夢の城

清瀬 六朗


桜の里(六)

― 2. ―

 明徳教寺では、本堂の左側に庫裡(くり)があり、本堂の裏手の奥に僧坊(そうぼう)という建物があった。庫裡が板屋根の普通の長屋と同じような造りなのに、こちらは瓦葺きで、宝形(ほうぎょう)屋根になっている。

 町の金貸し衆の「ご使者」三人はその僧坊の裏の間に通されていた。あまり広い部屋ではないが、三人で泊まるにはべつに狭くはない。それに昨日のあの穴蔵よりはずっとましだ。

 「でもどうして裏の間なんだ?」

 隆文がきいたところ、案内してくれた安総(あんそう)は、あの平らな声の調子で、何度かまばたきしながら
「はい。表だと村の者と顔を合わせやすくなりますし、誤解が生じても困りますので」
と事情を言ってくれた。

 で、その安総に連れられて美那の両親の墓にお参りして、帰ってきて、寺で出してくれた食事をいただいて、で、早々と寝にかかるところである。食事も、取り立てに来てごちそうになるのはへんだとさわが言ったので、いちど断ろうとしたのだけれど、
「これは郷や村からのものではありません。寺のものですので心おきなくお上がりください」
という、これもまた安総の平らな声で説得されて食べてしまった。

 (ふすま)だらけで真っ黒い麦粥と、ぜんまいの漬け物と、水にさらしすぎて味が抜けた芋だったけれども、温かい食事なだけありがたい。また、墓地から帰ってきてずっと顔色の悪かった美那が、夕飯を食っていつもの桜色の血色のいい頬の色に戻ったので、隆文もさわもほっとしたようだった。

 「しかし」

 部屋の明かりを消し、(ふすま)にくるまってから、隆文が声を出した。

 「しかし美那がここの生まれだとは知らなかったな」

 「そうだね」

 さわが何か深い思いに浸っているように言う。

 寝ている順番は、昼間に本堂に座っていたのと同じで、隆文、さわ、美那の順だ。

 「それにここでお父さんとお母さんを亡くしてたんだね」

 「それで藤野屋の薫さんに引き取られたんだな」

 さわと隆文のやりとりをきいて、美那が少し大きく息をついた。

 美那は、さっきの墓のまえで涙を流して以来、ずっとしゃべっていない。それが並んで横になってからはじめて言った。

 「違うんだ」

 「えっ?」

 さわが大きな声を上げた。美那が弱い声で言う。

 「心配させてごめん。でも、違うんだ」

 「違うって、何がぁ?」

 さわがもういちどきく。

 美那が寝返りを打ったのが衾の擦れる音からわかった。

 「わたしがここの村の生まれだってこと」

 「え、だって」

 さわは少し考える。

 「でも、さっきのお墓、美那ちゃんのご両親のお墓なんでしょ?」

 「だからさ」

 美那が何か優しい声で言う。

 「それが違うんだ」

 「えっ? でも……」

 「わたしの父上は……ほんとうのお父さんは確かに死んだ。でもお墓は別にあるの。わたしそれはよく知ってるから」

 一つひとつ確かめるように言う。

 「それにお母さんはまだ生きてるもの。事情があってめったに会えないけれど、たしかにいまも生きておられるもの」

 それが美那には(うれ)しいことなのだ。そういう感じがことばから漏れて伝わる。

 「じゃあ」

 隆文が憮然(ぶぜん)とした声をはさんだ。

 「さっきはどうして墓の前で手を合わせて泣いた? ん?」

 ひとつため息をついてから、少し低い声でつづける。

 「あれがうそ泣きとはちっとも思えなかったぞ」

 「うそ泣きじゃないよ」

 美那が答える。

 「ほんとに泣いてた」

 「じゃあ、なぜ?」

 「だってさ」

 美那は少しためらった。

 「だれかわたしによく似た女の子がいたわけでしょう? たぶんわたしと同じくらいの年ごろでさ。しかもたぶんおんなじ名まえで、しかも、安総さんがまちがったってことは、村の人でもわたしと見分けがつかないんだ」

