エスクパンデッド・シネマは、1960年代後半から1970年代前半にかけて前衛映画や美術の文脈で展開した 映画館など通常の上映形態とは異なる形で上映される映画を指す言葉とのこと。 この日本での展開を収蔵資料とともに構成した展覧会。 記録資料中心の展示と思いきや、 18台ものスライド・プロジェクタを中央に配して円形に投影した シュウゾウ・アヅチ・ガリバー 「シネマティック・イリュミネーション」 (1968-1969) の再現があるなど、期待していたより頑張った展示でした。 撮影、編集、投影いずれも現在のヴィデオに比べて技術的な制約が遥かに大きく、カウンターカルチャーなサイケデリックな時代を感じざるを得ず、 作品として楽しんだという程ではありませんでしたが。 図録を読めば書かれているのかもしれないですが (図録は未入手)、ほぼ同時代の 『Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演』 (東京国立近代美術館, 1972) [レビュー] と出展作家に被りが無く、こちらの展覧会では「エクスパンデッド・シネマ」という言葉はほとんど使われておらず、この関係について少々気になりました。
春季 [レビュー] に続いて、 今年度3期に渡って開催される平成年代の作品からなるコレクション展の第2期。 テーマから想像されるよりコンセプチャルでフォーマルな作風の作品もあり、自 生前に撮った母親の火傷痕や遺品をむしろ即物的に端正に捉えた 石内 都 「mother's」 [レビュー] は良い作品。 私的でナラティヴな作風の写真は基本的に自分の好みではないのだが、 中村 ハルコ 「光の音」 (1993-1998) [レビュー] にはなぜか惹かれるところがある。 何に惹かれているのか自分でもうまく言語化できないのだが、今回も思わず足が止まってしまった。
1990年代に死別した妻「陽子」というテーマに焦点を当てた展覧会。 被写体との距離の取り方が、石内 都 「mother's」などと正反対で、 やはり苦手だなあ、と最確認したような展覧会だった。