夢の城

清瀬 六朗


仕事の話(一)

― 中 ―

 市場町の下方――玉井川に近い側の板井山沿いに福聚(ふくじゅ)院がある。

 玉井春野家初代の正興(まさおき)公の時代に、市場町の商人が金を出し合い、世親寺(せいしん)の分院を市場に勧請(かんじょう)した。それがこの福聚院だ。門を入ると、本堂と薬師堂と小さな庫裡(くり)があるだけの小さな寺だった。

 本寺の世親寺が寂れてしまっていて、この福聚院もそれ相応の寂れかたはしている。無住の寺だ。けれども、市場の者たちが参詣に来たり、お堂が崩れると市場の者たちが銭や材木を出し合って修理したりするので、世親寺ほど寂れた感じはない。

 この寺の奥にある薬師堂に市場の銭屋が集まっていた。この寄合で牧野郷への取り立てについて使者に立った者たちから話を聴くことになっている。

 銭屋からは、本寺(もとでら)の元資と、(つかさ)屋の匡修(まさなが)甲子(かっし)屋の史晋(ふみみち)志多(しだ)屋の理禎(まさただ)時次(ときじ)雪次(ゆきじ)小琴(おごと)小綾(こあや)笹丞(ささのじょう)が来ていた。

 本寺の元資は世親寺の銭を預かる倉を守っている。司屋の匡修、甲子屋の史晋、志多屋の理禎は自分の店で倉を持っている銭屋だ。ここまでが倉持ち衆で、残りの時次、雪次、小琴、小綾、笹丞は自分の倉を持たずに金貸しをしている。

 倉のない銭屋は銭を倉持ちの銭屋に預けたり、倉持ちの銭屋から銭を借りてそれをまた貸ししたりしている。ここに集まっただけが市場町で金貸しの仕事をしていい者たちだ。ほかの銭屋は、市場町の衆のだれかの手下になるのでなければ市場では仕事ができない。

 この金貸し衆全部の世話役として、世親寺の得性(とくしょう)和尚もこの寄合に加わっていた。元資の父親だ。元資の店はほんとうは得性和尚の店で、得性が世親寺にいるため、店を元資が切り盛りしているのだ。得性は、歳のわりには眉の上に深い皺を刻み、四角い顎に無精髭を生やし、頭で伸びかけた髪も切らないままで、法衣は着ずに町の衆と同じような着物と袴でこの寄合に出てきていた。

 この銭屋衆に加えて、福聚寺には、牧野郷に使者として行っていた鍋屋の隆文(たかふみ)、藤野屋の美那と本寺の元資の使用人のさわも来ていた。

 銭屋衆は牧野への取り立ての首尾をきくために集まっていたのだ。

 寄合では、まず、隆文が牧野郷への使者衆を代表してその顛末(てんまつ)を語った。

 「この広沢三家というのはな、牧野治部大輔(じぶのたいゆう)様が巣山からお呼びになり、村に住みついた者たちなんだそうだ。村の者たちはその広沢三家の者たちを仲間と思うて仲よくやっていたそうだが、一部にはその広沢三家を快く思わぬ者がいたらしい」

 「そりゃまあ、そうだな。牧野と巣山の柴山じゃ(かたき)どうしだもんな」

 隆文がことばの間合いを置いたところに、志多屋の理禎が醒めたような声で言う。隆文は理禎のほうを見て軽く(うなず)いた。

 でも、あの森沢荒之助(あらのすけ)が語ってくれたのはそういう話ではなかったのではないか? 美那は思ったけれども、何も言わなかった。隆文はつづける。

 「でも、そんなことは本人たちにとっちゃ何のかかわりもないことだ。それを、巣山の出だというだけで嫌いつづけた村人がいたのだ。しかも、あの牧野様の乱では」

 「義挙と言え!」

 白髪頭に白い硬い髭を口のまわりに針山のように生やした司屋の匡修がすかさず荒い声を挟む。甲子屋の史晋がふんっと笑ったようなばかにしたような軽い声を立てた。匡修は目をむいてその史晋をにらむ。

 「ええ、まあ」

 調子を止められた隆文は(ひる)んだが、話をつづけるとすぐに調子は戻った。

 「柴山勢がその広沢三家を手先に使おうとしたんだな。もちろん広沢家の者たちはそれを拒んだ。いくら巣山の出でも自分らはもう牧野の村のものだってな。すると、柴山の連中、どうしたと思う?」

