タイガースファンの「心理」とタイガースフィーバー

―― 玉木正之『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム)』と井上章一『「あと一球っ!」の精神史』を手がかりに ――

鈴谷 了





タイガースはなぜ「関西の代表」か

 井上氏は阪神球団自身の行動を見れば、決して「東京に対抗する関西代表」という図式があてはまらないことを指摘する。

 プロ野球の黎明期にまで遡ると、プロ野球に最初に着目したのは実は阪急の方だった。日本最初のプロ野球団だった「芝浦協会」には阪急も一枚絡み、関東大震災でこれが潰れると「じゃ関西で」と宝塚に球団を作る。そのときには甲子園球場を持っていた阪神にも秋波を送り、「私鉄リーグ」のようなものを作る構想だった。しかし、阪神は慎重なままで終わり、結局この構想は頓挫して球団も解散してしまう。

 このあと読売新聞が米大リーグを招いて試合を行うために「大日本東京野球倶楽部」を結成し、大リーグの帰国後はリーグ戦を実現するべく野球に関心のありそうな企業に声をかけた。阪神はこちらの誘いに乗って、大阪野球倶楽部、今日のタイガースを設立するに至る。つまり、同じ関西の阪急の誘いには乗らず、東京代表の読売新聞についたというのがタイガース誕生の経過なのだ。タイガースに続いて5つの球団が誕生し、それらによって今につながるプロ野球が発足する。

 阪神がタイガースを作ったのを見た阪急は、ライバル企業として座視できず、かつての経緯も捨ててプロ野球団を設立し、メンバーに加わった。このとき球団名を「阪急」としたことが、今日まで日本のプロ野球界に「チーム名は企業名でもよい」という慣習を植え付ける端緒になってしまった。(同時に発足した他の6球団は「都市名」「愛称名」かその両者の組み合わせだった)

 戦後、プロ野球が国民的人気を獲得し、プロ野球団を持ちたいという企業が出てきたときに、阪急は毎日新聞と組んで「私鉄リーグ」のような新リーグを作る構想を立てる。その覚え書きには阪神も加わっていたが、土壇場で寝返り、ジャイアンツのいるリーグに鞍替えしてしまう。これが2リーグ分裂時の話。この余波でタイガースの主力選手が、毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に移籍するという事態が起きる。この出来事はタイガースファンにとっては「引き抜き」として意識されているが、上記の経過を考えれば「裏切った」阪神へのペナルティーという見方もできるだろう。(しかも阪神球団は移籍選手を引き留めようとせず、年俸を上げて移籍金を多く取ろうとした、という話も伝えられている)

 井上氏は戦後のこの時期、「関西代表のチーム」だったのは南海ホークスだった、と考察している。戦後、鶴岡一人が監督になって南海は強豪チームにのし上がり、1リーグ時代には2度の優勝を達成した。それに対してジャイアンツがホークスの主力だった別所投手を引き抜くという事件が起こり、ホークス対ジャイアンツには遺恨という要素もつけ加えられる。2リーグ分裂で公式戦での対戦はなくなったものの、両者は五〇年代に何度も日本シリーズで激突し、ホークスはなかなか歯が立たないという状況が続いた。そこに関西人は感情移入できる「悲劇性」を重ね合わせていたともいえる。

 そうした状況を示すものとして、少し時代は下がるが、トキワ荘の主といわれた漫画家・寺田ヒロオの代表作「スポーツマン金太郎」がある。この作品では、ジャイアンツに入る主人公に対し、ライバルはホークスに入団する。もっとも一リーグ時代の一九四八年(この年の優勝は南海)に作られた榎本健一主演の映画「エノケンのホームラン王」では、仲の悪いジャイアンツファンとタイガースファンの隣人、という設定が登場するから、「東西対決は巨人対南海」に集約されていたわけではない。だが、一九五〇年の二リーグ分裂の後遺症で公式戦で対戦しても満足な成績を残せないタイガースよりは、ホークスにより肩入れしていたといえる。

 ついでにいうと、玉木氏がタイガースの存在感を演出する舞台としてあげた甲子園球場は、実は戦後の長い時期タイガースは本拠地としてまともに使っていなかったという事実も井上氏は紹介している。ナイター設備の設置が遅く、それまでタイガースは大阪球場や日生球場を借りるという情けないありさまでもあったのだ。

 そうしたタイガースとホークスの立場が逆転するポイントは、一九五九年にホークスが念願かなってジャイアンツを破り、日本一になったときだと井上氏は言う。今年のタイガース優勝で話題に出ている「御堂筋パレード」を行ったときだ。これによってホークスの持つ「悲劇性」が薄まり、同じ年の天覧試合でタイガースの村山が長嶋にサヨナラホームランを浴びたことで、そうした「悲劇性」がタイガースに移ったのだと。

 この一九五九年は皇太子(現天皇)の結婚中継を見るためテレビが爆発的に普及した年だった。そのテレビ時代の到来が、タイガースにさらに有利に働く。テレビのプロ野球中継の多くがジャイアンツ戦へと流れていったからだ。(もちろんその背景には、読売新聞〜日本テレビによるメディア戦略があった)公式戦でジャイアンツと対戦する機会の多いタイガースは、せいぜい日本シリーズでしか対戦しないパリーグ球団よりも優位な位置を占めた。さらに、一九六七年に開局した神戸のサンテレビが対ジャイアンツ戦を除くタイガース戦の全試合中継を始め、タイガースを関西に深く浸透させる役割を担うことになる。その4年後に朝日放送ラジオの「おはようパーソナリティー」において、「タイガースを応援する」というスタンスが打ち出され、タイガースの人気を盛り上げる役割を果たした。

