夢の城

清瀬 六朗


桜の里(六)

― 4. ―

 火鉢に寄りかかって、川上村の村長木工(もく)国盛(くにもり)は渋い顔で横を見ていた。

 寺の庫裏(くり)の別棟の中程の部屋だ。川上村から来た大人衆はこの庫裡に泊まっている。

 「人の本性が善か悪かだと?」

 「はい」

 横に行儀よく座っているのはあの安総(あんそう)尼だ。いつものとおり、見ただけでは何を考えているかわからない(かお)だが、少し心くつろいでいるようなようすは見えた。

 「何を言ってるんだ。人によいも悪いもあるもんか。人の本性なんてものはどうでもいい。だいじなことは、ほらおまえ、人はいいこともやるが悪いこともやるって、そういうことだろう? え?」

 「はい」

 国盛は顔をしかめて、斜めに安総のほうに目をやる。

 「はいじゃないだろう、え、(ふさ)?」

 「はい」

 こんどは「総じゃなくて安総です」とは言わない。でも、「はい」と言ったきりで、じっと父親の顔を見ている。

 「おまえ中橋様のところでそんなことを勉強しているのか?」

 「はい」

 「はいじゃないよぉ」

 父は()ねるように言ったが、
「はい」
と、安総の返事は変わらない。

 「うーん」

 国盛は唸った。もういちど同じことを言ってもまた「はい」と言い返されるだけだと考えたのだろう。

 かわりに、国盛は、顔を上げて、きちんと座っている安総の顔の高さに向けて、勢いをこめて話をつづける。

 「おれがおまえを中橋様のところにやったのはよ、もっとこう、役に立つ勉強をしてきてくれると思ったからだよ。そんなことばっかり勉強していても役に立たないだろう、その、さ、人の本性が善か悪かなんてよぉ」

 「では」

 安総はようやく「はい」以外のことばを口にした。

 「役に立つことというのは何でしょう?」

 「それはよぉ、おまえ」

 正面からきかれて、国盛は少したじろいだ。

 「おまえ……田の起こしかたとか、飯の炊きかたとか、いろいろあるだろう?」

 「それだったら父上のほうがよくご存じでしょう」

 「おっ……」

 国盛はいきなり大きな石でも口の中に入れたように苦しそうに声を止めた。

 「おっまえなぁ……中橋様は知恵者だぞ。いままで村の暮らしをよくするためにいろいろなことを教えてくださったかただぞ。その……あ、なんて言うんだ、あの味のしない芋……」

 「蒟蒻(こんにゃく)です」

 「そうそう。あのこにゃっくとかいう芋を細工して食えるようにする方法も教えてくださっただろう。そういうところを教えてもらって来いよおまえはよぉ」

 「蒟蒻づくりはやってみましたがうまくいきませんでした。また来年やります」

 「そういうことじゃない……いや、そういうことか、うんうん」

 国盛は頷く。肌が焼けているのでわからないが、少し血色がよくなったかも知れない。

 「そうだ。そうやっていろいろと中橋様から教えていただいて、村に持って帰るのだぞ。そうやってこそ村の暮らしがよくなるのだからな」

 国盛がなめらかに早口で言った。

 「はい」

 で、安総のそのさっきからと同じような返事ですこしつんのめったようになる。

 「父上」

 安総が背筋を伸ばしたさっきの姿のままで言った。

 「何だ、あらたまって。何か大事でもあったのか?」

 「はい」

 安総は姿形を変えないでたんたんと口にした。

 「じつは、昨夜、男に夜這(よば)いを受けまして」

 「ぐふっ!」

 国盛が大きく身を揺らし、もう少しで火鉢をひっくり返すところだった。

 「おっ……お総っ! おまえは仮にも尼だぞっ! てっ、……寺に夜這いとはふっ、不届きなっ! 不届きにもほどがある! な、お、お、おまえ、つくりごとだろう? な、つくりごとだな」

