夢の城

清瀬 六朗


桜の里(五)

― 2. ―

 座がざわめくかと思ったら、そうでもない。

 雅一郎(まさいちろう)は堂内の者たちを見回し、声に張りを持たせて言った。

 「私の主人、中原造酒(みき)克富(かつとみ)様は、かねてより越後守様のご検注(けんちゅう)をなみする者が多いことを憂えられ、私を含む村の者に(せき)の番を仰せつけておいででした。この牧野森沢に水を分けている、村の衆にとってだいじな都堰でございます」

 「知らないぞ」

 「よそ者のくせに偉そうに言うな」

 また声が起こる。中橋渉江(しょうこう)は声の主のほうに目配せして黙らせ、
「さ、お続けください」
と促した。雅一郎はつづけた。

 「ある春の朝、私が見張っておりましたところ、町から天秤棒を携えた娘が来るではありませんか。娘は堰の上の水を桶に汲もうとしています。これは水盗人どもの一味に相違ないと見た私は取り押さえにかかりました。で」

 「お待ちください」

 つづけようとした雅一郎のことばを中橋渉江が遮る。

 「その娘御がここにおられるとおっしゃるのですな?」

 「まさにそのとおりでございます」

 雅一郎は得意にめいっぱい抑揚をつけて言った。

 「で、それはどちらに?」

 「はい。そのいちばん右に座っている小娘にございます」

 村人がどよめく。美那は今度こそ言い返さなければと思った。だが隆文(たかふみ)が小鼻をひくつかせて
「座っていろ」
と小声で叱る。

 言いようが師匠にそっくりである。

 だから美那は何も言わず、何もきかなかったようにただ座りつづけた。この寺に入ったときに感じたことを思い起こしている。

 ここで村人らと斬り合いになったらどんな剣の腕があってもまず助からないのだ。向こうの村人衆は、剣を振るう心得ぐらいはあるだろう。腕はともかく数が(おお)い。それにこちらには武芸の心得のないさわちゃんがいる。

 でも、(あらが)いもせずに縛り上げられるのもいやだ。

 ではどうすればいい?

 「どっちだ?」

 「右って言ったぞ」

 「どっちから見て右なんだよ?」

 「どっちにしても若いいい娘じゃないか?」

 「水なんか担げるのか? それも天秤で?」

 「だいたい水盗人ってそれだったらせいぜい桶二杯じゃないか」

 「ばかかおまえ、桶二杯ありゃ畑が……あれ、町の連中の桶二杯って畑に撒いたらどれぐらいだ?」

 「知るかそんなこと!」

 「で、だからどっちから見て右なんだって?」

 「うるさいな、自分で考えろ」

 「考えてわからないからきいてるんだろう?」

 「おまえさ、どんなに考えたって最初から知らないことがわかるわけないだろう?」

 何かとうるさい連中ではある!

 背は低いかも知れないが天秤ぐらい担げるということだけでも言っておきたかった。それに、さわちゃんにしたって、美那を(おとしい)れるために市場の橋に縄をかけて引き落としたりしてるんだから。

 いや、ともかく、そんなことで斬り合いになっても困る。だから美那は黙った。

 「では、そちらの娘御が都堰の上の水を盗んだと。盗んだというからには、こちらの娘御にはそこで水を取ることは許されておらないと、そういうわけですな」

 「まったくそのとおりでございます」

 雅一郎はますます自信を持って言い切る。美那は歯を食いしばったうえ舌の先を上の歯の裏に押しつけて耐えた。

 そうでもしてないと自分でも気がつかないうちに喧嘩(けんか)を売ってしまうかも知れないからだ。

 中橋渉江はいちども振り向いてくれない。

 「ほう。それはだれがお許しになっていないと……いえ。われらの村は辺鄙(へんぴ)なところにございまして、町や街道筋の村々のことにはまったく疎く、事情がよくわからないところがございますゆえ、ご説明をお願いしたいのです」

 「いえ」

 雅一郎は少しあらたまった。

 「じつは、先頃、ご検注がありまして、川は中原村の領分と認められたのでございます。川が村の領分であれば水も中原村のものというのは当然のこと、それを盗めば立派な水盗人になります」

