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シュレディンガーの猫
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第二十六回

時間の現在

― 2004年2月 ―

 う〜む。年度末で多忙だ。どこもかしこも多忙だ。私も忙しい。この半月で2度も職場近くのホテルで缶詰めになって、昼は職場で仕事をし、夜はホテルに仕事を持ち帰って仕事を続けるという日を送った。メールをやりとりしている友人たちも、休日出勤したり遅くまで残業したりで忙しいかぎりである。

 いや、けっして私が多忙だということを更新の公約を果たせていない言いわけにするつもりは……そうか、言いわけにすればいいんだ――といま気づいた。

 はあ。そうですね。

 とくにアトリエそねっとのページで更新の停滞が続いています。ごめんなさいです〜。

 今回は、1月に書いた「暦の現在」のつづきである。


 時間がどう流れていると感じているかということは、時代によっても違うし、その人の住む社会によって違う。

 前の原稿に書いたように、私たちの時間は非常に正確に決められた時間だ。現代の世界に住む私たちは、セシウム原子が非常に細かく振動してある種のパルスを91億9263万1770回だけ放つ時間を一秒とし、その一秒をもとに一分、一時間、一日という長さを決めるという時間にしたがって生活している(ところで91億9263万1770回ってどうやって測ってるんだろうなぁ?)。もちろん、それは、セシウム原子が非常に正確にパルスを発し続けていて、その発振の周期が揺らいだりズレたりしないという前提で言えることだ。しかし、人間は長いあいだ地球の自転を基準にして時間を決めてきた。しかし、地球の自転周期はわずかだけれどもずれる。それよりはセシウムの原子の振動のほうがズレが少ないということで、現在はセシウム原子の振動を基準にしているのである。セシウム原子よりさらに正確な基準を探る試みも行われているようだが、私たちにとっては現在はセシウム原子の正確さでじゅうぶん間に合うということで、この基準が使いつづけられているのだろう。

 また、私たちの時間はまた一様に流れる時間でもある。私たちの時間では一秒の長さが時によって違うということはあり得ない。私たちは、昼でも夜でも、夏でも冬でも、100万年前でも100万年後でも、一秒はセシウム原子のパルスの周期の91億9263万1770回であるとして時間を数える。私たちの社会では、時間の長さが伸び縮みしたり、時間の流れが止まったりはしない。

 しかも、私たちの社会では正確に一様に流れる時間が生活のほとんどすべての場面に入りこんでいる。会社でも学校でも、演奏会も声優イベントも、お姉さまとK駅で待ち合わせするときもM駅で待ち合わせするときも、その時間はセシウム原子の発するパルスの周期で制御された時間で決められる。

 そのセシウム原子パルスで決められた時間に日本でいちばん忠実なのは、日本に2か所ある送信施設から発信される標準電波JJYの時報である。また、私は使ったことはないが、電話回線を通じて標準時刻を送信するサービスもあるそうで、これを使えば一秒の1000分の1(ミリ秒)の精度で電気機器の時刻を合わせることができるらしい。

 このJJYのパルスを受信していつも正確な時刻を表示する時計は市販されている。また、この標準電波の時間をもとに、電話の117番で標準時刻を流しているし、テレビでも時刻を画面で流している。私たちは、そういうものをもとにして時計を合わせ、その時計の時間をもとに行動する。

 そういえば、私たちの身のまわりには、正確な時刻を表示するものが増えてきた。

 私が子どものころには私の家には大きい時計が2台と小さい目覚まし時計が2つしかなかった。大きい時計も振り子時計で、すぐ進んだり遅れたりするし、うっかりすると止まってしまう。目覚まし時計もゼンマイを巻き忘れると止まる。電池式の目覚まし時計は、すぐに電池がなくなったから、これも気をつけていないと寝ているあいだに止まったりする。それでも、テレビとラジオと電話のおかげで、私たちは「正確な時間」に遅れることなく生活していたように思う。

 それが、時計そのものの数も増えたし、ビデオにも電話機にも時間が表示されるようになった。いまでは、パソコンを使うとパソコンの時計が表示されるし、携帯電話にも時計が表示される。身のまわりには時刻を表示するものがあふれている。時刻が表示されるものが身のまわりに一つもない状態にするほうが難しいぐらいである。

