夢の城

清瀬 六朗


仕事の話(三)

― 下 ―

 運のめぐりはあれから急にみやのほうに傾きだした。

 松は城の(こま)のまわりに馬と(そつ)を集め、卒一つごとにさいころを一度振り、そのさいころの目を合わせる。みやは一度だけさいころを振る。その卒のさいころの目の数を合わせた数が、みやの振って出したさいころの目の三倍を一度でも上回れば、姫の負けになり、姫の駒ははずされて、城にはもとどおりだれもいなくなる。

 だが、松は、馬一つと卒一つをようやく城の回りの齣にとりつかせたが、みやの姫はめっぽう強く、四とか五とかの目を出すので、なかなか追い出せない。

 そのあいだにみやは若君の駒を城へと急がせていた。

 「お松ちゃん、もっと駒を城の回りに集めないとだめだよ」

 あざみが言う。

 「よぅし……」

 松がさいころを振った。だが、出た目は一と二だった。

 「あぁ」

 けれども、それで馬をようやく城からひと齣のところまで送りこむことができた。

 みやは三の目と五の目で八で、そのうち四で若君を二齣動かし、残りで卒を動かして松の馬を二卒で囲んだ。

 「馬と勝負」

 みやが平然と言う。みやが三、松が二で、松の負けだ。松の馬は討ち死にして盤から取り除かれる。

 せっかく城に駆けつけた馬を失い、松は
「うーん」
という不服そうな声を立てた。

 松の殿様は城から二齣のところまで来ている。それなのに城にはみやの姫ががんばっているので城に入れない。そして、いま城を攻めようと送りこんだ馬をみやの卒に討たれてしまった。

 「ようし」

 松は気合いを入れたけれども、出た目は一と二の三だった。討たれた馬のかわりに卒を城に急がせるが間に合わない。間に合わないまま、馬と卒でみやの姫を討とうとしたが、やはり勝てなかった。

 みやは七を出した。こんどは若君を動かさないで、さっき松の馬を討った卒を城の後ろに回りこませた。

 「二対二で勝負」

 みやが言う。松が城攻めに使っている馬と卒に、後ろからみやの卒が勝負をかけたのだ。

 二対二の勝負にはみやが両方とも勝った。城にとりついていた松の馬と卒は討ち死にして盤からはずされ、城攻めに使える駒はなくなった。

 松はもういちど
「よし、城攻めのやり直しよ」
などと言って気合いを入れている。

 さとが首を振った。

 「それどころじゃないよ、お松ちゃん」

 「どういうこと?」

 「そのままだと殿様が討たれちゃうよ。はやくどこかの(とりで)に逃げこまさないと」

 「え、だって……」

 「殿様が卒二つにはさまれたら勝てないよ。砦に逃げこませたら、砦では目の数が倍になるから安心できるけど」

 「ああ」

 いま松の卒と馬を討ったみやの卒が少し進むだけで松の殿様に戦いを挑めることに、松はさとに言われて初めて気づいたらしい。

 松の殿様からいちばん近い砦は三齣めにあった。

 松の振ったさいころは三と五で八だ。殿様はひと齣動くのにさいころの目を三つ使うから、砦に逃げこむには一目足りない。

 三の目が出ればみやの卒の一つが、八の目ならばみやの卒の二つともが、松の殿様に追いつく。

 「あーん、だめだぁ!」

 松が大声を上げた。

 「わたしっていつもこうなんだ! せっかく……せっかく勝ちかけてたのにぃ!」

 みやがはっと顔を上げた。松は目を伏せ、小さな声でつけ加える。

 「いつもこうなんだ」

 松は下を向いてしまった。

 さととあざみはしようがないというように顔を見合わせる。

 「だいじょうぶだよ」

 低いところから声がした。その声が(まゆ)の声だと気づくのに、大きな娘たちはしばらくかかった。

 「だいじょうぶだよ」

 繭は言って、ころころと転がるように松と盤のあいだに入りこむ。

 あざみとさとと、みやは、ふしぎそうにその繭を目で追っている。

 繭は松の卒の駒をいちどぜんぶ裏返して確かめる。そして、駒の一枚を小さい手で持つと、
「お松さん、いま八だったでしょ? だったらね」

 繭は、卒の駒をつんつんつんと動かすと、殿様の駒の横に送りこんだ。

 「なるほど……」

 さとが感心する。

 「これでみやの卒は松の殿様に勝負をかけられないね。いま繭が進めた卒が道を(ふさ)いじゃったから」

 「お松さん、わたしがかわりにやっていい?」

 繭は顔を上げて松の顔を見た。

 「え……? ええ、それはいいけど」

 松は自分で何を「いい」と言ったのか、はたしてわかっていただろうか?