 またざわめきが起こる。だが美那はおやっと思った。

 さっきとは違う、何か種類の違うざわめきだ。こんどは村人らが何を言っているかは聞き取れない。ささやき声ばかりが交わされている。それでも声の大きさから言えば何か聞き取れてよさそうなのに、それが何を言っているかがわからない。

 しかも、そのささやきの波は、村西一党だけをきれいに避けて通りすぎている。

 村西一党も不気味に思っているらしい。しきりに周りを見回している。

 「ふむ」

 中橋渉江は納得したともしないともつかないような声を立てた。

 「で、かりにこの娘御が水盗人であり、それが許されない行いであるとすると、すでに何かの罰を受けておらねばならぬはずだと思いますがな。そのことについてはいかがです?」

 「それがでございます」

 雅一郎は軽く頭を下げた。

 「その小娘は近くにおりました榎谷(えのきだに)の娘のもとに逃げこみましたため、われらとしては手出しができず」

 べつに美那が逃げこんだのではない。志穂(しほ)のほうが出てきたのだ。

 村の連中が手出しができなかったのは確かだけれど。

 「それ以来、どこのどの娘かがわからなかったため、われらとしても手を下せなかったのでございます。しかし、この娘を捕縛して城館に突き出せば、この娘の罪が認められるのは必定(ひつじょう)。ついでに、それを手先として使っている町の銭屋というのがどういう者どもかもこれで明らかになるものと思います」

 村人は何も(はや)さない。(しず)まりかえって雅一郎のことばをきいている。

 その鎮まりが美那には何か不気味に思える。

 「では、城館では、この娘御が罪人と認めることはまちがいないと、そうおっしゃるのですな?」

 「は、そのとおりでございます」

 言ってから、雅一郎は胸を張って、中橋渉江を挟んで反対側にいる美那のほうに目をやった。

 「悪いことはできないものだな、小娘」

 落ち着き払ってそう言う。

 美那は唇を開きかけた。だがきつく閉じていたので声を出さずにすんだ。隆文のほうに目をやる。何か言うにしても、隆文に、美那がことばを発していいと認めさせることが必要そうだった。

 だが、隆文は目を閉じてじっとしているだけだ。もちろん美那のほうを見てもいない。

 そういえばこの男はいつもだらしなく髪を後ろに伸ばしているのに、今日はきちんと折烏帽子(おりえぼし)をかぶっている。いつの間に身支度をしたのだと思う。

 さっき(ふな)をあぶって食ったときにはまだ髪をだらんと垂らしていたはずだが?

 さわちゃんのほうも何か楽しいお話でも聞くようににこにこしている。

 美那は雅一郎ににらみつけられたまま目を伏せた。ふいに涙が湧くように感じたけれど、抑えた。涙を流しているばあいではない。

 中橋渉江はしばらく黙っていた。美那は、次に「その娘を縛り上げよ」という命がこの男の口から出たらどう応じようと考えをめぐらす。

 この村の者たちが知恵者として頼っていたのはこういう男だったのかと思うと美那は情けなかった。

 その中橋渉江がふと口を開いた。

 「ところで、そちらのお方……いえ、長野様のお隣の」

 範大(のりひろ)は自分が呼びかけられたとも気づいていない。渉江はそちらに目をやったが、範大のようすには気づかぬふりでつづける。

 「中原安芸守(あきのかみ)範大様とおっしゃいましたかな。越後守(えちごのかみ)様の直臣であらせられる」

 「あ、あ、おう」

 やっと自分が呼ばれていることに気づいたようだ。声変わりの終わっていない声で答える。

 「いかにもわたしは中原安芸守範大、もったいなくも越後守定範(さだのり)様を烏帽子親に元服いたし、範の一字を頂戴した中原安芸守範大である」

 村人たちのあいだのところどころで抑えた(そし)り声や鼻を鳴らす音が聞こえた。こんどはさっきのさざ波のような声とは違う。ことばは出さないが、言いたいことははっきりしている。

 「これはどうも」

 渉江が軽く頭を下げた。範大はそれを見ていたはずなのに、応えようとせず、天井のほうに目をやって目をそらせる。

 「中原様は越後守様の直臣であらせられる。いま長野様がおっしゃったこと、まちがいないとお認めになりますか?」

 「あ、はい?」

 また高い声が裏返る。

 「いま長野様がおっしゃったことはまちがいないでありましょうか? お確かめをお願いします」

 「そっ」

 雅一郎が何か言おうかとその範大のほうをうかがおうとする。だが、それより先に
「まちがいない。この者の申すこと、まちがいない。こっ、この者の申すこと、まちがいないっ」

