神保町シアターの 『戦後70年特別企画——1945-1946年の映画』。 金曜の晩と土曜の午前に、松竹映画を2本観てきました。
平サラリーマン 桑原 の娘 章子 と書道家 三好 の息子 啓吉 とは、幼馴染でお互い好意を寄せる仲。 ケチで同僚から陰に煙たがれている 桑原 は、部長が息子の縁談相手として桑原の娘を考えているという出まかせを、同僚にからかい半分で言われる。 それを真に受けた桑原は、章子と啓吉を別れさせようとして、三好を侮辱して絶縁する。 そんな桑原の娘や三好家への仕打ちを見た妻 浅子は、怒って家を出てしまう。 しかし、桑原は部長から息子の結婚式の準備を頼まれ、担がれていたことに気付く。 落胆した桑原は、会社の宴会の後、異動してきたばかりの同僚 森田の家に寄る。 そこで桑原は、恐妻家だとばかり思っていた森田が、実は妻を亡くして男手一つで娘を育てていたことを知る。 その森田の娘に相愛の幼馴染との結婚が決まっているという話を聴くうちに、桑原は改心する。 桑原は娘を啓吉と結婚させようと三好の家に謝りに行くが、三好に妻 浅子とちゃんと話をつけてくることを求められる。 桑原は弟宅に身を寄せていた浅子へ謝りに行き、二人はよりを戻す。 これで、章子は啓吉と結ばれることになった。
タイトルからすると若い男女の青春恋愛映画のようですが、実際は 河村 黎吉 が主役の人情喜劇。 妻や娘に抑圧的な小憎たらしいダメ親父という役は、河村 黎吉 のはまり役。 同僚に疎まれるようなけち臭さとか、担がれていたことに気づいてがっくりする所とか、 森田の家の様子を見て改心する様、そして、妻へ謝りに行く所など、巧いなあと、つくづく。 脇を固める妻役の 高橋 豊子 [aka 高橋 とよ] や森田役の 坂本 武、三好役の 西村 青兒 も好演。 戦前・戦中から相変わらずの松竹大船らしい喜劇が楽しめました。
その代わり、幾野 道子 と 大坂 志郎 という若いカップルがすっかり霞んでいました。 この映画はキスシーンのある初めての日本映画と言われ (正確には違うとも言われていますが)、 それに因んで、この映画か公開された5月23日は「キスの日」にもなっています。 そんなこともあって、この映画でキスシーンがどのように使われているかにも興味があったのですが、 全体としては 河村 黎吉 を中心に回る人情喜劇なので、 キスシーンが効いているというより、取って付けたかのようにも感じられました。
戦前戦中には無かったキスシーンがあったり、 親が勝手に決めた結婚ではなく恋愛結婚を称揚する所 (これは戦前から無かったわけではない) などに、 戦後を感じる所もないわけではないですが、何も知らずに観て1930年代の松竹映画と言われてたら、 信じてしまいそうな程の相変わらずさでした。
杉山 文吉 は伊豆韮山の食堂 菊屋の主人。 妻を亡くし、店を手伝う長女 静江 (配役の字幕では静子だが、映画中では「静江」と呼ばれている)、鉄道の車掌として働く次女 たみ子と暮らしている。 ある日、昔馴染みの自転車屋の村上 徳次郎に頼まれ、東京から韮山の工場へ派遣されてきた技師の青年 宮内を下宿させることになる。 しかし、独身を貫いて産科の女医として働く叔母は、年頃の娘のいる家に若い男を下宿させることに反対する。 朴念仁な宮内の態度に最初は反発する娘二人だが、彼の根の親切さを知って打ち解け、やがて静江と宮内は互いに好意を寄せるようになる。 ある晩、町の結婚式の宴席に出た 文吉は、酔った勢いで、一緒になった宮内の上司の部長へお嬢さんと宮内の縁談話を持ちかける。 又吉や自転車屋の村上夫妻は宮内の気持ちをよそに部長の娘との縁談を進めようとするが、 宮内はそれを迷惑に感じて、静江宛の置き手紙を残して杉山の家を出て工場の寮へ入ってしまう。 次女 たみ子の相談を受け、叔母は又吉と村上夫妻へ静江と宮内の仲を伝え、縁談話を止めさせる。 又吉と徳次郎は織田部長の所へ縁談話を取り下げに行くが、うちの娘はどうしてくれるのか、と、一旦は凄まれる。 が、一転して部長も実は娘にそそっかしいとたしなめられたと白状し、これも縁と宮内と静江の仲人を申し出る。 これで、静江と宮内の仲は認められ、宮内も杉山の家に戻ってくることになった。
