タイガースファンの「心理」とタイガースフィーバー

―― 玉木正之『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム)』と井上章一『「あと一球っ!」の精神史』を手がかりに ――

鈴谷 了





これからのタイガースとタイガースファン

 『タイガースへの鎮魂歌』河出文庫版の「文庫版へのあとがき」(一九九一年1月の執筆)で玉木氏は「タイガースに関するいかなる文章も書く気になれないでいる」と述べている。一九九〇年のシーズン、優勝したジャイアンツから三六ゲーム差で最下位となったタイガースについて、玉木氏はマスコミなどからさまざまなコメントを求められた。そうしたマスコミの求めるコメントがまったく「語るべきタイガースの話題ではない」ことを玉木氏は嘆いているのだが、その中に「パ・リーグでの最下位球団となったダイエー・ホークスとの実力比較(どっちが弱いか)」というものがあった。この問いを玉木氏に投げた記者あるいは編集者は、よもやそれから13年後にこの両チームが日本シリーズを争う、などとは想像も及ばなかったに違いない。

 ただし、ホークスとタイガースのこの13年の歩みを比べると、その性格はたいへんに違っている。ホークスは地道な営業努力の積み重ねによって、リーグでも屈指の地元密着型球団となることに成功した。しかし、タイガースにはそうした話はない。井上氏は「ダイエーの営業努力は企業の成功物語たりうるが、阪神についてはそうではない」と書く。

 『タイガースへの鎮魂歌』に収録されている一九八五年の日本シリーズ観戦記には、西武球場の試合では西武グループの社員が観客として「動員」されていた模様が記録されている。普通のファンだけでは客席を埋められる自信がなかったのだ。その結果、西武球場でも観客席はタイガース応援団の黄色のメガホンに席巻されることになった。
 二〇〇三年の日本シリーズでダイエーグループは動員などかけなかったろう。福岡ドームでは大挙して駆けつけたタイガース応援団を圧倒する地元ファンがホークスを後押しした。18年前の日本シリーズと比較した場合、もっとも大きな違いの一つはこの点だろうと思う。

 ホークスの歩みは、「方針を持って戦力を整え、地元密着の営業によってファンを獲得し、強くなることでお互いが幸せになる」という、プロ野球が取るべき「正道」であろう。しかし、タイガースはこの13年のほとんどの期間、チームを強くしなくてもそこそこファンが甲子園にやってくる状況を続けてきた。その「みっともなさ」にファンは腹立ちながらも、みっともないが故に「放っておけない」気分になって応援を続ける、というアンビバレンツな態度を取ってきたのは一面の真実である。それは負け惜しみという部分もあったのだろうが、やはり通常の神経の持ち主ならばさっさとファンをやめてしまってもおかしくない。逆にそういうチームを(前にも書いたとおり「幻想」という形も含めて)愛することを自負し、勝利だけに価値を見いだす人々に対して、自分たちは違うんだという心意気を培ってきたのがタイガースファンであった。もちろん、大昔からそうだったわけではない。やはり、前回優勝までの21年間にそうした心理が蓄積されていったのだ。その21年間は同時にメディアの力によって、タイガースの存在が関西という地域において比重を増していった時間でもあった。その二つの相乗効果が、一九八五年の優勝の時に他の球団では見られないようなフィーバー(社会現象)として爆発したのである。

 一九七三年、「勝った方が優勝」という甲子園でのジャイアンツとの最終戦に大敗したとき、スタンドの観客が大挙して乱入し、悔しさと憤懣をジャイアンツの選手にぶつけて暴行をはたらく事件が起きた。が、それはあくまで球場内での事件であり、大阪や神戸の町中では何も起きなかった。仮に今日、これと同じ状況が出現したら、おそらく街頭でちょっとした暴動が起きるのではないだろうか。

 「ええ加減な球団」が優勝したからこそ、その喜びは大きかったともいえるが、同時にファンがその「ええ加減な球団」が「まっとうな球団」、さらにはリーグに君臨する球団になってほしいとは思わなかったのだ。「それやったらジャイアンツと一緒や」という心理もあった。しかし、「弱いものを贔屓する」という関西人気質がそうした傾向を作ったことは否めまい。「今度は南海ホークスの応援でもしようか」という、前回優勝後のファンの声を『タイガースへの鎮魂歌』は伝えている。

