昨年からゴールデンウィーク中の開催となった ふじのくに⇄せかい演劇祭。 ここ数年は毎年足を運んでいるわけですが、今年も5月3、4日の1泊2日で6本観てきました。 3日は日差しも強く初夏の暑さ。そんな中、3本観てきました。 (4日に観た3本についてはこちら。)
東静岡駅から車で20分程、日本平の裾の坂がちな住宅地、池田地区の街中で繰り広げられた回遊型の演劇です。 約100人の観客が、AB二つのコースのそれぞれ2班に分かれて、町中を歩きながら、繰り広げられているパフォーマンスを体験するというもの。 参加型というほど観客を巻き込むものではなく、散策しながら、日常をちょっとデフォルメしたかのような会話をしている人々を観るというものでした。 結婚する彼女を家族に紹介しようと家に呼んで待つ間の会話から、 昔付き合っていた女性や女学生卒業時に駆け落ちしようとした祖母の話が浮かび上がってくるのですが、 例えば、祖母の女学校時代の世界に連れていかれるようなことはなく、あくまで日常に寄り添うかのような演劇でした。 街中を回遊しながら鑑賞するパフォーマンスといえば、 Fondazione Pontedera Teatro: Lisboa (沼津中央公園, 2012) [レビュー] や L'Éléphant Vert: Faunèmes (六本木ヒルズ, 2003) など、 何回か観たことがありますが、 やはり、演技の力で普通の街中を劇中の世界に変えてしまうような作品が面白い、とつくづく思ったりもしました。 (もちろん、『例えば朝9時……』はそういう所を狙ったわけでも無さそうな作品なので、そういう所を求めても仕方ないとも思いましたが。)
林麗珍が1995年に結成した台湾のカンパニー。 白塗りで「舞蹈」と名乗っていますが、日本の舞踏の直系というわけではなく、道教の祭祀「醮」の影響を強く受けたもののこと。 力強い格闘技的な動きもありましたが、腰を低く落として静かに歩くような動きが中心。 静かな音楽に暗い舞台もあって、瞑想的というか催眠的で、2時間の間に何回か意識が飛びました。 8部構成のようでしたが、2時間は長く感じました。 管楽器の演奏の部分などかなりの部分が録音だったのも残念な所で、音楽が生演奏であればもう少し集中が持ったかもしれません。 漂うような女性の歌声も ethnoambient 風の音楽に、キャンドルや石、草木などを使ったビジュアルも、 伝統に基づく表現というより、 Aman のようなアジアンリゾート [読書メモ] のセンスに近いものを感じました。 2月に観たタイの Pichet Klunchun: Black & White [鑑賞メモ] も連想させられ、こういう表現が流行っているのかしらん、と。
劇団状況劇場 (紅テント) を率いた 唐 十郎 の作品 『ふたりの女』 (初演: 第七病棟, 1979) を 2009年に SPAC (静岡県舞台芸術センター) 制作で 宮城 聰 が演出したものの再演です。 オリジナルはもちろん、2009年のものも観ていません。 脚本は『源氏物語』「葵」巻に取材した能『葵上』を現代 (1970年代か) に翻案したものです。 精神病棟やアパートの一室の場面の多い密室的な小箱が似合う脚本ですが、 奥に緑のある野外劇場によく落とし込んだ、と思いながら観ていました。 特に、アオイの自殺の場面での奥の緑の使い方など、赤いライトアップで木々を街並みに見立てているよう。 材木をランダムに組んだ足場のような舞台装置は 川俣 正 のインスタレーションのようでした。 宮城 聰 / SPAC の魅力の一つに生演奏の音楽というのもあると思うのですが、この作品では生演奏は使っていませんでした。 そこにも挑戦したものを観てみたかったようにも思いましたが、打楽器中心のアンサンブルで解決するのは難しいかな、とも。
ふじのくに⇄せかい演劇祭や大道芸ワールドカップin静岡の際は、 たいてい新静岡駅界隈のビジネスホテルを使うのですが、 たまには趣向を変えてみるのも良いだろう、と、今回は みんなのnedocoプロジェクト の洞慶院を使ってみました。 禅寺に泊まることなどそう無いだろうと。 普段であれば接点の無いであろう人と話するのも面白く、坐禅も体験することができるなど、楽しみました。 が、4時間程度しか寝られず、睡眠不足で翌日以降かなり辛いことになってしまいました。 やはり、一晩の徹夜くらいはなんとかなる若者向けの企画かしらん、と。