闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
(岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)







キャプテン翼勝利学
(深川峻太郎/集英社インターナショナル)




目次8月の日誌南アW杯GL編 / KO編ASIA 2009全仕事江戸川時代homemail



 9月8日 水曜日  (平成22年/2010年)
 ありがたい編集部とありがたくない編集部
 BGM : Alas I Cannot Swim / Laura Marling

 Total Football - 世界のサッカー情報サイトの記事は、きのうアップされた第3編をもって完結。なんだかひとりで突っ走っているような感じで、関係筋からは「マニアックすぎる」とお叱りを受けそうな気もするが、これが私のいちばん書きたかったこと。いわば確信犯である。「初心者にはわかりにくい」などと言わずに、好き勝手に(しかもたくさん)書かせてくれたトータル・フットボール編集部に感謝したい。私としては、このサイトの読者であるサッカーファンはもちろん、「世界」から遠いところで練習に励んでいる代表以外の選手たちにも読んでもらいたい、という気持ちで書いた。トップレベルのブラインドサッカーがすごく面白くてエキサイティングなことになっていることを知れば、さらにモチベーションが上がるのではないかと思ったからだ。指導者を含めた多くの関係者に読んでいただければ幸いである。

 一方、週刊サッカーダイジェストのほうは掲載誌が世の中から消えたものの、きのう発売された号に掲載された「お詫び」は、私にケンカを売っているとしか思えないものだった。なんだ、あの異様に小さい文字サイズは。およそどうでもいい編集後記よりも字が小さいんだから頭に来るじゃないか。担当者は「具体的な個所も記載すべきなのですが、誌面の制約もあるため、勝手で誠に申し訳ございませんが、下記の文面で何卒ご了承いただければと思います」と事前に伝えてきたが、編集後記を休載すればスペースはかなり作れるはずだ。まともに詫びることよりも、あのおよそどうでもいい編集後記のほうが大事だというのが、編集部の判断なのである。

 また、あの謝罪文は事前に私の感想を受けて一部を手直ししたものだが(たとえば「改変」は当初「修正」という文言だった)、もっとも重要な点が放置されている。私は担当者に「見ていない試合について誤った記事を作ったことに言及していない点で、まったく不十分な内容だと思います」とメールで伝えた。しかし謝罪文は「執筆者・岡田仁志氏の意にそぐわない表現に、編集部の判断で改変した部分がありました」とするだけで、事実に反する内容になったことに触れていない。まるで、ちょっとした言葉遣いが私の「意にそぐわない」形になっただけのように読める。読者は、「うるさいライターが細かいことでクレームつけたんだな」と思うかもしれない。掲載記事とあわせて、二重に名誉を毀損されたような気分である。

 しかも、C大阪の監督名表記は訂正されているのに、私の記事にあったいくつかの間違いは訂正されていない。編集部は、障害者サッカーの試合内容に関するウソや写真キャプションにおける選手名の取り違えよりも、Jリーグ関係者の名前のRとLの書き間違いのほうが、「訂正すべき重大な問題」だと判断したのである。

 私は同じ担当者へのメールの中で「これはあくまで編集部が自らの判断で掲載する文章ですから、私としては了承するも何もありません。そもそも、謝罪文の内容を事前に謝罪相手に相談するのも、妙な話です。編集長がこれで十分だとお考えなら、これを掲載すればよろしいでしょう。私としては、掲載された文章を踏まえて、貴編集部の仕事に対する姿勢や誠実さなどを判断するまでです」とも伝えている。私がどう判断したかは、こんなブログでキャンキャン吠えているだけでは意味がないので、いずれ「SAPIO」のコラムで書くつもりだ。この問題を広く天下に明らかにしなければ、サッカージャーナリズムのためにならない。

(13:25)





 9月5日 日曜日  (平成22年/2010年)
 あやまちをくり返さぬために
 BGM : Tear Chicago Down / Kilborn Alley Blues Band