 けれど、そのあとの17年間は、その前の20年間以上に「弱さ」と「みっともなさ」を味わう期間となり、南海ファンへの鞍替えを検討していたトラキチもあっさり元のタイガースへと戻ることができた。さらに、「弱いこと」を従来以上に積極的な価値として受け入れるファンを(少しずつだが)増やすことにもなった。一九八五年の優勝の前の「弱さ」とは、その質が違う。「強さが足りない」程度の弱さではなく、箸にも棒にもかからないほどの弱さ。「こいつだけは他球団のファンにも自慢できる」という選手もいない状態では、自虐的な冗談を言う元気すら出ない。そんな時代である。「ライオンズの時代」とそれに続いた「スワローズの時代」に、タイガースは身を縮めて逼塞しながら(その間に一九九二年という「夢」に近づいた年はあったが)、時折東京メディアにとって都合のよい「関西」の代表〜それは東京への「抵抗勢力」ではなく、東京が屈服させた「地方」の代表という意味あいだと井上氏は書く〜として報じられる状況だった。

 今回の優勝前の夏頃、「タイガースを優勝させないファンの会」なるものができた。正直「何アホなこと言うてるんや、今優勝せなんだらいつするねん」というのが筆者の反応だったが、「強すぎる」タイガースに対して出てきた拒否反応と考えれば、その限りでは理解できなくはなかった。そして井上氏も今年の「強すぎるタイガース」に戸惑いを隠さない。強いことの快感を覚えながらも、今までの自分のアイデンティティーは何だったのと考える。

 そして、今後このまま強いタイガースになったらどうすればよいのか、という思いと、同時に「あの球団だからまた元に戻るのではないか」という疑心が交錯する。同時に「強い阪神」に憧れてファンになった新しいファンが、今後起こるかもしれない「みっともない球団の所行」に耐えられるかどうか(あるいは、そうした新しいファンが球団を突き動かしていくのかどうか)を案じている。

 こうした新しいファンが出てきた原因を井上氏は二つの面に求めた。一つは「強くなった」ということに。もう一つは、「没落する関西」の代表として東京メディアで成功したタイガースが、日本全体の没落に伴って全国的なファンを獲得しはじめたのではないか、ということにである。18年前の優勝直後、浅田彰氏は「これは関西が崩壊する予兆だ」というコメントを新聞に寄せた。「この優勝は関西復権の始まり」といった論調が多い中、そのコメントは異色だったが、結果的にはもっとも現実に近い見方だったといえる。

 後者の点については当たっているのかどうか、筆者にも何とも言えない。18年前の優勝の時でも、神宮や横浜といった首都圏の球場はタイガースファンで埋め尽くされていた記憶がある。ただ、京王百貨店で開かれたタイガースの優勝バーゲンに少なからぬ人々が訪れた光景を見て、それだけ首都圏でもタイガースの「敷居」が低くなったのだな、と感じたのは確かだ。

 今年の強いタイガースにファンに戸惑いがあったのは確かである。過去にはないような勝ちっぷりなのだから。しかし、古くからのファンでも、これまであまりに負け続けたことで、「たまにはこれくらい勝ってもええやろう」という意識が多かったようである。「強いチーム」の魅力に目覚めたファンもいるだろう。本当にこのあとタイガースが強くなっていけば、新しいファンが増え、従来からのひねくれたファンが他球団などに転向していなくなるということもあり得るかもしれない。しかし、今年の夏に書かれたこの本ではすでに、年俸の高騰を恐れる球団が伊良部などをFAを口実に放出するのではないか、という恐れが指摘されている。

 そして、皆さんもご承知の通り、日本シリーズ開幕を前にして星野監督が今シーズンで退任することが報道され、それは現実になった。この一事で「ああ、やっぱり阪神は阪神やなぁ」と思った人も多いはずだ。表向きには健康上の理由とはいえ、大幅な補強を求める星野監督と球団サイドとの不協和音も伝えられる。

 来年以降、タイガースが今年のような強いチームでいられるという保証はどこにもない。そうなったとしても、古くからのタイガースファンは従来同様タイガースを愛し続けるだろう。

 『タイガースへの鎮魂歌』で玉木氏は、「タイガースフィーバーは、高度な管理社会化に対してささやかな抵抗を試みる人々の”祭り”」だったと書いた。高度な管理社会化はやがて、「効率」「改善」によって日本企業はアメリカの企業に勝ったという驕りとバブル景気につながった。(プロ野球監督の「采配」を企業経営になぞらえる趣向が流行ったのは1980年代である)だが18年経った今、日本はバブル景気の後遺症から立ち直ることができない。世界のお手本だと胸を張った日本の企業も破綻やリストラを余儀なくされている。日本シリーズに勝ったチームの身売りが公然と話題になるなど、昔ならまず考えられなかったろう。今は抵抗するべき「高度な管理社会」も、もはやその有効性がわからなくなった。そういう時代のタイガース優勝・タイガースフィーバーには、この不況という環境に抗するための「祭り」という側面も確かにある。が、井上氏も指摘する通り、むしろ不況の時代に見合った趣味の対象としてタイガースが関心を呼んだという面も否定できないように思われる。前者の色彩が強ければ“祭り”はやはり一過性のものとして終わり、後者ならば(今の経済環境が劇的に変化しない限り)ある程度タイガースへの支持は続いていくことになろう。

