフライン・ミーティング・パーティをやりたいと思っているのですが、 何か良いアイデアはありませんでしょうか?
サイト十周年の総括というか回想話は、どういう話から始めようか、という感じですが……。 まず、ウェブサイトを始めた動機の話あたりからでしょうか。
実は、現在 音盤雑記帖 (Cahiers des Disques) に掲載しているようなレコードのレビューを インターネット向けに書くということは、 ウェブサイトを始める前 (というか、ウェブが登場する前) の1980年代末には始めていました。 (その頃の、レビューを書き始めた動機については、 過去の発言をお読み下さい。) 1993年には既に日本国内でもウェブサイトが少しずつ立ち上がり始めたわけですが、 1994年1月には自分でもウェブサイトを作れる環境になりました。 仕事としてサイト運営を試行するという面もあったのですが、 それほどコンテンツが無かったので、 せっかく作ったことだし何かできないかなと考えて思いついたのが、 自分がネットニュースやメーリングリストへ投稿したレビューのアーカイブを作る、ということでした。 その当時、大学や研究所の研究者や学生の自己紹介のページの中に趣味のコーナーを作る ということはそれなりに行なわれていたので、それを真似たという面はありました。 しかし、まだ日記サイトやブログのような個人サイトの類型が出来上がる前、 個人で作る趣味のサイトの手本などほとんど無い頃の話です。
それまでは、音盤雑記帖に掲載してきたようなレビューは、 ネットニュース (バケツリレー方式の分散型電子掲示板システム)、もしくは、 Postpunk ML というメーリングリスト (メールマガジンのようなもの) へ投稿していました。 それは、一部のアーカイブを除いて一定の期間しか保存されないものでしたし、 まだ全文検索システムが普及する前でアーカイブから目的の記事を捜しだすことも大きな手間を伴うものでした。 自分の書いたレビューを手許に保存しておく習慣もその頃はあまり無く、 以前に紹介したことのあるレコードやミュージシャンに関する質問がネットニュースやメーリングリストで出る度に、 同じようなことを再び書いたり、手許に残してあった原稿を再投稿したり、 他の人が保存してあった記事を投稿してもらったりしていました。 そんなことがあったので、自分のレビューだけのアーカイブが持てたら便利だろう、と思ったのでした。 それで作ったのが、このウェブサイトと 音盤雑記帖 でした。 もう一つ、Reggae ML に流れた投稿の中から まとまった内容の記事を編集して集めた Reggae FAQ (現 Reggae Club) が、 このウェブサイトの最初のコンテンツでした。 1996年に始めた 歴史の塵捨場 (Dustbin of History) にしても、 当時、水戸芸術館現代美術ファン ML へ参加したことを契機にメーリングリスト向けにレビューを書くようになったため、 そのレビューをアーカイヴしたものでした。
このウェブサイト立ち上げ時の経緯からもわかるように、1990年代中ば当時の僕にとって、 インターネットを使っての情報交換の場の中心はあくまで ネットニュースなりメーリングリストであり、 ウェブサイトはあくまで補助的なアーカイブという位置付けでした。 それは、その当時の日本国内のインターネットの状況を反映したものだったとも思います。 当時既に、趣味的な話題を扱うメーリングリストやネットニュースのニュースグループはたくさんありましたが、 ウエブサイトはコンピュータ関連か科学技術研究の情報を扱うものがほとんどで、趣味的なものは非常に少なかったのでした。
その後、ネットニュースが衰退しフロー的な情報交換の場もウェブへ移行し、 このサイトもこの談話室という場を設けることになり、 このサイトの性格も変わったように思いますが、 それでも、音盤雑記帖や歴史の塵捨場の レビューのアーカイブという意味合いはほとんど変わっていないように思います。 検索したり、談話室等から関係するものにリンクを張って、該当するレビューだけ読むように使うことを想定していて、 インデックスのページから順に読んで行くものとしては作っていませんから。 サイトとして読まれなくても、 あるミュージシャンやアーティストなどについて興味を持って検索した人が、 該当するレビューだけ読んでもられば、それで良いとも思っています。
