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Review: Cia. Deborah Colker, Rota @ 神奈川県民ホール 大ホール (ダンス)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2008/06/22
神奈川県民ホール 大ホール (ダンス)
2008/06/21, 18:00-19:40
Creation, Direction and Choreography: Deborah Colker. Art Direction and Set Design: Gringo Cardia. Musical Direction: Berna Ceppas, Alexandre Kassin, Sérgio Mekler. Lighting Design: Jorginho de Carvalho. Costume Design: Yamê Reis.
Premier: 1997.

1994年に結成されたブラジル リオ・デ・ジャネイロ (Rio de Janeiro, RJ, BR) のダンス・カンパニーの日本初公演は 4月に観たブラジルのカンパニー Grupo Corpo (レビュー)にも似て、 集団での身体と踊りそのもので観せるような舞台だった。 しかし、大車輪や梯子を使った少々アクロバティックな所があった分だけ、 Grupo Corpo の公演より楽しめた。

二部構成の第一部は、 舞台装置抜きで抽象的なダイアグラムのような背景の絵と ライティングの変化のみを使用。 Morzart の曲を使ったコミカルなバレエのような展開から、 後半 electronica な曲 (Squarepusher 等) に切替えて 跳躍抜きの体操(床)的な動きでリズムを作り出した。 休憩を挟んで第二部に入ると、舞台後方に金属製の大車輪が置かれ、 それを取り囲むように舞台袖にも金属製の梯子がかけられる (いずれも赤錆色に塗られている)。 しかし、前半のうちはそれらは使われず、床で展開した。 後半はバレエ的な動きはさらに減り、 体操というかアクロバティック的な力強い動きとなった。 しかし、ここまでは少々退屈に感じることもあった。

見所は、第二部の後半、大車輪が舞台後方から中央まで押し出され、 大車輪と舞台両脇の梯子を駆使した立体的な展開となってから。 大車輪は巨大な回し車のようなもので、車輪は梯子状のスポークで軸と繋がっている。 その動きは回転ではなく、むしろブランコ的なスイングを多用していた。 梯子状のスポークやそれで4分された空間にダンサーを絡めた 器械体操的な動きは、サーカスを思わせる所があった。 しかし、速いスリリングな動きではなくゆったりしたスイングで表現する所は、 サーカスというよりダンスだろう。 大車輪でのパフォーマンスが展開する間、その前の床でもダンスは行われるし、 大車輪に両サイドの梯子の上方でもパフォーマンスが行われていた。 席が舞台に近過ぎて、大車輪のパフォーマンスを観ていると、 フロアや梯子でのパフォーマンスがほとんど目に入らなかった。 そのため、全体としての動きの構成がほとんど判らなかった。

作品全体としてのコンセプトや構成の問題か、 その大車輪使いにしても、それまでの展開からの連続性や必然性が あまり感じられなかったのも確か。 そのため、大車輪も少々ギミックぽく感じられてしまった。 しかし、Rota における大車輪や梯子 (写真) の後も、 続く Casa (1999) での家を模した壁や天井の格子 (写真)、 No (2005) での鉄骨や梯子からなる装置 (写真)、 Dinamo (2006) でのインドアクライミングを思わせる壁 (写真)、 と、 Cia. Deborah Colker はその後も同様の体操的な動きを使った立体的な作品を作り続けている。 その後、構成ももっと洗練されてきているかもしれない。 特に、家を模した Casa はコンセプト的にも面白そうだ。 その後の作品も観てみたいとも思う。 (正直に言って、今回の公演を観に行ったのも、バレエ的な面よりもこういう面を期待してだった。)

ところで、公演パンフレットに載っていた 國吉 和子 「ブラジルのコンテンポラリーダンスについて」 というテキストを読んでいて、今回の Cia. Deborah Colker や 4月の Grupo Corpo の公演を物足りなく感じた理由の一つに思い当たった。 このテキストで「クラシックな技法におどけた仕種のスパイスを効かせるあたりは、 イリ・キリアンのユーモアを想起させる」と指摘しているのだが、 確かに、第一部のバレエ的な動きと体操的な動きの取り合わせから僕が連想した舞台の一つが Jiří Kylián, Symphony In D (1976; レビュー) だった。 しかし、Kylián が NDT III のために振付けた Birth Day (2001; レビュー) のユーモアにしてもそうだが、 Kylián のユーモアというのはダンスの約束事、 体の動きの何を良い/美しいとするかというイデオロギーに対する批判という面がある。 Kylián だけでなく欧米のコンテポラリーダンスの作品の多くに、 こういったダンスの約束事に対する批評的な面が含まれている (関連レビュー) と思うのだが、 Grupo Corpo や Cia. Deborah Colker にはそれがほとんど感じられなかった。 それが、これらの舞台を観て物足りなく感じた理由の一つだ。 もちろん、ブラジルのダンスの文脈における問題意識が作品に反映されている可能性もあり、 それが判ればもっと興味深く観られるかもしれない。

sources:

ちなみに、音楽監督 (Musical Direction) の一人 Alexandre Kassin というのは、去年来日もしたブラジルのグループ Moreno - Domenico - Kassin (aka Moreno +2, Domenico +2, Kassin +2) の Kassin だ。 Berna Ceppas も Domenico +2 への参加など Kassin とよく一緒に活動しているミュージシャンだ。 第一部の後半の electronica な繋ぎをはじめとするリミックスワークは Ceppas や Kassin の寄与なのだろう。 しかし、こういう面子を音楽監督に起用したなら、もともとある音楽をミッスクして使うのではなく、 Tom Zé や Arnaldo Antunes に作品用にオリジナルの曲を作らせる Grupo Corpo のように、 もっとオリジナルな音作りにして欲しかった。

(2008/06/23 追記)