夢の城

清瀬 六朗


桜の里(八)

― 2. ―

 明徳教寺(めいとくきょうじ)ではまた寄合が始まっていた。

 こんどは庭などではなく、前と同じように本堂で、大人衆だけが集まって開く。

 町の銭屋からの借銭借米をどれだけ返すかは昨日の寄合で話し合って決まっていた。しかし、そのあと、義倉(ぎそう)が焼かれて、返すあてがなくなってしまった。それであらためて寄合を開いて評定(ひょうじょう)しなおすことになったのだ。

 それぞれの村の内証(ないしょう)が話に出ることもあるということで、この寄合には銭屋の使者は出ないことになった。中橋渉江(しょうこう)安総(あんそう)も寄合に出ているから、銭屋の使者が渉江の部屋に居すわるわけにはいかない。

 そこで三人は、昨日の夜を過ごした僧坊(そうぼう)の裏の間に戻ることにした。

 廊下の障子を開けるとまだ雨は降りつづいている。滴の落ちてくる軒先を見上げたとき、ふと横にだれかがいるのに気がついた。

 相手も気づいたらしい。

 「あ、(かっ)ちゃん」

 「お美那ちゃん……だったっけ?」

 葛太郎(かつたろう)はぱっと笑ってぴょんと地面に跳び下り、美那のほうに駆けてこようとした。で、あっと途中で気がついて、横に並んで座っていた(まゆ)の手を引っぱり、下に下りるのを手伝ってやる。葛太郎は繭を連れて、繭の歩くのにあわせて美那のほうに歩いてきた。

 「おう、どうした?」

 隆文が朗らかな声で呼びかける。

 「いや、(まり)がさ、そっちの間で寝かされてるからって、母ちゃんと婆ちゃんといっしょに見に来たんだ」

 「お婆ちゃんっていたっけ?」

 さわがきいた。葛太郎はかたちだけちっちゃい烏帽子(えぼし)をかぶっているが、髪の大部分は伸ばして垂らしている。首を振るたびにそのつやつやした髪の毛が肩の上を往き来するのがかわいらしい。

 「ううん、ふく姉ちゃんのところの婆ちゃん」

 「?」

 で、わからない顔をしているさわを見て、葛太郎は慌てて
「ってふく姉ちゃん知らなかったっけ?」
とつけ加える。

 こういうところに毬がいたら、たぶんすかさず葛太郎の頬を手の甲ではたくのだ。

 苦労の多い男の子ではある。

 「あの」
と葛太郎は顔を伏せて、ことばからちょっと元気を()いで、言った。

 「村西兵庫のところ、っていうより、お美千(みち)さんのところで働いてる姉ちゃんだよ――下の家の」

 「ああ、そうなんだ」

 さわが相づちを打っている。

 「で、そのお美千さんってだれだ?」

 からかうように隆文がきいている。葛太郎がしまったというように、
「あ、それは、兵庫のお嫁さん……っていうか奥さん」
と慌てて説明している。

 美那はふと「美千」という名まえはどこかで聞いたことがあるように思った。

 「みち」――道、通、美知といくつも書き字があるなかで美那は迷わず「美千」という字を思いついた。だから、たしかに聞いているのだ。

 だがどこでだったか思い出せない。市場で、昔、会った娘かも知れない。だいたい、自分の「美那」という名まえと同じで、どこにでもある名まえだ。

 だからその名まえは忘れることにした。

 「で、毬はどうなの?」

 「うん」

 葛太郎は(うなず)いて、
「体じゅう、火傷(やけど)とすり傷と切り傷で(むご)いもんだよ」

 「うん、そうだねぇ」

 さわが言う。

 「あ、そうか。姉ちゃんたち知ってるのか」

 「うん……」

 美那が答えた。

 「それより、刀で斬られそうになったりして怯えてない?」

 美那は、斬ればほんとうに人を殺せる刀で剣術の勝負を何度もやったことがある。その自分が、目のまえでさっきほんとうに人が血を流して死んだとき、そこから目を離すことができなかった。