 「はい、つくりごとです」

 「おお、そうか。つくりごとか。つくりごとか……ってそんなややっこしいつくりごとを口にするんじゃないよッ!」

 国盛は、最初のほうは安堵の笑みを漏らしていながら、最後のほうは大声で叱りつけていた。で、安総の返事が
「はい」

 で、さもふしぎそうに
「ややこしいですか?」
とつけ加える。国盛は音を立てて大きく息をついた。

 「ややこしいんだよぉおまえは。だいたい尼がそうかんたんにつくりごとを話してもいいものなのか?」

 「方便です」

 「おまえ……」

 国盛は言い返すことばがわからないようだった。

 「で? その方便のほかに何かあるのか?」

 「はい」

 安総はまばたきした。横から灯火で照らされて、長い睫毛(まつげ)の美しい曲がり具合が見える。

 父親は慌てて目を伏せる。

 「川上村の大人衆には庫裡にお泊まりいただいて、何か変わりがないか、何か不便を感じておられないか、お伺いしてこいと中橋様に言われ参りました」

 「なんだそんなことか」

 国盛は軽く短く言う。やっと機嫌が(うる)わしくなってきたようだ。

 「べつに村の者は不便は感じておらぬよ。それに明日の朝の寄合では何の異論も出ぬだろう。逗留(とうりゅう)も明日の朝までだな」

 言って、国盛は首を後ろに回して、天井を仰ぎ、大きな鼻の穴を広げて大きく息を吸いこんだ。

 「それよりな、おい、お総」

 「はい」

 国盛は手を上げて安総を手招きする。

 安総は器用に床の上を膝を滑らせて父親に近寄る。

 国盛は声を小さくした。

 「あの娘な、ほんとうにあの広沢のお美那なのか?」

 「わかりません」

 安総の返事は冷たい。国盛は苛立って頬のあたりを盛り上がらせた。

 「中橋様はどう言っておられる」

 「何とも」

 安総の答えに国盛は舌打ちし、何か言おうとした。だがその前に安総がつづける。

 「ただ」

 「ただ何だ?」

 国盛が早口で促した。

 「その娘だとしたら、どうして今頃になって村を訪れたのだろうと(いぶか)っておられました」

 「それは……」

 国盛も答えに詰まる。

 「それはよぉ、いろいろ考えられるじゃないか。そろそろ独り立ちできそうな年ごろでよぉ、だから店も遠出させる決意ができたとか」

 「はい」

 安総は小さく頷く。

 「しかし、では何をしにいらしたのでしょう?」

 「そっ、それは……」

 国盛はすばやく考えをつづけているようだった。

 「それは、あれだ。生まれた村を見たくなったんだ。それはそうだろう、それはそうだろうって」

 国盛は、言い終わって少ししてから、ほっほと笑い声を漏らして見せた。でも笑い声はそれだけで終わる。

 「はい」

 安総はつづけた。ほんの少し頭を前に傾けて、父に目をやった。

 「じつは、私、あの美那様を、寄合のあとに、勝吉(かつよし)様と木美(きみ)様のお墓にご案内しました」

 「何と!」

 果たして国盛は身を乗り出した。

 「で、で、どうだった? どうだったンだ?」

 「はい」

 安総はほんの少しだけ早口になっている。

 「数珠(じゅず)を握り、目を閉じ、涙を流しておられました。嗚咽(おえつ)も漏らされ、しばらくお立ちになれぬご様子でした」

 「つくりごとではあるまいな?」

 「つくりごとではありません」

 「方便でもないんだな?」

 「方便でもありません」

 娘の答えはきっぱりしていた。国盛は身を退かせると、顔を伏せるようにして
「うーん」
と唸り声を上げる。

 しばらくしてから、こんどは安総のほうから問うた。

 「村人の方がたのお考えはどうなのでしょう? 村のかたには以前の広沢の美那様をご存じのかたがいらっしゃるはず」

 「うん」

 父の返事はあまり歯切れがよくない。

 「それだが、あの席は暗かったのでな。それに娘としてはいちばん変わる年ごろだ。だってそうじゃないか、お総、おまえだって小さくてよ、ころころ転げ回るような娘で、大声で笑う娘だったのがよ」