 それだけ言うと、いきなり扇を取り出し、ひらいてぱたぱたと扇ぎ始める。そして雅一郎とも中橋渉江とも目を合わさないようにひたすら天井へと目をやった。

 村人らのあいだに冷たい笑いが広がる。ため息のようにしか聞こえないが、たしかに笑い声だ。村西兵庫助らは困った(かお)で顔を見合わせる。

 「村西殿」

 渉江が落ち着いた声をその村西兵庫助に向けた。

 「そちらから中原様、長野様にお伺いすることはあるか?」

 「いえ」

 村西兵庫助は薄笑いを浮かべて答える。美那は顔を上げてその兵庫助の顔をまっすぐに見てやった。

 まだどう転ぶのかはわからない。

 だが、浅梨屋敷で身につけた勝負勘のようなものからすると、どうもいちばん負けそうだったところは切り抜けたようだと感じている。

 ――どうしてそう感じたのかは知らない。でも、気を抜かなければ負けることはないと思う。

 だいじょうぶだ。この場は気を抜ける場面ではない。

 村西兵庫助は渉江のほうに体を向けて、美那のほうは見ないでつづけた。

 「以上で、そちらの銭屋の小娘の罪状は明らかでありましょう。悪事を隠し通せると見た小娘の浅はかさが命取りでした。ここで罪を問いただし、牧野・森沢両郷から城館に突き出せば、お褒めのことばと褒美が戴けるのは必定かと」

 「ほう」

 渉江は言って、左――渉江から見て左側の席に目を向ける。そこに腰を浮かして何か言おうとしていた者がいたかららしい。

 「ご褒美のことはともかくとして」

 渉江は次に美那に弁ずる機会を与えてくれるものと思っていた。だが、渉江の目は、美那を通り過ぎ、後ろに座っている安総尼に向けられた。

 「安総。例のものをこちらへ」

 「はい」

 安総尼はあいかわらず何も考えていなさそうなぽっちゃりした真顔で立ち上がり、渉江の横まで行くと膝をつく。

 (たもと)から書状のようなものを出して渉江に手渡した。

 雅一郎が顔を上げてぽかんとする。何が起こっているかわからないらしい。

 わからないのは美那も同じだ。隆文はいまになって目を開き、顔を上げて村の衆のほうを難しい顔で見る。でも美那のほうは顧みもしない。

 「じつは、その話は、昨日、井田殿のほうからお知らせを受けていた。わざわざお知らせいただいた川上村の井田殿には感謝申し上げる」

 村西の後ろに隠れるようにいた色白の男が頭を下げる。これが井田小多右衛門(こだえもん)という男らしい。

 やはりあのとき村西らといっしょに田圃(たんぼ)にいた男の一人だ。

 「わたしとしてもこれは重大事と思ったが、ただ、この村にはこれが確かな話かを確かめる方法がない。それで、わたしは、昨日夕刻、使者を町と中原村に送り、ことの次第を確かめた」

 雅一郎ははっとして身を起こした。範大はあいかわらずはたはたと扇を扇いでいるだけであらぬ方を見ている。

 「中原造酒どのには残念ながらご面会かなわなかった。しかし、市場の長者は、夜更けであったにもかかわらずお会いくださり、この件がきっかけになったと思われる中原郷と市場との取り決めの文書をお見せくださった」

 渉江は安総尼から受け取った文書を鮮やかにばらっと開いた。それを満座のものに示す。体をひねって内容を読もうとしている村長たちにも親切に一人ひとりに示してやる。

 もちろん見せたからと言って文字が読めるものではない。だいいち、村の大人たちのどれだけが文字が読めるのか。とても全部ではあるまい。

 「これによると、都堰の上の水を桶で取るのは町の市場のものの勝手と昔から決まっており、これからもそれは変わらず、中原村の口出しすることのできるものではないと定められている。ついこのあいだ決められた約定で、しかも、そちらの安芸守様のお父君、中原造酒克富さまも同意しておられる」

 言ってから、渉江は長野雅一郎のほうに目を移した。

 「これによると、かりにそちらの娘御が都堰の上で水を取ったとしても、桶で取ったものであれば、それは町の者の勝手ということになるはずです。長野様が先ほどおっしゃったこととは違うようですが、いかがかな?」