 パリーグの在阪球団もこの間まったく何もしなかったわけではない。南海ホークスは早くから毎日放送と親密な関係にあったし、阪急ブレーブスは親会社と同系列の関西テレビと結びついていた。しかし、全国の民放局が東京の局の下に系列化し、在阪局の地位が下がるにつれて、それらの球団の試合の中継は減らされていった。「非・タイガースの関西プロ野球史」の労作といえる『南海ホークスがあったころ』(紀伊国屋書店、二〇〇三年。著者の一人 永井良和 氏の ホームページは→こちら)にはそのあたりの事情が資料を使って詳しく書かれている。それによると、一九六五年にはブレーブス戦の中継枠は一桁にまで激減してしまった。実際、筆者がプロ野球に関心を持ちはじめた時期には、パリーグ球団の試合は土日のデーゲーム程度しかテレビ中継されていなかった。(筆者が初めてパリーグの試合をはっきり見たのは、一九七五年にブレーブスとバファローズで争われたプレーオフだった)

 その結果、南海ホークスが衰えたあと代わってパリーグの覇者となった阪急ブレーブスには、かつてのホークスのような立場を与えられることはついになかった。

 ブレーブスには「強すぎる」という、関西では人気を得にくい要素があったことはすでに指摘した。ホークスの全盛期も強かったが、当時は西鉄ライオンズという好敵手がおり、接戦で敗れるシーズンも少なくなかったあたりがブレーブスとの違いだろう。
 『あと一球』では南海ホークス衰退後の阪急ブレーブスについては言及がない。『南海ホークスがあったころ』に続く阪急ブレーブスについての研究書が待たれるところだ。

 こうして、実際にはジャイアンツと結託しているにもかかわらず、「東京に対抗する関西代表」として扱われるタイガースが「誕生」した。

 実のところ、かなりのタイガースファンはこの事実にうすうす気づいているのではないかという気がする。(年期の長いファンほど)古くは江川事件の時の経過もあるし、近年は両リーグ交流戦やドラフト・FAといった課題に関して、ジャイアンツと違う行動をとったことなどついぞない。井上氏などはむしろジャイアンツはタイガースが強くなってくれる方が利益にかなうので、今年の優勝を後押ししたのではないかとすらいう。かつて、国際政治の世界では「冷戦は実は米ソが結託して他の諸国を支配する策謀だ」という陰謀史観めいた見方があったが、それを連想させる話である。

 その上、タイガースはお世辞にもこれまで球団経営が上手だとは言えなかった。いや、「優勝しなくてもお客が入る」ことによって球団財政自体は健全だったろうが、「チームが強くなることによってお客が増え、お客も球団も幸せになる」という、本来あるべき球団経営ができていなかったのだ。(阪神球団は来年から球団公式のファンクラブを発足させると発表した。これは十二球団のうちでもっとも遅い)その点についてはこの二つの著作のみならず、過去にいろいろなところで語られてきた。関西のスポーツ紙やテレビ局が球団人事に絡み、それを球団サイドも利用してきた体質を井上氏は書いている。タイガースがジャイアンツになかば「寄生」して今日まで長らえてきたことは、その利益を追求する姿勢からすれば自然な選択だったといえる。逆に球団自らが「東京に対抗する関西の代表だ」と宣言したことはない。

 所属する選手は 関東出身者が増えた昨今はともかく、かつては東京やジャイアンツへの意識を持っていたようだ。村山実は自叙伝でそのことを明言しているし、来期から監督に就任する岡田も現役時代に「長嶋さんに対して敬意を抱いたことはない」と発言して論議を呼んだことがある。それにしても関東出身の長嶋や王が当初の予定通り関西の球団(長嶋は南海ホークス、王はタイガース)に入団していたら、どうなっていただろうか。

 その現実を引き受けたからこそ、タイガースファンは「タイガースは関西の代表だ」という思いを仮託し続けるのだ、と井上氏はいう。玉木氏も阪神球団が読売ジャイアンツとともに、プロ野球の「前近代的腐敗構造を象徴している」と書いた上で、自らが描くタイガースについて「著者の頭のなかから生まれた観念論的存在といえるかもしれない」とその二元的な構造を肯定している。

 球団がどうしようもなくお粗末で、チームもなかなか優勝できない中で、ファンが思いを寄せる「観念論的」なタイガースとはいったい何なのだろう。

 「タイガースは実は読売と結託していた」という見方は、冷戦終結・ソ連崩壊後に人文系の学界で広がった「価値の逆転」を標榜する学者(有名な知識人や文学者が、実は植民地主義者であったり、北朝鮮や社会主義者を礼賛していた、という類)に通じるものがある。しかし彼らの多くと井上氏の違いは、井上氏はその事実を知ってなおタイガースを愛することをやめないことだろう。さらに井上氏は「東京メディアから著作を出している自分には、タイガースを非難する資格はない」と言い切っている。この謙虚さも、筆者に井上氏の言に信を置かせる要因である。その昔、井上氏が建築史学を主舞台として定説への異議申し立てをしたときも、その対象者を論難することはなかった。


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