 繭は小さい手でさいころを掴むと、口をぎゅっと結び、眉をつり上げて、「はい」とそれを向かい側のみやに手渡した。


 (ひびき)の宿は、玉井の町から巣山へ行く街道と竹井へ行く街道が分かれる宿場だ。中原から玉井川沿いにしばらく森をとおり、それを抜けると下響の小さな村があって、それからさらに少し歩いたところが響の宿だった。

 室屋という宿屋の、玉井川の側に向いた部屋の縁に腰掛けて、旅姿の二人の娘が大根の葉の漬けたのといっしょに粟粥(あわがゆ)をすすっていた。金貸しの姉妹の小琴(おごと)小綾(こあや)だ。

 二人はたまに顔を合わすことはあるが、(さじ)で粥をすくうのに忙しく、ことばを交わしているいとまはないようだった。

 「あれ、小琴さんじゃないか」

 河原から声をかけたのは、柿色の着物を着た背の高い女だ。

 榎谷(えのきだに)の志穂だった。

 小琴は茎がよく切れていない大根の葉をかみ切っていて、志穂の呼びかけたのに答えることができない。かわりに、粟粥を匙にすくったばかりの小綾が振り向いて
「小綾もいるよ」
と声の主に返事をする。返事をしてから匙にすくっていた粥をすすった。

 「どうしたんだい、いやに急いで」

 志穂は川から上がってきて、無遠慮に小琴の横に腰を下ろす。

 「いや、だからね」

 大根の葉の漬け物を口に入れて、粟粥で流しこんだ小琴が答える。

 「取り立てに回ってるんだけど。早いうちにできるだけたくさん回っおかないと」

 「ふぅん」

 言ってから、志穂はさりげなくまわりを見回した。

 隣の部屋をのぞき見、左右の竹むらや笹むらにちらちらと目をやり、川の向かい側の林も顔を伏せて見わたして見る。

 志穂は声を少し小さくして言った。

 「やっぱりやるんだ、例の」

 「そりゃそうだよ」

 小綾も声をひそめている。

 「で」

 志穂は顔を横向けて小琴と小綾を見た。

 「順調?」

 「まあね」

 小綾が軽く(うなず)く。

 「やっぱり牧野から人質取ってきたってのがきいたみたい」

 で、小綾がふふんと笑う。

 「ほんとは子ども三人だけなんだけど。いま藤野屋って店で預かってもらってるんだけど、あんな遊びざかり三人じゃ人質取ったほうが苦労するよ」

 「藤野屋ねぇ」

 志穂は思案するように言った。

 「これ、綾!」

 小琴が注意する。

 「それは言わないって申し合わせでしょう?」

 「いいじゃない。志穂さんは榎谷のひとなんだから」

 「まあ人質ぞろぞろ連れてきたってのが嘘だっていう話はそろそろ出回ってるね」

 志穂が声を低くして言った。

 「ほんとは人質なんか取らなかったんじゃないかって話も出てる。どっちにしても、そんなにたくさん人質を取ってないってことはそのうち知れ渡るって考えといたほうがいい」

 「うん」

 小綾が頷いた。

 「それは覚えとく」

 「それより」

 小琴がさらに声を小さくしてきいた。

 「その徳政とかについて何か新しい話ないの?」

 「べつに」

 竹に群れて遊んでいた雀の一羽が、竹の枝に乗り切れなくなって落ちかけ、慌てて飛び上がり、それをきっかけにほかの雀までいっしょに飛び立つ。志穂は雀が去っていくまで姉妹のほうは見ないで待った。