 「さあなぁ」

 小琴と小綾の姉妹は、揃って胸の前で手を組み、口を閉じるのも忘れて話に聞き入っていた。隆文は声の調子をつり上げる。

 「なんと、柴山の連中は、牧野の村人に、広沢三家の者たちを牧野様のお屋敷ごと火をかけて燃やしてしまえば許してやると言ったのだそうだ」

 「それで?」

 倉持ちでない雪次が唾を()みこんできく。

 「……それでどうなったんだ?」

 「それがさ」

 隆文は急に声の勢いを弱めた。

 「村の者たちだって命は惜しい。しかも相手の柴山勢といえば人の命をあやめることを何とも思わないやつらだ。……村の連中は、広沢三家の者たちを屋敷に呼び、何も知らずにやって来た広沢家の者たちを屋敷もろとも火をかけて殺したそうだ。それがあの牧野屋敷が焼けたほんとうのいきさつなんだそうだ」

 隆文は、今日は、烏帽子(えぼし)はかぶっていないが、いつにも増してきちんと着物を着ていたし、振る舞いも落ち着いている。

 こいつやっぱり得体の知れないやつだ――と美那は思う。

 「何とも……」

 雪次が細かくぶるぶるっと首を振った。

 「ちょっと待てよ」

 だが、雪次といっしょに仕事をしている兄貴分の時次は声を挟む。

 「牧野は敗れたとは言っても、森沢様――そう森沢判官様がおられたはずではないか! 判官様がそんな無道を許されるはずがない! それは何かのまちがいだ」

 「そうだそうだ」

 雪次がついて言う。甲子屋の史晋や志多屋の理禎も頷いた。

 隆文は悲しげに目を細めると、小さくすばやく首を振った。

 「それが柴山のずるいところでな……判官様が森沢郷にお帰りになっているときを見計らって軍勢を進めて脅したのだそうだ。判官様が急をきいて牧野にお戻りになったときにはもうすべて終わっていたのだそうだ」

 「何とまあ……」

 志多屋の理禎がことばをそこで途切れさせる。

 美那は、伏し目のまま、少しだけ顔を上げ、首をひねって隆文の向こうのさわを見た。見るとさわも美那のほうを見て、唇を少し曲げてみせる。美那は小さく首を振り、さわから目を離した。

 集まっていた銭屋衆からは、やはりこの二人も広沢三家の者たちの命運をあらためてきかされ、心ふさがる思いでうつむいたのだろうと見えただろう。

 だれもことばを立てない。隆文が調子をあらためて話を継いだ。

 「ただ、それでも、広沢三家の子どもたちは村に残ってた。牧野の村人らは、村のために死んだ広沢家の子どもらをそれはたいせつに育てたそうだ。ところが、こんどだ。柿原の手先が村にやって来たわけだ」

 「知ってるぞ」

 時次が声を上げる。

 「中原なんとかいうごろつきだろう? 親子そろって札つきのばかだってきいてるぞ」

 「いいかげんなことを言うんじゃない」

 匡修がまたいきなり一喝した。

 「おまえは知るまいが、あの父親は酒屋の克四(かつし)というて、それは気のいい酒売りだったんだ。市場の人気者だったのだぞ」

 だが年下の銭屋衆は疑わしそうな目を送る。割って入るように、隆文が、小さく頷いてから
「その克四という男はともかく、その手下として仕えていた長山なにがしというのがな」

 「長野」

 美那がこんどはすかさず声を立てた。

 「長野雅継(まさつぐ)、って言ってたろぅ?」

 つんつんした声でたたきつけるように言ってやる。隆文は美那にだけわかるように渋い顔を作った。美那に念を押すように微かに頷いてから、銭屋衆のほうに向きなおり、話をつづける。

 「そうだったな、長野雅継――そいつが悪いやつだったんだ。それでな、その克四って男の息子の安芸守(あきのかみ)っていうのを焚きつけて、広沢三家の娘を差し出せとか何とか言ったわけだ」

 だれも口をはさまない。隆文は話をつづけた。

 「それでいちばん上の(まり)っていうのが連れてこられた。でも、その弟の葛太郎(かつたろう)っていうのがな、これが若いながらできた男だ。姉が連れて行かれたからって、あとをつけて屋敷に忍びこみ、その毬って言うのを取り返したんだ」

