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旅のアルバム
南ドイツ・スイス・北イタリアの旅
①オーバーアマガウ、フュッセン(南ドイツ)
②メーアスブルグ、マイナウ島(南ドイツ)、シュタイン・アム・ライン(スイス)
③チューリッヒ、ルツェルン(スイス)  ④コモ、ベルガモ(北イタリア)

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チューリッヒ、ルツェルン (スイス)


チューリッヒ

地名をクリックしてお好きなところからもご覧になれます
オーバーアマガウ、フュッセン(南ドイツ) Page1
メーアスブルグ、マイナウ島(南ドイツ)、シュタイン・アム・ライン(スイス) Page2
チューリッヒ、ルツェルン(スイス) Page3
コモ、ベルガモ(北イタリア) Page4


チューリッヒ
現在、チューリッヒは、商業、工業の分野ではスイスの中心、金融、保険業の分野では世界の中心であるスイス最大の都市。 チューリッヒ州の州都。
時代の最先端をいく現代都市であると同時に、中世の建造物も多く残る歴史都市でもある。
16世紀に起こったヨーロッパの宗教改革の発祥の地でもあり、自由と先駆的な気風を持つ。

旧市街の中央にはリマト川が流れ、西岸にはフラウミュンスター(聖母教会)(シャガールのステンドグラスで有名)や聖ペーター教会、東岸にはグロスミュンスター(大聖堂)等がある。
歴史
◆紀元前古代ローマ時代、リマト川を往来する船から通行税を取る為、川沿いの丘「リンデンホフ」関所チューリクム(Turicum)が設けられたが、このチューリクム税関という意味)がチューリッヒの語源
◆9世紀、チューリッヒは繁栄をきわめていた東フランク王国の領域となり、国王ルートヴィッヒ2世により、フラウミュンスター(聖母教会)グロスミュンスター(大聖堂)が建設される。
◆13世紀神聖ローマ帝国時代、チューリッヒは北のドイツと南のイタリアを結ぶ街道の北側要衝であった為、皇帝が好んで滞在し、経済的に発展する。
◆14世紀、商人や職人がギルド(同業者同盟)を結成し、市政に参加するようになる。
1351年、チューリッヒはシュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州、ルツェルン州で作っていたスイス連邦に加盟。2年後にはベルン州など3州が加わり、8州の連邦国となる。
◆1499年、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の軍との戦いに勝ち、加盟州は13州となり、スイス連邦は神聖ローマ帝国から事実上独立を獲得
◆16世紀、チューリッヒとジュネーブで宗教改革運動が起こり、チューリッヒはプロテスタントの都となる。
◆19世紀、産業革命の中、アルフレート・エッシャー(鉄道王)がチューリッヒを中心にスイスの鉄道網銀行制度を飛躍的に発展させる。
チューリッヒ中央駅
(Zurich HB)

(中央駅の正式名はHaupt Bahnhofで、
HB
と略される。
Bahnhofバーンホフは駅の意味。)


リマト川の西岸にある。駅前のバーンホフ広場には鉄道王アフルレート・エッシャーの銅像が立つ。
このバーンホフ広場(駅前広場)から南へチューリッヒ湖畔のビュルクリ広場まで続く通りがメインストリート「バーンホフ通り」

クラシックトラムの様なバス?

チューリッヒの町並み

遠くに見えるアルプスの山々

チューリッヒ大学前で見えた虹

チューリッヒ大学
チューリッヒ大学

アインシュタイン、レントゲン、ペスタロッチ
が学んだ大学

大学内部で車の展示をやっていました。

リマト川沿いの街並み

リマト川からチューリッヒ湖へ
チューリッヒ湖

チューリッヒ湖のハーバー

チューリッヒ湖の遊覧船乗場

湖畔の公園

長閑なチューリッヒ湖


陶磁器ギャラリー
(チューリッヒ陶磁器組合の建物。18世紀に建設。)
重厚な建物が多いですね。

正面はタウンホール
右隣にフラウミュンスター(聖母教会)が見えてきました。

タウンホールには市議会ホールや音楽ホール
があり、結婚式も挙げられます。
コバルトブルーの優美な尖塔の
「フラウミュンスター(聖母教会)」

フラウミュンスター

シャガールのステンドグラスが美しい
フラウミュンスター(聖母教会)

853年、カール大帝の孫ルートヴィッヒ2世が娘ヒルデガルトの為に建てた修道院が前身。「フラウ」は「女性」の意味。
12世紀~15世紀にゴシック様式に改築された。
16世紀、宗教改革中に教会は閉鎖され、最後の修道女達はプロテスタントに改宗。多くの宗教画、イコン類は破壊された。

教会内部には シャガール作のステンドグラス(1970年頃作成)が多数ある。美術館では見られないシャガール作品、必見!です。 また、チューリッヒ最大級のパイプオルガンにも注目。
残念ながら、撮影禁止の為、下の写真は教会の絵葉書です。



