夢の城

― 登場人物 ―


桜の里(六)
― 4. ―

主要登場人物

藤野(ふじの)美那(みな)
 玉井の市場町に住む少女。十六歳(数え年、他の登場人物も同じ)。事情があって、市場の老舗の葛餅屋「藤野屋」に預けられ、育てられている。徳政(債権放棄令)に名を借りた柿原党の策略から同門の銭屋の元資(もとすけ)を救うために、浅梨治繁の門下の兄弟子の隆文と、銭屋で働く娘さわといっしょに、牧野郷に借銭の取り立てに来ている[何をなすべきか(二)]。「広沢の美那」とは別人だが(少なくとも本人はそう言っている[桜の里(六)2.])、村人にはその広沢の美那ではないかと疑われている。
川上国盛(くにもり)木工(もく)
 牧野郷川上村の村長。牧野・森沢両郷合同の寄合に参加するため、隣村の川中村に来て、川中村の寺 明徳教寺(めいとくきょうじ) に泊まっている。
安総(あんそう)(安総尼)
 国盛の娘。出家して尼になり、川中村の明徳教寺に住む中橋渉江(しょうこう)に仕えている。丸顔で目のぱっちりした若い娘。ここに来る前に、中橋渉江と「人の性は善か悪か」という問答をしていた[桜の里(六)2.]
森沢荒之助(あらのすけ)
 森沢の郷名主の跡継ぎの青年。藤野の美那たちが泊まっている明徳教寺のお堂「僧坊」の中央の間になぜか一人でこもっていた。本人は「囚われている」などとうそぶき、美那・さわ・隆文に対してあまり友好的な態度を取らなかったが、しだいに打ち解けてきている[桜の里(六)3.]
(銭屋の)さわ
 市場の娘。市場の銭屋で働いている。駒鳥屋のあざみ、宿屋のさと、鋳物屋のみやなどと友だち。藤野の美那、鍋屋の隆文といっしょに借銭の取り立てに来た。
鍋屋の隆文(たかふみ)上総掾(かずさのじょう)
 市場の鍋屋で働いている。美那や元資とともに浅梨治繁に剣を習っており、現在の弟子のなかでは一番上である。藤野の美那とは意地を張り合うことが多い。現在は銭屋の使者三人のリーダー格になっている。この場に来ていきなり「上総掾」などと名のりだした[桜の里(六)3.]