 いきなり刀を自分に向かって振り上げられた毬が(おび)えないわけがないと美那は思う。

 葛太郎は首を振った。

 「あいつ、たぶん平気だと思う」

 で、ちょっと唇をきつくかみ合わせてから、言う。

 「母ちゃんに刃物で追い回されたこと、何回もあるから。何回かほんとに切られたこともある」

 「そんなのなんだ」

 さわが驚く。というより、美那には、さわがどんなときに驚いているのか、よくわかるようになってきた。

 さわがどんな気もちでいるのか、声とか(かお)とかからわかるようになって、それもひとつ学んだかな、と美那は思う。

 「うん」

 葛太郎はもっと低い声でこたえる。

 「まあ毬も悪いんだけどね。ほかの家に忍びこんで食べもの持ってきたり、お金盗んできたりとか、何度もやったことあったから。見つかるたびに母ちゃんが謝りに行って、泣かされて帰ってきてたもん」

 「お母さんが?」

 「そう、母ちゃんが」

 そういうことか、と美那は思う。

 「母ちゃん、嫌い」

 繭が唐突に言った。

 「おい繭っ!」

 「だって怖いんだもん。怖いことしかしないんだもん」

 美那と隆文とさわは繭を見下ろした。葛太郎に抱きとめられた繭は泣きそうになっている。

 葛太郎は申しわけなさそうに三人を見上げていた。

 美那が繭の前にすとんと腰を下ろした。

 「ねえ繭」

 「うん」

 繭はあんがいすなおに答える。美那は、繭の目をまっすぐ前から見て、ちょっと顔を前に出してことばをつづける。

 「そんなこと言うけどさ、自分を生んだお母さんってこの世のなかに一人しかいないんだよ」

 美那はふと繭のお母さんが生みの母なのかどうか確かめてから言うんだと思った。もしかすると違うかも知れない。

 ――自分は藤野屋の娘のように名のっているけれど、ほんとうはそうではないように。

 でももう間に合わない。

 「でも、いなくていい。この世に一人もいなくてもいい」

 「おいっ……」

 隆文が声を挟もうとするのをさわが止める。そしてそのさわがすとんとしゃがんで美那の横に並んだ。

 「ねえ繭ちゃん。そういうのって早くない?」

 「?」

 ああそうか、さわの理屈がすぐにわからないのは繭もいっしょか。

 ――美那はへんなところで安心している。

 「だってまだ母ちゃんと十年もおつきあいしてないでしょう?」

 「うん」

 「人と人ってね、何年もつき合ってはじめてよくわかることがあるの。ね? それまでに嫌いって言っていやがったら、好きになれる人も好きになれずにすんでしまうかもしれないよ」

 「……うん」

 「だから、そのこの世に一人しかいないお母さんとも何年もつき合ってみれば、もしかすると、よくわかるようになるかも知れないよ、お母さんのこと。せっかくそういうお母さんがすぐそばにいるのにさ、最初っから嫌いって言っていなくていいとか言ってたら、好きになれるかも知れない人を一人なくすことになるよ。もったいないよ、それって」