 しかも、携帯電話が定着したことで、私たちの生活に「正確な時刻」がいっそう深く根を下ろすことになった。携帯電話は、時刻を表示すると同時に、ひとと連絡を取ることのできる機械である。携帯電話のおかげで、行き違いとかすれ違いなど、「連絡がとれなくて待ち合わせが成立しないこと」があり得なくなった。もちろん、おかげで、どうしようもない用件で遅れるばあいに連絡が取りやすくなり、便利にはなった。だが、待ち合わせに遅れるときにはその理由を言わなければならない。それだけ他の人に自分のスケジュールや仕事の優先順位をさらけ出さなければならなくもなった。ともかく、携帯電話が生活のなかに入りこんできたことで、私たちは以前よりも「正確な時刻」を守るよういつもプレッシャーを感じるようになっている。

 私たちの時間感覚にはもう一つ特徴がある。それは「いちど流れた時間は二度と戻らない」という感覚だ。2004年2月17日の午後10時は一度きりしかなく、2004年2月18日の午後10時とは違う時間である。したがって、「シュレディンガーの猫」を火曜日のうちに更新するには2004年2月17日午後10時から2時間のうちにファイルをアップロードしなければならず、2月18日の午後10時から作業をしていたのでは絶対に間に合わない……けどいまごろこんなところを書いているようでは無理そうだな。すみません。

 いや〜。このホームページは毎週火曜日更新という方針で運営しているのだけど、ここのところ更新日が水曜日になるのが恒例になっていて、いけないとは思っているんですけどねぇ。前回のこの欄でとりあげた東浩紀さんのところメールマガジン『波状言論』はちゃあんと15日と30日(今月は29日)に送られてくるもんなぁ。時間を管理している編集スタッフがいるからできることだとは思いますが、すごいと思いますよ、何にしても。

 ともかく、時間はいちど過ぎ去ってしまうと二度と戻らず、今日の午後10時と明日の午後10時は同じ午後10時でもまったく違う時間であり、2004年の2月17日と2005年の2月17日もたんに日付が同じだけでまったく違う時間だということが私たちにとってはあまりにもあたりまえのことになっている。

 だから時間というのは貴重なんだ、いまやれることをやらないと一生後悔することになるんだ、チャンスを逃すと、二度と同じチャンスは訪れないんだ、いまやれる宿題をやっておかないとあとで苦しむことになるんだ――などと私たちは説教されたり怒られたりするのである。もしかすると自分がそう説教したり怒ったりする側になるかも知れない。

 でも待てよ――と思うことがあるのではないだろうか。

 なぜチャンスはいちどやり過ごしてしまうと二度と同じチャンスは訪れないのだろう? この答えに答えるのは難しいけれど、いまできる宿題をいまやらないとどうしてあとで苦しむのだろうという答えに答えるのはわりとかんたんだ。宿題というのは何日の何時間めまでに終わらせなければならないと期限を決められているものだからである。しかも、たいていのばあい、その期限は、少しは余裕があるけれどもあまりたくさんは余裕がないように決められているものだ。だから、いちど、その宿題をやるためのまとまった時間があったとしても、その時間を使わずをやり過ごすと、そういう時間がもう一回とれるようには期限が設定されていないことが多いわけだ。だから、やれるときに宿題をやっていないと、期限前日に徹夜したりするはめになってしまう。こういう状況は企業のプロジェクトでレポートをまとめるようなばあいでも同じだろう。

 いま、宿題は、あまりたくさんは余裕がないように期限が決められていると書いた。でも、宿題の期限を決めているのは人間である。企業のレポートでも同じだ。学校の先生が決めたり上司が決めたりするのだ。そういう「期限の決められていること」がたくさんあるので、私たちは「いちど時間をやり過ごすと二度と同じ時間はめぐってこない」という感覚を身につけることになったのではないか。

