今年(2025年)1月16日に死去した映画監督David Lynchの追悼として4Kリストア版の上映企画が 角川シネマ有楽町で組まれたので、映画館で観る良い機会かと1990年代の2作品を観てきました。
ミュージシャンのFredがその妻Reneの不義を疑う余り妻とその情夫 Dick Laurent を殺すという Wozzeck [鑑賞メモ] (もしくは Woyzeck [鑑賞メモ]) のような妻殺しの物語と、 自動車整備工の Pete がマフィア Mr. Eddy の情婦 Alice との破滅的な恋に落ちるという Lulu [鑑賞メモ] (もしくは Die Büchse der Pandora [鑑賞メモ]) のような宿命の女 (famme fatale) の物語を、 二つ絡み合わせた上で、一捻りしてメビウスの輪状に巡る物語としています。
ポルノ映画制作を手がけるマフィアMr. EddyとDick Laurentは同一人物で、 瓜二つのReneeとAliceはそのマフィアの情婦かつポルノ女優であることが暗示されます。 妻を殺して収監されたFredが獄中でPeteと入れ替わり、Peteが逃避行先でFredと入れ替わり、Fredが追ってきたDickを殺し、 冒頭の場面の反対側からの再現、自宅へ戻ってインターフォン越しにDickの死を自分へ告げて終わります。 Twin Peaksでは心の闇をBobとして描いていましたが、 この Lost Highway でのThe Mistery Manは伴奏者。 むしろ、妻殺しの男Fredの情念に取り憑かれたPeteが宿命の女で破滅し、 宿命の女で破滅した男Peteの情念に取り憑かれたFredが妻殺しする、 そんな、業を負ったの男の輪廻を見るようでした。
もちろん、そんな物語的な枠組みを使いつつ、The Mystery ManのようなLynchらしい登場人物はもちろん、 FredとReneeのモダンな住宅 (Davin Lynchの自宅) の玄関先の階段にビデオテープ入り封筒が置かれることで始まる導入の不穏なスリラー的展開や、 PeteとAliceの逃避行先の荒野の中に立つ古物商の木造の建物や、その炎上を逆回しする幻想シーン、 その前でのヘッドライトに照らされてのPeteとAliceのラブシーン (添えられる音楽はThis Mortal Coilの“Song To The Siren”) など、 現実と幻想、妄想が混在する魔術的な映像を楽しみました。
2000年前後に観た時は全く頭に無く難解に感じた物語ですが、 今観るとまさに Wozzeck + Lulu で、 むしろ、Alban Bergのオペラの題材選びの現代性に気付かされました。
1990年から1991年にかけて放送されたTVドラマシリーズ Twin Peaks の The First Season, The Second Season の前日譚を描いた映画です。 Laura Palmerの、Bobに取り憑かれた父による性的虐待、コカインに中毒する様子や娼窟・カジノOne-Eyed Jackで売春する姿を描くなど、 TVドラマシリーズでは幻想的な映像や関係者のセリフで仄めかして視聴者の想像に委ねていた部分のネタバレをする一方、 先立つ未解決事件であるTeresa Banks事件やその捜査中のChester Desmond捜査官の失踪などの描写で、ますます謎めくような映画です。
The First Season, The Second Season の Twin Peaks は田舎町Twin Peaksの名士たちの闇を描く面が強く、 Jamesの叔父で自動車修理店のEd Hurleyやダイナーを切り盛りするNorma Jenningsなど、名士という程ではない主要登場人物もいますが、 いわゆる貧困層の描写はほとんど見られません。 しかし、この映画では、身寄り無くトレーラ・ハウス住まいのTeresa Banksや、トレーラー・パーク管理人Carl Roddも登場します。 今回観直して、そんな所に、TVドラマシリーズ Twin Peaks で不可視化されていたものを観るように感じられました。
映画を観たことをきっかけに、TVドラマシリーズ Twin Peaks も見直し始めました。 2000年前後に観た当時は、ポストモダニズム的なモダニズム批判の延長で、20世紀半ばの古き良きアメリカ、近代の夢が20世紀末には不気味なものになってしまったということを描いているように感じていました。 しかし、今改めて観ると、名士たちの闇や貧しいトレーラーパークなど、 古き良きアメリカ以来の豊かな中流階級が崩壊してい時代の雰囲気をLynch的なセンスで描いていたのかもしれない、と感じられました。