 「わたしのことではありません」

 父親の思い出話だか何だかを安総は即座に(ふさ)いでしまう。

 「そのお美那様のことです」

 国盛はつまらなそうな顔をして口をとんがらせ、不平そうに安総を横目で見た。でも安総は軽く口を閉じたままでいる。国盛はしかたなさそうにことばを継いだ。

 「つまり……要するに、それはわからないんだ。明るいところでまた会えばわかるんだろうけどな」

 「わかりました」

 安総は頷いて、もとのように口を一文字に結んだ。で、また膝を滑らせるようにしてもとの場所に戻る。わざわざ戻ってから
「父上」
と呼びかけた。

 「もうひとつ、中橋様から父上に尋ねてきてほしいと言われていることがあります」

 「おぅ、何だ?」

 「広沢の家の毬のことはどうなさるおつもりか、ということです」

 「どうするつもりも何も……」

 国盛は苦りきった。

 「柿原の連中がどこかに隠して難癖(なんくせ)をつけているのだろう? そのうち引っぱり出してきて身代金でも取るつもりかも知れぬさ」

 「しかし」

 安総がすかさず言い返した。

 「村西様たちがついているのに、人質に広沢家の娘を選ぶとは納得がいかないと中橋様はおっしゃっています」

 「納得がいかない?」

 国盛は安総からわざと身を遠ざけるように(からだ)を反らした。

 「なぜだ?」

 「広沢の家には身代金を払えるほどの財はありません。それに村の者は広沢の娘のためにそんなに高い身代金を払いはしないでしょう。柿原の手の者たちはともかく、村西様たちは村の事情をよくわかっておいでのはずです。また、美千(みち)様のところにふく様がおられるというのに、その従妹にあたるわざわざ広沢の娘を捕えるでしょうか? 美千様が反対されたら謀りごとが漏れてしまうではないかと」

 「というのはどういうことだ?」

 安総の説明に国盛が問い返す。

 「毬はほんとうに神隠しにでも()ったというのか」

 「わかりません」

 安総は小さく首を振った。

 「だから、何かわかるまでお動きにならないのか、それとも毬を探し出すために、村として何か手を打たれるのか、それをお聴きしたいということです」

 「おまえな」

 国盛は太く息をついて顔を上げた。(いや)そうに言う。

 「いま、こんなときに村の者たちが広沢の娘のためにどれだけ動くか、考えないでもわかるだろう? 少なくとも借銭借米のことが片づいてからだ」

 「しかし、もし、柿原党が隠しているのなら、借銭借米の件が片づいたら連れて帰ってしまうことでしょう。それでは遅いのではありませんか?」

 「うるさんいだよもぅ!」

 国盛は捨てばちになって(わめ)いた。

 「おれが治部様のご遺訓を守って広沢の家の者を守るのにどれだけ気をつかっているかおまえわかってるだろう?」

 「はい」

 「はいじゃないんだよもう!」

 国盛は顔をしかめて見せた。

 「中橋様にはご懸念は十分にわかり申したと伝えろ」

 「はい」

 安総は小さく頷いた。

 「それでは、中橋様のところに戻ります」

 「おお」

 国盛は無愛想に言った。

 安総が立ち上がっても国盛は娘のほうを見ようとしない。

 火鉢に寄りかかって、目を床のほうへ泳がせている。

 「お休みなさい」

 安総が自分のほうを向いてそう言って部屋を出ようとしたとき、ようやく国盛は安総を振り向いた。

 「なあ、総」

 「はい?」

 安総は目をぱっちりさせた。国盛はその安総のほうを向いて顔を上げる。

 「おまえ、帰ってくるんだよな?」

 「はい?」

 でまた目をぱっちりさせる。

 「いや、つまり、いまは尼をやっているけれど、いつかはおれの家に帰ってきてくれるんだよな?」

 国盛は食い入るように安総の目を見ている。

 安総は目を細めて父親のほうを見返し、何も言わない。国盛はますます安心がつかなくなったように早口になった。

 「いや、嫁に行くのはいいんだ。川中でも森沢でもどこへでも行けばいい。なんなら郷の外に行ってもいいよ。けれどこのままずっと尼でいて、おれのわからないところに行ってしまうなんてことはないんだよな?」