 つまり、「同じ時間が二度とめぐってこない」という感覚は、客観的な事実というより、人間が作り出して社会に定着させた感覚なのである。


 人間は昔からこういう「一様で正確な時間」にしたがって生きてきたわけではない。

 昔の時間は「一様」ではないこともあった。たとえば、日の出と日の入りの時刻を固定して、それに合わせて時間の長さを調節するという方法が使われていたこともある。日本の江戸時代の時刻はそうだった。ヨーロッパでもこの時刻の区切りかたが使われていたことがあるらしい。この方法だと、日の出・日の入りの時刻はいつも変わらない。日の出や日の入りを一日の始まりとするばあいには便利である。しかし、この方法だと、昼の一時間の長さと夜の一時間の長さが違い、しかも昼の一時間も夜の一時間も一日ごとに長さが違うということになる。

 しかも、昔はそれぞれの時間が特別の意味を持ち、また、特別の表情を持っていた。

 神が滞在する時間、祖先の霊が帰ってきて滞在する時間、家に住みついた神聖な動物がその家のひとの行いを天に報告に行く時間などが決まっていて、それぞれの時間に対応した祭りや儀式が行われることになっていた。その祭りや儀式を行わないと、病気になったり災難にめぐり会ったりするとされていた。それだけではなく、朝から昼間は仕事をする時間で、夜は寝る時間というふうに、それぞれの時間に「いまはこれをやる時間だ」という決まりがあった。この時間は喜ばしい時間、この時間は悲しまなければならない時間、この時間ははめをはずして大騒ぎする時間……というように、時間ごとにその時間を支配する気分が決まっているばあいもあった。

 そういう「意味と表情を持つ時間」の流れるなかでは時間感覚はけっして「同じ時間が二度とめぐってこない」という感覚だけになってはいなかった。もちろんそういう時間感覚もあっただろう。けれども、昔の時間ではサイクルが生活を支配しているという傾向が強かった。昼と夜とはそれぞれ何をやるか決まっている異質な時間だったから、一日ごとに昼と夜の異質な時間が繰り返すわけである。一年ごとに神が訪れてきたり祖先の霊が帰ってきたり、一定期間ごとに天の見張り役の神聖な動物が自分の行いを天に報告したりする。天を仰ぐと月は一定周期で満ち欠けを繰り返し、日は高い空から照らしたり低い空からしか照らさなかったりを繰り返している。

 時代も同じで、力に満ちた時代からその力が衰えていく時代へというのを繰り返す。日本のばあい、天皇や将軍が代替わりしたり元号が変わったりすると、時代が新しくなり、世界は新しい気力に満ち、それがやがて落ち着いていき、そのうちに勢いが衰えていくと考えられていたようだ。時代も何年とか何十年とかの周期でサイクルをもってめぐっていると考えられていたのである。

 日本列島の社会は、東日本と西日本でいろいろと異質なところのある社会だったようだが、こういう時間感覚は共通していただろうと思う。蝦夷や隼人や琉球王国の時間感覚がどうだったかは私は勉強不足で十分に把握していない。けれども、大ざっぱに言って、やはり祭りや儀式で区切られ、それぞれの時間が独特の意味や表情を持ち、そして何重ものサイクルをもってめぐってきて繰り返す時間という時間感覚を持っていたと考えていいのではないだろうか。

 現在でも「サイクルとして繰り返す時間」はある。けれども、それは、あくまで「いちど去ったら戻ってこない時間」のなかの距離標識みたいなものである。「東京駅まで30キロ」という標識から何分か車で走れば「東京駅まで29キロ」という標識のあるところに到達する。距離標識があるおかげで「まえに標識を見てからどれだけ来たか」がわかるけれども、それは距離標識があるから同じところに戻ってきたということを意味しない。「東京駅まで30キロ」の標識を見てからしばらく車で走り、また「東京駅まで30キロ」の標識が目に入ったとしたら、それは道をまちがえているのである。

 「ホームページの更新をすることに決めている日」としての火曜日は、毎週、めぐってくるわけだが、そのときには新しいファイルをアップロードしていなければならない。火曜日が来たからといって前と同じファイルをアップロードしているとしたら、それはそもそも「更新する日」にならない。

 昔は違った。

 同じ時間がめぐってきたら、なるべく前とまったく同じことをするのがあたりまえなのであって、前と違ったことをしてはむしろいけなかったのである。同じように神を祭り、同じように祖先を祀る。むろん、人間は年をとっていくから、祭りに集まる人たちは少しずつ年老いていくし、また子どもが大人になって新しいメンバーが祭りに参加してきたりもする。祭りや儀式のやり方が完璧に受け継がれていたとしても、メンバーが年老いていく以上、けっして前とまったく同じにはならない。けれども、そういう生命の流れも何かのサイクルに乗っているのだという感覚があった。前と違って見えるけれども、それはもっと大きなサイクルのなかでのできごとであって、けっして何か新しい変化が起こっているわけではない。そういう感覚があったわけである。