 ここでことばを切って息を継ぐ。

 「その子、お父さんとお母さんが亡くなって。しかも、あのお墓のようすじゃ、もう何年もお参りしたひとはいない。そんな子がいるんだって……わたしと同じくらいの歳でそんな子がいるんだって。昨日の(まり)のこともそうだけどさ、そう思って目を閉じたら、なんだか涙が出ちゃって、いけないって思ったら泣き声も出ちゃってさ、それでどうにもならなくなったんだ」

 美那がそれだけ言ったのに、隆文もさわも答えない。

 「そういうことだから、ごめんね、二人とも」

 「ううん」

 さわが答える。

 「そう聞いて安心した」

 で、頭を美那が眠っているほうに向けて寝返りを打つ。

 「美那ちゃんがそんなに不幸せな子じゃなくてよかった」

 「うんっ」

 美那はいつになくかわいらしい声で答える。聞いていた隆文が
「けっ!」
と声を立てた。

 「おれたちはいいが、あの尼さんにはちゃんと謝っとくんだぞ。ほんとひとさわがせなんだからあっぐんがっ」

 美那が隆文の声の最後のほうの異変にすっと身を起こす。

 「あんたってひとはね」

 しっかりして勢いのついたさわちゃんの声がした。

 明かりは消してある。夜空は曇っていて暗い。

 障子から入る明かりでは何が起こっているかあまりよくわからない。

 「……んが……んが……んが」

 「いい? お美那ちゃんはお美那ちゃんで、お父さんには死に別れて、お母さんには会えなくて、どういう事情があるかわからないけど、そうやって辛いのに耐えてるっていうのに、そういうのを思いやることができないわけ? えっ? えっ? えっ? どうなのよっ?」

 どうやら、おさわちゃんが隆文の鼻をつまんで引っぱり上げているらしい。で、浅梨左兵衛尉(さひょうえのじょう)治繁(はるしげ)の一番弟子はというと――。

 「……んが……んがぅあぅんがぅ! んがぅんがぅんがぅ!」

 そのおさわちゃんに鼻を(つま)まれたまま抵抗できずにいるのだ。

 ……情けないなあまったく。

 美那は自分の衾をはがして起きあがった。

 「隆文!」

 枕もとで美那が叱りつける。さわがきゃっとかわいい声を立てて飛びのき、それでやっと隆文の鼻が自由になる。

 「あんたそれで左兵衛様の一の弟子? なんでそうかんたんに娘に不意を打たれる?」

 「うるさいんだよおまえはっ!」

 隆文は取り乱していた。だが
「あやまりなさい!」

 前の美那に言い返したらこんどは後ろからさわに言われる。

 隆文は舌打ちした。で、大きくため息を漏らした。

 観念したらしい。

 「言い過ぎたよ、たしかにおれは」

 いやいやながら――たぶん――、美那のほうに向いて手をつく。

 「それで?」

 さわちゃんの声は容赦がない。

 「すまなかったな、美那」

 「もういちど」

 「すまなかった」

 隆文がさわの手に首筋をつかまれて頭を床にすりつけているのが微かな光でも見てとれる。

 「許すから放してやって、さわちゃん」

 美那が言うと、さわは、うんと声を立ててその手を放した。それでそのまま自分の衾を引きかぶってごろんと横になる。美那も自分の脱いでいた衾のところまで戻って横になった。

 「さわちゃん、ありがと」

 美那がさわのほうは向かないで言う。

 「いいえっ」

 さわがおどけて言い返した。

 「あーまったく」

 隆文が自分の衾をかぶりなおして身を横たえたらしい。

 「これじゃ美那のやつが溝に叩きこまれたわけもよくわかったってもんだ」

 「叩きこんだんじゃないよ」

 さわはべつに怒りもせずにたんたんと答えた。ちょっと得意げだ。

 「橋桁(はしげた)に縄かけて引っぱって落としたの」

 ――そんなに嬉しそうに言うことでもないと思うけど?

