BBC Radio One のDJ John Peel に関する2004年10〜11月頃の一連の発言の抜粋です。 古い発言ほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 リンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
BBC Radio 1 の音楽番組を担当していた伝説的なDJ、 John Peel が亡くなりました。BBC News に死亡記事 "Legendary radio DJ John Peel dies" と "Obituary: John Peel" が出て、 BBC Music でもトップにフィーチャーされています。 弔辞のコーナーも設けられています。 10/26には追悼プログラム (トラックリスト) が放送されていて、既にインターネットから聴かれるようになっています。
イギリス (UK) のラジオDJである John Peel のことを僕が知ったのは、1980年代半ば。 最初に彼の名前を見たのは、 The Smiths, Hatful Of Hollow (Rough Trade, ROUGH76, 1984, LP) でだったと思います。このアルバムに収録された音源の約半分が John Peel の番組のために録音されたセッションだったのです。
しかし、僕が彼を意識することになったのは、1986年にリリースが始まった The Peel Sessions (Strange Fruit) という12″レコードの シリーズででした (フォトログ)。 John Peel の番組のために録音したスタジオライブを収録したレコードなのですが、 1970年代末以降の punk 〜 post-punk 文脈でインディーズを拠点に活動する ミュージシャンがほとんどというラインナップが強烈な存在感を与えるものでした。 後に数セッション分合わせてアルバム単位でCDリリースされるようになり ジャケットデザインも様々にデザインされるようになりましたが、 最初は、一枚の12″に収録されているのは同一セッションで録音された数曲だけ、 ミュージシャンの名前、収録曲クレジット以外は同じデザインの モノクロームなジャケットがとても印象的なものでした。 この一連のレコード/CDのリリースが無かったら、 日本でここまで John Peel の名前が知られることは無かったと思います。
John Peel 自身は punk 〜 post-punk に特化したラジオDJだったわけではありません。 彼が BBC Radio 1 に番組を持つようになったのは1967年、 1990年前後にリリースされた The Peel Sessions Album のCDに 入っていたと思われる Strange Fruit のカタログが手元にあったので それを改めて眺めてみると、CDになったものだけでも、 Jimi Hendrix (1967)、T Rex (1970)、Syd Barrett (1970)、Nico (1971)、Can (1973-75) といったあたりのミュージシャンの名前が見えます。 Aswad や Misty In Roots のような British reggae の The Peel Sessions もありますし、 1990年代半ばくらいには techno の The Peel Sessions もリリースされるようになりました。 しかし、Strange Fruit の初期の The Peel Sessions のラインナップからしても、 Peel のスタイルに拘らずに無名のミュージシャンでも積極的に取り上げる態度が punk 以降のインディーズ・イデオロギーと共鳴することろが大きく、 日本では post-punk / indie rock/pop なラジオDJとして認知されたように思います。
The Peel Sessions で日本に紹介されるようになってから1994年頃まで、 自分にとって、Greil Marcus (Real Life Rock Top Ten) と並んで John Peel は新しい rock/pop を追いかける羅針盤的な存在でした。 しかし、1994年頃からあまり John Peel を参考にしなくなったように思います (Greil Marcus についてもそうですが)。 その理由としては、自分の趣味の変化も大きかったとは思います。 しかし、確かに Peel は1990年代に club music 等ををちゃんとフォローしたけれども、 1980年代の post-punk 〜 indie rock/pop ほどには影響力を持ち得なかったというのも 確かなように思います。 US の indie rock/pops の主要な拠点がカレッジ・ラジオだったように post-punk 〜 indie rock/pop ではラジオDJの影響力が大きかったのに対して、 club music の拠点はラジオではなくクラブであり、 クラブDJの影響力が大きいということもあるように思います。
