2017年 Salzburger Festspiele [Salzburg Festival] での初演が評判良かった William Kentridge のプロダクション によるオペラ Wozzeck の Metropolitan Opera での上演が Live in HD で上映されたので、観てきました。 Kentridge は現代美術作家としても好きで、彼の演出したオペラも、 2015/16シーズンの Met Opera: Live in HD での Lulu と 2018年の新国立劇場での Die Zauberflöte [鑑賞メモ] を観ています。 Wozzeck も新国立劇場で観たことがある程好きなオペラですし [鑑賞メモ]、 原作の戯曲 Woyzeck も好きで、 この戯曲に基づく Josef Nadj [鑑賞メモ] や Robert Wilson [鑑賞メモ] の作品も観ています。 Kentridge がこの Wozzeck をどう演出したのか、観るのをとても楽しみにしていましした。
ビデオプロジェクションにより貧民街、駐屯地、酒場や街外れの沼の辺りの道にもなる足場状のセットに、 Kentridge によるイラストレーションに基づくアニメーションや短い実演による動画をビデオプロジ ェクションを駆使してイメージを被せてくるような演出でした。 原作の戯曲は1821年の実話に基づいて1836年頃に執筆されたと言われていますが、 19世紀前半ではなく、第一次世界大戦のイメージを被せていました。 ガスマスク、鉄条網、泥沼のような塹壕、負傷兵、軍馬、飛行船や複葉の飛行機、Mark I 風の戦車、銃後の街並みなど。 (第一次世界大戦から外れるイメージもいくらかあったのですが、その意図はつかみかねました。)
以前から Kentridge の画風から Otto Dix を連想させられることがありましたが [鑑賞メモ]、 まさに Dix が第一次世界大戦を描いた Der Krieg (1924) の沈鬱なイメージを、 同時代の Wozzeck (1925年初演) を通してオペラ化したようにも感じました。 第一次世界大戦の影響を受け、ワイマール時代の風刺画 [鑑賞メモ] とも共通するテーマを扱ったオペラという点でも、 この演出は納得で、好みのツボにもハマりました。 しかし、プロジェクションされるビデオの情報量が多くてそれを追うのも大変だったということもありますが、 意外性の無さのせいか、想像力を膨らませる契機に欠けたようにも感じられてしまいました。
意外といえば、ビジュアル的なクライマックスを、 Wozzeck が Marie を殺す場面ではなく、その前の Marie の独唱に持ってきていたことでしょうか。 この場面では、戦線の作戦地図のイメージを被せ、歌に合わせて部隊の動きを示す矢印を動かすという。 Wozzeck が Marie を殺す場面では血のように赤い月を象徴的な演出に使うことが多く、 Kentridge がどのように視覚化するのか楽しみにしていたのですが、 この場面では赤い月を視覚的に見せることはしませんでした。 また、Wozzeck が Marie 殺害現場に戻って沼に沈む場面で、 沼のようになった戦線の塹壕のイメージを投影したのも秀逸でした。
Kentridge 演出の Lulu では黙役のマイムを使ったわけですが [鑑賞メモ]、 Wozzeck では Maries Knabe (Marie の子) をガスマスク顔のパペットにしていました。 パペットならでの演出の妙は感じられませんでしたが、 Kentridge は Highspring Puppet Company とコラボレーションも多く [鑑賞メモ]、 Kentridge らしいと思いましたし、 第一次世界大戦の泥沼に沈んでしまった世界というイメージという点でも、 ガスマスク顔はラストの場面にはまっていました。
とても好みの演出だったとは思うのですが、事前の期待が過大だったせいか、 観ていて心の琴線に触れられることなく、不完全燃焼感が残ってしまった鑑賞でした。