話題としてのみ登場する人物

中橋渉江(しょうこう)
 川中村に住む儒者。僧侶ではないようだが、明徳教寺の住職役を務め、寺に住みこんでいる。牧野・森沢二郷の人びとの信望が厚く、街の銭屋に借銭を返すかどうかを議論する合同の寄合で司会を務めていた[桜の里(五)1.]
広沢の美那、広沢の上の家の〜
 以前、牧野郷にいた少女。現在は行方不明で、死んだとも言われる。広沢の上の家の(まり)の実姉だが、少なくとも毬が物心ついてからはいっしょに暮らしてはいなかったらしい[桜の里(六)1.]
勝吉(かつよし)木美(きみ)、広沢の上の家の〜
 広沢の上の家の美那・毬の両親[桜の里(六)1.]。二人が殺された事情は本章で森沢荒之助によって明かされる。
(まり)、広沢の上の家の〜
 「広沢三家」の一つ「上の家」の女の子。「広沢の中の家」の葛太郎(かつたろう)(まゆ)と同居している。現在、牧野家の屋敷跡の「義倉」に身を隠していて、牧野興治(おきはる)の夢を見て目が覚めたばかりだ[桜の里(六)3.]。広沢三家は牧野郷では嫌われているようである。
「柿原の連中」
 ここで国盛が「柿原の連中」と呼んでいるのは、柿原党の一員として村に来た中原範大(のりひろ)と長野雅一郎(まさいちろう)のこと。柿原党は、守護代(守護大名)春野定範(さだのり)の正妻の父 柿原大和守(やまとのかみ)忠佑(ただすけ) の率いる金融集団で、町の銭屋とはライバル関係にあり、強引な取り立てで恐れられているようだ[何をなすべきか(一)上]
「村西様たち」
 村西兵庫助(ひょうごのすけ)、大木戸九兵衛(くへえ)、井田小多右衛門(こだえもん)の三人で、柿原党への反発が強い牧野郷のなかで、町の銭屋からの取り立てを逃れるために柿原党と手を組んでいる。
美千(みち)
 村西兵庫助の妻。夫の兵庫助より高い身分の出身だともいう。
ふく、広沢の下の家の〜
 広沢三家の一つの出身で、上の家の毬とも知り合いのようだ[桜の里(六)1.]。現在は美千に仕えている。
牧野興治(おきはる)治部大輔(じぶのたいゆう)、「治部様」
 牧野郷の郷名主だった人物。玉井春野家の初代正興(まさおき)のころからの臣下である。定範が正稔を捕らえて島流しにし、三郡守護代の地位を奪ったのに抗して挙兵し(「牧野の乱」または「義挙」)、定範を追いつめたが、巣山から来た柴山勢に敗れて処刑された。牧野郷の村人たちには現在でも慕われている。その妹が森沢為順の妻で、荒之助の母である。したがって荒之助からは母方の伯父にあたる。広沢三家のものを差別してはいけないという「遺訓」を残したらしい[桜の里(二)下]
柴山康豊(やすとよ)兵部少輔(ひょうぶのしょうゆう)
 若くして巣山郡代官を務める青年。先に玉井三郡守護代で玉井春野家二代目の正勝(まさかつ)が亡くなった直後に玉井郡に侵攻したが、同年代の春野家の後継者 正稔(まさとし) に村井峠の一戦で撃退された。その正稔が、現守護代の定範(さだのり)に捉えられ、「牧野の乱」が勃発すると、ふたたび巣山から兵を出して介入し、乱の鎮圧に大きな役割を果たした。時豊は祖父に当たる。
柿原氏
 竹井郡柿原郷に本拠を置く地方豪族。柿原大和守(やまとのかみ)忠佑(ただすけ)が守護代春野定範(さだのり)の正妻の父になって、権勢を伸ばした。金融集団「柿原党」の統率者でもある。その息子は主計頭(かずえのかみ)範忠(のりただ)
信千代丸(のぶちよまる)、春野正稔(まさとし)民部少輔(みんぶのしょうゆう)
 春野正勝(まさかつ)の息子で、現守護代の定範の甥にあたる。正勝が亡くなった後、元服してその地位を継ぎ、攻め寄せた柴山康豊軍を村井峠の戦いで撃退したが、その後、定範に捕らえられて島流しにされ、守護代の地位を奪われた。信千代丸はその幼名。
春野正勝(まさかつ)民部大輔(みんぶのたいゆう)
 玉井春野家の二代目。正稔(信千代丸)の父、定範の兄にあたる。
「港の織部正(おりべのしょう(かみ))様」、桧山興孝(おきたか)
 港の名主で、牧野の乱(義挙)に参加し、捕らえられて殺された。現在、港の名主の地位はその遺子の桃丸が嗣いでいる。桃丸は藤野の美那とも親しい。
越後守(えちごかみ)、春野定範(さだのり)
 現在の玉井三郡守護代(守護大名)。兄の正勝の死後、正稔(信千代丸)を捕らえ、追放して守護代の地位を奪った。この行動に反対して「牧野の乱」が勃発した。
春野正興(まさおき)民部大輔(みんぶのたいゆう)
 玉井春野家初代。京都に住んでいたが、自分の領地だった玉井三郡(玉井、竹井、巣山)から年貢が上がってこなくなったため、みずから領地を平定するために三郡にやってきた。柴山時豊などの抵抗にあったが、浅梨治繁、杉山信惟、牧野興治、桧山興孝、森沢為順らの支援で三郡平定に成功する。
柴山時豊(ときとよ)兵部大輔(ひょうぶのたいゆう)
 柴山康豊の祖父。巣山の豪族。「大兵部」ともいう。玉井春野家初代の正興(まさおき)が三郡に来たとき、その三郡支配に頑強に抵抗した人物である。正興を攻め滅ぼすことができず、その正興の臣下として巣山代官を委ねられた。あんがい穏和な人物だったともいう[桜の里(四)下]
牧野芹丸(せりまる)
 牧野治部大輔(じぶのたいゆう)興治(おきはる)の息子で、「牧野の乱」で処刑された。
森沢為順(ためより)判官(はんがん)
 森沢郷の郷名主だった人物。荒之助の父である。「牧野の乱」に参加し、すでに亡くなっている。
浅梨(あさり)治繁(はるしげ)左兵衛尉(さひょうえのじょう)
 藤野の美那と隆文の剣術の師匠。非常に荒っぽい教えかたをするが剣の腕は確かである。隆文はその(現在の)いちばん上の弟子にあたる。荒之助の父 判官(はんがん)為順(ためより)とは「牧野の乱」でともに戦った同志にあたる。
杉山信惟(のぶただ)左馬允(さまのじょう)
 現在は定範のもとで評定衆(家老)を務めている。定範がおしのびで安濃(あのう)神社に詣で、藤野の美那と出会ったとき、定範に随行していた[安濃詣で(三)]。また、牧野・森沢二郷合同の寄合で、藤野の美那にかけられていた「水盗人」疑惑を払拭する文書を発給した人物でもある[桜の里(五)2.]