 「ちょっと待て」

 時次がまた声を挟む。

 「屋敷って何だよ? 治部様の屋敷は火をかけられて燃やされたんだろう?」

 「そうだ」

 隆文は頷いた。

 「治部様も、また判官様もおられないあいだに巣食っていた奸賊(かんぞく)――村西兵庫助(ひょうごのすけ)なにがしとやらが村を取り仕切るようになっておったのだ。この村西こそ、広沢三家の者たちをことあるごとに(かたき)呼ばわりし、あの義挙に際しては広沢三家が敵に通じているとの話を広めた張本人――そしてじつは、じつはだな、この村西一党こそが定範だの柿原だの柴山だのに通じていたのだ」

 「なんと……」

 声を立てた理禎のほうを隆文はちらっと見る。

 「村人はこの村西一党を嫌っておったが、なにせ村西の背後には柿原がいる。そういうわけでな、村人は村西に手を出せなかった。その長野と村西というのが手を結んで、その中原のなんとかいう若君を村西の屋敷に泊め、若君をたぶらかして毬を呼び出したんだ。いや、その若君もな、なんせ世間知らずなもんだから、そういう策に引っかかってしまったのよ」

 「まあ、克四も女と見ればだれかれなしに手を出していた、そういうところはしまりのない男だったからな。そのタチが息子にも移ったんだろうよ」

 匡修が笑いも怒りもせずに言う。何人かがつられて頷いた。美那が小さく首を振っている。そこへ、こんどは志多屋の理禎が声を挟んだ。

 「連れ出したって、どこへ隠れたんだよ? だって、村はその村西とか言う男が取り仕切ってるんだろう? だったら、どこへ隠しても見つけ出せるってもんじゃないか」

 「そこだ」

 隆文がすかさず言う。

 「それがその葛太郎の頭のいいところだ。やつは、村人が絶対に手を出せないところに毬を隠したんだよ」

 「それは?」

 小綾が途切れそうな声できいた。

 「……治部様の屋敷の跡だ」

 「屋敷跡って?」

 「そうだ」

 隆文は目を細めて一座を見わたす。

 「村の者たちはあのいくさ――あの義挙の恨みを忘れてはいない。いつかまた柴山や柿原と戦うために米を蓄えていた。そして、その蓄え場所に、焼けた治部様の屋敷の下、焼け残った穴蔵を使っていた。そこに葛太郎は毬を隠した。そんなところに毬が隠れていようとは、村の者たちは思いもしないわけだ」

 ――町の銭屋の手先衆までもそんなところに隠れていようとはまして思わなかっただろう。むろんここで話をきいている連中だって……。

 「そんなところで村の者は寄合を開いた。寄合なら力のある村人とて無理押しするわけには行かぬ。しかも、寄合の席でふと長野なにがしの悪行(あくぎょう)が表沙汰になってな……まあその悪行というのが何かは言わぬことにするが」

 そんなので恩を売ったつもりになられても困ると美那は思う。何より、銭屋衆はその「悪行」のことなんかまるで気に留めない。

 「そうかそれか」

 雪次が何か嬉しそうに言う。

 「そうかそれかって、おまえ、何だ? え? 何か知ってるのか?」

 時次が促し、座の者たちがいっせいに雪次のほうを見る。(ぬす)み見るとさわが嬉しそうに口許で笑っている。美那は(かお)を見られないようにいっぱいにうつむいた。

 「いや、何か夜のうちに牧野郷から坂戸(さかど)の長者のところに使いが来たんだ」

 「あ、それはおれもきいたぞ」

 甲子屋の史晋が割りこむ。雪次は何か愉しげに頷いた。

 「それから中原にも使いが行って、けっきょく市場の言いぶんが正しいことがわかって、長野の悪事が露顕(ろけん)したって、そんなことだろう?」

 たしかにそのとおりなのだが、どうして雪次はそんなことを知っているのだろうと美那は思う。同じようなことを考える者はいるもので、
「ねえ、雪次どうしてそんなことを知ってるの?」

 小琴がきく。雪次はにたっと笑い、みんなにその笑いを十分に見せてから言った。

 「おれが坂戸の長者のところに取り立てに行っていっしょに飲んでたら、駒鳥屋のおよしさんがその使者っていうのを連れてきたんだよ」

 あのひと、雪次なんかから銭を借りていたのか――と美那は思う。それにしても、だったらその件が自分とかかわりがあることはばれてしまうじゃないか。

 まあ、いいけど。

 「で、その悪行っていうのは何なんだ?」

 「いや、そ……それが」

 雪次は急に貌を曇らせた。

 「嘘じゃない、嘘じゃないんだ、嘘じゃない!」

 「おまえ」

 時次が斜め後ろの雪次を見てはんぶんすごんでみせると、雪次は肩をすくめて小さくなって手で頭を隠そうとした。

 「取り立てに行くって……また坂戸の長者のとこに酒をせびりに行ったな! どうせ酒が入ってたから長者が何の話をしてたかわからなかったんだろう。おまえはとことん酒に弱いからな」