 来年も星野監督が続投している(ちなみにあと82勝すれば、監督としての通算勝ち星が「1001勝」になる筈だった)という前提のとき、筆者は「弱小チームから常勝になったチームのファンのあり方として、たとえばスワローズファンなどはよい見本になるのではないか?」と書くつもりだった。タイガースファンが果たしてそうしたドラスティックな変化を受け入れることができるだろうか、という考察はなかなかに面白そうだ。残念ながらその必要はあまりなくなってしまいそうな気配だが。

 もちろん筆者も監督が変わってもチームは強くあってほしい。しかし、18年前にずっこけた経験はそう簡単には拭い去れないものでもある。いわば「ずっこけた場合の予防線」として「大丈夫かな、うまくいったらいいけど」といった程度の期待にとどめておいたほうが、ショックは少ないと考える。これは誰が監督を務めるかという問題ではなく、阪神球団がどういうチームを作って、どのようにファンを獲得するのか、という戦略そのものに委ねられた「懸念」である。

 岡田は好感の持てる人物だと思う。しかし、そのことと、彼が「強いタイガース」をより強くすることができるかどうかはまったくの別問題である。

 筆者は「原・ジャイアンツ対岡田・タイガース」という取り合わせが将来実現すればおもしろいだろうと思っていた。ほぼ同世代の内野手出身監督という「似たもの同士」だからだ。しかし現実には「ベテランの投手出身監督と、若手の内野手出身監督」という組み合わせが入れ替わる形になった。(ちなみに星野と堀内もほぼ同世代である)

 いずれにせよ岡田タイガースの前途はいろいろな意味で険しい。「来年こそ日本一」という掛け声は聞こえるが、それを実現するのは容易なことではない。ちなみに、過去のデータを二つ出してみよう。一つは、日本シリーズで敗れたチームが翌年も厳しいペナントレースを勝ち抜いてシリーズに出てきたときの結果である。こうしたケースは過去16例ある〜今年のタイガースを除いて過去にシリーズに敗退したチームは延べ53チームあるから、翌年優勝する確率は3割である〜が、そのうち前年の雪辱を果たすことができたのはたったの3チーム(1986年のライオンズ、1993年のスワローズ、1996年のブルーウェーブ)しかない。しかもそのうち2チームは前年と違う相手での勝利であり、前年と同じ相手にリベンジを果たしたのは1993年、野村監督率いるスワローズ(相手はライオンズ)のたった1例だけなのだ。逆に、連敗を喫した13例のうち10例までは、前年と同じ相手に「返り討ち」を食らったケースである。そうした意味で、日本シリーズ敗退チームには「連敗の歴史」の方がはるかに多い。

 もう一つは、優勝したシーズンで監督が交代した場合の翌年の順位である。これは2リーグ分裂後、今回の星野監督を含めてセ・パ4例ずつ(ちなみに日本シリーズに勝ったのは星野監督の先輩でもある1954年・ドラゴンズの天知俊一監督のみ)あるが、過去の7例のうち翌年も優勝を勝ち取ったのは1986年のライオンズ(広岡→森)の1例しかなく、こちらもまた確率からいうと相当に低いとみなくてはなるまい。井上氏も書いているが、「強いタイガース」にあこがれたファンには「覚悟」が必要になるはずだ。

 その意味では、本当に来シーズンにタイガースファンがどのような行動を見せるか(それはタイガースの試合ぶりにおおいに関係があるが)、それによって今年のタイガースフィーバーの意味がはっきりするのではないかと思う。

 『タイガースへの鎮魂歌』の文庫版あとがきで、玉木氏は(スポーツ作家の故・虫明亜呂無氏の言葉を引いて)「後に何も残らない祭りこそがもっとも素晴らしい祭りだ」と書いた。次の祭りが来るには、前の祭りの記憶が人々の脳裏からほとんど消えてしまわなくてはならない、とも。そのために18年(一九九二年のV逸も考えれば10年か)もの歳月が掛かることは身にしみてわかったことである。果たして「祭り」ではないタイガースの栄光は、訪れることが可能なのだろうか。来シーズンが待ち遠しい。

(二〇〇三年10月)


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