『かみちゅ!』記念

尾道 神様の旅

清瀬 六朗


4. 土堂小学校から海福寺

土堂小学校

渡船発着場→土堂小(1)(20KB) 渡船発着場→土堂小(2)(18KB)
 渡船発着場から土堂小へ向かう細道。校舎が少しだけ見えている。  歩道橋から見た尾道駅。自転車で通うならここに写っている踏切を渡るほうが便利だろう。
渡船発着場→土堂小(3)(21KB) 渡船発着場→土堂小(4)(19KB)
 この階段の上が小学校の正門。  小学校の正門。

 さて、この福本渡船の乗り場から土堂小学校までは、海岸の道路を渡り、細い路地を抜け、商店街に出て、すぐに歩道橋を渡る。歩道橋で国道2号線と山陽本線を一気に渡ってしまうのだ。アニメのなかでマスカット色の電車が走っている場面がある。あの情景は、この歩道橋から尾道駅を見下ろした情景だ。で、歩道橋を渡ってすぐのところに階段があって、この階段を上ると土堂小学校の正門――第1話でゆりえが夜に学校に来たとき、最初に開けようとしていたあの正門に着く。校章がついていることも含めて、正門の感じはわりと忠実に再現されていたと思う。土堂小学校の校章は、「土」の字のまわりを円で囲み、そのまわりを八角形のような形(正確に言うと正方形を45度傾けて重ね合わせた形の外枠)で囲んで、その外に三枚の葉をあしらったデザインで、全体のかたちは『かみちゅ!』の中学校とはあまり似ていないが、まんなかの部分だけ取れば、「土」を「中」に変えるとわりと似ている。ところで、正門は「リアルタイム監視中」だそうなので、あやしいことをしているとすぐにバレます――念のため。

 渡船を下りてから正門まで、ほぼ2〜3分、全力で走れば1分で着くかも知れない。ただし、歩道橋から正門までがずっと上りなので、体力がないと全力疾走はきつい……と思う。

 また、自転車のばあい、このコースは、道が細かったり、歩道橋の階段がきつかったりして難しい。自転車なら、いったん海岸の道路沿いに駅のほうに出て、海岸の道路が国道2号線と合流するところで踏切を渡り(ここに林芙美子の『放浪記』の碑――というか記念のオブジェがある)、そこから正門前への坂を上ることになるだろう。それにしてもそんなに時間はかからない。

 だから、このコースが使えなくなって、尾道大橋回りなどということになると、非常にたいへんなことになるのだ。

土堂小学校西門(36KB)
  

 この土堂小学校は、かつて『放浪記』の作者林芙美子が通っていた学校でもあるらしい。林芙美子は、商店街の家に住んでいたようなので、学校のすぐ近所だったわけだ。また、聞いた話によると、公募で赴任した先生が「学力低下」に抗して足し算とかの教育を熱心にやっているということで、最近はその方面でも有名だそうだ。

 ところで、歩道橋を渡る直前のところにレコード店があって、店先に新譜情報が出ていたので、「尾道を舞台にした痛快アクションコメディ『かみちゅ!』8月24日発売」とか書いてないかな……と思って見てみたけど。

 ありませんでした。

 尾道の町やその周辺の駅とかには「乗艦せよ」と書いた大和のポスターがあちこちに貼ってあるんだけど、もしあれがぜんぶ『かみちゅ!』だったら……嬉しい反面、やっぱりすごい恥ずかしいであろう気はする。

 土堂小学校のまわりには細い道がついていて、周囲を一周することができる。ただし、山の中腹にある学校なので、正面と後ろとでは高低差がある。

 アニメで学校の入り口として描かれているのは、正門の西側にある脇門のようだ。

土堂小学校の上から見た尾道の遠景(38KB)
 晴れのちハレ! というわけで、土堂小学校の上から見た尾道の遠景。しかし、ほんっっとによく晴れています。

 で、土堂小学校から左側(西側)の坂をずっと上って行くと千光寺公園に着くのだけれど、この坂の途中から土堂小学校を見下ろすことができる。遠くには尾道大橋が見えるので、ほぼアニメで見るとおりの景色だ。書道部の部室や、第1話でゆりえが「か〜み〜ちゅ!」と叫んで飛び跳ねた屋上も見える(もちろん部室は実在しない)。小学校の校舎は、最上階の窓の上縁が半円形になっていて、これもアニメで忠実に再現されていた。

 違うのは、アニメでプールがあることになっていた場所には、実際にはプールはないということで、実際の土堂小学校であの場所に落ちていたら、木に引っかかっていたか、隣の墓地に墜落していただろうと思う。また、アニメでは、校舎の裏(北)側に自転車置き場があり、ここから緩い坂を登って学校の西側に出られるようになっているが、校舎の北側は非常に狭くてアニメにあるようなスペースはないし、外に抜ける道もない。もしかすると、この校舎裏側と自転車置き場は他の学校がモデルなのかも知れない。

