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Review: G. W. Pabst (Regie): Die Büchse der Pandora [The Pandora's Box] 『パンドラの箱』 (映画); G. W. Pabst (Regie): Tagebuch einer Verlorenen [Diary of a Lost Girl] 『淪落の女の日記』 (映画); Augusto Genina (réal.): Prix de beauté [Miss Europe] 『ミス・ヨーロッパ』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2023/04/23

戦間期に活動したアメリカ出身のダンサー、映画女優 Louise Brooks の回想録の待望の邦訳 『ハリウッドのルル』 (Lulu in Hollywood, 1982/2000; 宮本 高晴=訳, 国書刊行会, 2023) の刊行記念として、シネマヴェーラ渋谷で特集『宿命の女 ルイズ・ブルックス』が組まれました。 まとめて観ておく良い機会と、まずはヨーロッパ制作の3本を観ました。

Die Büchse der Pandora [Pandra's Box]
『パンドラの箱』
1929 / Nero-Film (DE) / B+W / silent / 130 min.
Variationen auf das Thema Frank Wedekinds Lulu
Drehbuch: Ladislaus Vajda; Regie: G. W. Pubst.
Louise Brooks (Lulu), Fritz Kortner (Dr. Ludwig Schön), Franz Lederer (Alwa Schön), Alice Roberte (Countess Augusta Geschwitz), Carl Goetz (Schigolch), et al.

Alban Berg のオペラ Lulu (1935) [関連する鑑賞メモ] の原作ともなった Frank Wedekind の戯曲 “Lulu” 二部作 Erdgeist (1895, 『地霊』) と Die Büchse der Pandora (1904, 『パンドラの箱』) [関連する鑑賞メモ] の オーストリア出身でドイツで活動した監督 Georg Wilhelm Pabst 監督による映画化です。 おそらく Filmmuseum München による Peer Raben の音楽付きのデジタル修復版の上映でした。

魅せられた男たちが破滅する「宿命の女 (femme fatale)」物の名作で、 特にこの映画では Lulu を演じた Louise Brooks がハマり役。 30余年ぶりに映画館で観たので、 アップ気味の照明で陰影の深い画面に浮かび上がる彼女の蠱惑的な魅力を大画面で堪能しました。 特に Schön 氏との結婚パーティの裏で Alwa が誘惑される場面や、 ラストの Jack the Ripper との場面での、煌めく瞳の妖しさ。 映画での女性の造形 [Pamela Hutchinson: “How the Lulu bob become cinema's most imitated haircut”, British Film Institute, 9 Nov. 2020] や オペラ Lulu の演出に、多大な影響を与えているのも納得です。

映画化にあたって原作から改められている点は、 前半 Erdgeist にあたる箇所はかなり多く、 Schön 氏が医者ではなく新聞出版者となり、Lulu に魅せられ破滅する男は Schön 氏に絞られ、 さらに、結婚パーティの直後に Schön 氏は Lulu と揉み合いの中で死ぬことになります。 時間短縮の工夫という面が大きいと思いますが、これのことにより、Lulu が次々と男を惑わしていくという感が抑えられ、 むしろ Schön 氏や息子 Alwa の自滅という描き方になります。

後半になると、まず、Lulu の Schön 氏殺害の罪に対する裁判の場面がかなり丁寧に描かれます。 それも、Lulu が無罪であるという弁護人の主張に傍聴に来ている多くの女性たちが賛意を示す様子が示されたり、 Geschwitz 伯爵令嬢が検事に「もしあなたの奥さんが子供の頃に毎夜安カフェーで過ごさなくてはならなかったらどうなっていたか想像してみて」と言葉を投げかけたり、と、 身持ちの悪い女として育たざるを得なかった労働者階級の女性の問題として Lulu の置かれた立場を描きます。 さらに、ラストのロンドンでは救世軍による社会鍋 (Chrismas Kettle; クリスマスシーズンに行われる困窮者支援活動) の様子が丁寧に描かれ、 Jack the Ripper も救世軍の人に支援しましょうかと声をかけられる存在であったと触れ、 Alwa も死ぬことはなく救いを求めて救世軍の行列に付いていくことで終わります。 男を破滅させる「宿命の女」の物語ではなく、むしろ、 経済的な格差や男性の身勝手な欲望が生む社会問題と、 それにより Lulu を道連れにしつつ破滅していく男たちの物語だったことに、気付きました。

原作から改められている点といえば、原作は1900前後の世紀末を舞台としていますが、 Louise Brooks はもちろん、他の登場人物の髪型や服装は1920年代風です。 結婚パーティの場面ではジャズバンドも登場していましたので、 明示的ではないものの、舞台設定を1920年代に置き換えていました。 これは「狂騒の1920年代」 (Roaring Twenties, Les années folles) に対する風刺でしょうか。 Louise Brooks の Lulu も、世紀末のデカダンスな妖婦ではなく、奔放なフラッパーの小悪魔。 照明こそ表現主義的に感じるところもありましたが、社会描写などは新即物主義 (Neue Sachlichkeit) 的とも感じられ、 そんな表現スタイルと内容がマッチしている所も、この映画を名作たらしめている所でしょう。

Tagebuch einer Verlorenen [Diary of a Lost Girl]
『淪落の女の日記』
1929 / Pabst-Film (DE) / B+W / silent / 111 min.
nach dem Roman von Margarete Böhme
Manuskript: Rudolf Leonhardt; Regie: G. W. Pubst.
Josef Rovensky (Apotheker Henning), Louise Brooks (Thymian, seine Tochter), Vera Pawlowa (Tante Frida), Franziska Kinz (Meta), Fritz Rasp (Provisor Meinert), Arnold Korff (Graf Osdorff), André Roanne (Graf Osdorff, sein Neffe), Andrews Engelamnn (Der Vorsteher), Valeska Gert (Seine Frau), Edith Meinhard (Erika), Kurt Gerron (Dr. Vitalis), et al.