ウェブサイトにアーカイブを作るようになる前後でレビューの書方は変わったか、 というと、大きく変わったようであり、何も変わってないようであり。 今は日本のネットニュース記事も google で1990年代初頭まで遡って読めるのですが、 例えば、ウェブサイトにアーカイヴする以前のレビュー投稿である Billy Bragg, The Peel Session Album (Strange Fruit, SFRCD117, 1992, CD) のレビュー とか Various Artists, Live At The Knitting Factory 12345 - Anniversary Boxed Set (Knitting Factory Works, KFWCD12345, 1993, 5CD) のレビュー を見返してみても、取り上げる音楽からレビューの形式まで、現在のものとあんまり大きく変わっていないように思います。 一番変わった点といえば、文体が敬体から常体になった、ということでしょうか。 思い返せば、1994年中に、ウェブサイトに載せたレビューを常体に直して、 それ以降メーリングリストへも常体で書かれたレビューを投稿するようにした記憶があります。 アーカイブに溜められ、メーリングリストやネットニュースの文脈から切り離された レビューを読み返したときに、敬体で書かれているのに違和感を感じたからなのですが。 今でも、談話室では敬体、レビューでは常体と使いわけているわけですが、 自分にとって敬体という文体は、読者に語りかけるように書くときに用いるもので、 実際の有無多少は別としてレスポンスを意識して書く時に用いるもの、 という意識が強いように思います。 一方、常体というのは、異論反論は拒否しないですが、 それ自体自律完結した論・主張に用いるものという意識もあるように思います。 実際は理詰で決めたというよりもっと直感的な違和感で決めたように記憶していますが、 敬体から常体への文体の移行には、そんな理由もあったように思います。 といっても、文体を敬体から常体に変えたからといって、 自律完結したレビューのスタイルが完成したというわけではなかったように思いますし、 むしろ、このウェブサイトに談話室を作って、初めて自分の中に問題意識として明確化したように思います。
思い返してみても、ウェブサイトを立ち上げたこと事よりも、 この談話室を立ち上げた事の方が自分にとっても大きな変化になったと思うのですが、 ここまででずいぶん長くなりましたし、それはまた別の機会に。
この話題、どのくらいの人が興味を持って読んでいるのか謎ですが、 先日に続いて、ウェブサイト十周年の回想話の続きを。
音盤雑記帖のようなレビューのアーカイブが、 このサイト立ち上げ時のコンテンツの中心だったわけで、 十年に渡って安定してウェブサイトを運営しているように見えますが。 実は、最初の頃は、コンテンツをどうするか、かなり迷いがありました。 アートに関する情報を掲載したウェブサイトも少なかった頃で、 画廊巡りとかで得た情報にウェブサイトに載せることを考えたりもしました。 展覧会スケジュールまでは手をつけませんでしたが、 表参道や銀座で拾ったギャラリーマップをスキャンして載せておいたこともありました。 当時入会していた原美術館のメンバシップで得た情報を載せることができないか、とか、考えたこともありました。 1994年頃から大道芸にハマり始めたこともあり、大道芸を紹介するコーナーを作りかけたこともありました。 しかし、ほとんどがボツになりました。
当時はコンピュータや科学技術研究以外の情報が非常に少なかった頃だったので、 コンテンツ作成にあたっては、自分が好きな話題について、 ウェブサイトに載っていたら自分も嬉しいと思う情報を作って載せる、 というのが、サイト作りにおいてモーチベーションのかなりを占めていた頃でした。 ただ、いくら自分が欲しいと思っていても、 自分にサイトを作れるだけのものが無ければしょうがありません。 だから、もう一点、作成更新が無理無く飽きずに続けられるもの、ということを考慮しました。 その当時、まさか十年間も続けることになるとは思いませんでしたが、 それでも2〜3年間は更新は続けられるものを作ろうという意識は強かったです。
展覧会情報のウェブサイトを作りを考えて、 まずネックになったのはどうやってその情報を集めるのか、ということでした。 今なら美術館オフィシャルサイトやアート情報サイトががあるわけですが、 インターネット上に日本語によるアート関連の情報がほとんど全く無かった頃です。 ある程度アート関連の仕事をしていれば、 プレスリリースなり案内の葉書なり送ってもらうこともできるのでしょうが。 僕はちょっとした愛好者に過ぎず、そういう形で情報を得るという敷居は非常に高いものでした。 週末に画廊巡りしたときに得た情報を掲載することも考えましたが、 頻繁に毎週末のように回っていたわけではないため、これでは情報の鮮度が保てません。 そもそも、晩・週末だけの時間で更新に充分な時間が取れるのか、という問題もあります。 展覧会情報のサイトを作るために情報集めや更新作業をするとなると、 確かに、サイト立ち上げ期は勢いもあってできるかもしれないですが、 モーチベーションが続かない気がしました。 ウェブサイトのための取材や更新作業のために、 自分が展覧会を観る時間が取れなくなってしまったら、そもそも本末転倒です。 そんなわけで、ほとんど手を付けませんでした。 この企画は、その後、形を変えて今は無き「静乾会」のページとなるのですが。