 「いえしかし」

 長野雅一郎は脂汗を(にじ)ませていた。

 「いえしかし、町には偽文書というものが大量に出回っております。なかには畏れ多くも天子様公方様の名を(かた)るものも珍しくないとか。そのようなものを中橋様はご信頼になるのですか」

 「ほう」

 渉江は落ち着いてことばを返した。

 「それでは、これはそうした偽文書の一つに過ぎないと。市場の長者はそのような偽文書を牧野郷の使者に示して使者を(あざむ)いたと、こうおっしゃるわけですな」

 「はい、そうでございます」

 雅一郎は深く頭を下げる。

 「この文書には、そちらの安芸守様の御父君、造酒克富様のお名まえと花押(かおう)もありますが、それでもそう断定なさる?」

 「はい。それも市場のものが勝手に書き加えたものでございましょう」

 「ふむ」

 渉江は黙った。雅一郎はしばらく深く頭を下げていたが、ふと窺うように頭を上げた。

 「では、これはどうご覧になるかな?」

 その鼻先に中原渉江は文書を差し出した。

 そこにはたしかに克富の名と花押が記してある。

 まぎれもなく克富のものだ。ほとんど字の書けない克富は、「中ハらミキ」という文字と、ぐるっと円を書いてなかに片仮名の「ト」の文字を小さく書くという花押を使っている。

 まさにその花押だ。

 だが。

 雅一郎はふっと笑みを浮かべた。

 「これはたしかにこちらの安芸守様の御父君、造酒克富様のお名にございます。ただし」

 そう言って、ことばを切り、満座の者たちを見回した。

 「これは造酒様のお筆によるものではございません。何者かがまねて書いたものでございます」

 「ふむ」

 渉江は落ち着いて応じた。

 「それはそうでしょう。これは写しですからな」

 「はあ」

 雅一郎は口を半分開けたまま渉江の顔を見上げた。渉江は重ねて言う。

 「その文書そのものを中原造酒様がお記しになったのではないことは最初から知っています。そういうことではないのです」

 「はぁ?」

 雅一郎はあっけにとられる。

 「いえしかし、それは……?」

 渉江は声の調子を変えない。

 「だから、造酒様の花押をご覧いただきたいのではないのです」

 「では、何を……?」

 「文書の袖をご覧いただきたいと申しておるのですが」

 「はっ……はあ……」

 そこには見慣れぬ花押と、「杉山左馬允(さまのじょう)」の文字があった。

 「すぎ……山……すぎやまさ……さ、すぎやまさうま……さうま……?」

 雅一郎は顔を上げる。

 最後の「允」の一字は読めないらしい。

 中橋渉江がその顔を見下ろす。

 しばらくどちらも何も言わない。

 「ちょっと……よろしいか」

 雅一郎の反対側の渉江の隣に座った隆文がはじめて口を開き、重々しげに言った。

 渉江が振り向く。

 「ええ、どうぞ」

 「それは杉山左馬允信惟(のぶただ)様のことと推察されるが、杉山左馬允様と言えば、(おそ)れ多くも春野越後守様の下で評定衆(ひょうじょうしゅう)を務めておられ、評定衆のなかでも最長老であらせられる」

 隆文はすらすらと淀みなく言った。

 「春野正興公がこちらに下っておいでになった折り、ともに三郡平定の事にあたられた五人衆のうちのお一人でもいらっしゃる。その方が袖にご署名になり、花押もいただいたということであれば、その文書は、城館の、すなわち、越後守定範(さだのり)様がお認めになった真正の文書であるその証である! ……と解するのが適当と愚考いたすが」

 「私もそう思う」

 渉江が穏やかに言った。

 隆文のやつ、「定範のやつ」とかいつも言ってるくせに――と美那は感心している。

 しかも、五人衆の一人とだけ言って、あとの四人の名を出さなかったのも巧いと思う。

 その四人はというと、桧山織部正(おりべのしょう(かみ))興孝(おきたか)と浅梨左兵衛尉(さひょうえのじょう)治繁、それにこの牧野郷の牧野治部大輔興治と森沢郷の名主森沢判官(はんがん)為順(ためより)なのである。杉山信惟一人を除いて牧野の乱で定範に抗して戦った者たちだ。桧山織部正と牧野治部大輔は捕えられて首を()ねられ、浅梨左兵衛尉は引退した。森沢判官は蟄居(ちっきょ)させられ、のち病を得て亡くなったという。

