『かみちゅ!』記念

尾道 神様の旅

清瀬 六朗


2. 向島(1)

晴れのち晴れ

 尾道に到着したのは8月8日の昼前だった。雲は少し出ているものの、日射しは強い。しかも、時間が経つにつれて、どんどん雲が減っていく。みごとに「晴れのちハレ!(晴れ)」になった。

 それでどうなったかというと……。

 あ゛つ゛い゛〜゛!゛!゛

 いや、ほんと暑い。

 第6話でゆりえたちがランニングしたり屋上で書道の練習したりしてたけど、夏休み入り直前(しかもたぶん梅雨は明けている)ということだから、本人たちはもちろん、あきれながら待っている光恵・祀も、あれは半端でなく暑いぞ、たぶん……。たしかにいろんな意味で暑苦しいはずだ。

 恋の天気予報が晴れのちハレでお熱いのはいくら熱くてもいいんだろうけどねぇ。


向島(むかいじま)

 尾道の街は、本州側の尾道と、その対岸の向島から成り立っている。

 向島と尾道のあいだは尾道水道に隔てられている。地図で測ると幅は狭いところでは200メートルぐらいだ。

 地図で見たり、また、『かみちゅ!』のオープニングで見たりすると、川みたいにも見える。私は尾道について調べるまでは、あれは幅の広い川の河口だと思っていた。じっさい、東京の隅田川の河口近くならば、あれぐらいの幅はある(7月には「東京の川を歩いて押井守を考える」というのをやったのだ。その結果の一部は、コミックマーケット68で発売される『WWF No.30』に発表している。以上、宣伝でした)。

 と思ったけど、今日、夏コミに一般参加した帰りに隅田川の水上バスに乗ってみたところでは(日の出桟橋乗り換えで浅草吾妻橋まで。あれ? あの水上バスって「日の出‐ビッグサイト」間の「日の出渡船」なのかな?)、やっぱり尾道水道のほうが広いように感じた。まあ、こういうのは「感じ」なので、比較するのは難しいですよね。ちなみに、今回は行きはゆりかもめ、帰りは水上バスだったけど、ゆりかもめの『かみちゅ!』電車「ちゅー!ちゅー!トレイン」(8月11日〜20日、ゆりかもめ線で一編成運行)にはめぐりあえませんでした。でも、コミケに行った人の何十人かに一人はこの電車に乗ってるはずだよなぁ。

 でも、実際にこの尾道水道の前に立ってみると、どう見てもこれは川ではなく海だ。向かい側に造船所が見える(で、その一つが『男たちの大和』の大和の撮影セットになっているのだが)とか、岸壁に漁船やボートが繋留(けいりゅう)してあるとかいうこともあるけど、やっぱり水の豊かさが違うように思う。流れる川ではなく、どんなに幅が狭くても悠然と水をたたえた海だというのを実感する。

 なんでそう実感したかを説明しろと言われても、うまく言えないんだけど。

 で、ともかく、ゆりえと光恵が住んでいるのは、この対岸の向島だ。アニメでも、日の出渡船の渡る先は「向島」と表示されていたから、アニメのなかでもこの島は向島のようだ。

 もっとも、向島のすぐ隣には、さらに向島から橋でつながった岩子島という島もあるから、ゆりえと光恵のどちらか、または両方が住んでいるのは、もしかするとそこかも知れない。岩子島には今回は行っていないのでなんとも言えないが、ただ、岩子島から尾道への渡船の発着場まではずいぶん距離がある。ゆりえと光恵が自転車通学していることを考えると、やはり、尾道市街に近い向島のどこかだろう。

 ちなみに、向島の西半分と岩子島は、2005年に合併するまでは向島町という別の町だったらしい。『かみちゅ!』の舞台が現在から10〜20年前だとすると、ゆりえと光恵は向島町民、尾道市側の神社に住んでいる祀とみこは尾道市民である可能性がある。どうでもいいけど。


渡船

駅前渡船(30KB)
 駅前渡船の尾道駅側桟橋 水色の旗が「大和ロケセット公開中」ののぼり。

 さて、尾道市と向島を結ぶ渡船はぜんぶで5路線ある。

 この5路線の渡船以外に、第3話で渡船が営業をやめたときにゆりえと光恵が自転車で渡った尾道大橋があり、現在は、もう一本、「しまなみ海道」の新尾道大橋がかかっている。もっとも、向島から尾道の市街まで渡るのにしまなみ海道を使うのはかえって不便なので、5路線の渡船と尾道大橋が向島と尾道市を結ぶルートといえる。なお、そのほか、向島の東海岸の歌桟橋というところからは、備後商船の船が出て尾道港まで運航しているらしい。