 訴えかけるようで、何か懸命に請い求めるようだった。

 安総は口の端を弛めた。頬も弛めた。

 口を少し開いて、笑った。ほかのだれかならば微かに笑ったことにしかならないのだろうけれど、安総にしてはたぶんいっぱい笑ったのだ。

 そして、何も答えずに、ただ
「おやすみなさい」
と声をかけて部屋を出た。

 国盛は少し安心したようにうんうんと頷いた。だが、安総が去ってから慌ててばたばたと敷居のところまで行く。

 「おい総っ!」

 安総が足を止めて振り向く。その安総に、国盛は、安総がいま向かっているのとは反対の方向を指で指さした。

 「こっちのいちばん端の部屋には行くなよ! やつらの部屋だから!」

 安総が首を少し傾げた。国盛は苛立(いらだ)たしげに口をぱくぱくさせて合図する。

 「おまえまで(かどわ)かされてはかなわんからな。な。おまえは自分で思っているよりずっとかわいいんだからな、気をつけろよ、な、な!」

 安総は、さっきと違って、安総にしても微かに笑いながら、頷いた。

 で、国盛は、その安総が廊下を歩いていく姿を、ときどき、うんうん、うんうんと頷きながら、いつまでも見送っている。


 「その広沢の勝吉(かつよし)さんの夫婦がなぜ殺されたかというと、巣山の兵に通じていると疑われた、そんな噂を立てられたからだ」

 森沢荒之助(あらのすけ)が言う。それを裏書きするように灯芯がひとつぼんとはぜて音を立てた。

 「あの義挙――義挙でも乱でも何でもいいが――あの義挙がどんなふうに終わったかはご存じだろうか」

 「わたしの知っているところでは」

 藤野の美那が答える。

 「牧野の兵と港の兵が玉井の城館を囲んでいるところを、巣山から白麦(しらむぎ)峠を越えてきた柴山兵部少輔(ひょうぶのしょうゆう)の兵が襲いかかって、逃げる間もなく」

 「おかしいとは思わないか?」

 荒之助が薄笑いを浮かべて問う。

 「どうして後ろを()かれることを用心しなかったのだ? いくさは初めての棟梁(とうりょう)ならばともかく、何度かいくさを経ていれば、それぐらい用心するものだろう? じっさい、あの義挙のとき、柿原の兵は一兵も参陣できなかった。わが森沢の兵が柏原(かしはら)峠を固めていたからな」

 「ということは、柴山勢が入って来れたのは巣山への街道筋を固めていなかったから――ということ?」

 藤野の美那が答えてみる。

 「そう」

 荒之助は頷いた。

 「なぜだと思う?」

 「わからないな」

 隆文が答えた。

 「何か町の者が知らないような事情があるっていうのなら、それを教えてほしいものだ」

 「うん」

 荒之助はもういちど頷いた。

 「かんたんに言うと、伯父上は柴山兵部を味方だと思っておられたということだ」

 「そんなことが!」

 美那も口を開きかけたが、まず大仰に驚いたのは隆文だった。

 「柴山兵部少輔は、民部大輔(みんぶのたいゆう)正勝(まさかつ)公が亡くなったあと、玉井を攻めようとして、信千代丸(のぶちよまる)様に撃ち返された。当然、春野家の味方であるはずがない」

 「普通はそう考えるだろうな」

 荒之助は深くため息をついた。

 「わたしは詳しいことは知らないが、いっしょに戦いに出た村人衆にきいたところでは、港の織部正(おりべのしょう(かみ))様もそのようなご意見だったそうだ。だが、伯父上はその見かたを(しりぞ)けられた」

 「どうしてなのです?」

 美那が問う。さわが一つまばたきした。

 「まず、伯父上は越後守(えちごのかみ)様と柿原勢さえ撃ち退ければ春野家は守り抜けると考えていた。それから」

 荒之助は眉間(みけん)に縦に皺を寄せた。

 「伯父上は巣山への見かたが甘かった。なぜかはわからない。伯父上は若いころに放蕩(ほうとう)を重ねられてな、そのとき巣山におられたことがあるという話もある。また、伯父上の母君が巣山のご出身ではないかという話もあるが、いまとなっては確かめようがない。また、時豊(ときとよ)公にも敬服しておられた」