 「……うん」

 「じゃあ、お母さんのこと、嫌いとか言うのやめる。いいね?」

 「……」

 「嫌いじゃなくならなくてもいいんだ。嫌い、って口に出して言うのをやめる。それ、約束してくれない?」

 「……きらいじゃなくならなくてもいいの?」

 「うん。言うのをやめる。それでいいんだ」

 「……うん」

 繭はしばらく黙る。黙って考える。

 もしかすると、さわの理屈がわからなくて黙ってるのかな、と美那は思う。

 「じゃ、やくそくって、する。やくそく……する」

 「うん」

 「繭」

 葛太郎がちょっと気後れがちに声をかけた。

 「約束って、したら、破っちゃいけないんだぞ。いつまでも破っちゃ、いけないんだぞ」

 「うん」

 繭はそれまでと変わらない顔で頷いた。

 その返事を聞いてさわが立ち上がったので、美那も立ち上がった。隆文が部屋のほうに戻ろうと後ろを向きかけ、葛太郎と繭を振り返って声をかける。

 「じゃあな、葛に繭」

 「あのっ!」

 それを見て、葛太郎があわてて声をかけた。

 「なあっ!」

 「ん?」

 男どうしのよしみなのかどうかは知らないけど、隆文がそれに答える。

 「まだ何かあるのか?」

 「もうちょっと町の話を聞かせてくれよ!」

 葛太郎は、繭に(さと)していたときの少し大人びた感じとは違う、甘えたような声で訴えた。

 「おれ、いつか町行きたいんだ。いやもちろん、おれだけじゃなくて、繭も、毬も」

 「ほーう?」

 隆文が感心したようなばかにしたような声を立てたので、美那は心配した。

 ――もちろん、さわがまた隆文をつねったり足を踏んだりするんじゃないかということを。

 だが、さわは、その必死な葛太郎を見て、まばたきしただけだった。

 「だがな、葛」

 隆文が、斜めを向いたまま振り返って、教えを垂れるように言う。

 「町ってのはそんなに暮らしやすいところじゃないぞ。悪い人がいっぱいいるんだ。そして、自分の身は自分で守らなくちゃいけない。村みたいに、みんなで守ってくれるっていうのとはぜんぜん違うんだ」

 「いい人もいっぱいいるんだろ?」

 葛太郎は溜めていたことばをいちどにはじけさせるように勢いよく言った。

 「だって、姉ちゃんたち、いい人だもの。いい人もいっぱいいるんだろ?」

 「それは……」

 隆文はとまどった。

 自分が「いい人」と言われるとはまず考えてなかったのだろう。

 この男、自分の考えなかったことを言い返されると弱いな、と美那は思う。

 「葛ちゃん」

 だから美那がかわりに言った。

 「なに?」

 「大きくなったら、町に行くのはいつでもできるようになると思うよ」

 美那は
「でも……」
と言いかけて止まっている葛太郎に笑いかける。

 「あんたも繭も、それに毬も、これからいっぱい生きるんだからさ、そんなに慌てて町に行きたがらなくてもいいって思う」

 「でもっ」

 葛太郎は何かことばをのみこんだようだった。

 で、たぶん、そののみこんだのと違うことばを用意して、言う。

 「じゃあ、それはいつ行けるようになるんだ? 大きくなったらってどれぐらい待てばいいんだ? いつでもって、でもいつなんだ?」

 こんどは美那が答えに困る。さわを振り向いてみるが、さわも困ったように葛太郎を見るだけで、何も言わないらしい。

 「はっは」

 とつぜん、隆文が笑った。

 「それはずっと先かも知れないし、あんがいすぐかも知れないぞ。先のことは、たとえすぐ先のことでも、安濃(あのう)の神様に聞いてもなかなか教えてもらえることじゃない。だから、ま、楽しみにして待つんだな」

 隆文は何か上機嫌に得意そうに言う。それで葛太郎はかえって不安になっているらしい。

 「……楽しみにしていいんだな?」

 「ああ」

 隆文はなぜか上機嫌だ。

 「楽しみにしていろ。それじゃな。毬にも繭にも優しくするんだぞ」

 「うん」

 葛太郎はまだちょっと不安げだ。隆文は笑顔で葛太郎に
「じゃあな」
と声をかける。柄にもなく笑顔なんか作っているのは「いい人」なんて言われて、その気になっているのだろうか?

 「あっ、あともうひとつ」
と葛太郎はこんども少し慌て気味に声をかける。

 「何だ?」

 隆文はさっきの上機嫌をつづけて振り返る。葛太郎は繭の手を引っぱって、大きな声で言った。

 「あんたも姉ちゃんたちにやさしくするんだぞ!」

 「なにっ!」

 隆文は上機嫌顔のまま顎がはずれたようになって、動きを止めた。

 だがそれは一瞬のことだった。隆文は笑った。

 「おおっ、約束するぞ」

 「繭、行こう」

 隆文の約束を確かめて、葛太郎は繭といっしょに毬が寝ている部屋に戻っていく。

 いっぽうの隆文は、美那とさわからいっせいに目を注がれて、両方から目をそらした。

 しばらくして目をもとに戻してみると、美那もさわも、何かおもしろそうな顔でやっぱり隆文を見上げているので、また目をそらす。

 「約束ってしたら破っちゃいけないんだぞ」

 美那がその逃げた隆文の目を追って愉しそうに言う。さわも倣って
「そうだぞ。それに、いつまでも破っちゃいけないんだぞ」
と言う。隆文は目を合わせないように逃がすことしかできない。

