去年7月以来すっかりサボってしまいましたが、 本を読んでいないわけではないので、久しぶりの読書メモ。 今年第一四半期に読んだ本の中から。
『中世ヨーロッパの都市の生活』 [読書メモ] 等で知られる Gies 夫妻による中世ヨーロッパ本の最新翻訳。 それまでの本のように、時代と場所を絞ってその社会の様子を描くのではなく、 今まで暗黒時代とされていた中世に技術がどのように進展していったのか、 西ローマ帝国滅亡後の6世紀からルネッサンス盛期の15世紀末まで ヨーロッパにおける技術の進展とそれに伴う社会の変化を描いています。 時代や場所を絞ってない分だけ他の Gies の本に比べて普通の技術史のようになってしまったように感じましたが、 科学技術史の入門書というとルネッサンス以降の話が中心になりがちなだけに、 この時代を扱った本というのはありがたいです。
大聖堂は今でもヨーロッパの街のシンボルですし、 古代の鉄器の登場以来鉄が貴重な資源として歴史を動かす鍵になっていたというのは想像に難くなかったのですが、 それと一緒に挙げられている水車は少々意外でした。 産業革命以降、蒸気機関や電力に動力源の地位を譲ってしまいましたが、 中世は水力な主要な大規模動力源で技術や社会の核の1つになっていたことに、 この本で気付かされました。
ギリシアのアンティキテラ島 (Αντικύθηρα) の近くの沈没船から1901年に引き上げられた積み荷中にあった精密機械 「アンティキテラ島の機械」を巡る考古学と科学史の研究のノンフィクションです。 1901年の積み荷引き上げの話から現在も進行する最新機器を使った分析プロジェクトまで、 その研究の人間ドラマを描きつつ、それを通して「アンティキテラ島の機械」の謎も解き明かしていくという内容です。 前半の発見エピソードを中心とした記述は少々退屈しましたが、 分析技術が進展して謎が解明されていく後半は読み応えありました。 この機械はヘレニズム期にあたる紀元前1世紀頃もので、 天体の動きを計算する精密な歯車式アナログ計算機がこの頃に既にあったのか、と。
研究に関するノンフィクションという面では、勤務している博物館の方針の違いで研究できなくなったり、 研究ライバルとのデータの取り合いしたり、さらには不遇をかこって鬱病になったりと、 研究にまつわるあまり奇麗ではない生々しい話も描かれていて、よくそこまで書いたものだと。
昨晩に続いて、今晩も読書メモ。
1878年の日本初のアーク灯点灯に始まる日本社会の「電化」の歴史を辿った本。 「第六章 暮らしの電化」では戦後まで若干足を踏み込んでいますが、 主に戦前1930年代までの、まだ電気の利用に試行錯誤していた時代の様子を描いています。
この本を手に取ったきっかけは、 ヴォルフガング・シヴェルブシュ 『光と影のドラマトゥルギー —— 20世紀における電気照明の登場』 [読書メモ] で書かれているようなことが、日本ではどう展開したかという興味で。 「第三章 電力ビジネス創世記」をはじめ前半は電気事業史のニュアンスも強く、 少々期待したものとは違うかもと思ったのですが、 「第四章 文化・娯楽と電気」や「第五章 広告・デザインと電気」の章などは、 20世紀初頭の日本モダン文化と電気の関わりが伺われて、興味深く読めました。
「第四章 文化・娯楽と電気」では、主に、博覧会、映画、演劇照明が取り上げられています。 最初期の常設映画館が「電気館」と名乗っていたことなど、初期の映画と電気の関係の深さに気付かされたり。 それも、上映のためだけでなく、撮影時の照明にも、当時にしては大量の電力を要していたという。 演劇照明についても当時の演劇照明論などを引いて描いていて、照明電化による演出意識の変化などが伺われます。 それぞれ、田中 純一郎 『日本映画発達史I』 (中央公論, 1975) や 『日本舞台照明史』 (日本照明家協会, 1975) といったあたりを引いて描いており、 そちらにもっと深い記述があるのでしょうが、 電化、特に、照明電化という切り口で映画や演劇を一緒に描いているところが良いです。
「第五章 広告・デザインと電気」のメインはやはりネオンサイン等の広告の話ですが、 直接電気を使うわけではない電柱広告にもそれなりに記述を割いていたのが、面白かったです。 1930年代にはネオン広告があったことは映画からも伺えるわけですが、 1930年前後には「照明芸術運動」「光の芸術化運動」というのも提唱されていたということも知ったり。