 「え、え。そのとおりで……兄貴」

 雪次はひたすら恐縮してやり過ごそうとする。

 「まったくもう……長者のところに酒をもらいに行くんだったら、おれも連れて行けって言うんだ、まったくいい酒ひとりじめしやがって」

 匡修やら史晋やら理禎やらが笑い声を漏らす。

 あのひとのところの酒が「いい酒」なのかどうか、美那はよく知らない。

 隆文が話をつづけた。

 「それでな、寄合を開いてだ、村西・長野の一党が町の銭屋衆の取り立てを妨げようとしたにもかかわらず、村人衆は、二年前までに期限の来た借銭のぜんぶと一年前に期限の来た借銭の半分は返すということで話がまとまった。けど柿原としてはそんなことでは困るわけだ。ん? わかるだろう?」

 「先を急げ」

 匡修がいらいらして言う。隆文は顎を引いて唇をひとつ固く結んだ。

 「……それで、村西・長野の一党は、村人衆から市場の銭屋衆――つまりあんたたちに借りた銭を返せないように、その蓄えの米を焼いてしまおうとした」

 「それは!」

 「なんと!」

 「罰当たりな!」

 口々に声が漏れる。小綾はひゃっと息を吸い、小琴の手に自分の手を縋らせる。

 「それで」

 小琴の声もかすれていた。

 「……それでその毬はどうなった?」

 「毬は炎に巻かれたそうだ」

 隆文は投げやりに言う。小綾が姉の手を握る手に力をこめる。頬から血の気が引いて揮えているのがわかる。

 いや、得性和尚も息を飲み、目を上げて隆文のほうを見てつづきを促した。

 隆文は目を見開いて一座を見回してから、おもむろにつづけた。

 「でもな、治部大輔様の霊が毬を守ってくださった……毬は気づいたときには外にいて、穴蔵が焼け崩れるのを見ていたそうな」

 座のあちこちからため息が漏れる。それにはいくぶん疑わしそうな気も交じっていた。

 「いや」
と隆文がその疑いを打ち消すようにつけ加える。

 「城の穴蔵のことだ。人に知られぬ抜け道があって、毬はそれを通って外に出たのだ。でも毬がそんな抜け道のことを知っていようはずがない。暗闇に息をひそめていたところに急に火をかけられ、無我夢中でその抜け道を探りあてて外に飛び出すなど、やっぱり治部様のお導きがあったからこそだ。ん? 違うか」

 それはたしかにそうだと美那も思う。

 「抜け道」を最初に見つけたのは毬ではなくて美那だ。毬も「抜け道」があることは知っていた。けれども、いきなり火をかけられてその「抜け道」をどうやって抜けたのか――まっすぐに開いた井戸の竪穴なのだ。それも、あの穴蔵――「義倉」はすぐに焼け落ちたというから、その短いあいだにだ。

 やはりあの牧野治部大輔興治の霊が導いてくれた。そう思ってもまちがいじゃないと美那は思う。

 で、座にいた銭屋衆もやっぱりそう思ったらしい。何人か頷いている。ことに、時次と理禎は、前のほうに座っていることもあるし、動きも大きいので、二人が並んで頷くと座のみんながいっせいに頷いたように見えてしまう。

 「で、毬は危ういところを抜け出した。それを知らない村西・長野の一党は、なんと、卑怯なことに、隠し倉に火をつけたのはおれたち町の銭屋の使者だって話を作り上げて、それを村の寄合にかけようとしたんだ」

 声がところどころひっくり返っているのはわざとだろう。銭屋衆は、急に話が自分に近いところに戻ってきたので、息を呑んだ。

 「で、……で、どうなったんだ?」

 「おれたちはもちろん火をつけていないわけだが、だからといって証を立ててくれる村人がいるわけもない。ところが、そこに毬が現れてだな、村西・長野一党の悪事をぜんぶさらけ出した。村西や長野はとっさにその中原なんとかに罪をかぶせようとした。で、取り乱した中原なんとかは毬に斬りかかろうとした。ところが、そこにあの判官様の忘れ形見、一人子の荒之助様が現れてだな、中原なんとかを弓で射殺し、おれたちと毬の危ないところを救ってくださったんだ」

