フランス出身の現代美術作家 Christian Boltanski の個展が、東京都庭園美術館で開催されている。 越後妻有トリエンナーレでの Christian Boltanski & Jean Kalman 名義の作品 Voyage d'Ete (旧東山小学校, 2003) [写真] や 『最後の教室』 (旧東山小学校, 2006) [写真]、 No Man's Land (越後妻有里山現代美術館[キナーレ], 2012) [レビュー] など、 記憶をテーマとした大規模なインスタレーションを得意としている作家だ。 作品を観る機会はそれなりにあったが、1990年の水戸芸術館での個展を見逃しており、美術館での個展を観るのは初めて。 1933年竣工の Art Deco 様式の洋館、旧朝香宮邸である本館では、 『アール・デコの花弁 – 旧朝香宮邸の室内空間』という、 展示をするというより、その室内空間そのものを観せるという展覧会も併催。 そんな空間に Boltanski の作品がオーグメントされていた。 このような展覧会は、リニューアル・オープニング展の 内藤 礼 『信の感情』 [レビュー] と同様だ。
本館1階の南側の庭に面した部屋を中心には サウンドインスタレーション “Les âmes qui murmurent” 「ささめく亡霊たち」 (2016) が仕込まれていた。 小型の指向性スピーカーが各所に仕込まれており、特定の場所に立つと囁き声が聞こえるという作品。 場所毎に異なる言葉が聞こえるわけでなく、全て共通のものが使われていた。 2階の一部の部屋でも、 メキシコの「死者の日」を連想させるような影を投影した “Le thêatre d'ombre” 「影の劇場」 (1984) や、 赤ランプの点滅に心拍音を大きく増幅して響かせている “Le cæur” 「心臓音」 (2005) といったインスタレーションもあった。 これらのインスタレーションは、人気の無く寂れて薄暗い洋館であれば雰囲気もあって楽しめたかもしれないが、 築100年近い洋館とはいえメンテナンスが行き届いた建物の、 混んでいる程ではなくそれなりに観客がいて雨空とはいえ明るい空間ではかなり興醒めだった。 振り返って、越後妻有トリエンナーレでのインスタレーションにしても、現役ではなく廃校の校舎だからこそだったのだな、と。
2014年のリニューアル時にオープンしたばかりの新館のホワイトキューブの2つのギャラリーでもインスタレーションを展示していた。 一つのギャラリーでは、 人の目元を白黒で大きくプリントした幅約3m高さ約2mの半透明のカーテンを何枚も使って空間を細かく区切った中を歩かせるインスタレーション “Regards” 「眼差し」 (2013)。 そして、そんなギャラリーの中央に、高さ3mほどの古着の山に金色のエマージェンシー・ブランケットを被せた “Volver” 「帰郷」 (2016)。 それぞれ個別のインスタレーションとして展示されていたら良かったであろうに、 淡くモノクロームな “Regards” とどぎつい金色の “Volver” がミスマッチに感じられた。
もう一つのギャラリーでは、干藁が敷き詰められたギャラリーを二分するようにスクリーンが立てられ、 その両面にビデオが投影されていた。 一方はチリのアタカマ砂漠での風鈴を使ったインスタレーション “Animitas” 「アニミタス」 (2015)、 もう一方は瀬戸内の豊島の林の中の風鈴を使った新作インスタレーション、“La forêt des murmures” 「ささやきの森」 (2016)。 干藁の匂いの満ちたギャラリーで、高地らしい強い青色の空を背景に、もしくは日が差し込み明るい黄緑の林を背景に、チリチリと風鈴が鳴るのを聴くとほっとするものがあった。 旧朝香宮邸という Art Deco 洋館の美しさと、最後のビデオを使ったインスタレーションに救われたように感じた展覧会だった。