教会正面入口横の絵

よく見ると左右の人は自分の首
を抱いています。
チューリッヒの伝説の聖人の絵でしょうか。

この教会の対岸にあるグロスミュンスター(大聖堂)には、キリスト教信仰の為に迫害され、逃げてきたものの、この地で捕まり斬首されたが、自分の首を抱いて歩いたという伝説の聖人達の遺体が納められていてます。
伝説の聖人については下記のグロスミュンスターのところでお話します。

シャガール作のステンドグラス

フラウミュンスター内部
緑と青は現世、赤と黄は天上の象徴。

フラウミュンスター前に立つ長年チューリッヒ市長を務めた
ハンス・ヴァルトマン(1435~89年)
グロスミュンスター(大聖堂)
フラウミュンスターの対岸に見える2本の塔のプロテスタント教会
スイス最大のロマネスク様式 (11~12世紀建設)

ミュンスター橋
(橋の右手がグロスミュンスター
左手の銅像前にフラウミュンスターがある。

グロスミュンスター(大聖堂)


3聖人グロスミュンスター(大聖堂)
宗教改革
4世紀初頭ローマ帝国時代、フェリックス、レグラ、エクスペランティウスはローマ帝国のキリスト教迫害を逃れこの地にやってきたが、見つかり、川辺で斬首された。彼らは自分の首を抱えて歩き、息絶えたという。
8世紀、カール大帝(742~814)はその墓所を見つけ教会堂を建てた。11~13世紀に建て直され現在の形になったが、火災などにより幾度も改築が重ねられている。
地下に3聖人の墓が祀られていて、カール大帝像もある。
16世紀に司教となったツヴィングリが宗教改革を説き、スイス、ドイツ圏における宗教改革、プロテスタント派の拠点となった。

屋根の後方の真っ赤な細い尖塔も特徴的
聖ペーター教会
チューリッヒで最も古い教会(9世紀)。13世紀と1705年に大改築が行われている。
特に1534年に建てられた時計塔の大時計が有名で、時計の文字盤は直径8.7m、
時針3m、分針4mで、ヨーロッパ最大。1911年まで、火の見やぐらとして使用されていた。

リマト川に架かるラートハウス橋
中世は「下の橋」と呼ばれた。橋の右手が旧市庁舎。
街のお店の飾り付けもドイツとはどこか違いますね。

チューリッヒでランチ

チーズフォンデュ
スイスの定番料理

私はチーズ大好きなので美味しく頂きましたが、日本人旅行者の中には、苦手で殆ど食べられない人もいますね。バスに戻って、スルメを食べていらっしゃいました?? お気の毒!

スイスのホテルの朝食は一般的なメニューでしたが、パンコーナー(右写真)がパン屋さんの様に、種類も豊富で、選ぶのも楽しかったです。沢山は食べれないので、2人で半分ずつ頂きました。
ルツェルン

長い車体のバスですね。
方向転換が難しそう!
チューリッヒから南へ約60km、
スイスの中央部、山と湖に抱かれた
古都ルツェルンがあります。

ルツェルン四森州湖(フィアヴァルト・シュテッター・ゼー別名ルツェルン湖)の西端に位置し、周辺にはリギ山、ピラトゥス山といった山々があり、古くからからアルプスの展望地として賑わう。
ルツェルン州と共に四森州湖を取巻くシュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州の3州スイス建国の母体となった。
この地は神聖ローマ帝国の領地であったが、皇帝フリードリッヒ2世はこの地を一時、ハプスブルグ家に監督権を譲渡した。後に権利を買い戻したが、1239年皇帝はローマ教皇から破門されることになり、ハプスブルグ家はこの領地を再び狙おうとする。住民はこれを恐れて、遂に3州はハプスブルグ家に対して独立の抗争を挑み、1291年8月1日に永久同盟締結、スイスの誕生となる。
自分の子供の頭に乗せたリンゴを射抜き、悪代官ゲスラーをやっつけスイス建国の英雄となったという、独立にちなむ物語「ウィリアム・テル」伝説(フィクション)の舞台でもある。
「フィアヴァルトシュテッター湖」(四森州湖)
別名 「ルツェルン湖」

ライオン記念碑

瀕死のライオン
(殉死したスイス傭兵の追悼碑)
(中央左の彫られた穴の部分)
フランス革命の中、1792年パリのチュイルリー宮でルイ16世とマリー・アントワネット一家を警護して殉死した786名のスイス傭兵の追悼碑。瀕死のライオン像は命にかえて職務を果たしたスイス傭兵を表し、彼らの忠誠心を讃えている。