 なお、赤いかまぼこ型屋根の体育館(第6話で、習字を書いたり、終業式を行ったりしていた)は実在する。

 ところで、現在、この小学校の対岸のほぼ正面に戦艦大和のセットがある。もしゆりえ様と大和が戦うことになったとして(むちゃな設定だけど)、この距離だと、46センチ主砲はもちろん、15.5センチ副砲や12.7センチ高角砲でも間合いが取れないのではないだろうか。機銃は撃てるだろうけど。


持光寺と二階井戸

 土堂小学校を一周した後、土堂小学校の東側、校舎の下を通る細い急な階段を上る。ここに赤い屋根の体育館がある。その後ろを回って東に行くと、持光寺に出る。

 ここでは「にぎり仏」を作ることができる。願いをこめて粘土を握り、寺でそれを焼いて仏像にして、ご本尊の阿弥陀如来の御前でお祈りして、手もとに届けてくれるそうだ。あと、境内に、江戸時代末の画家平田玉蘊(ぎょくおん)の記念碑がある。

 土堂小学校前から持光寺へ向かう道は古寺めぐりコースになっているらしい。コースを最後まで歩くと、尾道市街東側の大きなお寺 浄土寺と、その東隣の海龍寺まで行けるようだ。

 尾道の海側はほんとうにお寺が多い。お寺だけではなく、お墓も多い。海から狭い平地をはさんで、山の中腹に各宗各派のお寺が集中している。この一帯だけでいうと、だが、もしかすると京都や奈良より「お寺密度」が高いのではないだろうか。

 あとで訪れた千光寺のご住職のお話だと、尾道に山陽本線が敷かれたとき、「お参りのお客さんが危ない」という反対があったそうだ。たしかに、街道(国道2号線)からお寺にお参りしようとすると、いちいち線路を渡らなければいけない。

 このお寺めぐりの観光コースは、線路より山側に設定されているから、線路は渡らなくてもいい。そのかわり道が細い。路地裏や家の軒下を通る細い道が観光コースになっている。住んでいる人たちの生活の場だ。

 持光寺から下りたところに「二階井戸」というのがある。坂の途中に小さい屋根があり、そこに滑車がついている。下をのぞきこむと、下がどこかのお家の庭になっていて、その家の井戸に釣瓶が下りていくようになっている。水道ができるまでは、この坂の上の家々がこの井戸を共用にしていたのだろう。そんなに大きな井戸ではない。水の確保はけっこう大変だったのではないだろうか。


稲荷大明神、光明寺

稲荷大明神(1)(21KB) 稲荷大明神(2)(15KB)

 この二階井戸からさらに下りると稲荷大明神がある。塀で囲われただけの場所に小さな祠が4つ並んだ小さな神社だ。

 隅に小さくて深い池がある。池というより、壺か何かを地面を深く掘って埋めこんだような感じだ。なかには金魚か鯉かがいるのが見える。

 高い夏の日が池のなかまで射している。その日の光のなかに金魚が出てきたり、見えないところに姿を隠したりしている。池の縁に沿ってみんなで回っているのかと思うと、ときどき違う動きを見せたりする。いかにも「日本の夏」という感じの長閑な風景だ。

 『かみちゅ!』ファンとしては艮神社に向かいたい。地図を見ると、古寺めぐりの道をたどって、ロープウェイのところから千光寺公園のほうに入ると艮神社だという。そこで、古寺めぐりの道に戻るために、もういちど坂を上る。

井戸の上のお地蔵様(20KB)
 井戸の上のお地蔵様 

 途中に井戸があり、その井戸の上に小さなお地蔵様が乗せてあった。この井戸はまだ現役で使われているのだろうか?

 そういえば、この町ではよく道端でお地蔵様を見かけるように思う。町によって、道端にお地蔵様をよく見かけたり、小さな祠をよく見かけたりする町と、そうでない町がある。尾道はまちがいなくお地蔵様や祠をよく見かける町だ。

 光明寺は大きなお堂のある大きな寺だった。土堂小学校よりは低い場所だと思うけど、ここの本堂越しにも尾道大橋がよく見える。また、庭に江戸末期〜明治初期の横綱 陣幕久五郎の手形がある。出身地は尾道ではないが、相撲に入門したのはこの町らしい。「陣幕」はいま親方の名まえになっていたと思うが、その名はこの横綱から始まっているのだろうか。