 ブラインドサッカー関東リーグ(B1)が開催される狭山のフットサル場に行き、試合が始まる前に、サッカーダイジェストの記事で迷惑をかけた選手本人および関係各位にお詫びしてきた。取り返しのつかぬことなので、許すも許さないもない話だけれど、謝罪の気持ちは受け入れてもらえたと思う。いちばん迷惑をかけた本人は、「こんど活躍したときは大々的にかっこよく書いてくださいね」と笑って言ってくれた。「ビデオを見られない僕らには、深川さんが書いてくれたことがいちばんのフィードバックになるので、これからもお願いします」と言ってくれた選手もいる。そう。だからこそ私は責任を持ってきちんとした情報発信をしなければいけない。もっとも熱心な読者は選手だ。今回の私は、その選手たちからの信頼を損ねるような不始末をしでかしてしまった。自分自身を許すことができない。

 きょう選手たちにも話したのだが、こんなことをしてしまった原因のひとつは、「取材」と「雑談」の境界線が曖昧になっていたことだと思う。あまりに選手との距離が近くなってしまったせいで、あらためて正式に取材を申し込むという手順を踏まなくなっていた。今回も、選手が雑談のつもりで喋ったかもしれないことを、そのまま記事にしてしまったことがいけない。書いてよいかどうかをあらかじめ確認すべきだった。同じミスをくり返さぬためには、なるべく話を聞いた時点でオフレコか否かの確認をする、それができない場合は書く前に確認する、といったことを徹底しなければいけない。今回は、迷惑をかけた選手のコメント以外にも、本来なら本人の了承を得てから記事にすべきコメントや事実がいくつかあり、そのことも当事者に詫びてきた。プレーに関することはともかく、プライベートな話については最大限の配慮をする必要がある。今回のようなことをしていたのでは、選手が私の前で何も喋ってくれなくなってしまう。

 もうひとつの反省点は、「修正すべきだと気づいたらすぐに編集部に連絡する」ということである。言い訳に聞こえたら申し訳ないが、今回は原稿を編集部に送って寝床に就いた後で「あれは匿名コメントにしたほうがいいかもしれない」と思った。なので、そのときはゲラで直そうと思ったのだが、最後までゲラのチェックというプロセスはなく、私自身も次の締切やら税務調査やらで忙殺され、気持ちの余裕がなくなり、その件が頭の中から消えてしまったのである。昨年、同じ雑誌でアジア選手権の記事を書いたときもゲラチェックがなかったので、今回もその可能性を考えて然るべきであり、ならばすぐに編集部に原稿の訂正を申し入れるべきだった。これは、ゲラのチェックがあるケースでも同様である。訂正の申し入れは、早ければ早いほどいい。

 ほかにも、担当編集者とのコミュニケーション不足があったこと(実は電話とメールで連絡しているだけでまだ会ったことがない)、気のすすまない企画を引き受けてしまったことなども、今回のミスを引き起こす遠因となったように思う。ライターにとって初歩的な心構えがなっていなかったことが本当に恥ずかしいが、以上の点を忘れることなく、今後は二度と同じ失敗を犯さないことを誓って、私の反省文といたします。

 話は変わるが、サカダイのレポート記事を読んだ(家族に音読してもらった)ある選手からは、例の「スペインが一方的に主導権を握る」の部分について、「すぐに、そんな試合じゃなかった!とツッコミましたよ」と言われた。このブログを読んで事情を理解し、「深川さんの原稿のほうが正しい」と言ってくれたが、最初はブラジルの苦境を大袈裟に演出するために私がそんな書き方をしたのかな、と思ったという。事情を知らずに、あれが私の文章だと思っている関係者もまだいるかもしれないと思うと、やりきれない。最終的な謝罪文がどうなるかは知らないが、「執筆者の意にそぐわない表現に、編集部の判断で改変した部分がありました」程度の内容で済む話ではないと思っている。私の意にそぐわないどころか、事実に反する内容にされてしまったのだから。