 「うるさいんだよもう!」

 隆文は一転して泣きそうな声を立てた。

 「おまえらこそもうちょっと優しくしろよ、ほんとにもぅ……」

 ――こちらも何かと苦労の多い男である。


 同じころ、中原郷の中原村でも五人の村人が寄り合っていた。五人は、旧家や、わりと大きな田畑や屋敷を持っている家の主人たちである。

 名主の中原克富は最初から呼ばれていない。

 村人たちが集まっているのは、立岡(たつおか)府生(ふしょう)拓実(ひろざね)の屋敷だ。持仏堂(じぶつどう)のなかに村人らが集まっている。

 寺ではなくて屋敷地の奥に建てられたお堂は狭い。雨が降っていることもあって中も暗く、じめじめしていた。

 「でも、そんなことをしたらかえって話がややこしくならないかねぇ?」

 声を立てたのは山端(やまばた)左近次郎(さこんじろう)だ。ここに集まっている村人のなかでは年上のほうだ。

 「だいたい、村の者が顔を揃えて何を言っても、名主様に通じるとは思えませんけどね」

 「しかし手順は守らなければいけないと思う」

 立岡府生拓実が答えた。

 「まず、名主様に揃って言上し、それで聞き入れてもらえなければ城館(しろやかた)に訴える。いきなり城館に訴えても退けられるだろうし、そうなったら、一揆(いっき)逃散(ちょうさん)のような手しかなくなる。順序を積み重ねたと言い張れば、城館にだって通じる」

 「しかしなぁ」

 山端左近次郎より年上の池渕(いけぶち)外記(げき)五郎が高い声で口をはさんだ。

 この外記五郎は、引退した拓実の父とほとんど同じ年ごろだ。

 「城館に口を出させるのはそれはそれで考えものでなぁ」

 ほかの村人たちの目がいっせいに外記五郎のほうに向く。外記五郎はわざと難しいような顔をした。

 「ほら、城館とは言うが、ほんとのところはあの柿原大和入道が牛耳(じゅうじ)を執っとるんだろう? あの入道のことだ。またそれを借銭のネタにしたり、いや、それどころか、村の言うことを聞くから段銭(たんせん)支払えとか、そういうことを言ってくるぞ。そうなれば、ほら、どうなる? あの(かつ)のやつから守った妻御・娘御をこんどは柿原にとられることになるぞ。柿原は妙齢(みょうれい)の女から引っぱっていくからな」

 「どっちにしても、年ごろの女には生きにくい村だ」

 左近次郎がため息まじりに言う。

 「いままで投げ出しておいたのが悔やまれる。われらもどこの村もこんなものだろうと思って過ごしてきたが、府生様に声をかけていただいて、もっと早くに手を打っておくべきだったと思った」

 「いまそんなことを話しても始まらぬ」

 外記五郎が口をはさむ。

 「で、先の話、どうなのです?」

 「ご懸念(けねん)はごもっとも」

 拓実は眉を寄せて答えた。

 「だが、城館には評定衆(ひょうじょうしゅう)もいて、評定衆の決めたことならば、柿原大和はもちろん、越後守(えちごのかみ)様でも覆すのは難しいという」

 「そういうたてまえにはなっているがな」

 左近次郎が言った。

 「あの評定衆というやつは、牧野の乱をなんとか収めたあと、定範(さだのり)が作り上げたしろものでなぁ。ほら、とにかく、牧野をはじめとして、港の桧山とか、浅梨とか、力のある連中がぜんぶ敵に回ってしまったから、あわてて(こしらえ)えたものでなぁ、杉山左馬允(さまのじょう)様をのぞけば、まあ郷名主にはもちろん、村の名主にもなれぬようなどうでもいいような連中を集めただけのものだ。頼るに値せず――ってやつじゃないのか」