 哲学者の内山節さんは、著書『時間についての十二章――哲学における時間の問題』(岩波書店)のなかで、「農村の時間」と「都市・商品の時間」という区別を立て、いま書いた問題について考察している。それぞれの時間が特別な意味と表情とを持ち、そういう時間が何重にもサイクルを描いてめぐってくるという時間感覚が「農村の時間」として描かれ、いちど過ぎたら戻らない正確で一様に流れる時間が「都市と商品の時間」として描かれている。

 この内山さんの考察は、時間感覚を人間の生活や生産活動との関係からだけ捉えているところに特徴がある。農山村で農業や林業で生活を立てている人たちは農業や林業に合わせた時間感覚を持ってきたのに対して、都市で商品を扱ってきた人たちは商業の都合に合わせた時間感覚を持ってきたというのである。農村では、毎年、同じ農作業が繰り返されるので、その農作業に合わせた時間感覚が定着している。それは何重にもサイクルを描いて繰り返す時間感覚である。それに対して、商品を扱う人たちは、いちど時間が過ぎ去ったらもう戻らないという直線の時間感覚を持っている。

 その差は、人びとの生活と自然との距離にある。日本列島で自然に近いところで生活している農山村の人たちは、日本の自然のサイクルに合わせて、サイクルを描いてめぐってくる時間のほうを基本的な時間感覚として身につけた。それに対して、自然から遠いところで生活してきた商人たちは、直線的に機械的に進む時間の感覚を身につけたというわけだ。なお、私は「農村の時間感覚」とか「都市の時間感覚」とか言っているが、内山さんはそれを「農村ではこのような時間が存在している」、「都市ではこのような時間が存在している」というように「時間の存在」ということばを使っている。

 この本で内山さんが書いているのは、内山さんが、自分で農村で暮らしたり、日本全国各地でそこに暮らしているひとにインタビューしたりして作り上げた考えだ。手作りのものが持つ独特の温かさが内山さんの概念からは伝わってくるように感じる。私は、学術上の「概念」というものからもそういう温かさや冷たさの感覚が伝わるものだとこの本を読んであらためて思った。


 ところで、この内山さんの議論にはいちおう異論がある。

 人間の時間感覚はどんな暦を使っているかによってある程度は影響される。そして、「暦の現在」でも書いたように、暦は政治権力や宗教勢力の都合で制定されるものだ。もちろん人間の生活の都合とあまりにかけ離れた暦はその社会に受け入れられないけれども、逆に、社会に受け入れられた暦からは政治権力や宗教勢力の考えかたとかものの見かたとか政治的・宗教的立場とかが人間の生活のなかに入ってしまう。内山氏は、農村の祭りを生活のサイクルの一部として議論を組み立てているけれども、宗教的な祭りがいつも生活のサイクルに従うとは限らない。たとえば、イスラム教を信じる地域では、農村であっても、季節のめぐりからは必ずズレていくイスラム暦が使われているし、農作業がどんなに忙しくてもモスクからの祈りの呼びかけで作業は中断される。私は詳しくないけれど、日本でも、浄土宗系の仏教を信じる人たちの時間感覚と、日蓮宗を信じる人たちの時間感覚では、やっぱり違いがあったのではないかと思う。内山さんの議論は、政治や宗教の都合が日本列島の人たちの時間感覚を決めた可能性を飛ばして、生活感覚と時間感覚をじかに結びつけている。

 また、内山さんは、昔の日本列島の人びとの標準的な生きかたを「農民」として議論を進めている。これにも異論がある。日本史家の網野善彦さんらが明らかにしてきたように、日本列島には昔から農業以外の生活を営む人たちがいて、その「非農業民」が重要な役割を果たしてきた。日本で生きる人たちが基本的に「農民」であると定めたのは、やはり政治権力の都合である。王朝や荘園領主が税金を集めるための都合だったのである。非定住民や芸能民、鍛冶や鋳物師、金貸しといった人たちには、それぞれの自然とのかかわりがあり、それぞれの時間感覚があったはずである。農民に近い時間感覚を持ったひともいれば、商人に近い時間感覚を持ったひともいたはずだ。内山さんは昔の「日本」の時間感覚をあまりに素朴に「農民」のものに決めつけすぎているように私は感じる。