 「荒之助様か!」

 匡修が感慨深げに言った。

 「ずいぶんお名を聞かなかった。もしやあの義挙で亡くなられた、いや、亡くなられないまでも深手を負われたかと気を()んでいたが、ご無事でいられたのか!」

 いや、あんまりご無事でもなかったんですが――などと美那もさわも漏らすはずもない。

 隆文は満足そうに頷き、つづけた。

 「ともかく、そんなわけでだな、柿原の手先の村西・長野一党の謀りごとはお粗末にも露顕、われらの無実が証されたわけだが、なにしろ村には借銭を返すあてがない。隠し倉の米を燃やされてしまってはなぁ」

 で、隆文は座の者たちを見わたす。

 「そこで、われらとしては困った。なにしろ牧野・森沢の村人には町の銭屋に借銭借米を返す気もちはある。寄合でそう決めたのだからな。しかしそれを返すための蓄えが、村西一党に火をかけられてなくなってしまったのだ。ではどうするというので、このおれの考えでだな、ひとまず、その広沢三家の子どもたち、毬、葛太郎、(まゆ)を人質として連れて帰ってきた、とまあ、こういうわけだ。ともかく、そういうわけだ。だから、この牧野郷・森沢郷への借銭借米の件、おれたちに免じて、それにその広沢三家の子どもらに免じて、返さなくてよいことにしてはもらえまいか――それがおれたちの頼みと、まあ、そういうわけだ」

 もういちど一座の者を見回す。

 銭屋たちは、そう言われて目を上げたり下ろしたり、隣と目を合わせたりまたそらしたりを繰り返す。得性和尚が片膝を立てた。その板間に響くどんという音で、みんながいっせいに顔を上げた。

 「どうだな、方がた」

 得性和尚の左の頬の下のほうに深い皺があって目立つ。美那のところからはその皺が正面から見える。そんな深い皺が寄るほど歳ではないはずなのにと考える。

 「隆文さんにも長い話をいただいたところだし、しばらく休んで、それから話をつづけようじゃないか」

 座の者たちはばらばらに頷き、だれからともなく立ち上がった。

 建て付けの悪いお堂の板の間があちこちで軋む。

 美那は、出て行く者たちが部屋を出て行ってから、隆文の袖を引っぱってむりやり立ち上がらせる。

 「お、おい、どこ行くんだ?」

 美那は答えない。さわもいっしょになって隆文を引っぱったり押したりしながら、銭屋衆が出て行った表の庭と反対側へ襖を開いて出て行く。

 父親の得性と何か話していた元資が、美那のほうをちらっと見る。つづいて得性和尚もその三人の顔を見上げて苦笑いしたが、それは三人ともが外に出てからのことだった。


 なかなか日の漏れない明るい曇り空だった。福聚院の裏庭の草の枯れた古井戸の横に、美那とさわは隆文を連れて集まっている。竹(むら)と井戸の覆い屋で、薬師堂からも本堂からもこのあたりは見通しにくい。

 「あんたね、あんないいかげんな話並べて、どうする気?」

 美那が声をひそめて隆文を詰った。

 「いいかげんな話とは何だ? ん?」

 隆文は、そう問いつめられることは最初から考えの内だったらしく、慌てずそう答える。

 「ちゃんと話したじゃないか。中原なんとかが毬に手を出そうとした話も、村西や長山」

 「長野!」

 美那がいらいらした声で正す。隆文は軽く受け流す。

 「ああ。その長野なにがしが隠し倉の米に火をつけた話も、おれたちに罪を着せようとした話も、それが毬に暴かれて中原なんとかが毬を殺そうと襲いかかった話も、ぜんぶほんとのことだろうが」

 「じゃ、村人が広沢三家を受け入れて、村西一党が嫌っていたって話はどうなの? 逆じゃない」

 「ばかだねぇ、おまえ」

 隆文は高めの声で言ってから、ふとさわが自分を険しい目で見ているのに気づいて、さわから身を遠ざける。それでも言うことは言う。

 「村人が広沢三家を嫌ってましたなんて言ったら、銭屋衆が村人を悪者扱いして、そんな村の者たちのために借銭借米を帳消しになどできんと言い出すかも知れないじゃないか。おれたちはあの中橋……様に村の借銭のことよろしく頼むと言われてきたのだぞ」