終戦直後の8月30日、終戦後初めて公開された2本の映画のうちの1本。 もちろん、撮影は戦争末期ということになるわけですが、 疎開してきている人々の場面や、宮内の次の勤務地が朝鮮だという所など、背景に戦中を感じさせる所もありますが、 物語としては戦時色感じさせない松竹大船人情喜劇でした。 『はたちの青春』のような小憎たらしい小狡賢こさというより、人のいい粗忽者という感じですが、 相変わらずの役の 河村 黎吉 を楽しみました。 脇役も豪華で、おせっかい小母さんの 飯田 蝶子 や、産科医で恋愛嫌いで独身の気の強い叔母を演じる 桑野 通子 (特に娘たちに味方して 黎吉 たちをたしなめる所) など、堪能しました。
しっかり者で健気な長女を演じる 三浦 光子 もかわいいし、佐分利 信 の根は優しいけど朴念仁な技師というのもはまり役。 この位の女優・男優のカップルであれば、河村 黎吉 たちに負けない存在感があります。 一緒に町内の仕事に出た宮内と静江が休憩時間に土手に腰を下ろしてお弁当を食べながら語らう場面など、中でも特にロマンチック。 雰囲気を読まずに (もしくは照れ隠しで) 向こうに見える反射炉や周囲の中世遺跡の話をする宮内も宮内だし、 静江は静江で、宮内の滞在が長くはないと知り、残念と思わず好意を口にしそうになって、宮内の爪を噛む癖を指摘して誤魔化したり。 そんな宮内と静江のやりとりも微笑ましい限り。 けど、その様子を往診の通りかがりで見咎めた叔母は、二人の仲にちゃんと気づいてしまうという。 下手なキスシーンよりも、こういう場面の方が、遥かにロマンチックに感じられます。 今回は東京国立近代美術館フィルムセンターの状態の良いフィルムでの上映で、 この映画の中でも特に美しいこの場面を、この綺麗な画面で見られて良かったと、つくづく思いました。
そして、三浦 光子 の良さに気付かされた映画でした。 清水 宏 (dir.) 『家庭日記』 (松竹大船, 1938) [鑑賞メモ] での八重子役や、 清水 宏 (dir.) 『信子』 (松竹大船, 1940) での頼子役のような子供っぽい役よりも、 ちょっとしっかりしたお姉さん役の方が良いです。大人っぽいまとめ髪も似合っていました。 三浦 光子 演じる静江にはあごに手をやる癖があって、その仕草も可愛らしいし。 宮内との土手の場面でも、宮内の爪を噛む癖を注意した直後に、この癖が出てしまい、いけないという顔をして手を引っ込めたり。 中盤にあう父と宮内の帰りを待つ姉妹の会話の場面でも、宮内の話をしながらもじもじしているうち、 つい癖で手に持つペン先をあごにやってしまい、痛っとなるという。 大笑いするようなユーモアではありませんが、このような細かい仕掛けも魅力を引き出していました。
この、父と宮内の帰りを待つ姉妹の会話の場面は、 おっとり子供っぽい妹としっかり者そうな姉という対照的な二人がテンポよく繰り出す会話の作り出すリズムが良いのです。 島津 保次郎 (dir.) 『隣りの八重ちゃん』 (松竹大船, 1934) [鑑賞メモ] の前半にある八重ちゃんの家で恵太郎と八重ちゃんの会話の場面や、 島津 保次郎 (dir.) 『兄とその妹』 (松竹大船, 1939) [鑑賞メモ] の前半にある朝食しながら妹が兄をやりこめる会話の場面などに匹敵する良さ。 このような会話の場面も松竹大船映画の魅力でしょうか。
河村 黎吉 演じる娘の気持ちも知らない抑圧的な父親が勝手に決めた縁談によって引き起こされる騒動を描く喜劇といえば、 終戦直後に撮られた『ふたりの青春』はもちろん、 太平洋戦争真っ只中に作られた『むすめ』 (松竹大船, 1943) [鑑賞メモ] なども同様。 昨年、東京国立近代美術館フィルムセンターの特集上映『よみがえる日本映画 vol.7 [松竹篇]』で 戦前・戦中の松竹映画を観た後で、 この『戦後70年特別企画——1945-1946年の映画』での松竹映画を観ると、戦前と戦後の断絶よりも連続性を感じます。 (もちろん、戦後の社会変化が映画に現れるのは、終戦後暫くしてからなのかもしれませんが。) 戦中そして終戦直後という困難を伴う時期に、変わらずに明朗な人情喜劇を撮り続けていたということに、深い感慨を覚えます。