葉山館20周年記念のコレクションを核に構成した展覧会です。 1998年当時鎌倉にあった神奈川県立近代美術館で開催された『モボ・モガ1910-1935展』のアップデートかと予想していたのですがそうではなく、 わかりやすくモダンな作風というよりプロト=モダニズムとでもいう作風のものが多く、最初に一通り観たあとは、かなり地味な印象を受けました。 しかし、館長によるギャラリートークで見落としていた仕掛けに色々気付かされ、改めて興味深く観ることができました。 予備知識無しより、展覧会カタログなり講演会なりで調査研究の文脈を知ってからの方が楽しめる展覧会でしょうか。
1920年代の日本のモダンな美術を総体的に示す展覧会ではなく、 いくつかの鍵となる人物を取り上げて、その個人的な交流や移動に焦点を当ててつつ、 また、当時の鍵となる社会的な出来事である関東大震災の影響の意識しつつ、日本1920年代モダニズムを描いた展覧会でした。 例えば、第1章で取り上げられている人物は、鍼灸按摩術を学ぶために1914年に訪日し京都に滞在していた当時ロシア帝国領のウクライナ出身の盲目のエスペラント詩人 Василь Єрошенко [Vasiliy Eroshenko] で、 彼と交流のあった京都の文化サークルを通して、モダンな文化の受容を描いていました。 このようなあまり知られていない文化のネットワークに光を当てるだけでなく、 第4,5章では 村山 知義、永野 芳光、和達 知男 らの1922年ベルリンでのモダニズム受容から 帰国しての 村山 知義、柳瀬 正夢 らのマヴォ (Mavo) の活動など [関連する鑑賞メモ1, 2]、 以前もこの美術館で取り上げたような動向も取り上げていました。
取り上げられた鍵となる人物の中で最も興味を引いたのは、第2章の 久米 民十郎。 美術を学びに1914年に渡ったイギリスで Ezra Pound と親交を結んだ美術作家です。 当時のイギリスのモダニズム運動 Vorticism に影響を受けた作風の絵画も残す一方、 日本では能舞台の美術なども手掛けていたようで、総合芸術的な活動も先駆的です。 日本近代美術の主流との接点がほとんど無く、関東大震災で被災して夭折したため、ほとんど忘れられた存在だったとのこと。 そんな作家の存在を知ることができたのが、この展覧会の収穫でした。
時代の鍵となる社会的な出来事として関東大震災を取り上げていたこともあり、 国立映画アーカイブ所蔵の関連記録映画2本、『関東大震災[伊奈精一版]』 (1923) と『復興帝都シンフォニー』 (東京市政調査會, 1929) がビデオ上映されていました。 震災当時の記録映画はそれなりに観る機会があることもあり [鑑賞メモ]、 むしろ『復興帝都シンフォニー』[関東大震災映像デジタルアーカイブ]に興味を引かれました。 Walter Ruttmann (dir.): Berlin: Die Sinfonie der Großstadt 『伯林/大都会交響楽』 (1927) を思わせるタイトルで、 まさに、1920-30年代に作られるようになった “City Symphony” と呼ばれる都市を題材とした アヴァンギャルドな作風のドキュメンタリー映画 [BFIの記事] の東京バージョンとも言えるものです。 といっても、“City Symphony” の典型とされる Berlin: Die Sinfonie der Großstadt や Charles Sheeler & Paul Strand (dir.): Manhatta (1921)、 もしくは、Человек с киноаппаратом [Man with a movie camera] (1929) などの Дзига Вертов [Dziga Vertov] の都市ドキュメンタリー映画と比べて、 ベタに撮影されたイベントの記録なども含まれアヴァンギャルドな作風は徹底していませんが、 モダン都市東京の “City Symphony” を知る/観ることができたことも収穫でした。
最後の第6章では1931年上海での木版運動を取り上げられていたのですが、 小説作家として知られる魯迅がこの木刻版運動に関わっていていたというのも意外でしたが、 ちょうど展覧会 [鑑賞メモ] を観たばかりだったこともあり 棟方 志功 や若干先行するドイツ表現主義の木版との共通性も感じられ、 この時代の同時代的な木版表現の広がりが気になりました。