 「それはそうだけど」

 美那は少し勢いに押されている。

 「でも、ばれるよ? 毬や(かっ)ちゃんがしゃべるかも知れないし」

 「それにねぇ」

 さわも反対側から隆文のほうに顔を近づけた。隆文はさわに押されたぶん、美那のほうに身を寄せる。

 「わたしたちの仕事は使者なんだから、使者がその送りもとに嘘ついちゃだめだよ。どんなにまずいことでもさぁ」

 「でもおれたちは……牧野の村人にも頼まれてきたわけで……その、だな……それはそれで苦しい立場なんだよ」

 「それはわかってるよ」

 美那が小さい声で言って、横目やや上目づかいで隆文を見る。

 「おい、ご使者がた!」

 ふいに横合いから声をかけられて、三人のご使者がたは揃ってぶるっと身を(ふる)わせ、声のほうに顔を上げた。

 「そんなところでかたまって何の密議かな?」

 声をかけてきたのは(つかさ)屋の匡修(まさなが)だ。本寺は別として、町でいちばん大きい銭貸しの店を営んでいる白髪の男だ。歳はたぶん得性和尚より上だ。

 本堂の裏庭側の縁の上から庭の隅の三人を見下ろしている。

 「いえ、どうも、お世話になっております」

 隆文がわけのわからない挨拶を返した。匡修はにっこりと笑って見せた。

 「さっきのお話、なかなか楽しかったな。浅梨さまのお弟子と言うから腕っぷしだけかと思っていたら、口舌のほうもなかなかのものだ」

 「いえ、それは……その……」

 隆文が答えをとろとろさせているのを、さわが左からにらみつけ、美那が匡修のほうに顔を上げてうかがう。匡修は口のまわりの短い髭をざわっと動かして、また笑いを作った。

 「話はなかなか巧かった。もし事情を知らぬ者がきけば、ほんとうに牧野の村人どもは広沢の者たちをたいせつにし、ただ村西一党が連中を陥れようとしたと信じるかも知れぬな、はっはっは」

 隆文がくがーっという音というか声を立てて息を呑む。美那が上目で匡修をにらむように見た。

 「これこれ、藤野屋さんの娘さん、そんな怖い顔をして見るもんじゃない。牧野の村人が広沢の者に邪慳(じゃけん)にしていたことなんか、あの座の者たちはみんな知ってるよ」

 「知ってるんですか……?」

 さわが意外な顔をした。

 「ああ」

 匡修がこともなげに頷く。

 「そうでなければ、いくら年寄りでも、あんたたちが隠したいと思ってることをこんなところで大声で話したりはせぬよ。本寺のおさわさんも店の中頭(なかがしら)にでもきいてみるといい、みんな知ってるだろうって、はっはぁ!」

 隆文に何か言おうとしていたらしいさわは、自分がそんなふうに言われて「はぁ」とあいまいな返事をするしかない。

 「考えてもみなさい。銭屋どもは牧野に銭を貸したことがあるんだ。貸す相手のことも知らないで銭を貸すことなんかありはしない。みんながみんなってわけじゃないが、村西兵庫だって井田小多右衛門だってよく知ってるやつらもいる。それに村の連中と話してりゃ、やつらが広沢家の連中を嫌ってることぐらいわかるって、はっはっは」

 さわが横目でじっと隆文をにらむ。だが、隆文はさわのほうは見ないで、匡修に向かって
「でも、だったらどうしておれのほら話にみんな最後までつき合ったんだ? 嘘とわかってる話に最後までつき合うお人好しでもあるまい?」

 「はっは」

 匡修はあいかわらず笑っている。

 「それはなかなかおもしろい話だったからなぁ。それに広沢の子たちのことはだれも知らなかった。なかなかけなげでいい子たちじゃないか? ん? それに、その克四の息子とやらが暴れて殺された話とかはいまみんな話をききたいと思ってたことなんじゃないのかな。ほら、その村西とか一味だろう、中原村を襲ってあの克四まで殺してしまったとかいうのは」

 「いや、それはよく知らないんですけど」

 ほんとうに知らない。美那が正直に答えた。

 「で、その減免っていうのは……?」

 「それは、まあ、これから話すってことで」

 匡修はこんどは笑いもせずに答えた。

 「どっちにしても村の連中の言うとおりの決着は難しいかも知れんな」

 匡修は言うと、(ふすま)を引いて本堂の中に戻ってしまった。

 隆文と美那とさわは、何も言わないで顔を見合わせる。

― つづく ―