大道芸を紹介するサイトは、1994年に初めて野毛大道芸を観に行った後、インデックスを作って公開しかけた程でしたが。 自分の側の知識不足もあってちゃんと紹介できない、という壁にぶつかりました。 芸人の名前などに関する情報も自分が知っているのは大道芸フェスティバルで配られる頼りないプログラム程度のものでしたし。 技を表現する語彙も乏しく、かといって、当時はデジタルカメラを持っておらず画像で紹介もできず。 そんな壁にぶつかって、半端なものは無い方が良いと思い、止めてしまいました。 特に大道芸のサイトという形ではその後も作っていませんが、 写真集の中の大道芸フェスティバル関連の写真集という形で、 当時やりたいと思っていたことが形を変えて実現できたのではないか、と思っています。
そんな中、音盤雑記帖に載せているレビューは、 既に、ウェブサイトを始めた時点で、5年以上書き続けているという実績がありました。 ウェブサイトを始めたときに、あれば自分にとっても便利と単に思っていただけでなく、 レビューのアーカイブだったら続けられるだろう、と思っていたところもあります。 そんなわけで、レビューサイトを作ろうと思って始めた、というより、 無理無く飽きずに続けられるもの、という消去法で生き残ったのがレビューだった、 というのが実状だったように思います。
ところで、この談話室は、実名か実名同様に通用する固定ハンドル名で発言する慣習となっています。 レビューという主要なコンテンツの性質上、このサイトは匿名で運営したくないという気持ちはありましたが、 当初からそうすべきという確信があってそうしたわけではありません。 今でこそ、白田 秀彰 『インターネットの法と習慣』 のような優れた議論があったりしますが、当時はどうすべきか参考にできる議論など無く、 どうあるべきかというイメージも無いまま、経験と勘だけを頼りに手探りで運営ポリシーを決めていました。
1997年に談話室を始める前、というか、1994年にウェブサイトを始める前、 1988年から NetNews を利用していたわけですが。 NetNews では、学内のニュースでこそハンドル名の利用が一般的でしたし、 junet でも常連を中心に固定的なハンドル名でやりとりが行なわれていましたが、 アカウントから本人を割り出すのも容易でしたし、From 行やシグネチャなどに実名が入っていることが多かったわけです。 そんな、当時の NetNews の慣習である実名ベースの投稿の慣習を単にひきずっただけ、という面も少なくありません。 ウェブサイトを始めた1994年頃は、まだそれほどハンドル名のみを名乗っているサイト運営者も多くなく、 ハンドル名に切り替えようという発想はありませんでした。 ただ、談話室を設計した1997年頃には、ハンドル名しか名乗らない運営者による個人サイトも多くなっており、 ポリシーをどうすべきかちょっと悩んだところはあります。
談話室を実名/固定ハンドル名ベースの運営にした理由の一つは、 それ以前に既に自分が実名でレビューという文章を積み重ねてきたということもあり、 自分が本名でやっているのに相手が匿名だとアンフェアで話がしづらかったからです。 それに、単に殺那的で匿名的な情報のやりとりをするのではなく、 ある程度継続的な関係に基づいて話ができるような場にしたかったということがあります。 自分のサイトのメインコンテンツはレビューですし、それは継続的にテキストを積み上げていくことも重要だとも思っています。 殺那的で匿名的な情報のやりとりもそれはそれであっていいとは思いますが、自分でサイトを開いてまでやるようなことではない、と。 ただ、その一方、実名発言の場合、後々まで言質を取られるような感じがして、 ちょっとした思い付きも発言できなくなるような雰囲気にもなりかねません。 もちろん、後々まで残るようなことを書く場もあっていいと思いますし、 音盤雑記帖や歴史の塵捨場は実際そういう場です。 しかし、あまりに脊髄反射的な発言や頻繁な意見の変更などは顰蹙だと思っていますが、 「あのときは考えが浅かった」「あのころと考えが変わった」っていうのも ある程度は許されるような雰囲気を談話室に残しておきたい、というのもありました。 フォーマルな発表会・討論会ではなくて、ティータイムやパーティでのお喋りのような。 そこで、メールアドレスを要求する実名/固定ハンドル名ベースにする一方、 約一ヶ月分以上のログは残さない、というポリシーを取ることにしました。
今のところ、このポリシーで良かったと思っています。 今でもたまに、発言しづらいのでメールで、というメールを受け取ることがあります。 この談話室も、匿名発言も容易なスタイルにすれば、少しは発言が増えるかもしれません。 しかし、そうしてしまったら、参加者が「名」を持っていたからこそ 築き上げることができた信頼関係に基づくコミュニケーションが破壊されてしまうように思われます。 そして、そこまでして発言を増やさなくてはならない場だとは思っていません。