「第六章 暮らしの電化」にも期待したのですが、この本を読むと、戦前はまだ家事電化の「暗黒時代」だったのかな、と。 この章だけ戦後に記述が足を踏み込むのは、 本格的な家事電化は戦後三種の神器 (白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の普及まで待たなくてはいけないからなのでしょう。
2004年3月から2005年2月にかけて『電気新聞』に連載された記事がベースになっており、文体も平易です。 しかし、参照した文献が記述中に埋め込まれている場合があるものの、文献リストになっていない所は少々残念。 しかし、電化という切り口から19世紀末〜20世紀初頭の日本モダンの雰囲気が伺える、とても面白い本でした。
4月に読んでいた本ですが、内容を忘れてしまう前に、読書メモ。
明治時代の歌舞伎とその改良 (旧劇)、壮士芝居をルーツとする国民劇としての新派劇、 そして、明治時代末から大正時代にかけての新劇運動という、 明治時代から大正時代にかけての演劇の近代化を描いた本。 制度的な近代化や舞台作品の主題や登場人物の造形への言及ももちろんありますが、 この本が着目するのは、むしろ、演劇における身体性、 特に、同時期に成立した演説、演劇のセリフ、朗唱に用いられる七五調二拍子のリズム。 明治時代に成立・流行した壮士演歌や唱歌・軍歌も論に含め、 それらに共通するヨナ抜き音階七五調二拍子のリズムを、 明治以降の日本人の声と身体の近代化において形成された「国民」のリズム感・身体感覚として描いています。 パフォーミング・アーツとしての演劇の近代化を見るよう。
といっても、ヨナ抜き音階七五調二拍子のリズムという「声」の話に比べて、 「オイッチニオイッチニ」という行進のリズムや、武智 鉄二 のナンバ論への言及などあるものの、 「身体」の話は若干薄め。 楽譜や文章などの資料が残る「声」に比べて、過去の「身体」の分析は難しいのだろうなあ、と。
日本演劇史には疎いので、もちろん、通常の演劇史の部分も興味深く読むことができました。 特に、演劇改良会を通しての政府の演劇近代化への関与や、 新派劇が歌舞伎に対抗する演劇として認められる契機となった日清戦争劇の上演の話。 しかし、近世江戸時代の大衆演劇だった歌舞伎の近代化が大きく描かれる一方、 江戸幕府の式楽だった能楽への言及が全く無かったもの、少々気になりました。 単に話の流れに乗るような動きが無かった、というのもあるかと思いますが。
明治時代の演劇・ダンスや音楽の近代化に関する事としては、 欧州ではコンセルバトワール等は音楽舞踊演劇学校であるのに、日本では官立の東京音楽学校となり、 どうして官立の演劇・ダンス学校が併設もしく設立されなかったのか、ということが気になっています。 演劇と音楽を声と身体という観点から一緒に扱っているこの本であれば、 何か手掛かりとなることが書かれているかもしれない、 もしくは、参考文献などが挙っているかもしれないと期待したのですが、 手掛かりになりそうなものは無し。うーむ。
実はこの本に先立って 渡辺 保 『明治演劇史』 (講談社, ISBN978-4-06-217921-8, 2012) に手を付けてみたのですが、自分の知識に比べて記述が細か過ぎて、手に余まりました。 今は読み進めるのを断念してしまいましたが、またいずれ読み直したいものです。
久しぶりに読書メモ。 1ヶ月余前に読んだ本ですが、やはり書いておいた方が良いかな、と。
バブル期から1990年代にかけてアールビバン商法もあって、 日本でポピュラリティを獲得した絵画・版画作家 Christian Lassen を論じた小論集。 Lassen の絵を観る機会は意外と無いもので、 なんとなく Hiro Yamagata のような平面的なポップな画風だろうくらいに思っていて、 この本で、もっとグラデーションを多用する明暗の対比もある作風だと知ったくらい。 自分のあまり知らないジャンルということで、どんなものかという興味もあって手に取ってみました。