 しかし、政治権力や宗教勢力が時間感覚を決めた可能性を生活感覚の一部として片づけ、また昔の「日本」人の標準的なあり方を「農民」に定めたことで、見通しがよくなった面もある。

 たとえば、時間感覚に対する宗教の影響という話を入れると、内山さんとは逆に、宗教の時間理論がそのまま社会に定着したような議論になってしまう可能性がある。もちろんそれは重要な議論なのだと思う。けれども、一方で、宗教がどんな時間感覚を持っていてもそれが完全に人びとの生活に定着するとは限らない。先にイスラム圏では農村にも農村生活とは食い違うイスラム暦が定着していると書いたけれども、北アフリカ地中海岸やイランやアフガニスタンでは別の暦を併用していたりもする。イスラム圏の人びとが完全にイスラムの時間感覚一色で塗りつぶされていたわけでもないのだ。ヨーロッパでは、キリスト教の暦にも、それ以前の、たぶんヨーロッパの人たちの生活感覚とより深く結びついていたであろう土着宗教の祭りや儀式がキリスト教の聖人の祭りのかたちで入りこんでいる。政治権力や宗教権力の意図や、ましてや難しい理論が、そのまま民衆生活に受け入れられるとは限らない。

 また、やはり「暦の現在」で書いたように、グレゴリオ暦はカトリック教会の権威を確立するために作り出された暦だけれども、カトリックが生活全般を支配することを否定する「文明」の暦として使われ、さらに宗教全体を否定する社会主義の暦として使われ、いまではテクノロジーと結びついた暦として使われている。暦を作った者と使う者がぜんぜん違った時間感覚で同じ暦を使うこともあるわけだ。

 内山さんの観察でもう一つ鋭いと思った点がある。時間の流れる速さと時間の一様さ・無表情さという問題だ。

 内山さんは、釣り好きということもあるのだろうか、時間を川の流れにたとえている。そして、それぞれ表情を持って流れる時間を、護岸もされず直線に変えられてもいない自然の川のふだんの表情にたとえる。こういう川では、川は急流になったり淀んだりを繰り返して流れる。そして、その流れの性質の変化に合わせてそこに住んでいる魚の種類も変化する。それを昔の日本の農村的な時間の流れにたとえるわけだ。しかし、近代になってからの河川は、コンクリートで護岸を施したうえに流れを直線に変え、流れの速さをひたすら速くすることを目指した。その結果、川はどこを見ても無表情で一様な流れになってしまった。また、ふだんは表情豊かに流れている川も、豪雨のあとにはすさまじい勢いで流れてふだんの表情を失い、一様で無表情な流れになってしまう。流れる速度が速いと流れは個別の表情を失い一様な流れになってしまうのだ。その「流れる速度が速くて個別の表情を失い、一様な流れになってしまった」時間を、近代の「都市の時間」・「商品の時間」として内山さんは描く。


 では、なぜそういう近代的な「都市・商品の時間」が「農村の時間」を圧倒してしまったのだろうか。

 いろいろな要因が考えられる。たとえば、宗教面からの説明では、近代より前の社会では時間は宗教が完全に支配していたが、近代に入ってキリスト教などの宗教の力が衰え、人間生活への支配が弱まったために近代的な時間感覚が生まれてきたという説明になるのだろう。

 しかし、私は、基本的に、近代に入って人間の数が増え、印刷術や電信の発明・普及や鉄道や蒸気船の普及で人間どうしが接触する可能性が高まっていったことに原因があると思う。宗教の支配力の衰えは、たとえば啓蒙思想のようなものの影響もあるだろうけれど、むしろそういう人間と人間の接触が飛躍的に増大したことの結果として考えていいのではないだろうか。人間どうしの接触が増えると、相手の宗教が違うことをいちいち気にしていてはコミュニケーションも商売もわずらわしくてしかたがない。神様を信じていさえすればなんでもよいというような「寛容」の精神が必要になってくるわけである(しかし、どんなに「寛容」でも「神様を信じていないひとは信じられない」という感覚は長く続いたし、いまもいろんな地域に根強く残っている)

