TFJ's Sidewalk Cafe > Dustbin Of History >
Review: Einat Weizman: Palestine, Year Zero @ あうるすぽっと (演劇)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2017/10/29
Einat Weizman
Palestine, Year Zero
あうるすぽっと
2017/10/28, 14:00-15:00.
Written and Directed by Einat Weizman
Cast: George Ibrahim, Gassan Ashkar, Amjad Badr, Rebecca Telhami.
Music: Suleiman Faraj; Stage & Costume Design: Salim Shehade.

イスラエルの劇作家・演出家 Einat Weizman による、イスラエルのパレスチナ占領政策に関するドキュメンタリー演劇 (ドキュコメディ [Docu-Comedy])。 イスラエルのパレスチナ占領政策に批判的な内容であるということで、本国では検閲と戦うこととなり、 上映禁止となった作品もあるという。 しかし、そういうバックグラウンドよりも、むしろ、 東京国際芸術祭 (現在の FESTIVAL/TOKYO ) 以来、その中東のカンパニーの公演をそれなりにしてきていることもあり、 パレスチナの Al-Kasaba Theatre [関連レビュー] の George Ibrahim が主演していること、 例えば、レバノンの Rabih Mroué のドキュメンタリー演劇作品 [関連レビュー] との共通点/相違点、 などの興味もあって、この Palestine, Year Zero へ運んでみた。

George Ibrahim 演じるパレスチナ人建築被害鑑定士が、 イスラエルのパレスチナ占領政策下でのパレスチナ人家屋の破壊を紹介していく形で、構成された作品。 戦争や軍事的な作戦だけでなく、報復、遺跡発掘、居住地制限のためなど、家屋が破壊される理由は様々。 男性2名、女性1名が、破壊された家屋に住んでいた住人を演じつつ (ほとんど朗読劇だが)、 舞台の上に「鑑定」の「証拠」の瓦礫を積み上げていく。 「ドキュコメディ」と題すほどのユーモアは感じられず、題材をかなりストレートに扱っていた。 これなら演劇ではなく素直にドキュメンタリ映画かノンフィクション本にした方が良いのではと思いつつ、 本国ではそのような形で表現することが抑圧されている題材だからこその表現文脈なのだろう。 並んだ鑑定の「証拠」の箱が瓦礫がぶちまけられていくビジュアルと、 ぶちまけられるたびに立ち上る土埃のかすかな臭いが最も印象的。 こういう生な感触は、メディアの扱いに長けた Rabih Mroué にはあまり無かったかもしれない。

現実の出来事を演劇化するドキュメンタリ演劇は、「虚実ないまぜの語り」という面がある。 この秋に観た大規模な国際現代美術展、『サンシャワー 東南アジアの現代美術展』 [レビュー] や 『ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス』 [レビュー] でも、 実際の社会問題に取材した作品などの解説で、この「虚実ないまぜの語り」のような言い回しをざんざん目にした。 しかし、今年に入って大きな注目を浴びるようになったポスト・トゥルースのフェイクニュース、オルト=ファクトトゥルースにしても、「 自分なりの答えを持っているわけではないが、「虚実ないまぜの語り」が許させる条件のというのはあるのだろうか (芸術なら許されるとか、少数派、反体制なら許されるというものではないだろう) と、ひっかかっている。 少なくともこのようなポスト・トゥルースの時代に芸術における「虚実ないまぜの語り」を素直に称揚する気になれないことが、 このようなドキュメンタリ演劇やSEAと呼ばれるようなプロジェクト的な現代アートに距離を感じるようになってきている一因だ。