作品に疎過ぎたせいか、残念ながら作品論についはあまりピンとくる所は無かったのですが、 日本の美術が実質的に 「インテリア・アート」「公募団体展」「現代美術」に大きく分岐しているということ、 Christian Lassen や Hiro Yamagata が「インテリア・アート」という前提は大筋で納得。 Lassen を取り上げるとき、 「インテリア・アート」vs「現代美術」のような二項対立図式を避けているのも良いと思いました。
しかし、Lassen にある程度興味がある人にとっては自明なのかもしれないのですが、 Lassen の属する「インテリア・アート」がどういうジャンルがどういうものなのか、 どういう形でいつの時代に成立し、そのジャンル内でどういう作風・題材の系譜があるのか、 明らかにされることなく話が進むのがなんとも座り悪く感じました。 「インテリア・アート」に関する論が一つでもあれば良かったのでしょうが。 「インテリア・アート」内での技法・作風・題材の文脈を飛び越えて、 いきなりマリン・アートの系譜に位置づけられても、と思うところはありました。
「インテリア・アート」という言葉はいかにも和製英語ですが、 海外のウェブサイトを見ていても “art interior” という言葉はあって、アールビバン系だけでなく、 一般家庭において部屋を飾ることを目的する絵画の市場というのはそれなりにあります。。 飲食店や病院の待合室の壁を飾る絵の多くもそうですね。 そういう “art interior” の成立やそのサブジャンルの形成、 技法、作風、題材等の流行の変遷の分析をした論があれば、読んでみたいように思いました。
読んでいて興味を引いた1点は、 大野 左紀子 × 暮沢 剛巳 × 中ザワヒデキ の対談に出てくる「岡本太郎が一時期タブーになっていた」という話。 自分がいわゆる現代美術に興味を持ち出した1990年前後、 確かに「岡本 太郎 は「現代美術」ではない」という雰囲気を感じることがあったことを思い出しました。 そして、いつのまにか復権して昭和の現代美術史の中で取り上げられるようになったことを、釈然としないまま見ていました。 自分の視野の範囲内で潮目が変わったと感じたのは、 1999年に岡本太郎美術館が開館し、2000年代初頭に 椹木 野衣 が 岡本 太郎 に関する本 (未読ですが) を著したりした頃でしょうか。 タブーになった理由は大阪万博に関わったからと、対談中でさらっと触れられていますが、 同じく関わった具体美術協会がタブーになったとは聞きません。 「現代美術」「インテリア・アート」との棲み分けはまた違う問題ではないかと思いますが、 「現代美術」文脈における 岡本 太郎 のタブー化と復権についての分析した論も読んでみたいように思いました。 椹木 野衣 の本にその経緯も論じられているのでしょうか?
興味を引いたもう1点は、星野 太一 「ラッセンの(事情)聴取」の中で触れられている Christian Lassen 自身による音楽アルバム Turn The Tide (徳間ジャパン / ドルフィン, 1998) の話。 この論の中でも触れられていますが、「インテリア・アート」 “art interior” は 音楽ジャンルでいえばイージーリスニング、スムースジャズあたりがその対応物で、 Lassen の作風はその中でもニューエイジ、ヒーリングに対応するものだろうと、自分も連想します。 Lassen がニューエイジ風のアルバムを出しているというのではあれば、さもありなんと。 しかし、Turn The Tide はむしろオルタナティヴ・ロックの影響が強いものだというのです。 まあ、オルタナティヴ・ロックも1994年にはメジャーに対するオルタナティヴとしての寿命を終えており、 1998年には既に一つのスタイルになっていた頃なので、 そういうスタイルの一つとして採用したということなのかもしれません。 作家に限らなければ、 現代美術の趣味は深くても音楽となると俗っぽい趣味になる人 (もしくはその逆) も少なくないでしょうし、 表現分野を越えてテイストの一貫性がある方がむしろ特異なのかもしれません。