 「いろんな噂は出回ってるけど。あと柿原もたぶんあんたたちとおんなじこと考えてるね」

 「同じこと?」

 小琴が粥をすする手を止めてきく。志穂は、二‐三度頷いてから、早口に言った。

 「菅平(すがだいら)丸って知ってる?」

 「いいや」

 小琴と小綾は顔を見合わせ、見合わせてから二人で首を振った。

 「柿原が伊予から借りたらしい。いま港代官の館の前に繋いである。こないだ海の魚を仕入れに行ったときに見てきたけど、けっこう大きい船だったよ」

 「それが?」

 「絶対に港に入れようとしないんだ。港に入れたほうが何かと便利なのに」

 「それはあやしいね」

 小綾はたいして興味なさそうだった。

 「柿原はあれで集めた銭を三郡の外に逃がすつもりだ。それから徳政をやる」

 「ふぅん」

 小綾が鼻を鳴らした。

 「あの人たち、そんなことしなくても、お金いくらでもあるじゃない?」

 川は三人の前を瀬音を立てて流れている。空に太い糸のほつれていくような雲が少しずつ流れていく。

 「……まあ、いろいろとね」

 志穂は、何か言いにくい身内の事情を話している娘のようにもじもじして見せた。

 「柿原党には柿原党の事情があるんだろって」

 小琴と小綾は、目を大きく開いて、互い違いに控えめに頷いてみせる。

 「それより、志穂さん」

 小綾が小さい声で言った。

 「これまで取り立てた銭なんだけど、持って帰って元資(もとすけ)んとこにでも預けといてくれないかな?」

 「いいけど?」

 「ほら、わたしたち女二人だから賊に襲われないとも限らないし」

 小琴がつけ加える。

 「まあお山の人たちはだいじょうぶだと思うんだけど」

 「うん、いいよ」

 志穂は頷いて、自分の帯まわりを確かめた。

 「女と見たら役人がへんな気起こして銭を取り上げてしまうかも知れないしね」

 「志穂さんなら役人でも調べられることはないから」

 小琴が言うと、小綾が
「それに、これ持ってこの先に行くのって重いから。志穂さんならこれぐらい平気でしょ」

 小綾が自分の腰からぶら下げた銭の綴りを見せて言う。銭を百枚ずつほど束ねたのを三綴りほど見せている。

 たぶん小綾はいまこの倍以上を持っているのだろう。小琴も同じぐらい持っていると考えていい。

 「ああ、平気だよ」

 志穂は軽く言って頷いた。

 「じゃ、あとで渡すね」

 「うん」

 小琴は目を細めた。

 「あぁあ、でも、それで取り立てなきゃいけない銭の十分の一にもなりやしない」

 小綾が、食い終わった椀を床に置いて、足をばたばたさせた。

 「二十分の一にもなってないよ」

 小琴がたしなめるように言って笑う。小綾はため息をついた。

 「なんで銭なんて重いものがあるんだろうね? それでどうしてわたしたちがそんなものの商いをしてるのか?」

 「米運ぶより楽だろ?」

 志穂が小綾と同じように縁の端で反りかえって空のほうを見た。小綾は納得しない。

 「米はさ、春にただの種籾(たねもみ)だったのが、水やら何やらあるけど、冬になったらあんなにりっぱな穂を出すわけでしょ? それだったら、お米は神様からいただいたありがたいもの、って話になるのはわかるさ。食べることだってできるわけだし。でもなんで銭が米のかわりになるわけ?」

 「銭のもとになってる(あかがね)が山で土の中から採れるからだろ?」

 志穂が答える。

 「山で土の中から採れるものはありがたいものさ。とくにこういう金物はね、どこでだって採れるわけじゃない。神様がとくべつな人にとくべつに与えてくれるものだからね」

 「うーん」

 小綾はなお(あらが)った。

 「でも、わたしたちが使ってるのって、唐国から入ってきた銭か、それを鋳直したのか、それともそれをまねてだれかが作ったものでしょ? あの逸斎じいさんが融かして作り直したようなもんだよ。それがありがたいかねぇ? それに、金物がありがたいんだったら釘とかもありがたいわけ?」