 「やれやれ。これは美那以上の暴れ者かも知れんな」

 「うーん」

 さわは少し考えている。

 「でも、わたしの友だちのおさとちゃんはこんなもんじゃないよ。おさとちゃんが怒ったらこんなんじゃすまないんだから」

 「そうかそうか」

 隆文は、そのさとという娘が身近にいるとは思わないから、軽くそう返事する。

 「じゃあ、そのおさとちゃんには会わないようにくれぐれも用心しないといけないな」

 会わないように――というと。

 そうだった。

 そのさとに言われて、池原弦三郎にさとを訪ねるように伝えたのがおとといのことだ。そうだ。弦三郎とその話をしていたところを、この隆文に引っぱって行かれて、徳政の話になって、港に行って、それで元資(もとすけ)と桃丸と、あの船頭の植山平五郎といっしょに話しているうちに、この牧野郷行きが決まった。

 ああ、そう言えば、牧野郷に行くように自分に言ったのは、あの桧山(ひやま)桃丸だったなと思い出す。

 何かそのことだけがふと思い出される。そして、その先には思いが進んでいかない。

 ――それにしても、あのおさとがそんなに気性の激しい女の子なのなら……。

 「弦三郎さんもたいへんだ」

 自分が抱き留めてやった小娘がこともあろうに自分を殴りつけたのに、文句のひとつも言えなかったあのやさしい若い武士が、そんな気の荒い娘と何をどうできるというのだろう?

 「……美那ちゃん」

 さわちゃんに気後れしたような声で言われて美那はふとわれに返った。

 「うん?」

 「……また泣いてる?」

 「いいや」

 「だよねぇ」

 さわは、安心したような、でも何かふしぎなような声で言う。

 「たしかに、聞こえるな」

 隆文がまた口をはさんだ。さっき、さわに鼻をつままれていた前後とはぜんぜん違った落ち着いた声だ。

 「えっ、な……」

 何が、と言おうとしたとき、美那の耳にもその声が留まった。

 泣き声だ。

 ここの場所はけっして静かではない。ときおり風の音がごうと音を立てて吹きすぎ、そのたびに木の枝が揺れ葉が擦れ、薮がざわめく。それだけではない。寺の者たちか、寺に泊まっている川上村や森沢郷の者たちかが外を早足に歩く足音も耳障りだし、遠くで高い声で話を交わしている者たちの声もする。

 けれども、そのなかから、たしかに聞こえるのだ。

 何か押し殺したような、むせび泣きの声だった。

 しかも、近い。少なくとも、外から聞こえてくる物音よりはずっと近いところだ。

 美那は肘をついて身を起こしかけた。するとなぜか声が遠ざかる。

 で、身を伏せると、またたしかに聞こえてくるのだ。

 美那はもしやと思う。

 自分の娘と違う娘に(まつ)られた、さっきの美那の父親か母親が泣いて何かを訴えに来たのだろうか?

 「このお堂のどこかだな」

 美那の思いにはかかわりなく、隆文が声をひそめて言った。

 「床から伝わってくるように聞こえる」

 「そうだね」

 さわは美那と隆文のあいだで黙っている。

 「どうする?」

 「どうするって?」

 「ほうっとくか?」

 「うん……」

 美那は少し考えた。

 自分たちはあくまで客だ。村のことには手を出さないほうがいい。

 けれども――。

 毬のことはどうだった?

 じっさいに何をしたというわけではないけれど、隆文も美那ももう毬のことに関わってしまっている。

 それに、柿原党が乗りこんできて、村の外の者が村のことに手を出さないほうがいいなどとは言っていられなくなった。毬だって、あの葛太郎(かつたろう)という子に気力とたぶん運がなければ、いまごろは柿原党の若侍のなぐさみものになって、ほんとうに殺されていたかも知れないのだ。