ところで、日本の美術の「インテリア・アート」「公募団体展」「現代美術」という三分岐について、 海外でも現代美術以外に日本の画壇のようなリアリズムの系統やインテリア・アート海外版があると、 対談の中で 中ザワ が指摘しています。 「公募団体展」の実態などには疎いので的を外しているかもしれませんが、 このような3つの系統は、岡田 暁生 が 『西洋音楽史』 (中公新書, 2001) で指摘した 20世紀後半の三つの道「ポピュラー音楽」「巨匠の名演」「前衛音楽」へ対応しているように思えます [関連読書メモ]。 「インテリア・アート」「公募団体展」「現代美術」のような三分岐自体、 ポスト・ロマン主義の時代の芸術のあり方の反映なのかもしれません。 (また、この三分岐は、分岐ごとに再帰的に繰り返して行くものだとも思います。)
音楽における「インテリア・アート」は、クラシックからの視点で見ればポピュラー音楽に相当するのでしょうし、 ポピュラー音楽というカテゴリで見れば、イージーリスニングやスムースジャズあたるのでしょう。 それでは他の表現、例えば演劇のジャンルでいえば何になるのだろう、と。 ちょっとした思い付きですが、 1960年代のアングラ/小劇場以前の新劇等が「公募団体展」的で、 アングラ/小劇場以降の数世代の系譜が「現代美術」的で、 劇団四季やそれに類する商業演劇が「インテリア・アート」的かな、と。 いわゆる演劇マニアに劇団四季への言及がタブーのようになっているところも、 Lassen に似ているかもしれません。 そんなことも考えさせられた本でした。
久しぶりに読書メモ。
幕末から第一次大戦前にかけて、多くの日本のサーカス芸人のが欧米に渡り、欧米のサーカスに影響を影響を与えています。 日本に近いロシア極東に渡り、そこから、シベリア、ロシアへと活動の場を広げた芸人も少なからずいました。 ロシアで活動したヤマダサーカスや、山根ハルコ、タカシマ・マツノスケ、ヤマサキ・キヨシ、パントシ・シマダという芸人に焦点を当てて、 そんなサーカス芸人が第一次世界大戦、ロシア革命、そしてスターリン期の粛清をどう乗り切ったか、もしくは消えていったかを、 わずかに残る資料を手掛かりにした著者の調査のエピソードも交えつつ描いています。 タイトルに「なぜ」とありますが、 「なぜ」(why) 消えたのか (日本人スパイとして粛清された) という謎へ答える本ではなく、 「いかに」(how) 消えたのか (消えることが無かったのか) を描いた本です。 以前から桑野塾で調査の報告 [関連発言1, 2] を聞いていましたが、 うろ覚えの事も多く、本でまとめて読んで、そうだったのかと気付かされる事もありました。
実は、自分も、2011年夏にロシア旅行へ行った際に、 サンクト・ペテルブルグのサーカス博物館を訪れパントン・シマダの孫にも会っています [関連発言]。 しかし、この時は、パントン・シマダが朝鮮系でサーカスのために日本名を名乗っていたという話を失念していました。 しかし、親戚筋にサーカスをやってた人はいないか尋ねられたのも確か。 たぶん、どうして日本名が「シマダ」となったのか、 ひょっとしてその手かがりがわかるかもしれない、ということだったのかもしれません。
この本を読んで、半年程前に古本店で見付けて読んだ本を思い出したので、 十年以上前の本ですが、その本についても軽く。
1930年代の昭和モダン期に日本のショービジネスで活動した日系アメリカ人女性ダンサー 川畑 文子 の「事実を基にした小説」です。 生まれ育ったロサンジェルス時代、ダンサーとして成功してのニューヨーク時代、そして、 1932年に来日してからの日本時代と、ダンサーとしての 川畑 文子 を描いています。 1939年に活動を止めて日本で戦中を過ごし戦後アメリカに戻ってからは、エピローグで控えめに触れています。
ノンフィクションの評伝ではなく「小説」としているのは、主人公の内面に踏み込んでいるから、なのでしょうか。 資料のほとんど残っていない戦前の芸人の足跡を辿るという題材だけではなく、 僅かな手掛かりをもとに調査を進め米国に存命だった本人へのインタビューに至る著者のエピソードを交えているという所なども、 『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』と共通するものを感じました。
自分は、公演なり展覧会へはそれなりに足を運ぶものの、 パフォーマーなり作家なりと個人的に知り合いになりたくなることも、 作品には興味があれど作家の人となりへの興味も、あまりありません。 これらの本を読むと、著者と自分の指向の違いを痛感することしきりです。 昔はこういう作家観にロマンチックと感じて取り付き難ったのですが (だから『アリス』最近まで読んでいなかった)、 年をとるにつれて、 こういうロマンチシズムが調査の原動力なんだろうし、それだからこそ明かせた事もあり、 それはそれでアリかもしれないと思えるようになってきたような。