 いろいろな人間と接触することになると、自分の属する社会にとっては特別な時間が他の人の属する社会にとっては特別な時間ではないかも知れず、また自分の属する社会にとって何でもない時間が他の人の属する社会にとっては特別の時間かも知れないということが起こってくる。そうなると、ある時間が特別かどうかは、社会全体の決まりでもなんでもなく、その人個人の都合の問題になる。

 また、一人の人間が二つの「社会」(人間のつきあいの輪)に属すると、同じ時期に二つの「特別さ」が重なるかも知れない。たとえば、8月の月遅れのお盆の時期に、郷里では一族そろって御先祖様を祀っていて、しかも同じ時期に東京ではサークル総出でコミックマーケットに参加していたりする。困るわけだけど、そのどちらに出るかはその人個人で決めないといけない。もともと社会全体の決めごとだったことが、けっきょくその人がどっちを選ぶかという個人の選択の問題になってしまう。

 それに、ある「特別の時間」の祭りや儀式に参加しなければ病気になったり災難が降りかかったりすると言われても、その「特別の時間」に別のことをしているほかの社会のひとはべつに病気にもならず災難にもめぐり会っていないのを知ってしまうと説得力がなくなる。それに病気を治す技術も発達するし、災害対策も進むし、損害保険にも入ると、病気になるとか災難が降りかかるとかいうのがそれほど大きな脅しにならなくなる。学校でも「迷信を信じちゃいけません」と教える。学校教育を通じて啓蒙思想というのはやはり社会を変えてはいるのだ。

 そんなわけで、一つひとつの社会が持っていた「特別の時間」の感覚は相対化され、意味を失っていく。また、一人の人間が二つ以上の「社会」(人間のつきあいの輪)に属すると、どちらの「社会」での「特別な時間」に自分が従うかは個人の選択に委ねられる。

 さらに、近代というのは「自由」の時代である。個人が何をするかは個人が決める。時間をどう使おうと個人の自由だ。そこで、一人ひとりのスケジュールにはその人の「特別の時間」がたくさん入りこんでいくことになる。交際しているだれかと映画を観る時間、アニメショップに駆けつけて発売日前に販売されている特典つきDVDを手に入れるための時間、同人誌の原稿を書く時間――すべてがその人にとっての「特別の時間」だ。

 そのうえ、「農村の時間」で人間の「時間」に「特別」な意味を与えていた自然との関係が、産業革命後には決定的に薄まる。産業技術を手に入れた人間は自然を改造する力を持つようになったからだ。人間が自由に時間を使うのを自然が妨げるならば、自然のほうを変えてしまえばいい。冬が寒いのならばガスストーブをつければいいし、夜が暗くて同人誌の原稿を書けないのならば、電気で部屋を明るくすればいい。こうして、自然によって人間の時間の使いかたが制約されることは少なくなり、「特別な時間」が存在する必要も減っていった。

 個人がある社会の「特別の時間」に従うか従わないかを決める権利を手にする。権利というより、個人が決めないとしかたがなくなるのだ。また、人間の接触が頻繁になってくると、一人の人間がいろいろと互いに関係の薄い「社会」に属するようになる。それぞれの「社会」が「特別の時間」を持っていても(そうコミケは「特別な時間」なのです!)、どの「社会」の「特別な時間」に参加するかは、やはり個人が決めるしかなくなる。さらに個人の一人ひとりが「特別な時間」を決められるようになる。一方で、自然の都合で「特別な時間」を決められるということがなくなってくる。

 自然という「環境」から切り離されたなかで、個人一人ひとりが「特別な時間」を決める権限を持ち、そうしてそういう個人が世界の中に溢れかえる。そうなるとどうなるか。一人ひとりは「特別な時間」をたしかに持っていても、全体から見ると「特別な時間」はどこにも存在しないように見えてしまう。ちょうど、いろんな色の光の点を画面に無秩序に投影していけば、投影している光の点の数が少ないうちにはいろんな色が見えるけれども、それが多くなると一様にまっ白に見えてしまうのと同じである。