 「こら、綾」

 小琴がたしなめた。

 「銭のおかげでわたしたちは食べていける。それで十分にありがたいでしょ?」

 「ま、それはそうね」

 小綾はけろりとして笑った。

 志穂はひょいと縁から土の上に跳び下りる。

 「じゃ、そろそろ行くけど、お預かりものは?」

 「証文四枚と銭三貫文」

 小琴が椀を置いて軽く言った。

 「三貫文って……ずいぶんあるね」

 さすがの志穂もしばしたじろいだ。

 「あんたたちこれ持って歩き回る気だったの?」

 「いや」

 小琴は少し恥ずかしそうにした。

 「ここの室屋さんに預かってもらうつもりだったんだけど、ここで預けるとあとで取りに来ないといけないからね」

 「そうだね」

 志穂は明るく頷いた。

 「それにやつらのことだから、町の入り口に関所作ってたくさん銭を持ってるやつは通さないなんてろくでもないこと考えるかも知れないから」

 志穂はしゃべりながら、受け取ったたくさんの銭を何綴りか合わせて袋に包み、左右に振り分けて腰から吊った。それでも持ちきれない。それで、袋につつんだ残りの銭の綴りを衣の下の肩からぶら下げた。それにきっちり畳んだ証文を懐に入れて、その姿で背筋を伸ばして立って見せた。少し得意そうに笑う。

 「さすがにそのぐらいじゃ息を切らしそうにないね、志穂さんは」

 小綾が言う。志穂は天秤棒を取り上げ、「じゃ」と言って歩き出そうとした。

 だが、天秤棒を取り上げ、肩にもたせかけたときに、ふいに何かを思い出したように小琴と小綾にきいた。

 「ところで、あんたたち、藤野の美那って知ってるかい?」

 「藤野の美那?」

 小琴と小綾は顔を合わせた。

 「今朝のあれに来てた子だよね」

 「そうそう。浅梨(あさり)さまの弟子で、隆文(たかふみ)ってやつといっしょに来てた」

 「あと……そうだ。さわちゃんの友だちって」

 それでどちらからともなくまた志穂のほうに向く。

 「いちおうは知ってるよ。薫さんは昔から知ってるから」

 小琴はふしぎそうに志穂に言った。

 「でも、なんで? 志穂さん知ってるの?」

 「うん」

 志穂は少し照れたように笑う。

 「前にちょっと会ったことがあるんだ。で、どんな子かなって思ってね」

 小琴と小綾はまた顔を見合わせた。

 「けっこう元気そうな子だよね」

 「あ、そうそう。牧野郷まで使者に行ってきたうちの一人だよ」

 「ふぅん、そうなんだ」

 志穂が何を考えたかは小琴にも小綾にもわからなかった。わかろうとも思わなかった。

 「うん。ありがと。それじゃ」

 志穂は軽く頷くと川のほうに下りていった。体に重い銭を吊り下げ、巻きつけているとは思えないしなやかな足取りだった。小琴も小綾も、川まで下りてしまった志穂のほうには目をやらず、出発のしたくにかかっていた。


 みやは目を丸くした。

 「そんな……どうして」

 「姫だからだよ」

 繭が平気で言って、卒の駒から赤い小さい駒を取り出して見せる。

 「ほう……」

 さととあざみと、それに松までが他人ごとのように感心している。

 あれからずいぶん長い勝負になった。繭は殿様を守りながら少しずつ卒を城の回りに集め、みやの隙をついてはつぎつぎにみやの卒や馬を倒していき、そしてついにみやの姫を城から追い落としたのだ。かわりに繭が卒の下に隠した姫駒を城に入れる。

 みやの若君は城に近い齣まで来ているのに城に入れない。若君と城のあいだに繭の卒がいて、繭の卒を討たないことには若君を城に入れられないからだ。

 といって、繭の卒に挑んで若君のほうが負けたら、殿様を後ろから城まで動かしてこなければいけない。繭の殿様は、けっきょく砦に逃げこみもせず、最初に松が勝負を投げ出した齣にそのままとどまっていたから、卒に道をあけさせさえすればあと二齣で城に入りこむことができる。