読書メモ。 この夏に初めてインドネシアのいわゆる高級リゾートなるものに泊まり [関連発言]、 その建築の居心地や接客サービスの良さに感心しつつ、このようなリゾートのあり方のルーツや現状が気になっていたところ。 まさにそれに関するノンフィクションが出ていたので、手に取ってみました。
この本は現在のアジアンリゾートの先駆となった Aman Resorts とその創業者 Adrian Zecha を追った本です。 もちろん、話の中心は Zecha 一族の出自背景、Aman Zecha を始めるに至る Adrian の歩みから Aman を創業してからの展開です。 また、ホスピタリティのあり方の関係というだけでなくビジネス上の関係の観点からも、Aman と日本の関わりを描いています。 しかし、それだけでなく、Aman とは直接関係しないけれどもアジアンリゾートの建築の原型を作ったスリランカの建築家 Geoffrey Bawa、 Aman に先立つタイ・プーケット島リゾート化の立役者 Ho Kwon Ping の Banyan Tree にも、 それぞれ一章を割いています。 このような所があるため、Adrian Zecha と Aman を軸としたラグジュアリーなアジアンリゾート史の本としても読める本になっています。
リゾートへの旅行などほとんど無縁な生活をしていてその流行等にも疎かっただけに、 Aman のようなスタイルのリゾートの歴史は意外と浅いという事に、この本で気付かされました。 スズの国際市場価格暴落に伴うプーケット島の産業のスズ鉱山からリゾートへのシフトが1980年代後半、 そんな中で Aman の第一号リゾート Amanpuri が1988年、プーケットで開業しています。 これが、モダンな高層ホテルのようなリゾートホテルから隠れ家的なリゾートへの「革命」となります。
Aman を日本で有名にしたのは2000年頃の『クレア・ドラベラー』だそうですが、 その読者調査の結果から、著者は Aman と読者層の距離を以下のように描いています。
『クレア・トラベラー』はアマンによって有名になり、アマンのブランド名を広く浸透させるのに一役買ったが、 必ずしも読者が『クレア・トラベラー』片手にアマンに押しかけたわけではなかった。 アマンに憧れつつも、たとてば近くにあるGHMに泊まり、お茶や食事をかねて、アマンを見学に行く。 そして、いつかきっとここに泊まると夢を膨らませる、そんな距離感だったのではないだろうか。
高級ブランドのコングロマリット LVMH (Moët Hennessy - Louis Vuitton) が成立したのは1986年。 その後の高級ブランドの世界展開 [関連読書メモ] と Aman 以降の高級リゾートの展開は時代的にはパラレルです。 また、「近代に置いて、王侯貴族の社交場だった宮殿や城の代替として登場した高級ホテル」 (未読ですが、著者が『クラシックホテルが語る昭和史』 (新潮文庫) で述べているという) の出自は、高級ブランドと同根です。 しかし、この本を読んでいて、1980年代半ば以降のビジネスとあり方としてはあまり共通点が感じられない ——高級ブランドのように大衆相手のコングロマリットにはならずに、ブルジョワ相手に高級なサービスを売る小規模な高級リゾートに留まっている——のは、 このような大量生産が不可能なサービスと大衆との距離感のせいなのかもしれません。
このように、ビジネスのあり方やホスピタリティのあり方 (日本の旅館との比較) の話も興味深く読んだのですが、 Geoffrey Bawa や、Aman の建築を多く手がける Kerry Hill, Peter Muller 等の “Beyond Bawa” と呼ばれる建築家の系譜があるということをこの本で知り、興味を引かれました。 この本の中ではそこまで触れられていませんが、様式としては Tropical modernism というのでしょか。 この Tropical modernism について、もう少し読み進めてみようかな、と。 Beyond Bawa 以外でお薦めの本 (できれば和書) をご存知の方がいたら、ご教示下さい。