 そうして「特別な時間」は社会全体から消滅した。一人ひとりの時間には、ちゃんと時間ごとに表情があり、それぞれの時間に意味がある。テストの時間と夏休みの時間、いやな上司との飲み会の時間とデートの時間が、それぞれ同じ表情を持ち同じ意味を持つと考えているひとはそんなにいないだろう。けれどもそれは社会全体では特別な意味を持たない。社会全体のなかにいる人間が多すぎて消されてしまうからだ。そうして、社会全体に流れる時間は、一様で、無表情のものになってしまった。

 だからこそ、原子の発振が刻む時間がそのすべてを支配するようになったのだ。社会全体にいろんな「特別な時間」を抱えている人間がいて、また、社会全体がいろんな「社会」(人間のつきあいの輪)が存在し、人間がどんな「社会」に「掛け持ち」のかたちで属しているかわからなくなると、そのすべてに共通する「時間」は正確で精密なことだけが求められる。へんな意味づけがあったりするとかえってじゃまなのだ。そこで原子のパルスという人間の生活とはおよそ関係のないものが基準に選ばれることになる。


 近代社会がどうして「画一化」していくかというと、それはたんに個人一人ひとりの「個性」が奪われるからではない。もちろん「個性」が奪われる局面もあるし、それはそれで問題だ。しかし、同時に、個人一人ひとりの「特別さ」――その一つが「個性」である――があまりに寄せ集められすぎて、社会全体がなるべく「一様で無表情」なように見えるようにしなければ社会全体が成り立たない。そういう一面もあるのだ(内山節さんも同じようなことを書いておられる)。

 これは空間でも同じように言うことができる。

 近代建築(モダニズム建築)は画一的で(一様で)無表情でたんに機能的なことが求められる建築だ。「近代建築」と言うとわかりにくいけれど、何の装飾もない箱形のビルにひたすら同じ広さの部屋が並び、同じ大きさの窓が並んでいるというのを想像すればいい。ちなみに、そういう近代(モダニズム)建築の「一様で無表情」な性格を乗り越えようとした建築思想がポストモダニズムである。「ポストモダン」ということばはここから始まっている。

 最近ではそういう一様で無表情な建築は敬遠されるようになった。けれども、素材にガラスを使ってみたり、何かわけのわからない空間を作ってみたりして変化をつけてはみても、実際の内部はやっぱり同じような(せいぜい何パターンかの)広さの部屋が横並びに並んでいたりすることも多い。たんに古い近代建築にいろんな飾りやデザイン(意匠)がくっついた建築になっているだけで、近代建築の枠を大きく超えたものにはなっていないように思う。それは思想としての「ポストモダン」でも同じだと感じる。そういうふうに話を持っていくと、その先に、ポストモダンの本質は装飾や意匠にこそあるのだという議論が展開しそうで、それはそれでおもしろそうだ。だけど、今回はぜんぜん準備もないことだし、だいいち長くなるので、このへんでやめておこうと思う。

 では、なぜ近代建築は画一的で無表情なのか。それは、人間の感性が画一化されたからとかいう事情もあるだろう。けれども、そこに住んだり出入りしたりするひとの持っている「特別さ」があまりに多様で、それに対応するためには画一的で無表情にするしかないという事情もあると思う。一つのビルには会社員も学生もデザイナーも作家も住むかも知れないし、会社の事務所が入ることもあるだろう。しかもそれが頻繁に入れ替わったりする。建物自体が「特別さ」を持っているとそういういろんなひとの都合に合わせられなくなる。そのかわり、無個性な扉のなかは、そこに住んでいる人の自由に飾りつけていいし、ビル全体の強度を損なったり隣に迷惑がかかったりしなければ部屋をどんなに使ってもいい。その画一的に区切られた部分のなかで、住人は自由を実現する。