 「これはだめだ。どうやったってだめだ」

 みやが音を上げた。

 「さあ、負けを認めなさい」

 松が得意げに凄みをつけて言う。みやはふふんと声を上げた。

 「あんたに負けたんじゃなくて、繭ちゃんに負けたんだよ」

 松が笑ったので、みやもいっしょになって笑い、さいころを盤面に置いた。

 「松の殿様を追いつめるのに気を取られたのがまずかったね。ほうっておいたらこっちの若君を城に先に入れられたのに」

 「それにしても繭ちゃんすごいね」

 さとが感心して言う。

 「町に来るまえにこの双六やったことがあるの?」

 繭は黙って首を振った。

 「じゃ、なんでそんなに強いのよ?」

 「どうしてって?」

 さとだけではない。あざみもみやも松も小さな繭の目をのぞきこんでいた。

 「だって普通に駒を動かしたら勝てるじゃない?」

 繭はふしぎそうに大きな娘たちの驚き顔を見回した。

 遠くから世親寺(せいしんじ)の鐘が聞こえてくる。

 「さあさあ」

 後ろから声をかけたのは水鶏(くいな)屋の女主人の玉枝(たまえ)だった。玉枝は明るい張りのある声で言った。

 「そろそろ宿は店を開ける時間だよ。そろそろさとを返しておくれ」

 さとが少し恥ずかしそうにしてあざみとみやと松を見回し、小さく首をすくめるようにした。


 志穂はその気配に早くから気づいていた。そのまま行って知らぬ顔をして通りすぎてやろうかとも思ったけれども、いま、志穂は小琴と小綾から預かった銭を持っている。志穂は笠を取って手に持ち、道の脇によけた。じっと立つ。そこは玉井川の堤だったから、志穂は道から少し下の枯れ草の上に立つことになった。

 でも、頭は下げないで、顔を上げて向こうからやってくる一行をじっと見ている。

 その一行は異様だった。

 先頭は馬に乗った侍で、きちんと侍烏帽子(えぼし)を頭に載せている。両足を突っぱって馬に乗っているのが何かおかしいけれども、着ているものもきちんと整っていて、そこそこ地位の高い侍なのだろう。

 それが小者を七人とか八人とか供に連れて歩いているのだ。

 志穂は黙って立ったままその連中が通りすぎるのを待った。

 異様な気配の理由が志穂にはわかってきた。暗い色の着物を着た小者どもは、一言も口をきかず、歩みを揃えて歩いて来ている。それと、先頭の侍の唇の端に浮かぶ微かな、ひとをばかにしたような笑いとが、この一団を何か奇妙な一団に見せているのだ。

 まるで戦いに行くような……。

 志穂ははっと思いあたった。

 この一団は白麦(しらむぎ)山にいくさに行くのではないだろうか? 歳幣(さいへい)の時期も近い。城館(しろやかた)が白麦山の「賊」を除こうと考えてもふしぎではない。

 だがすぐにその思いを打ち消す。

 たかだか七‐八人の手下しか連れないで白麦山を討伐することなどできはしない。討ち死に覚悟の殴りこみならばまだしもだが、この先頭の男のようすは追いつめられて殴りこみをかけるようなふうには見えない。

 だとしたら?

 ――一行が志穂の横を通りすぎていく。

 先頭を行く侍が、馬の上からちらっと志穂の顔を見た。侍はすぐに目を離し、胸を張って、わざと馬の腹の横に足を大きく伸ばして去っていく。

 志穂の背中に寒気が走った。

 小者どもは志穂には目もくれず歩きすぎていく。志穂は小者どもが通りすぎるまで身動きしないで待った。

 一行が通りすぎてから、志穂は道に戻って、笠を手に持ったまま歩き出した。しばらくそのまま歩きつづける。

 だいぶ歩いてから志穂は振り向いた。

 春先のほこりっぽい道の向こうに、その暗く沈んだ色の一団はまだ見えている。

 「なんだい、あの殺気は?」

 志穂はもういちどそうつぶやいて、市場への道を急いだ。

 いま志穂は三貫文もの銭を身につけて歩いている。男でも二貫文の銭を持ち運ぶとその重さに息が切れるというのに――。

 その重さのせいで気まで重くなってしまったのかなと志穂は考える。

 でも、そんなはずもないと志穂は思うのだ。

― つづく ―