 Total Football - 世界のサッカー情報サイトに、世界選手権関係のラスト記事が掲載されている。いっぱい書いてしまったので、3回の短期集中連載になります。とりあえず、第1編はこちら。第2編以降の掲載がいつになるのかは把握しておりません。

(16:30)





 9月3日 金曜日  (平成22年/2010年)
 私のあやまち
 BGM : In The Dark / Grateful Dead

 ゆうべツイートしたとおり、週刊サッカーダイジェストの記事には、私にも重大なミスがあった。編集部の落ち度を公開の場で厳しく批判した以上、私もここで自分の愚かしさを公表しなければいけない。私はあの記事の中で、匿名にすべきコメントを実名で書いてしまい、選手を傷つけた。具体的に書くとますます迷惑がかかる恐れがあるのでこれ以上は説明できないが、一番やってはいけない最低のミスである。ゲラチェックがなかったことは何の言い訳にもならない。なにが「ことブラインドサッカーに関しては、4年間かけてそれなりの信用を得てきたつもり」だ。そういう慢心がこういう事態を招くのだ、と、人から言われる前に自分で言っておく。情けなく、恥ずかしい。本当に、申し訳ないことをした。こればかりは取り返しがつかない。深く反省するため、しばらくブラインドサッカー関係の取材等は謹慎します。

 さらにもうひとつ、反省すべきことがある。「二足の草鞋を履きながら”世界の舞台”を目指す」と題されたコラムのことだ。ツイッターに寄せられた感想を読むと、あれを「勝てない理由」(つまり負けた言い訳)のように読んだ人もいる。そういうニュアンスが読み取れたとすれば、それは私の筆力不足によるものであって、選手たちの責任ではない。仕事を敗戦の言い訳にする選手など日本代表チームにはひとりもいない、と、ここで断言しておく。

 そもそも、編集部のリクエストで作られたあのサイドストーリーは、あまり気がすすまなかった。ワイドショー的な視点はなるべく避けたいし、サッカー専門誌にも似合わない。レポート部分の行数も減る。しかも当初は佐々木選手の苦労話を求められたので、「ご期待されているようなコメントは絶対に取れません」と難色を示した。仕事を持つ選手は彼だけではないし、記事にあるとおり、ヤスさんはむしろ恵まれているほうだからだ。しかも「なぜ佐々木選手?」という私の質問には、「森田健作知事を取材したときに話を聞いて、よろしくと言われたから」的な答えが返ってきた。サッカー専門誌がどうして森田健作に媚びを売らなければいけないのか理解できない。

 しかし結局、「ほかの選手でもいいから二足の草鞋ネタを」と頼まれた。企画内容のやりとりが始まったのは、すでに現地入りしてからだったので、つべこべ議論している余裕もない。世界選手権の記事掲載自体はこちらから持ち込んだ話なので、あまり強いことも言えなかった。それで承諾したのだが、今から思えば、あのとき「書きたくないものは書きたくない」と主張していれば、原稿を勝手にいじられることもなかったような気がする。

 そんなこんなで、悔いばかり残る仕事になってしまった。わずかな救いは、月刊誌ではなく週刊誌だったこと。早く掲載誌が世の中から消えてなくなってほしい。

(16:30)





 9月1日 水曜日  (平成22年/2010年)
 週刊サッカーダイジェストのあやまち
 BGM : The Hoople / Mot The Hoople

 発売中の週刊サッカーダイジェスト(9月14日号)に「ブラインドサッカー世界選手権2010 手にした大きな財産」と題された拙稿が掲載されている。しかし、すでにツイッターでさんざん述べたとおり、編集部が私のあずかり知らぬところで大幅に(私に言わせれば原形をとどめぬほどズタズタに)文章を改変したので、それを「拙稿」と呼ぶべきではないかもしれない。「拙い」と評したのでは、多忙な中でわざわざ時間を割き、私の下手糞な文章を直した編集部に失礼だ。