 「しかし、時豊公といえば」

 隆文が異を唱えた。

 「治部様が正興公の覇業(はぎょう)を助けて三郡の平定に乗り出されたとき、やっぱり城館を囲んでその覇業に逆らったお方であろう?」

 「伯父上はいつも言っておられた」

 荒之助は眉間に皺を寄せた上に口をすぼめて顔を上げた。

 「巣山の兵が玉井に攻め寄せるのは、巣山が貧しいところで、食うにも困るところだからだと。だから、ただ巣山の兵が攻め寄せ、玉井の兵がそれを撃ち退けるだけでは、いくさがいつまで経っても()むことはないと」

 「ああ」

 さわが声を上げた。

 「それでその広沢三家とか、そういう人たちを自分の村に招いたんだ!」

 「そういうことだ」

 荒之助は頷いた。

 「だから、村井峠のいくさの一件でも、伯父上はあれは兵部少輔の若気のいたりというぐらいに考えておられた。じっさい、正稔(まさとし)様に兵部少輔を許すように申し入れたのは伯父上だからな」

 「それで!」

 美那が何か言おうとして、急にことばを切る。

 「あ、いや、正稔様は将来は兵部少輔様を将来いっしょに三郡を担うお方と考え、けっして(かたき)とは考えておられたという話をきいたことがありますが」

 「そんな考えを吹きこんだのは伯父上だろう」

 荒之助はようやく渋面を解いて微笑した。

 「ともかく伯父上は春野家重臣衆のなかではいちばんの巣山贔屓(びいき)、柴山贔屓でいらしたからな。とくに正勝公とは何度も言い争いされたそうだ」

 「正勝公と?」

 美那が問う。

 「ああ。正勝公というお方はともかく名分が立たぬことはお嫌いな方だった。三郡平定のときの争いがあったので、柴山家には最後まで心を許しておられなかった。それに巣山は年貢の未進(みしん)が多い。それを苦々しく思っておられたようだ。伯父上は、その正勝公に、巣山では米も満足に穫れないのに年貢の未進を減らすことなど無理で、年貢の割り当てがおかしいのだと何度も議論を持ちかけておられたようだ。だから」

 荒之助は急に吐き捨てるような言いかたになる。

 「兵部少輔が――あの小倅(こせがれ)があんなふうに裏切るとはいちども思っておられなかったことであろう」

 「そのあたりの事情はだいたいわかった」

 隆文が調子を落ち着かせて問うた。

 「それが、その、この美那ではない、この村の美那という娘の命運とどう関わるのだ?」

 「だから」
と荒之助は荒い声のままにつづける。

 「村の者は最初から巣山の人らを嫌っているところがあった。ことにあの勝吉様は伯父上の近習(きんじゅう)に取り立てられていたから、村の者たちから(ねた)まれてもいたのだろう。そこに兵部少輔のあの裏切りだ。村の者たちはことの仔細を知らないから、あれほどの勢いで越後守勢を打ち破った伯父上がなぜ易々と裏切りに遭い、芹丸(せりまる)様もろとも殺されることになったかがわからなかった。芹丸様がな、また朗らかでだれとでも話をなさる方で、村の者たちに好かれていたからな、そのこともあっただろう」

 「それで、その勝吉様って方が巣山に事情を知らせ、柴山勢を呼び寄せたと……」

 「まあそうだ。そういう疑いの念があったところへ、柴山勢が村に攻め寄せてくるという噂が流れて、何人かの村人衆が城館に乱入して勝吉様たちを殺してしまった」

 「なるほどな」

 隆文はため息を交えて言う。荒之助はそのことばを抑えるようにしてつづけた。

 「牧野の村人衆は治部様の館に火をかけたのは越後守がそう命じたからだと言っているようだが、ほんとうのところはわからぬ。わたしはいまでもこのときに過って燃やしてしまったのではないかとときどき考える」