 尾道大橋の東側で両岸を結んでいる桑田渡船をいちおう別にして、尾道大橋から尾道駅までの範囲を考えると、渡船のルートは4路線である。この4路線は、駅の近くで発着する駅前渡船(地図には「向島渡船」と書いてある)と福本渡船と、駅から500メートルほど東に行った尾道郵便局の近くから出る尾道渡船、さらに東に行った尾道市役所の近くから出るしまなみフェリーだ。

 とくに駅前渡船と福本渡船の発着場は隣り合っている。駅前渡船がまさに尾道駅前で、福本渡船はその少し東から出ている。では、この2路線でどこが違うかというと、駅前渡船は、対岸の向島の川を少しさかのぼったところの東岸に着き、福本渡船は河口の西――この一帯を小歌島というらしい――に着くということだ。尾道側では福本渡船が東なので、二つの渡船の航路は途中で交叉している。

 駅前渡船のほうが、川をさかのぼるぶん、航路は長い。そのかわり、駅前渡船は、通常は2隻が交互に運航しているが、福本渡船は一隻が行ったり来たりしているだけだ。なお、尾道渡船は時間帯によって2隻の交互運航か一隻での運航からしく(これは私の思い違いかも知れない)、しまなみフェリーは「現在は点検のために一隻運航体制になっています」という貼り紙が出ていたのを見ると、通例は2隻で運航しているらしい。

 向こう岸まで200〜300メートルなのだから、どちらの船も尾道側の岸からどの辺を航行しているかが見える。私は、早く来たほうに乗ることにして、両方の渡船の船着き場の中間で見ていた。そうしたら、駅前渡船のほうが先に来たので、まずこの駅前渡船に乗って向島に渡ってみることにした。


戦艦大和

駅前渡船の向島側(29KB)
 駅前渡船の向島側桟橋 このすぐ向こうに大和のロケセットがある。

 ところで、駅前渡船の船着き場には「大和ロケセット公開中 日立造船尾道西工場」と書いた水色の旗がいっぱい翻っている。この渡船の着いたところが造船所の入り口になっていて、そこが映画『男たちの大和』で使われた戦艦大和のロケセット公開会場の入り口になっているのだ。いや、それは島に渡ってから知ったのだけど。

 渡船は、川をさかのぼる途中で、このロケセットの横を通る。少し距離があるので、詳しいところまではわからないけれど、それでもその大きさを実感することができる。

 この大和のセットは、前甲板から第一主砲塔、第二主砲塔、第一副砲塔と、中央部の高角砲・高射機銃のあたりだけを原寸で再現したものだ。第一主砲塔は主砲がついていなくて、それはそれで何かへんな感じなんだけど、それより第二主砲塔の三連装主砲がともかく大きい。いや、写真とかで見ると、その主砲塔に較べてちょこんとくっついているように見える15.5センチ三連装副砲(二等巡洋艦最上級の主砲で、20.3センチ連装砲に換装したときに下ろした)も、実物大で見ると十分に大きい。煙突とか艦橋とかはCGで合成したらしく、セットにはないのだけれど、それにしてもその巨大さには圧倒される。

 これで一部分だけなんだから、実艦はもっと巨大だった。だいたい喫水線の長さで256メートルだから、場所によっては向島から尾道市街側まで達してしまう。その大和は、「軍機艦」ということで、帝国海軍はその船体をすっぽり覆う屋根をドックの上に造った。もちろん大和本体を造る労力から較べるとたいしたことはないのだろうけど、遮蔽屋根を造るだけで相当な労力だっただろう。

 第二次大戦後から海軍を回顧すると、まず戦艦大和とゼロ戦(零式艦上戦闘機)ということになるのだけど、じつは、大和・武蔵はその存在を国民に知らされていなかったし、零戦も具体的なことは国民はほとんど知らなかったようだ。だから、大和が撃沈されてから、米軍が「君たちが頼りにしている大和はもうない」というビラを撒いても、一般人には何のことかよくわからなかった――という話も聞いたことがある。それに対して、陸軍の戦闘機(一式戦)(はやぶさ)は国民によく知られていたという。このへん、帝国陸軍と帝国海軍の性格の違いをよく示しているように感じるけど……『かみちゅ!』とは関係ないので、この話題はこれくらいにしよう。

 隼といえば、尾道には寝台特急「はやぶさ」が停まるので、東京に戻るときには「はやぶさ」に乗ろうかと思ったのだけど、夜の11時過ぎまで尾道で時間をつぶさなければいけなくなるので、倉敷まで戻って泊まることにした。

 ただ、倉敷から尾道までは各駅停車で1時間ほどかかるので(快速「サンライナー」を使うともう少し速い)、尾道にだけ行きたいときには、尾道に泊まるか、せいぜい福山か三原に泊まるのがよいと思う。

 なお、大和のセットは、対岸の駅前からでも見ることはできる。というか、千光寺公園からでも、光明寺からでも、いたるところから見えている。

― つづく ―