 「いや」

 美那は言い切った。

 「手を出す出さないは別にして、何がどうなってるのか調べるだけは調べよう」

 隆文とさわが、少しも違わず同時に同じくらい深く頷いたのが、微かな光のなかでもわかる。


 庫裡(くり)のいちばん奥の間で、中橋渉江(しょうこう)が書見をしている。板の間の上に椅子を置いて、高い机に書を広げ、ときおり唸り声を上げながら上から下へと字を追っている。そしてまた、ときおり朱筆を執り、何かを小さな字で丁の上に書きこんでいた。

 白く艶のある焼き物の瓶から灯芯が出ていて、それに灯がともっている。灯火の周りには銀の細工物で覆いがしてあるが、今夜の風はその覆いものを抜けて炎を揺るがせる。そのたびにまた中橋渉江は難しそうな唸り声を上げる。

 風が変わった。灯火が大きく向きを変えて揺らぐ。

 だれかが音もさせずに障子を引き開けて入ってきたのだ。

 「安総か?」

 「はい」

 渉江は答えを得てから振り向いた。

 安総尼は障子を入ってすぐのところに腰を下ろして座っている。

 渉江は少し渋そうに口を閉じたが、くるんと後ろを向くと、部屋の隅から藁座(わらざ)を引っぱってきてその上に腰を下ろし、安総のほうにも床の上を流して藁座を送った。

 安総は小さく頭を下げてから膝を上げ、器用にその藁座を自分の足の下に送りこむ。

 そして最初のように平然と座っている。

 渉江は少し首を傾げてその尼を見た。

 「安総」

 「はい」

 「人の性はもとは善であるか悪であるか、どちらと考えるか」

 「はい」

 安総は少し潤んだ口の端で答えた。目の縁が少し下がり、ほんの少しだけだけれど、頬が染まる。

 少し丸まりかけた背を伸ばして、安総は答えた。

 「善悪どちらでもないと思います」

 「ほう。それはなぜそう考える?」

 「はい」

 安総は膝の上においた手の指の先まで力をこめた。

 「善悪はこの世のことだからです。人の本然(ほんぜん)の性というのはこの世を超えたものごとで、この世の者が善いとか悪いとか考えても、もとより人のわかる道理のあるものではありません」

 「ふむ」

 渉江は口を閉じたまま唸り声を上げる。

 「しかし、人はこの世を超えた道理を分かることのできない者であろうか? 人はたしかにこの世を超えて生きることはできない。しかし、だからといって、その生きることのできないものを知ることができないとどうして言えよう?」

 安総はすばやくまばたきをした。

 唇を品よく合わせて閉じたまま何も言わない。中橋渉江はつづけた。

 「たとえば、私たちは行ったことのない土地のことを知り、考えることができる。もちろんそうやって考えたことはすべて正しくはないが、多くの人の話を聞き、多くの書を読みしていると、はじめてその土地を訪れても迷わないぐらいのことは知ることができよう。また、私たちは生まれる前に何があったかを知ることもできる。これも自分で身をもって知ることはできないが、多くの話を聞いて考えれば少しは確かなことを知ることができる。どうして、人の世を超えた道理だけは、知ることができないのであろうか?」

 「はい」

 安総は目を閉じ、すぐ開き、口を咬むのに力を入れ、すぐに力を抜き、目をやや斜め上に向け、また戻し、そしてもういちどまばたきして中橋渉江の顔を見上げた。

 「行ったことのない土地を知り、生まれる前のできごとを知ることができるのは、人の話が同じことを多く述べているからです。多くの話で同じことを言っていれば、ほかの道理から見ておかしくないとすれば、それがほんとうなのです。しかし、善悪について言えば、同じことをしても、この人の世では善とされたり悪とされたりします。一人の人のひとつの行いを善という者もあれば、悪という者もあります。また、悪とされた者が後に善と判ることもあれば、善とされていたことが後に悪と判ることもあります。善とわかり悪と判った行いも、またあとでそれが逆だったと判るかも知れません。このように定まりのないものは本然を探るには役に立ちません」

