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Review: Inbal Pinto, David Mambouch (演出) 『未来少年コナン』 @ 東京芸術劇場 プレイハウス (ミュージカル)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2024/06/16
東京芸術劇場 プレイハウス
2024/06/01, 17:30-20:30.
原作: 『未来少年コナン』 (日本アニメーション, 1978; 監督: 宮崎 駿; 脚本: 中野 顕彰, 胡桃 哲, 吉川 惣司); 演出・振付・美術: Inbal Pinto; 演出: David Mambouch; 脚本: 伊藤 靖朗; 音楽: 阿部 海太郎; 作詞: 大崎 清夏; 照明: Yoann Tivoli; 音響: 井上 正弘.
Cast: キャスト: 加藤 清史郎 (コナン), 影山 優佳 (ラナ), 成河 (ジムシー), 門脇 麦 (モンスリー), 宮尾 俊太郎 (ダイス), 岡野 一平 (ルーケ), 今井 朋彦 (レプカ), 椎名桔平 (おじい, ラオ博士); ダンサー: 川合 ロン, 笹本 龍史, 柴 一平, 鈴木 美奈子, 皆川 まゆむ, 森井 淳, 黎霞, Rion Watley.
ミュージシャン: トウヤマタケオ, 佐藤 公哉, 中村 大史, 萱谷 亮一.
主催・企画制作: ホリプロ.

宮崎 駿 が監督したことで知られる 1978年NHK総合TV放送のアニメシリーズ作品『未来少年コナン』をホリプロの企画制作で舞台作品化したものです。 『未来少年コナン』はとても好きなアニメーション作品ということもありますが [鑑賞メモ]、 コンテンポラリーダンスの文脈で知られる Inbal Pinto [鑑賞メモ] と、 俳優でもある David Mambouch (Maguy Marin [鑑賞メモ] の息子) が演出をしているという興味で足を運びました。 マンガやアニメーションを舞台化する「2.5次元ミュージカル」を観るのは、やはりホリプロの企画制作で Philippe Decouflé が演出した 『わたしは慎吾』 (2016) [鑑賞メモ] ぶりの2回目。 出演者やミュージシャンにも被りがあり、似たような演出になるのではないかと予想していました。

主要な場面を押さえた上でストーリーはかなり大きく組み換えた構成で、プラスチップ島はなくなり残され島を出たコナンはハイハーバーに辿り着いてそこでジムシーに合いますし、ハイハーバーの後にサルベージ船に行き、そこからインダストリアへ行きます。 30分枠26話のストーリーを2時間半程度に収めることを考えると、原作を知らなければ違和感無い程度にアレンジできていたのではないでしょうか。 コナンの超人的な身体能力による冒険活劇的な面をアクションでダイナミックに描くのではなく、 元のアニメーション作品のポスト=アポカリプスのジュブナイルSFの雰囲気とそのメッセージを、ユーモラスな場面も多く交えて、幻想的に舞台化していました。 Inbal Pinto & Avishalom Pollak Dance Company: Dust [鑑賞メモ] も思い出され、そこに Pinto らしさを感じました。

オープニングは超磁力兵器が使われた戦争による終末 (アポカリプス) の場面ですが、 悲惨なもしくは壮絶な場面として描くのではなく、戦争を導いた指導者や科学者のテーブルを囲んでのやり取り想起させるマイムとダンスを通して描きます。 休憩を挟んでの第二幕の始まりも、バラクーダ号から脱出したコナンとラナが砂漠の浜に打ち上げられた後の場面を、ダンサーたちによる砂丘の表現も合わせて、台詞なしで描きます。 歌もセリフも使わずダンスのみの場面の場面を導入に使い淡々と少しずつ盛り上げて後に繋ぐオペラでいう序曲 (ouvature) 的な導入に、作品世界へ引き込まれました。 『わたしは慎吾』では説明的な台詞に興醒めしたのですが、今回はそんな台詞が少なく、身体表現を生かした描写を楽しむことができました。 第一幕ラストの海底に沈んだコナンとラナが水中で心を交わす場面もワイヤーアクションも使い幻想的に仕上げていました。 最後に大陸になった残され島を出さずに、鍵となる台詞のみであとは結婚式の祝祭で締めるというのも、余韻を残す終わり方でした。

群集を描き難いということもあったとは思いますが、インダストリアの場面が大きく削られ、ディストピアとしてのインダストリアの描写はサルベージ船の場面に委ねられていました。 そして、インダストリアでのレプカ体制転覆も革命ではなくクーデターとされてしまっていました。 元のアニメーション作品では、インダストリアとの対比でハイハーバーでの日常生活の描写にもウエイトが置かれていましたが、その場面も削られていました。 インダストリアとハイハーバーの場面が大きく削られたことで、この2つの社会のコントラストが舞台ではあまり生かされていなかったように感じられた点は、物足りなく感じました。 あと、惜しむらくは、モンスリーが心を取り戻す場面をセリフで語らせたところは、象徴的な独舞もしくは独唱だったら、と。

そんな物足りなく感じた点もありましたが、原作と Pinto の演出の相性も良かったのか、期待していたよりも楽しめた舞台でした。