Ara Dinkjian はアルメニア系アメリカ人 (Armenian-American) の oud 奏者だ。 oud は中東で広く使われている6コース11弦の撥弦楽器だ。 Dinkjian は、同じくアルメニア系の percussion 奏者 Arto Tunçboyaciyan らと アルメニアの伝統的な要素を取り入れた jazz を演奏するグループ Night Ark を1985年に結成、 2000年代初頭まで活動していた [関連レビュー]。 また、1990年代半ばからは、ギリシャの Ελευθερία Αρβανιτάκη (Eleftheria Arvanitaki) や トルコの Sezen Aksu といったポップの歌手に曲を提供し、制作・演奏に参加したりもしている。 Dinkjian が制作・演奏に参加した代表作としては、Αρβανιτάκη の Τα Κορμιά Και Τα Μαχαίρια (The Bodies And The Knives; Polydor, 1994) が挙げられるだろう。
そんな Dinkjian を中心に、中近東に分布する5つの民族、 アルメニア人、ギリシャ人、トルコ人、アラブ人、ユダヤ人を民族的なバックグラウンドに持つ ミュージシャンが集まりエルサレムで行ったライブの録音をリリースした。 それぞれの民族の音楽を持ち寄って演奏している。 タイトルは「地には平和」。各民族間にある対立を意識したと思われるものだ。
特に明示されてはいませんが、このタイトルは、『ルカによる福音書』 (Gospel of Luke) の “peace on earth, good will to men.” (Luke 2:14) を意識したものでしょうか。 編成からして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教共通の聖典、 旧約聖書からタイトルを採った方が良かったのではないか、と思ったりもしましたが……。
Sokratis Sinopoulos (Σωκράτης Σινόπουλος) はギリシャ出身、 イラン系の Keyvan & Bijan Chemirani のプロジェクト [関連レビュー] への参加や、 トルコの Derya Türkan など共演などもある lyra 奏者だ。 Tamer Pinarbaşi はトルコ出身、 現在はニューヨークを拠点に Seido Salfoski (Matt Darriau’s Paradox Trio [関連レビュー]) らとのグループ New York Gypsy All-Stars のメンバーとして活動する kanun 奏者だ。 Rimon Haddad はパレスチナ系アラブ人の bass 奏者で、 パレスチナの音楽を演奏する Zimar というグループで活動している。 percussion 奏者 Zohar Fresco はユダヤ系イスラエル人、 ユダヤ=アラブ混成のグループ Bustan Abraham [関連発言] のメンバーとして活動する他、 ポップの女性歌手 Noa のバックミュージシャンとしても知られる。
参加ミュージシャンの音楽的なバックグラウンドから、 Night Ark や Bustan Abraham のような、 jazz 的でテンション高い即興もあるような演奏を期待していた。 しかし、実際はもっとアコースティックでいささか地味な仕上がり。 顔ぶれからすればもっと凄い演奏ができるだろうとも思うが、 これもこの手のオールスターセッションにありがちな緩さかもしれない。 期待が大きかったこともあって肩透かし感は否めないが、録音も良く演奏は楽しめるものだ。 特に、アップテンポな1曲目 “Urfa Divan” や 11曲目 “Bu Akşam Gun Batarken Gel / Kara Bulutları Kaldır Aradan / Benliyi Aldım Kaçaktan” が気に入っている。
このラインナップから、 アルメニア文字 (アルメニア語)、ギリシャ文字 (ギリシャ語)、ラテン文字 (トルコ語)、アラビア文字 (アラビア語)、ヘブライ文字 (ヘブライ語) の入り乱れたライナーノーツを期待していた。 しかし、文字はラテン文字のみ、曲名以外は英語であった。これも、アメリカでのリリースらしい。 ギリシャの Libra やトルコ Kalan のようなレーベルからのリリースであれば、 多言語多文字のライナーノーツを用意していただろう。
ちなみに、録音されたライブは、エルサレムで毎年開催されている International Oud Festival でのもの。2008年で第9回を数えるフェスティバルだ。 Peace On Earth は2007年の録音だ。 Dinkjian は2008年には参加していないが、 2005年、2006年は参加しており、それぞれライヴ録音を Ara Dinkjian のレーベル Krikor からリリースしている。 併せて入手したので、それについても簡単に紹介。
2006年のライブは、Ara Dinkjian の父の歌手 Onnik Dinkjian をフィーチャーしたもの。 バックのミュージシャンは Peace On Earth とほぼ同じ5tetだが、 bass ではなく keyboards 奏者の Adi Rennert が入っている。 Fresco と同じく Noa のバックミュージシャンの1人だ。 歌っているのはアルメニアの歌で、約半分は folk の伝承歌だ。 Arto Tunçboyaciyan や Djivan Gasparyan のイメージもあって、 アルメニアの歌というと duduk を伴奏にゆったり詠唱するようなものが多いという印象がある。 しかし、このライブで収録されているものはリズミカルなものが多い。 Onnik の歌声は凄いという程では無いが、 演奏を含めて Peace On Earth 同様楽しむことができた。
International Oud Festival での録音としては最初の2005年のライブにして、 Krikor レーベルの第一弾のリリースは、 Rennert と Fresco、2人のイスラエルのミュージシャンとの trio でのものアコースティックな演奏もあるが、 keyboards の使い方も jazz/fusion 的な Night Ark に近い演奏が楽しめるライブだ。 実際、Night Ark で演っていた曲も数曲演奏している。
順番からすると、この trio から Onnik Dinkjian をフィーチャーしたグループへ発展し、 Onnik のバックから Peace On Earth の5tetへ発展したのだろう。 しかし、2008年の International Oud Festival には参加しておらず、 この Ara Dinkjian を中心とするプロジェクトも一段落付いてしまったのかもしれない。 継続・発展させれば充実しそうなだけに、少々惜しく思う。