マスカット色電車との一瞬の邂逅(かいこう)、海福寺

 ところで、光明寺の山門のところに「海福寺」という道しるべが出ている。海福寺は来福神社のモデルではないらしいが、名まえは似ている。すぐ近くだということなので、この寺も訪れてみることにした。海福寺は線路沿いにある。坂を下って海側に戻らなければならない。

 光明寺の山門から続く急な石段を下りていると、山陽本線の線路で警報機が鳴り始めた。「電車というのは、駅で待っているとなかなか来ないくせに、線路近くにいるとほんとうによく通る」などと考えながらふらふらと段を歩いて下りていくと、目の前をマスカット色の電車が通りすぎて行く。『かみちゅ!』のオープニングに出てくる電車だ。

 まさかこの電車に出会えるとは思っていなかったので、何の準備もしていなかった。

 海福寺の手前の跨線橋まで走って行ってカメラを引っぱり出し、撮ろうとしたけれど、準備ができないうちに電車はカーブを曲がって見えなくなってしまった。

 ちなみに、この電車は尾道13時11分発の岡山行き各駅停車(岩国始発)である。ただし、毎日同じ編成の電車が使われるかどうかは私は知らない。

 『かみちゅ!』が1980年代を舞台にしているとすると、その時代にはこの電車はまだ走っていなかったそうだ。それでもこの電車が『かみちゅ!』に使われているのは、やはりこの電車が1980〜90年代ふうで、しかも「地元の電車」という感じがするからだろう。他の電車はステンレス製だったり、いかにも長距離電車という感じだったりして、『かみちゅ!』の舞台の感覚に合わないのかも知れない。ステンレスの銀色の電車は、1970年代にはもうあったけれど、東京の山手線に登場したのは1980年代だったと思うし、ほかの地方で普通に走っているようになったのは1990年代に入ってからだ。

 電車を見送った後、道を曲がってすぐ近くの海福寺に行く。

海福寺(42KB)
 海福寺 この奥に「三ツ首様」がまつられている。「海福」とは「海の幸い」の意味なのか、それとも「海のようにいっぱいの幸い」の意味なのか。

 海福寺はこじんまりしたお寺だった。時宗のお寺だそうだ。時宗のお寺というのはそんなに見かけない気がする。

 境内には「三ツ首様」が祀ってあった。貧しい人に施しをしている盗賊がいて、その盗賊が捕まって処刑された後、この寺の住職がその首をもらい受けて祀ったところ、たいへん霊験あらたかだったという。

 民衆というのは、その土地で生活しているわけだから、権力者に不満を持っていてもそうかんたんに反抗することができない。生活の基盤を失ってしまうかも知れないからだ。だから、一揆を起こしたりするときに最前線で積極的に動くのは、その地に生活基盤を持っていない流れ者的な存在だったりする――という話をきいたことがある。この義賊たちもそういう存在だったのかも知れないと思う。

 で、この海福寺なのだけれど、たしかに来福神社のモデルではない。ただ、ここの縁側が、「提供」画面のバックで使われている来福神社の縁側のモデルかも知れないとは思う。


映画に向いた街

 坂を下りてしまったので、もういちど上るのもどうも億劫だ。それにそろそろ昼飯を食う時間だし、日陰も恋しくなってきた。それで、もういちど坂を上るのはやめにして、商店街に行き、昼飯を食うことにした。

 だいぶ歩いたようだが、歩いた距離は、土堂小学校から海福寺まで直線距離で200メートル、向島で500メートルぐらいだ。

 尾道に着いたとき、最初に感じたのは、尾道の街は思ったより小さいということだった。向島はすぐ近くに見えるし、地図では離れているように見える駅前渡船と福本渡船の渡し場が、実際に海岸に立ってみるとすぐ近くだ。

 ところが、土堂小学校から持光寺、稲荷大明神、光明寺、海福寺と歩いてみて感じたのは、「直線距離」ではこの街はそんなに広くなくても、「体感距離」では十分に大きな街だということだ。

 歩いたコースの問題もあるのだろうけれど、どこかへ行くには坂を上ったり下りたりしなければいけない。それだけ時間もかかるし、体力も使う。

 それに、街の見えかたが大きく変わるのだ。坂を上り下りするので視線の高さが変わる。また、細い路地を抜けると、路地に入る前とその後とで見える景色が少しずつ変わっていたりする。同じ尾道大橋でも、駅前の海沿いから見たとき、土堂小学校の後ろから見たとき、光明寺の本堂越しに見たときで、やっぱり印象が違う。「直線距離」ではそんなに広くない街なのに、一つの街がいろんな表情を持って見えるのだ。

 そのことを考えると、この街はやっぱり映画に向いた街なんだろうと思う。

― つづく ―