その後、インターネットでBBCの番組が聴かれるようになって、 聴くようになったのは Radio 3 の Late Junction や Mixing It とった番組 (最近は、平日の帰りが遅くて、あまり聴けていないのですが……。)。 John Peel の番組を聴くということはあまりありませんでした。 それでも番組のウェブサイトは覗いていましたし、 聴こうと思えば聴けるようになったということはとても嬉しかったです。 インターネット以前は、レコードにセッションがまとまった形で接してしただけに、 てっきりライブのように1セッションまとめて放送されていたのかと思っていました。 しかし、ウェブサイトに掲載されたトラックリストを見て、 他の様々なミュージシャンの曲に交える形で スタジオライブの曲が放送されていることを知ったというのは、 ちょっとした驚きだったというのも、印象深いです。
さて、最後に、John Peel の音源を収録したレコード/CDの中で 自分が最も好きなもの一つ挙げるとすると、やはり Billy Bragg, The Peel Sessions Album (Strange Fruit, SFRCD117, 1991, CD) でしょうか。 音盤雑記帖には載せていませんが、 リリース当時の13年近く前に自分が書いた レビュー が Google Group で読めますので、内容についてはそちらをどうぞ。 この発言もこのCDを聴きながら書いていました。
ども、川仁さん。
John Peel
訃報に関する話ですが。
In pictures: The John Peel hit list
には気付いてませんでした。写真を並べて見ると時代を感じますね。
Tony BliarBlair
コメントしている
("Legendary radio DJ John Peel dies" でも紹介されています)
のを読んで、そういえば彼は労働党首だったんだなぁ、と思い出しましたよ。
ま、今の Blair のコメントをありがたがる John Peel ファンは少無さそうな気がしますが……。
しかし、John Peel がここまで有名になり影響力を持てたのも、 もちろん革新的なポピュラー音楽の動きに対する嗅覚の良さもあったと思いますが。 公共放送 BBC のDJだったということも大きかったのではないかと思っています。
1980年代の US indies を支えたのはカレッジラジオだと言われていたわけで、 そういう所には John Peel のようなラジオDJがそれなりにいたのではないかと思うのです。 しかし、カレッジラジオやローカルなコミュニティラジオのDJでは 影響力の範囲もたかが知れていますし。
一方、影響力のあるメディアコングロマリットが所有するラジオ局で いくら嗅覚の良いDJでも John Peel のようなプログラムを組めないのではないかと。 やっぱりプロモーション云々でメジャー中心にならざるを得ない面があるだろうし。 そういう商業的な面から一線を画せる公共放送だったからこそ、 John Peel のような番組も成立し得たのではないかと。 ヨーロッパの公共放送て、昔から現代音楽や free jazz の拠点になってきたようなところがありますし (関連発言)、 ヨーロッパの公共ラジオの良き伝統の上に John Peel もいたのかなと思う所はあります。
あと、John Peel の BBC が英語だというのも大きいように思います。 "the French John Peel" と言われる Radio France の Bernard Lenoir (フランスでは John Peel が "le Bernard Lenoir Anglais" と言われる) が John Peel ほど有名になれず影響力が持てないのは、 フランス語ということもあるように思います。 ちなみに Lenoir の番組でもスタジオライブをやっていて "Black Session" と呼ばれています (Lenoir だから Black)。
2週間ほど前のことですが、 John Peel の話の中で "the French John Peel" こと Bernard Lenoir に言及しました。その後、 インターネットでも彼を紹介したこれといったテキストを見付けられなかったので、 彼のラジオ番組について言及した雑誌記事を発掘してみました。 向風 三郎 「欧州西風東風」 (『ミュージック・マガジン』1996年10月号p.107) です。 この記事によると、1996年当時、France Inter に毎晩1時間の番組を持ち、聴取者数は15万だったようです。 ちょっと長めになりますが、この記事からルノアールの経歴にあたる部分を引用します。