 「ふむ」

 こんどは渉江が少し考えをめぐらせる。

 そのあいだにも、釉薬(うわぐすり)の美しい白い焼き物の器の炎は前後左右に揺すぶられている。

 安総はまばたきをしてまた唇を合わせ、その渉江の考えを待った。

 「しかし、人の世ではほんとうに善と悪とは知ることのできないものであろうか? 道理はこの世に何かの姿で必ず現れている、ただ、世の乱れに覆われてそれがわかりにくくなっているだけだ。このように考えてみてはどうか。その何かの姿で現れているものがないか、探ってみる。そのことから手がかりを探すということを行ってみるべきであろう」

 渉江は少しも笑わず、安総の顔をも見ずにそう告げる。

 だが、安総は、最初に見せたと同じように、頬を赤らめ、目の縁を下げて、少し恥ずかしそうに潤んで頷いた。

 「はい」

 「で、何だ」

 「はい」

 で、すぐにもとの平らな声に戻る。

 声が戻っただけではない。目の縁も平らになり、口もとももとと同じように嬉しくも悲しくもなさそうに平らに結ぶ。

 安総は渉江に告げた。

 「ご使者の美那様を、勝吉様木美様のお墓にお連れ申しました」

 「なんと」

 渉江は少し声がうわずった。

 「そんなことをしたのか」

 「はい」

 「そんなことをしたのか……」

 「はい」

 安総は声を変えない。渉江が促す。

 「で?」

 「はい」

 安総は乾いた声でつづけた。

 「美那様はかのお墓の前で涙を流しておられました。ずいぶん長い時間、目を閉じ、泣き声を漏らしておられました」

 「そうか」

 渉江はしばらく声を立てない。

 「それで、おまえはあのご使者の娘御がその美那様であると、そう考えるのだな」

 「……はい」

 「うむ」

 渉江は「うむ」と言ってしばらく経ってから頷く。

 そうして、しばらく、(くび)を横に傾がせたまま、考えた。

 「しかし、だとしたら、その娘御がどうしていまごろこの村を訪れたのであろうな?」

 安総は、わからない、とでも言うように小さく頸を振った。


 で、その娘御が何をしていたかというと――。

 「やっぱり、ここしか入り口がないみたいね」

 美那が立っているのは、半間ぶんの幅の引き戸の前だった。美那たちが泊まっている「裏の間」のちょうど裏で、廊下を少し入った突き当たりだ。

 「ほかのところはぜんぶ壁だったしね」

 さわが後ろで言う。手に灯台を持っている。

 「それにしてもみょうだな」

 そのさらに後ろで隆文が言った。

 「ここってお堂のいちばんの内側の大事なところだろう?」

 「うん」

 さわが頷いた。

 「たぶんご本尊様とかがまつってあるところだよ」

 「どうしてそこだけわざわざ仕切りをめぐらせて、まわりに部屋作ってまで、こんなふうにしてあるんだ?」

 「部屋作ってあるのはだれかが住むためなんだろうけどね。だれもいなかったけど、だれかが暮らしてるようすはあったから」

 美那が後ろを振り向いて答える。

 「泣いてる声は聞こえる?」

 後ろでさわが小声できいた。美那は足をそっと滑らせて戸に耳をつけ、音を聞いてみる。

 美那は黙って、体を動かさないまま振り向き、そのまま小さく首を振った。

 隆文がまぶたの下から両目で美那の顔をうかがい、(てのひら)で空を(すく)うようにゆっくりと動かした。

 美那はやっぱり後ろを振り返ったまま、ほんとうに小さく頷いた。また跫音(あしおと)をさせないように、さわの後ろをすり抜けて後ろに戻る。かわって、同じように隆文が前に出る。

 いちばん後ろになったさわが灯台の火を消そうとした。隆文が首を振ってやめさせる。

 隆文は引き戸の桟に手をかけた。それに応えるように、美那は脇差(わきざし)に手をやる。

 美那、隆文が頷きあう。二人がそのままさわのほうを振り向いたので、さわはひとつ唾を呑みこんでから、少し遅れたように頷いた。

 「どなたかは知らぬが、失礼するよ」

 隆文が低い声で言う。言って、けっして速くではなく、引き戸を引き開けた。

― つづく ―