『かみちゅ!』記念

尾道 神様の旅

清瀬 六朗


6. 向島(2)

再び向島

江郷川の河口(38KB)
 江郷川の河口 さまざまな船が繋がれている。向かいに見えるのは尾道側。

 駅前渡船と福本渡船では航路が交錯していたけれど、しまなみフェリーと隣接する尾道渡船とは航路が並行していて交錯はしない。隣を尾道渡船が往来しているのを見ていると、すぐに向島に着く。

 このあたりは工場街らしい。地図で見ると、海岸沿いに造船会社を初めとする工場が並んでいるようだ。

 江郷川に沿って上流のほうへ歩く。街路は閑散としているが、道に沿った工場では仕事にいそしんでいる人たちの姿が見える。

 ただ、古びて傷んだ映画館のポスター貼り場で、ポスターがはがれたまま放置されていたり、「皆様に長い間ご愛顧いただいておりました……諸都合によって閉店致すことになりました」と書いてあるパン屋さんがあったりすると、ふと第3話の場面が頭を掠めたりもした。あんなことにはなってほしくないよなぁ。まあ、たしかに斎藤千和の声でしゃべる神様ならどんな神様でも歓迎だけど……。

 向島でも自転車に乗った中学生に出会ったが、こちらは体操服姿で、制服ではなかった。部活に出かけるのだろうか?(まぁ書道部でないことはほぼ確実だと思うけど) ちなみに、向東町にも公立の中学校はあるので、公立中学校に通うならば尾道側に渡る必要はなさそうだ。体操服のデザインが第6話で健児やゆりえやきよみが着ていたのと同じかどうかは……よく覚えていない。


ゆりえの家探し?

 さて、向島に渡ってどうするかということは決めていなかった。漠然と考えていたのは、ゆりえの家を探し当てられたら、ということだった。

 ただ、尾道市街側で艮神社と御袖天満宮に行かなければいけないので、あまりゆっくり探している時間はない。

 ところで、ゆりえの家のモデルになった家は、実際には向島側ではなく、尾道(市街)側にある。ここは大林宣彦監督の『ふたり』のロケでも使われたそうで、日本関西化計画さんが3度めの尾道探訪で訪れておられる(「ゆりえの家」。ちなみに、私の尾道行きは、日本関西化計画さんの第2回と第3回のあいだにあたる)。『ふたり』は、観たし、一時期はけっこう好きな映画だったのだけど。

 ぜんぜん思いあたらなかった。

 だから、向島側で探しても、もともと見つかるはずがなかったのだけど。

 ともかく江郷川をさかのぼって南へ歩いていく。江郷川も船だまりのようになっていて、尾道側と同じように、小さい漁船や釣り船などが繋留してあった。

 向島の大きさがまだ私にはよくわかっていない。ただ尾道の対岸の島というだけではなくて、四国までつづく「しまなみ海道」のなかでもけっこう大きい島のようだ。江郷川はそんなに大きい川ではないけれど、それでも、これだけの川が島のなかに源流を発して流れているのだ。

 『かみちゅ!』には、現在(第6話まで)のところ、島の尾道側しか出てきていない。だから、『かみちゅ!』の舞台をめぐるぶんには、尾道水道側だけめぐればいいのだけれど、この島が全体でどうなっているのかはいちど見てみたい気がする。

 帰りは、しまなみフェリーではなく、隣の尾道渡船で戻るつもりなので、国道317号線の橋まで行って向島町側(西岸)へ渡る。

 映像で見るかぎりでは、ゆりえの家は坂を登りきったところにある。最初に書いたように、私は『かみちゅ!』の映像を残してこなかったので、詳しいことは調べられなかったが、坂の上の家という印象だけは残っていた。また、福本渡船に近い側で、尾道水道にも面している。

尾道渡船の発着場につづく商店街(32KB)
 尾道渡船の発着場につづく商店街 

 尾道渡船の乗り場に戻る途中で、住宅地へと登る坂道を見つけた。この坂道を登ればゆりえの家に着けるかも知れないというので、坂道を登ってみた。この道をずっと進んで山を越えても、距離そのものはそんなに遠くない。駅からしまなみフェリーの発着場まで商店街を歩いてきた距離と同じはずだからだ。山を越えて駅前渡船で尾道に戻ってもいいと考えた。

