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烏賀陽 弘道『Jポップとは何か ― 巨大化する音楽産業』読書メモ

2005/5に書いた 烏賀陽 弘道『Jポップとは何か ― 巨大化する音楽産業』 に関する読書メモの抜粋です。 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

[1277] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri May 20 0:25:39 2005

読書メモ。 烏賀陽 弘道 『Jポップとは何か ― 巨大化する音楽産業』 (岩波新書 新赤版945, ISBN4-00-430945-X, 2005) は、「Jポップ」を通して見た日本の1980〜90年代史とでもいう内容で、大変お薦めです。 自分が感じている1980年代以降の日本における大きな文化風土の変化という 問題意識と関係する所が多く、 「Jポップ」をほとんど聴いたことの無くその歌をほとんど知らない自分でも、 とても面白く読めました。

この本の内容は、その時々に流行った歌の歌詞から世相を解釈するというものではありません。 レコード、CD、著作権料やAV機器の市場規模の変遷、 チャート上位を占める曲におけるタイアップの占める割合、 地方都市へのパルコ等の出店時期といったデータから、 日本の文化風土の変化を「Jポップ」を切り口に読み解いていくというものです。 そして、「Jポップ産業複合体」や「渋谷のパルコ化、全国のパルコ化」 といった主張に説得力があるのも、 インタビューなどでの当事者の声と市場規模等のより定量的なデータが うまく組み合わされているからだと思います。

この本が冴えている点は、 定量的なデータを採用することによって説得力を増すマクロな視点による分析です。 特徴的なのは、第2章「デジタル化は何をもたらしたか」での議論です。 音楽とデジタル化の関する従来の議論は、 個人もしくはある程度限定された集団としての作り手、聴き手と音楽との間に生じる ミクロな関係 (音楽制作手法や聴取行動) が デジタル化によってどう変化したかに着目するものが多かったように思います。 しかし、この本は、音楽市場が相手にする市場の規模やその構成というマクロな関係の デジタル化による変化に焦点を当てています。 アナログ盤からCDへの移行は オーディオ機器の小型廉価化と小型廉価機器の相対的Hi-Fi化をもたらし、 従来購買力の大きい成人男性だけだったレコード購買層に、 若者と女性を取り込んでいったと。 アナログ盤からCDへの移行によるレコード売り上げ増加は、 乗り換え需要喚起による市場活性化というより、 若者・女性の購買層への取り込みによる市場拡大と変質によるものだと、 この本は指摘します。 同様に、制作側についても、機材のデジタル化やサンプリングの普及の結果として、 ミクロな視点からのミュージシャンやエンジニアの役割 (楽曲における作家性など) の変化というより、 マクロな視点からの制作費ダウンと制作期間短縮による大量生産化に 焦点を当てています。

「Jポップ」に限らない射程を持った議論という点では、 第4章「「ココロ」の時代の音楽受容」における議論が興味深かったです。 自分の中でもうまく話が繋げられているわけではないのですが、 「渋谷のパルコ化、全国のパルコ化」のような議論は、 「ファスト風土化」 (三浦 展 『ファスト風土化する日本 ― 郊外化とその病理』 洋泉社新書y Y760, ISBN4-89691-847-9, 2004) と表裏一体のものと捉えられそうにも思います。 北田 暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』 (NHKブックス No.1024, ISBN4-14-091024-0, 2005) で書かれているような話を、よりマクロな視点から書いているようにも思います。 ま、これについては、細かく対応や食い違いをチェックしたわけではなく、 漠然とした印象ですが。 (単に、自分のあまり知らないことについて書かれているからそう感じるだけだったりして。)

そういうわけで、『Jポップとは何か』は、1980年代以降の文化風土の変化について マクロな視点をもって「Jポップ」に限らない射程で描いた良い本だと思います。

この本に書かれていること少し関係するようなことを 数年前に少し考えて談話室に発言したことがあったので、 自分の問題意識の再確認も兼ねて、そのときの発言を発掘しておきました (談話室アーカイヴの 「「ライブ的な文化の複製商品化」と「文化のコンビニ化」について」「ヤンキー文化について」)。 久々に読み返してみると、「文化のコンビニ化」の話にしてもミクロな関係の変化にしか視野に入っておらず、 マクロな市場規模拡大や拡大による構成の変化まで考えが至っていないというあたりがダメダメですね。 「ヤンキー文化 / 渋谷系文化」の話にしても、 「ファスト風土化」と「渋谷のパルコ化、全国のパルコ化」を繋げて 話を組み立て直すと見えてくる所があるような気もします。 しかし、昔の話を再考するのは、残念ながら、今の自分にはちょっと手に余るような……。 というか、特に「文化のコンビニ化」の話をしていた2000年頃がそうですが、 あの頃はよくもこんな長文を談話室向けに書くことができたものです。 それに比べ最近は短く内容の薄い発言が多くなってしまったなぁ、と少々反省しました。

今や TV CMやTVドラマを観ることもほとんど無く、カラオケにもめったに行かず、 着メロを使ったことも無いような生活をしていているわけですが、 それでも、1980年代半ばくらいまでは、 自分の趣味生活もこの本に書かれているような音楽への接し方をしていたなぁ、と、 そして、意識的に避けたり反発したりしたつもりは無いのに いつ頃道を外れてしまったのだろう、と読んでいて思いました。 そんなわけで、自分語りの余談を少々徒然なるままに。

第3章にTV歌番組『ザ・ベストテン』 (TBS) の話が出てきますが、 小学校高学年の頃 (1978〜9)、この番組を自分も観ていました。 観始めたきっかけは覚えていませんが、観なくなったきっかけは中学校 (1980) への進学でした。 小学校時代はクラスでその番組がそれなりに話題になるので観ていたようにも思うのですが、 中学校時代にはそういう話をしなくなったように思うのです。 単に自分がそういうことを気にしなくなったのか、 実際あまり話題にされなくなっていたのか、今やよく判りません。 本によるとこの番組の放送期間は1978年から1989年だったそうですが、 もっと前からある番組だと思っていました。 『ザ・ベストテン』が最高視聴率を記録したのは放送開始三年後とのことですから、 人気がピークに達する前の最初期しか観ていなかったのだなぁ、と。 1980年以降、歌謡曲の記憶が失われるので、 これが道を踏み外す最初のきっかけかと思います。

CD登場以前、購買力の無い層向けにアナログ盤を補完していたのが エアチェックやレコードレンタルによるカセットテープ録音だったという話 (第2章) も、中学高校時代 (1980〜5) の自分もそうだったなぁ、と。 そして、聴いていた音楽も日本盤が出てレコードレンタルに並んだり FMラジオでかかるものがほとんどでした。 そういう点で中学高校時代の自分の音楽趣味は、 まだ世間から少々ズレた程度だったと思います。 そして、自分がエアチェックとレコードレンタルを止めたきっかけは、 大学進学してアルバイトをするようになりレコードが買えるようになったことでした。 そんなこともあり、CDプレーヤの小型廉価化と普及が始まる前にアナログ盤を沢山買うようになり、 J-WAVE の登場した1988年秋には既にFMラジオを聴かなくなっていました。 もし、大学進学前に CDプレーヤの小型廉価化と普及が始まり J-WAVE の放送が始まっていたら、 自分の音楽趣味は今よりもっとJポップに向いたものになっていたかもしれない、 と思ったりもしました。