 「考えるって……いたんじゃないのか、そのとき、村に?」

 隆文が(いぶか)る。荒之助はまた気分の優れなさそうな顔になって、首を振った。

 「父上が傷を負われて森沢の館におられた。だからわたしはずっと森沢にいた」

 「うん?」

 隆文がさらに訝しげに声を上げた。

 「しかし、森沢判官様は、柴山勢が乱暴をきわめる玉井の町に攻め入り、できるかぎり味方の兵を救い出し、傷ひとつ負わずに牧野森沢まで連れて帰ったということで、あの合戦の美談になっているがな」

 「そういうことにしたのですよ」

 荒之助は少し苛立たしげに言った。

 「父上はほんとうは立ってもいられないほどの傷を負っておられた。しかし、自分が重傷だと城館に知れると、牧野・森沢が攻められるかも知れぬということで、わざと傷ひとつなく帰還したと言いふらしたのだ。だから……」

 荒之助はことばを詰めた。

 灯明からは(すす)を黒く立ち上げながら高く炎が立ち上がり、その炎が荒之助の顔を容赦なく照らす。

 左側の――美那たち一行に近い側の灯明のろうそくが尽きようとしているのだ。

 さわが何も言わずに立ち上がった。床に転がしてあったろうそくの一本を手に執ると、そのろうそくの火を移し、芯が燃えるまでしばらく待つ。火が巧く灯ると、さわはもとのろうそくの火が消えないうちに上から押しつけて新しいろうそくを立てた。

 さわがもとの場所に戻って腰を下ろすまで、荒之助はことばを待つ。

 「父上が亡くなったのはほんとうはあの乱後すぐなのだ。ただ、杉山左馬允(さまのじょう)様が伯父上の軽挙(けいきょ)に反対されてな、戦いに加わられなかったので、いくさのあと、越後守が評定衆を置いたときにその評定衆仲間に加わられた。その杉山左馬允様が、二年間、()を秘してくださったのだ。たぶん浅梨左兵衛(さひょうえ)殿もご存じではないかと思う」

 隆文も美那も、自分たちがその浅梨左兵衛尉(さひょうえのじょう)治繁(はるしげ)の弟子だということは話していない。

 「何にしても、それでわたしはずっと森沢にいた。だからわたしがこのことを知ったのは森沢の村人の噂を聞いてからだ。そして、そのときには」

 荒之助はことばを切り、さわと隆文と美那とに順番に目を留めた。

 「勝吉殿、木美殿は殺され、愛娘(まなむすめ)のお美那は行き方知れず――おおかた村の者が火をかけたときに巻きこまれたのだろう」

 だとすれば、昨日、日が暮れて三人で歩き回ったあの場所のどこかに、その不幸せな娘の骨も埋もれているのだ。

 たぶん、焼けこげた炭にまみれて。

 そして、その下には、いまその妹が息を潜めて隠れている。

 荒之助は、顔を上に向けて目を細めた。

 「おまえたちの言うところだと、村の者たちはそちらのお美那様を広沢の美那かと疑っているとのことだが」

 で、少しだけ笑う。

 「わたしも疑ったわけだが……。おおかた、いつかその娘が親の仇を討ちに帰ってくるとでも恐れているのだろう」

 「心配してるんじゃなくて?」

 そう問うたのはさわだ。

 「このお寺の尼さん、このお美那ちゃんをそのお美那ちゃんとまちがえてその人たちのお墓に連れて行ってくれて、いっしょに拝んでくれたよ」

 「このお寺の尼さんって?」

 荒之助は笑顔になった。それは、これまで見せてきた、何かほかの(かお)の上に被せたような笑顔ではなく、裏に何もない笑顔のように思えた。

 「(ふさ)――いや安総(あんそう)のことだな。あれはいい娘だ。そんなへんな勘ぐりはしないだろう。いや、あのいくさに兵として出ていない、そちらと同じぐらいの年ごろの村人には、そういう事情を知らず、ただそのお美那をただ不愍(ふびん)に思っている者もいるのではないかな」

 「で?」

 隆文があらたまって声をかけた。

 「そろそろ教えてもらえまいか?」

 「何をだ?」

 「そちらがこんなところで何をしておられるのかをだ」

― つづく ―