 ……が、途中で断念して引き返した。

 理由はともかく暑いということだ。炎天下で太陽に照らされながら坂道を登るのはきつい。たとえぜんぜんきつくない緩い坂だったにしてもだ。

 それと、たしかゆりえの家の前の道はそんなに広くなかった。それに較べると、いま登っている道は片側一車線ずつで歩道のついたアスファルト舗装の道で、ちょっと広すぎる感じだったのだ。脇道に入って探したりもしたが(だからじつはけっこうしつこく探している?)、けっきょくその場所を見つけられなかったので、江郷川沿いの道に戻ってきた。


お地蔵様と白福大明神

地蔵堂(32KB)
白福大明神(32KB)

 尾道渡船の発着場につづく道は、個人商店が並ぶ商店街になっている。そんなに大きな商店街ではない。それでも、商店もあるけど工場街でわりとそっけなかった対岸のしまなみフェリーの桟橋とはかなり違う。これは、街の性格の違いなのか、それとも向東町(以前から尾道市の一部)と向島町(別の自治体だった)の政策の違いなのか?

 この商店街を歩いていると、ふと家の軒のあいだからお堂か(ほこら)のような建物が見えた。

 神社を見つけたら必ずお参りするというのが今回のコンセプトだったが、ここはちょっとためらった。家と家のあいだを、軒の下をくぐって行かなければならない。住居不法侵入にはならないにしても、何か人の家の領域を侵して行くような感じになるからだ。

 でも、『かみちゅ!』の公式サイトには、路地を入ったところに小さな祠があって、その向こうをゆりえが歩いている画像が貼ってある(もしこれをご覧になったときに画像が変わっていたらごめんなさい→DVD発売を前にして変わっちゃってますね。24日更新時追記)。この路地の向こうの祠はちょうどそんな感じなのだ。

 で、住んでいる方に怒られたらその場で引き返すことにして、祠に行ってみることにした。

 行ってみると、お地蔵様を祀った小さいお堂と、さらに小さい祠が並んでいて、祠のほうには「白福大明神」というのぼりが立っている。

 路地を入ったところには「向島町重要文化財指定木造地蔵菩薩立像」という看板が出ていた。戦国時代、毛利元就に攻撃され、城を追い出された二人の城主がいた。その一人が左眼を射抜かれたものの命拾いした。それは城内でお祀りしていた地蔵菩薩のおかげだと、落城するときにその地蔵菩薩像を背負って逃げてきた。逃げ延びた先のこの地――向島の兼吉の村長に許しを得て地蔵菩薩立像を祀ったのがこのお堂の起源だという。

 ただ、地蔵菩薩立像の年代が推定桃山時代というのと、毛利元就に攻められたときにすでにこの立像が存在した(つまり戦国時代以前)という伝承とは、合わないような気もするんだけど……。

 私はこの説明をあんまり詳しく読まず、正面の小さいお堂がその向島町(現在は尾道市の一部)重要文化財のお堂だと思っていた。たしかにお堂には地蔵菩薩の石像が祀ってある。だが、帰ってきてから説明を読むと、石像ではなく木像のようだし、しかも像の高さ87センチ、蓮華台の高さ26.5センチで全部で1メートルを超える像だから、こちらのお堂ではなさそうだ。もしかすると、私は、この地蔵菩薩のお堂にお参りせず、そのお堂に併設されている小さいお堂と祠だけにお参りしたのかも知れない。

 「白福大明神」は、いかにも「来福神社」に縁のありそうな名まえだった。どういう神様かはよくわからなかったけれど、焼き物の白い狐様が飾ってあるところをみると、お稲荷様と同じような神様のようだ。

 小さいお堂の前の柱には蝉の抜け殻が残っていた。そういえば、蝉の抜け殻に出会ったのはしばらくぶりのように思う。

― つづく ―