 「区切られたなかでの自由」という考えかた、また、「区切ることによってこそ自由が実現する」という考えかたは、近代社会での時間にもあてはまる考えかただろう。

 近代社会の人びとはけっして完全に自由に時間を使うことはできない。ほかの人の都合に合わせなければならないからだ。その「ほかの人」には会社とか学校とか、または国家とかいうものも入る。また、自分の友だちや交際している相手と会っているからといって、その時間がぜんぶ自分の自由になるわけではない。また、何より、一日は24時間に決まっているのであって、どんなに自由に時間を使ったところで一日に24時間以上の時間を使うことはできない。けっきょく、ここからここまでの時間はこういう時間であるというように区切りを作り、その区切られた時間のなかでは自分はどういう面でどういうふうに自由に行動できるかということを考えて行動していかなければならないのだ。そして、その時間を区切る自由も、いちおうは個人一人ひとりが持っているけれども、それも絶対的なものではない。やはりそれは「社会」の影響を受けて制約される。

 日本の明治時代の思想に強い影響を与えた19世紀後半の欧米(主としてイギリス)の思想家たちは、近代社会がみんなが平等な民主主義社会になることと、この世界が弱肉強食による淘汰で進化するという進化論の考えとをいっしょに説明しようとした。そして到達した説明は、人間が弱肉強食で淘汰を繰り返すとけっきょく同じように強い者ばかりが残った状態で社会が安定するということだった。互いに同じくらいに強い者どうしなので差がつけられない。だから、進んだ社会はみんなが平等な民主主義社会になるという説明だ。

 時間についても、また空間についても同じようなことが言える。それぞれの人間が、自分に特別な場所を持ち、自分に特別な時間を過ごそうとするから、社会全体は一様で無表情な場所と時間に満たされることになってしまう。


 しかし、この近代的な「時間」が終着点ではないと私は思う。

 近代的な「時間」は、区切ることと自由を実現することの両方のうえに成り立っていた。この二つはもちろん矛盾する。区切れば自由を制限することになるし、自由を実現しようという動きはその区切りを突破するという方向に向かうからだ。その両方が均衡していたのがいわゆる近代である。

 けれども、インターネットや携帯電話の実現は、自由の実現の幅を広げた。壁に仕切られた部屋からでも世界中と通信できるのだ。もちろんだからといって区切りが無意味になるわけではない。けれども、ネットや携帯電話の世界でほかの人とつながる自由が増大すれば、他の部分でももっと自由に暮らしたくなるものである。自由というものへの要求の幅が飛躍的に増大した。

 また、ネットや携帯電話でのコミュニケーションが発達することで、人間が人間と接触する機会はこれも飛躍的に増大した。そのぶん、自由の枠が広がることが求められる。近代が始まったとき、人間が制約の多い「農村の時間」から離れたのは人間との接触が飛躍的に増大したからだ。同じような「飛躍」がまた起こりつつある。

 一方で、人間どうしのつながりが強まることは、自由とは逆に、人の動きを制約しもする。ただし、動くように制約することが多い。市場での競争が激しくなれば――それも人間どうしの接触が頻繁になる一つのパターンである――、会社は、競争相手に負けないために、社員に懸命に働くように要求する。会社が要求するような動きを実現するためには、別の人間関係が与える「区切り」を無視しなければならなくなるかも知れない。さらに、そこで全身全霊で会社のために働くという経験をした社員は、こんどは交際相手には全身全霊で自分のために尽くすことを求めるかも知れない。それにもし交際相手が応えようとすれば、やはりそれ以外の「区切り」を無視しなければならなくなる。

 いま社会全体で起こっているのは、いろんな意味で「区切り」を突破しようとする動きの増大である。19世紀から20世紀にかけて作られてきて、その時代の人間の自由を求める力とバランスを保ってきた「区切り」では抑えこめないほど、その「動き」は活発なものになってきた。かつてはロマンティックなあこがれをこめて語られた「越境」という動きが、いまではそれをしなければいろんな意味でやっていられないような憂鬱で強迫的なものとして社会全体のいたるところで起こりつつある。もちろん、これまで使われてきた「区切り」を強化してもういちど張り巡らしなおすことでその「越境」の勢いを封じこめる動きも強くなってきている。けれども、それだけでは、この「越境」の勢い――「区切り」破りの勢いを、多少は殺ぐことはできても、たぶん、完全に封じこめることはできない。

 そんな社会で「時間」はどうなっていくのか? どんな時間感覚がその「越境」社会に定着していくのか?

 ――それはもしかすると「よく考えなければならない問題である」と悠長なことなんか言っていられないほど切迫した現在の問題なのだろうと思う。


―― おわり ――