16~18世紀、スイスは優秀さが知られていたスイス兵を傭兵として他国に貸し出すことで、財力と国力をつけていった。現在、ヴァチカン宮殿の護衛はスイス兵が担当している。
カペル橋
ルツェルンのシンボルである、ヨーロッパ最古の屋根付き木橋。湖から襲ってくる敵から町を守る城壁の一部。旧市街は湖、川、ムーゼック城壁に守られていたが、その東の砦がカペル橋。完成は1333年。橋のたもとにKapelle(礼拝堂)があったことから、カペル橋と名付けられた。1993年に火災にあったが、見事に修復されている。
川の中に立つ八角形の塔は、敵の襲来を見つける見張り台だが、
拷問部屋や貯水塔としても使われた。
屋根の梁には聖人の生涯と町の歴史を描いた110枚の三角形の絵画が掲げられている。
シュプロイヤー橋
1408年完成。カペル橋より400m上流にあり、西の砦として造られた。シュプロイヤーとはもみ殻のことで、橋の隣に水力で小麦を脱穀する水車小屋があった。梁にかかっている67枚の絵は1635年に、ペストの大流行を描いたもので「死の舞踏」と呼ばれる。 恐ろしい絵が次々と現れます。

シュプロイヤー橋
右上に見えるのは、町を囲っていたムゼック要塞壁

中央にドクロの姿をした死神が見えます。

橋の中央には小さな御堂もありました。
美しいロイス川沿いの町並み
ロイス川の堰(せき)
シュプロイヤー橋の隣にあり、川の流れの中に堰が造られている。板を上下する
ことにより、川の水位を調節している。現在の堰は1860年に作り直されたもの。
それまでは階段状になっていて、水車小屋へ水を引いていたと云われている。

シャトー・ギュッチ
19世紀の城を利用した美しいホテル
イエズス教会
1666年、スイスで初めて造られたバロック様式の教会で、ロイス川南岸に建つ。
2本の玉ねぎ型ドーム屋根の塔を持つファザードが特徴的。内部は白とローズピンクを基調としたロココ様式(内部は18世紀に改築)で装飾されていて、その華麗な天上画や祭壇は必見!

2本の玉ねぎ屋根のイエズス教会
ロイス川右手に見えてきました。

ロココ様式の内部

ロココ様式というと、初めにPage1でご紹介した
世界遺産の「ヴィース教会」がありますね。
( ロココはバロックの後に生まれた様式)

この教会も内部に華麗な装飾が施され、
その明るく、華やかな美しさは、
フランスの宮廷を彷彿とさせますね。



ルツェルンには他に3の主要な教会が
ありますが、全てカトリック教会
宗教改革当時、ルツェルンは反改革の
中心の街だった為、チューリッヒとは違って、
カトリック教会が残っているのですね。
ルツェルンの街角

ルツェルンの町でもクマの泉(水飲み場)を発見。
ボーデン湖畔の町「メーアスブルグ」にもありましたね。ルツェルンの東にあるスイスの首都ベルンの名は「クマ」に由来し、西のツオーツという町のプランタ家のシンボルもクマ。アルプス山麓の街はクマと関係が深いのでしょうね。

美しい壁画のホテル


ルツェルンの町も美しい壁画で
飾られています。
中世の面影を残す時計台もいろいろ。↓ →

ルツェルン旧市庁舎

イタリアルネッサンス様式
(1602~1606年建築)


カペル通りのゲーテの壁画

こちらは少年像の泉

カペル広場のユニークな壁画

シックな色合いが美しい壁画

飛行機雲のクロス

カペル広場の「フェリッチの泉」

シュヴァーネン広場前の老舗パン・菓子店
「バッハマン」
(コンフィスール・バッハマン Confiseur Bachmann)
あまりに立派な建物なので 市庁舎かと思いました。ここではビルネンウェッゲンという乾燥梨で作った黒いペーストを中に巻いたロールパンが有名。

お店のディスプレイもスイスっぽい。 カラフルで楽しい車
ホーフ教会
8世紀、ルツェルン湖畔にベネディクト会修道院として建てられたのが始まり。17世紀に火災で焼失した後、後期ルネッサンス様式で再建された。ルツェルンの大聖堂の役割を担っている。マリアの祭壇と4950本のパイプオルガンが素晴らしい。
フィアヴァルトシュテッター湖(四森州湖)
別名 「ルツェルン湖」


アルプスの美しい湖や山々を後に、北イタリアへ
アルプス山脈を貫く約17kmの長ーいゴッタルドトンネルを抜けて、
北イタリアへと南下していきます。
国境を超え、暗くなってやっと北イタリア(コモ湖近辺)に到着。
写真: 北イタリアでの夕食

   パスタとカジキマグロのソテー

ドイツ、スイス、イタリアが隣接している地域ですが、イタリアに入ると、今までとは違って食事もイタリア的になってきました。
イタリアは必ずと言ってよいほど、メインディッシュの前に、前菜の感覚でパスタが出てきます。
パスタだけでお腹いっぱいになってしまいますが、イタリア人はこれが当たり前なのでしょうね。
メインディッシュのカジキマグロのソテーはほとんど味がなく、オリーブ油と塩を付けて頂きました。トマトとオリーブ添え。
デザートはアイスクリームでしたが、写真を撮るのを忘れました。
次ページ(Page 4)は 北イタリア コモ、ベルガモ
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