TFJ's Sidewalk Cafe > Dustbin Of History >
Review: オルハン・パムク 『雪』 (Orhan Pamuk, Kar) (小説)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2008/06/18
オルハン・パムク 『雪』
和久井 路子=訳. 藤原書店. ISBN4-89434-504-8. 2006-03-30.
Orhan Pamuk. Kar. 2002.

2006年にノーベル文学賞 (Nobel Prize in Literature) を受賞した トルコ (Türkiye / Turkey) の作家が 9.11直後の2002年に発表した話題作です。 主人公はトルコ北東部の町カルス (Kars) に連続少女自殺事件を取材に訪れた 在ドイツのトルコ人詩人 Ka。 彼の学生時代のあこがれだった女性との再会と、 イスラム主義の候補が勝利しそうな市長選挙や 雪に閉ざされた町で起きる反イスラム過激派のクーデターが、錯綜して話が進みます。 ハードコアな政治小説を期待していたわけではなかったももの、 予想以上に感傷的というかなんというか……。

小説はたいていは登場人物に対して超越的な立場から語られるのですが、 時折 Ka の死後に彼の資料を整理しているという設定の語り手 (登場人物に対して超越的ではない) が 小説を異化するかのように浮かび上がってきます。 さらに、Ka 自身がカルスで書いている詩『雪』や、 カルスを訪れた劇団による劇などの、作中作も登場します。 また、主人公の Ka 自身も取材でカルスに訪れているという設定なので、 取材を受けた様々な人の声が出てきます。 このような設定を使って、多層的かつ多声的に、 世俗主義とイスラム主義に関する様々な立場の声を響かせている作品です。

形式的には、暗殺された校長の体に付けられていた録音機の起こしを そのまま長々と引用したりもしますが、 例えば Ka の取材メモのコラージュとか、証言集という程ではありません。 Ka が書いている詩『雪』のダイアグラムが使われたりもしますが、 作中作を独立して読めるように埋め込むようなことはしていません。 翻訳で判りづらくなっているだけかもしれませんが、 そういう形式的な面での多様性はあまり感じられませんでした。 文体等の形式を読者に意識させるような小説の方が自分の好みなので、 その点は少々物足りなく感じました。 あと、このような形式はこの小説を感傷的に感じた一因かもしれません。

この作品は前衛かポストモダンかといったら、ポストモダンでしょうか。 ミニマルに形式的な実験に突き進むというよりも、 多様な声を職人的な語り口で読ませる、という感じの小説、という意味で。

去年3月に観た一連のイスラム圏の演劇 (レビュー 1, 2, 3) を思い返すに、 多様な声を反映させるという点では、 小説よりも演劇の方が表現方法として向いているかもしれない、と思ったりもしました。 ま、これは、小説や演劇のスタイルにも依ることではありますが。

あと、イスタンブールの alternative / independent な音楽シーン (関連発言) のミュージシャン達はこの小説をどう読んでいるのか、と思ったりしました。 彼らは、イスラム主義者でもケマル主義的な世俗主義者でもないように思いますし。

ちなみに、パムクは先月来日していたわけですが、 その時の公演を sdt さんがレポートしています: 「オルハン・パムク来日講演会行ってきました。(in青山学院大学)」 (『ひらづみ』 2008-05-17)。

(以上、談話室への発言として書かれたものの抜粋です。)