ベルナール・ルノアールはノルマンディー生まれアルジェリア育ちの51歳。 国営ラジオ局フランス・アンテールには70年に入社。 以来26年間ラジオの人である。 私がルノアールの番組を最初に聞いたのは70年代のことであるが、 その番組の名は「ロッキーシニョール」。 カタカナで書くとはっきりしないが、ロックとロシニョール (スキー板のことではない。夜鳴き鶯) の合成語で、深夜番組にふさわしく夜鳴らすロックという含蓄だろう。 テーマ曲がマホガニー・ラッシュで、ハード、ヘビメタ中心の選曲だったように記憶している。
78年、ルノアールの評価を決定づけた番組「フィードバック」がスタート。 折しもパンク全盛時代。 「当時俺だけが文字通り生放送中にスボンの中に脱糞していた」と言う。 「フィードバック」はムーヴメントの牙城となり、パンク世代の聴取者に最新の動向と生演奏を送り続けた。 ジョー・ジャクソン、B52ズ、トーキング・ヘッズ等がルノアールのスタジオで生放送でセッションした。 言わばルノアールはイギリスのジョン・ピールの双生児的な役割をフランスでしたのである。
80年代に入りフランスはFMの自由化とともに幾多のロック専門局を作ることになるが、ルノアールの威光は衰えることがない。 同番組のライブは彼の名にちなんで「ブラック・セッション」 (おわかりかな、ノアールは黒) と名付けられ、オールタナティヴ衆の間でカルト化した。
86年、ルノアールの子供たちと言える世代が雑誌『レ・ザンロキュプチーブル』を創刊する。 カタカナで書くとはっきりしないが、ロックとレ・ザンコリュプチーブル (腐敗しない、清廉潔白な、という意味で、米TVシリーズ「ジ・アンタッチャブル」の仏訳タイトル) の合成語で、商業主義におもねらないロックという含蓄だろう。 これ以降ルノアールと同誌はフランスのインディーズの中心的な守護者となり、ルノアールの番組名も同誌名の単数形の「ランロキュプチーブル」となった。
ちなみに、現在は、France Inter (フランス・アンテール) で 月〜木曜日の一時間21〜22時に C'est Lenoir という番組を持っているようです。 ちなみに、上記引用で出てくる Lenoir の子供たち世代が作った雑誌というのは、 最近は les Inrocks と略して呼ばれることの方が多い les Inrockuptibles です。この雑誌は、たぶん、Lenoir よりずっと有名なのではないかと。 Lenoir の番組のウェブサイトを見ると、 "WEB & RADIO" という les Inrockuptibles のウェブサイトと 彼の番組との共同企画らしきものもありますし、 それなりに関係を保ってやっているのでしょうか。
ちなみに、この引用した記事は、 1996年に一時 Lenoir の番組が中止になったことを報じた記事なのでした。 このときは約2ヵ月の中断の後、30分番組として復活したそうなのですが。
95年、大統領が保守に替わり、国営放送の首脳部も替った。 オールタナティヴが保守の気に入るはずもなく…。 6月の番組中止発表時には、抗議投書だけでなく、視聴者が国営放送ビルの前でデモを打った。 それやこれやが功を奏したのか…。
この95年の大統領交代というのは、 左派社会党の Mitterrand から右派保守連合の Chirac への交代のことです。
こういう話が頭にあったので、John Peel の訃報の中に 首相 Blair のコメントが載っているのを読んで、 「彼は労働党だったんだなぁ」と思ったりしたのでした。 ま、イラク戦争報道めぐって Blair と BBC の関係がアレだったりといろいろありますが。 やはり、保守党政権下だったとしたら首相が John Peel の訃報にコメントを寄せるとは思えないですし。 いや、John Peel も OBE (Officer of the British Empire) を受勲してますし、そうでもないのかしらん。
ま、あまり政治と短絡的に結びつけるものではないと思いますし、 イギリスとフランスでは事情が違う点もあるとは思います。 しかし、イギリスとフランスにおいて、BBC と Radio France という公共放送に John Peel と Bernard Lenoir という DJ による オルタナティヴ牙城的な番組が存在して得たと理由として、 John Peel と Bernard Lenoir の個性・特異性の問題だけではなく、 構造的な要因を考えて良いようにも思います。 公共放送だけに政治、特に文化政策との関係は大きいように思いますし、 二国間の共通点と差異を分析した雑誌記事・論文とか無いのでしょうか。 関係しそうな話題を扱っている文献、ウェブサイトを御存じの方がいたら、 是非教えて下さい。