 この村ではよそから来た者があまり触れないほうがいい名まえには違いない。

 「はあ……しかし……しかし……」

 雅一郎は床板に頭をすりつけ、しかしひとことも弁明のことばを言わない。村人のあいだにまたささやきのようなざわめきが広がった。

 「この不忠義者!」

 いきなりすっと立ち上がり、雅一郎を叱りつけたのは中原安芸守範大だった。村の者らは息を飲む。

 範大は進み出ると、扇を閉じて、頭を下げている雅一郎の頭の後ろから扇をたたきつける。

 「わが父造酒克富はそちにとって主君であろう! その主君の花押のある文書をこともあろうに偽物と断ずるなどもってのほか、わが父に対する大きな侮辱、ひいては、わが父の仕える越後守定範様への反逆の疑いもある。この不忠義者!」

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

 範大は渾身の力をこめて雅一郎の頭を扇で叩く。ほどなく雅一郎の萎烏帽子がずり落ち、なかに結わえてあった(まげ)が斜めにゆがむ。

 それを見た村の大人どものあいだから笑い声が起こった。手をたたく者もいる。中原渉江も苦笑いしている。

 美那も顔を綻ばせた。

 この中橋渉江はこれならたしかに知恵者と讃えられるだけのことはある。何かと城館だの越後守様だのと言い立てる柿原党の手先を、その城館と守護代の名を使ってひとこともことばの出ないまでに論破したのだ。

 村西ら三人は、立ち上がることもできず、雅一郎を救いに行くこともできず、俯いたまま黙りこんでしまった。

 「気をつけろ」

 笑みのこぼれていた美那に、小さく、こもった声で隆文が言った。

 「え?」

 美那が顔を上げる。美那は鋭い目で美那を見ていた。

 「次はこちらが攻められるんだ」

 「攻められるって……」

 「気を引き締めていろよ」

 隆文はそれだけ言うと前を向いてしまった。

 美那は前を向いてまばたきする。

 さわが何か言いかけたが、にこにこしたままけっきょく何も言わなかった。

 範大は雅一郎を扇で叩いたり罵ったりを繰り返していた。最後には、頭を下げている雅一郎を足蹴にし、足でつき転ばそうとし始める。しかも、範大が非力なのか、雅一郎がしっかりしすぎているのか、雅一郎が少しも転がらない。範大はしだいに「あぁ」とか「ぎぃやぁ」とか高い声を張り上げはじめた。転がらないとまた扇で首筋や頭を打ちつける。それからまた蹴る。

 「おい」

 「はい」

 中橋渉江の短い声を受け、安総尼が裏の木戸を開け、外に控えていた範大と雅一郎の小者を呼び入れた。小者らは安総尼から何かきかされて慌てて走りこんでくる。小者たちは懸命に範大と雅一郎を引き分ける。

 「庫裡(くり)で待っていていただけ」

 渉江が言った。

 小者が二人を引き分けながら、恐縮して村人衆に何度も何度も頭を下げ、木戸から範大と雅一郎を引き出して行く。

 二人の姿が消えると、村人衆のあいだに、それまで抑えていたどよめきが起こった。

 村西兵庫助が作り笑いしながら口を開いた。

 「あの」

 「何か?」

 中橋渉江が村西のほうを向いて先を促す。

 「われら三人、中原村からのご使者のお世話に参りたいと存ずるのですが」

 「それには及びますまい」

 中橋渉江は村西ら三人のほうをじっと見て答えた。

 「ほかに世話をする者がいないというならともかく、あの方たちには、あの方たちのお世話にあたる小者衆がついているし、寺の者たちもいる。それより村々の寄合に加わることのほうがよほどだいじかと思うが」

 「はっ」

 村西が中途半端に首をすくめると、席からは笑い声が起こった。村西ら三人はますます小さく縮こまる。

 気の毒な人たち、と美那はその三人に目をやった。

 「さて」

 中橋渉江はそのどよめきが勢いを失うまで待って、隆文のほうを振り向いた。

 「あらためて町からのご使者にご用件を伺うとしようか」

 村西兵庫助がいまいましそうに隆文と美那の顔を上目遣いに見た。

― つづく ―