タイガースファンの「心理」とタイガースフィーバー

―― 玉木正之『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム)』と井上章一『「あと一球っ!」の精神史』を手がかりに ――

鈴谷 了





タイガース優勝

 阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たした。(惜しくも日本一は逃したが)関西出身である筆者は、熱狂的というわけではないがタイガースのファンである。優勝が決まったときの気持ちを一言で言うことは難しいが、「本当に長かった、よくやってくれた」というのが最初に浮かんだ偽らざる気持ちである。前回の優勝が爆発的な喜びだったとすれば、シーズンの大半を独走した今回の優勝はむしろじわっとくる喜びではあったが、嬉しいことには違いはない。

 しかし、タイガースの優勝が社会現象と呼べる領域になってしまうことについては素直に喜べないものがある。社会現象になるのは、それだけ優勝が「稀なこと」と認識されてしまっていることの裏返しともいえるからだ。長年のファンとしては、タイガースの優勝はごく当たり前に起きるスポーツイベントの一つであってほしいのである。(それゆえ、筆者は以前ここ20年ほどの略年表を作ったときに、「社会の出来事」の中にあえて前回の優勝を書かなかった)

 とはいえ、生まれてからこの年まで優勝が2回しかないというのは確かに少ない。今の筆者の年齢でやっと生まれて初めて優勝を味わえた横浜ベイスターズのファンよりはましとはいえ、筆者が生まれた年から今年までの優勝回数がタイガースを下回る球団は2つ(ファイターズ・ベイスターズ)しかないのだ。タイガースの場合、それが20年前後のスパンで連続したことから(優勝して自称ファンが川に飛び込む、という悪習を生んだことも含めて)社会現象とならざるを得なくなったのであろう。しかし、ただ単に優勝できない時間が長かった、というだけではかつて弱小球団だった広島カープやヤクルトスワローズ、それに近鉄バファローズでも同じような現象が起きておかしくないはずだが、そういうことはなかった。そこには、ファンの物理的な数という側面以上に、やはりタイガースファンに特有の心理というものがあると見た方がよさそうだ。

 今年のタイガースフィーバーとともに、書店にはいろいろなタイガース本がお目見えした。「なぜ強くなったか」を説明する本、星野監督や現役選手のプロフィルの紹介本、素朴なファンの声を集めた本といった、前回にもあったような本は多いが、こうした社会的・心理的な側面を掘り下げた本はあまりない。そうした本もないわけではないが、あまり学術的にファンとしての意識から「引いた」立場から書かれたものは、どこかよそよそしい感じがして筆者などにはあまり自分の感覚に合わないように感じられる。

 そんな思いを抱いていたときに、長らく目を通すことのなかった、「ひと昔」以上前の一冊のタイガース本を目にし、改めてそこで書かれているタイガース論・タイガースファン論にいたく感心することになった。その本とは、スポーツライターの玉木正之氏が一九八八年に刊行した『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム)』(朝日新聞社)である。(ただし筆者の手元にあるのは一九九一年の河出文庫版。「文庫版へのあとがき」が追加されている以外は、内容はほぼ同じなので、断りがない限り区別はしない)

 この本は前回のタイガース優勝の前後約五年間に玉木氏がタイガースについて書いたものをまとめたアンソロジーである。そこには前回のフィーバー前後(最初の「暗黒時代」へと転落し、掛布引退・バース解雇といった事件の起きた頃まで)のタイガースの様子が主にファンとしての目を通して描かれている。もちろん、当時の選手やスタッフへの取材に基づく冷静なルポも、(スポーツライターの仕事として)含まれているが、それ以上に興味深いのはファンを始めとする周辺現象の記述が、今回といろいろな点で似通っていたことだ。

 何より今回再読して驚嘆したのは、「プロローグ」に書かれている次のような文章である。

 「現在─というのは一九九X年、もしくは二〇XX年、読者の皆さんがこの本を手にして読んでおられる現在という意味だが─その現在、阪神タイガースが、いったいどのようなペナントレースを闘っているのか、あるいは闘い終えたのか、わたしには、まるで想像することができない。
 まさか二位以下に圧倒的な大差をつけて首位を突っ走っているとは思えないが、万一そうであってもべつに不思議なことではない。タイガースというのは、そういう不思議なことをやってしまうチームなのだ」

 まるで今年読まれることを予期したかのような文面ではないか!

 この文章はこのあと、逆にタイガースが(執筆当時の一九八八年同様)他のチーム から取り残された最下位であっても不思議ではなく、何位であってもそれはすべて起こりうるシチュエーションである、と続く。さらに、そうした順位はタイガースや真のタイガースファンにとって実はどうでもいいことでなのだ、と。

 このことは、つまり一八年前とタイガースというチーム、さらにはタイガースファンというものの本質がほとんど変わっていないことを示している。故に、この本は今読んでも十分通用するものだと言いうるのだ。

 ただし、この本だけでは古い、という向きもいるだろうからもう一冊新しい本を用意した。それが井上章一氏の『「あと一球っ!」の心理学』(以下『あと一球』と略)である。

 井上氏は『阪神タイガースの正体』(二〇〇一年)において、「なぜタイガースが関西を象徴する球団になりおおせたのか、そしてそれはいつ頃からのことなのか」というテーマを、綿密な取材と多くの参考文献により実証的に解きあかした。それは社会学的見地から書かれたタイガース論としては群を抜くものである。

 その井上氏が今年(二〇〇三年)に刊行したのが『あと一球』である。こちらは前作と違い、井上氏のタイガースについての思いが率直に吐露された、エッセイ的な内容になっている。(そのためか、『阪神タイガースの正体』を書いた人とは思えないような初歩的なデータのミスが散見されるが、全体の論旨には影響しないのであえて触れない)

 実は玉木・井上氏はともに関西出身(しかも同じ京都)で、おそらくそうした事情もこの二冊が、筆者にとって共感しやすい本であったともいえよう。

 プロ野球やタイガースにあまり関心のない人にとっては、あまり意味のない文章になる。そのうえでおつきあい願いたい。


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