 というのは、もちろん厭味で言っている。勝手に改変したばかりか、試合を見てもいない人間がほとんど誤報レベルの論評を書き込んだので、激怒して編集部に抗議した。平謝りの担当者によれば、ライター原稿の修正は複数の編集者が回覧するような形で行っており、ゲラのやりとりをする時間がないため、日頃からライターとの暗黙の了解で勝手にやっているという。そのため今回も同じようにやってしまったとのこと。私は日頃から漢字表記ひとつ直すにも電話で確認される仕事をしているので、そんな暗黙の了解は知らない。それ以前に、そもそも署名原稿をどう取り扱うべきかという問題意識が編集部にあったのかどうかも疑問だが、まあ、私の抗議で「世の中には小うるさいライターもいる」とわかっただろうから、今後は相手を見て対応するようになるだろう。というか、今回だって、私が沢木耕太郎だったら指一本触れずにそのまま入稿したに違いない。

 ともあれ、Ust配信で試合を見たわけでもない人間が、「ここからスペインが一方的に主導権を握る」などと見てきたようなウソを書くというのは、言語道断である。しかもその文責を私に押しつけているのだから、呆れて物が言えない。Ust配信で決勝戦を見た人が掲載記事を読んだら、私のことをバカだと思うだろう。ことブラインドサッカーに関しては、4年間かけてそれなりの信用を得てきたつもりだが、心血を注いで私が「手にした大きな財産」が一発で崩壊しかねない。その重さを、編集部はどこまで理解しているだろうか。それがすぐに理解できるようなら、最初からこんなバカげた改変はしないよな。

 次号に訂正記事が掲載される予定だが、それで何かが回復するわけでもないので、担当編集者にあらかじめ通告した上で、改変前の原稿をここに載せることにする。なにしろ帰国翌日の仕事で(というのは言い訳だが)かなり荒っぽい原稿であることは私も認めよう。掲載記事のほうが良いと感じる人もいるに違いない。しかし問題は「どちらが適切な文章か」ではなく、「適正な手続きを踏まずに改変されたこと」である。それに加えて、事実や書き手である私の受けた印象と異なる記述もある。細かい表現を含めて、仮にゲラでチェックしていたとしても、私が受け入れたであろう修正意見はきわめて少ないと思ってもらっていい。とはいえ、両者を読み比べても違いがわからない人のほうが、おそらく多いだろう。それはそれでよい、というか、むしろ当然だと思う。書き手にとっては大差でも、読者にとっては誤差の範囲だろう。しかし私としては、こうするほかにどうすることもできない。本当は、出回っている掲載誌を回収したいぐらいだが。以下、私の原稿。


「組分けに恵まれたので、グループリーグを1位で突破し、準決勝でブラジルやアルゼンチンと戦いたい」――出発前の成田空港で行われた結団式で、風祭監督はそう挨拶した。

 第5回ブラインドサッカー世界選手権は、日本が世界に挑む二度目の舞台だ。4年前は8ヵ国中の7位だったが、この4年間で、日本の選手は日進月歩でレベルアップを果たしている。07年には、当時の欧州王者スペインにも勝った。しかも今大会は、各大陸選手権の王者(ブラジル、フランス、中国)も、前回王者(アルゼンチン)も、すべて別のグループ。開催国イングランドに有利な抽選結果が、日本にも味方した。

 とはいえ、全勝も全敗もあり得る実力伯仲のグループだ。だからこそ、初戦のコロンビア戦が大事になる。4年前も日本は南米代表のパラグアイと初戦で当たり、0−3で完敗(パラグアイは最終的に3位)。同じ南米中堅国との一戦で、日本の成長度が測れるはずだった。