 「城館への訴えなどこれまでやったことがありませんからね」

 拓実も自分の説にさほどの自信があるようでもなかった。

 「いっそのことさ」

 村尾右門(うもん)が言う。拓実より少し上の若い村人だ。

 「あのひとに死んでもらったほうがよくはないか?」

 「うん?」

 ほかの村人らがいっせいに頭を上げる。右門はつづけた。

 「いや、べつに殺すって話をしてるんじゃない。そろそろ春だからな、山にでも酒を飲みに行って、あのひとを酔わせて置いて帰るんだ。たぶん一人じゃ帰ってこられないよ」

 「あのなあ」

 坂口古左兵衛(こさへえ)がうんざりして言った。右門や拓実よりも若い侍で、街道口の家に住んでいる。妹のはるがこのまえ名主に(はら)まされ、男の子を産んだばかりだ。

 「仮にもここの立岡家の――この府生の伯父だぞ? そんなことしたら大奥様がどんなに悲しまれるか」

 「しかしだなぁ」

 右門がつづけようとするのを抑えて、古左兵衛が
「ともかく名主様に自ら村を立ち去っていただくということにしないといろいろ難しいわけだ。だから村人みんなでまず申し上げるというところから始めないと」

 「おまえはるが孕まされておいてよくそういうのが言えるなぁ」

 右門が詰るように言うと、古左兵衛も
「おまえだってひと月のあいだに二人の娘の伯父になりやがって」
と言い返す。

 「まあまあそのへんでやめろ」

 いちばん年上の池渕外記五郎が笑って割って入った。

 「それより、雅のやつは入れなくていいのか?」

 「いいよあんなの」

 右門が低い声で吐き捨てるように言う。

 「ずっとあの克さんの言うことを二つ返事で聞いてきただけの男じゃないか。春先には(せき)んとこで町娘と揉める、それに榎谷(えのきだに)の娘にまで喧嘩売ったそうじゃないか。いまだってほら」

 右門はぞんざいに顎をしゃくってみせる。

 「柿原なんかの手に乗せられて牧野に行ってるわけだしさ」

 「そういえば、一昨日の夜、牧野から来たじゃないか、使者っていうのが」

 古左兵衛が口をはさむ。

 「そんな使者が来たってことは雅さんが何かまずいことをやったんじゃないか?」

 「夜中の使者だ」

 年上の山端左近次郎があまり気が進まなさそうに言い返す。

 「べつに会う義理はない」

 「いやかりにそうでもさ」

 古左兵衛が答えた。

 「名主が夜這(よば)いに出ていて不在でした、っていうのはどうにもかっこうつかないよ」

 「だから村に入れないで帰ってもらったんだ。使者には気づかれておらんよ」

 外記五郎がうるさそうに言い返した。

 「まあ雅さんもなぁ、これまで克に取り入ってきたから公田(こうでん)の役を免じてもらってきたのに、今年になって公田役に当たったからってうちに不平を言いに来てなぁ、困ったよまったく」

 「うちもだよ」

 左近次郎が言うと、右門も苦い顔で、
「うちにもだ。ふだんは毛嫌いして口も聞かないくせに、安濃(あのう)様の本宮(ほんみや)様でもらってきたって酒提げてさ」

 「あれほんものなのかねぇ? 雅さんずっと自慢にしてるけど」

 外記五郎が言う。左近次郎が頭を振って、
「偽物だろう……いや、雅さん本人はほんものだと思ってるのかも知れないが、あやしげな行商人にだまされたんじゃないか?」

 「まあ酒のことはともかくとして、だ」

 まとめ役の立岡拓実が久々に口を開いた。

 「村人全部で名主様に言上(ごんじょう)するってことになれば、雅さんも入れないとまずい。だが、どう声をかけるかだな」

 「あれを入れると、すぐに克に話が漏れるぞ」

 左近次郎が言った。

 「雅もまじめなやつなんだが、どうもまじめのまじめになり方がまちがってる気がするんだなぁ」

 「そうだな」

 「そう、そうだ」

 そんなことで話が行き詰まる。

― つづく ―