 そして日本は、その初戦で好勝負を演じた。体格やキック力では劣るが、スピードやキープ力は日本が上。黒田、佐々木、加藤の攻撃陣が、序盤から次々とシュートを放つ。選手を入れ替えて攻撃陣を休ませ、手堅く戦う時間帯を作るなど、ベンチも試合をうまくコントロールした。前半終了間際に与えた第2PKは、GK佐藤が左腕を伸ばして好セーブ。前半を0−0で終えた時点で、日本の成長は明らかだった。

 後半は南米選手権の得点王パブロに何度か決定的なシュートを浴びたものの、GK佐藤とDF田中が体を張ってゴールを許さない。終了40秒前には、日本が最大のチャンスを作った。右CKから、落合が逆サイドにパス。これを加藤がフリーで受ける。練習どおりのプレーだが、右足でジャストミートしたシュートは、右ポストをかすめて逸れた。惜しくもスコアレスドロー。しかし、ここで「勝てる試合」ができたことで、それ以降への期待が膨らんだ。

 ところが、続くイングランド戦とスペイン戦は、いずれもCKから一瞬の隙を突かれて先制され、第2PKで追加点を許して0−2という、まったく同じパターンで連敗。相手はほぼ唯一の決定機を活かし、日本は第2PKを決められない。

「決めるところで決めないと勝てない。そこが相手との差です」

 選手たちは異口同音にそう言って唇を噛んだ。準決勝進出を阻まれた日本は、一方的に攻め込んだ韓国戦もゴールを奪えず0−0。勝ち点2でグループ4位となった。

 不幸中の幸いは、7位決定戦でアルゼンチンと対戦できたことだ。前回王者に押し込まれながらも42分まで0−0の接戦を演じ、日本の守備が世界に通用することを証明した。0−1で負けて8位に終わったが、日本が互角に戦ったコロンビアは、順位決定戦でフランスと引き分けている(PK戦でフランスが5位)。アルゼンチンに勝ち、中国と引き分けたフランスは、中国との総得点差で準決勝進出を逃したチームだ。日本は「世界の上半分」に手が届くところまで来たのである。

 ファイナリストは、準決勝でイングランドに圧勝したブラジルと、第2PK一発で中国を下したスペイン。今大会のブラジルは、アテネパラリンピックの得点王ジョアン・シウバと、世界最高のドリブラーとして関係者のあいだでは知らぬ者のないリカルドに加えて、20歳の新星ジェファーソンが登場。右足アウトサイドで巧みなシュートを放つこのストライカーが、今大会最大のサプライズだった。どのチームも手を焼く中国の俊敏な4枚ディフェンスを凄まじいスピードで振り切る姿には、静かに見なければいけない観客も、歓声を抑えられなかったほどだ。

 決勝前半は、リカルドのゴールで1−0。しかし後半、やや守備的な布陣を敷いたブラジルはファウルを重ね、38分、スペインが最初の第2PKを得る。これはマルティンがGK正面に蹴ったものの、それ以降のファウルはすべて第2PKだ。

 そんな苦しい展開からチームを救ったのが、ジェファーソンだった。39分、3人を鮮やかに抜き去り、ゴール左から右足で流し込む。2−0で勝ったブラジルが、3大会ぶり3度目の優勝を飾った。

 日本にとっては、自らの成長を確認できたと同時に、強豪国との差も明らかになった大会だった。とくに痛感させられたのは、体格の差だ。

「大きく切り返して『抜けた』と思っても、まだそこにいるという感じでした」――と佐々木が言うとおり、欧米勢の守備は分厚い城壁のように見えた。だが、見えない選手にとっては、その分厚さを肌で感じられたことが何よりも貴重な経験だ。

 最終目標の「ロンドンパラリンピックでのメダル」に向けて、日本は大きな財産を得た。まずは、パラリンピック予選を兼ねた12月のアジア・パラゲームス(中国・広州)で、さらに成長した姿を見たい。


(27:10)