あらすじ: Thymian の父は薬局店主で、家政婦 Elizabeth を妊娠させ、自死に至らせますが、懲りずに次の家政婦 Meta にも手を出します。 雇われの薬剤師も同じような男で、Thymian は気を失っている間に強姦され、彼の子を産むことになります。 Thymian が薬剤師との愛の無い結婚を拒むと、子から引き離され、感化院に入れられてしまいます。 虐待さえた感化院から逃亡し、一緒に逃げた Erika を頼って行った先は娼館で、Thymian は高級娼婦となります。 父が死んだ際に Thymian へも遺産が分与されたのですが、妹に自分と同じ目に合わせたくないと、取り残された Meta の娘へそれを与えてしまいます。 その遺産を当てにしていた Thymian を愛する Osdorff 伯の甥は自死してしまいますが、 葬儀で出会った Osdorff 伯に引き取られ伯爵夫人となります。 伯爵夫人となってかつて入っていた感化院へ後援者として行くことになるが、 Thymian と Osdorff 伯は感化院のやり方を批判し、そこで再会した Erika を連れて出るのでした。

Louise Brooks 主演のヨーロッパでの2作目は、 Die Büchse der Pandora に続いて Pabst の監督によるもの。 元はサイレントですが、音楽付きのデジタル上映 (どのバージョンかは不明) でした。 前作の自由奔放で蠱惑的な女性という要素を後退させ、 自立を阻まれ男性の身勝手な欲望によって淪落させられる女性という面に焦点が当たった作品です。 といっても、Louise Brooks の美しさ、魅力が削がれることなく、 男性たちのために「淪落」させられる可憐さの中にも、凛々しさを感じさせます。

Die Büchse der Pandora の養父 Schigolch や力技師 Rodrogo、パリの賭博船に集う人々にしても、 この Tagebuch einer Verlorenen の父や雇われの薬剤師、感化院を運営する夫妻と、 ディストピア的な感化院で機械部品のように生きる女性たち、娼館の女主人、娼館に集まるブルジョワたちにしても、 サイレント映画らしく少々カリカルチャライズされた表情や仕草でグロテスクな登場人物として演じられるのですが、 そんな彼らから、1920年代 Berlin の退廃を描いた George Grosz の Ecce Homo (1923) を連想しました。 もしくは、Grosz、はもちろん Otto Dix などの「ワイマール時代の風刺画」[鑑賞メモ] の映画版のようにも感じました。 そして、そんな中で輝く Louise Brooks が強いコントラストをなしていました。

G. W. Pabst の映画は他にも Die freudlose Gasse 『喜びなき街』 (1925) [鑑賞メモ]、 Die Dreigroschenoper 『三文オペラ』 (1931) [鑑賞メモ] は観たことがありますが、この Louise Brooks 主演2本の素晴らしさを実感しました。

Prix de beauté [Miss Europe]
『ミス・ヨーロッパ』
1930 / SOFAR (La Société des Films Artistiques) Film (FR) / B+W / sound / 88 min.
Un film d'Augusto Genina.
Scénario d'après une idée de René Clair.
Louise Brooks (Lucienne), Goerges Charlia (André), Augusto Bandini (Antonin), André Nicolle (Le secrétaire du journal), Marc Ziboulsky (Le manager), Yves Glad (Le maharajah), Alex Bernard (Le photographe), Gaston Jacquet (Le duc), Jean Bradin (Prince de Grabovsky), et al.

あらすじ: タイピスト Lucienne は、日曜に遊びに行った先でも人目を集める美女ですが、植字工の恋人 André はそれを快く思っていません。 Lucienne は André に伏せて美人コンテストに応募し、書類選考でフランス代表となり、スペインで開催された本選で Miss Europa に選ばれてしまいます。 コンテストで見染めた Grobovsky の王子からも求愛されるものの、追ってきた André に従いセレブの世界を諦めパリへ戻ります。 André の妻として主婦として暮らすものの、彼女に届く多くのファンレターを不快に思う André は、Lucienne に辛く当たります。 そんな彼女を見つけ出した Grobovsky の王子が映画会社との契約話を持って来ます。 一旦は断るものの、Lucienne は André の家を出て、映画女優の道を選びます。 しかし、André は Lucienne を追い試写室に忍び込み、 彼女が歌う様子が試写されている中 Lucienne をピストルで射殺してしまいます。

Louise Brooks の3本目にして最後のヨーロッパ映画は、 P. W. Pubst とフランスの映画監督 René Clair の原案で、当初は Clair が監督する予定だったものの、 映画会社と折り合いが付かずにイタリア人監督 Augusto Genina が監督した、という経緯のあるフランス映画です。 サイレント版とサウンド版が作られ、場面の構成が少々異なるとのことですが、今回の上映はフランス語吹替のサウンド版のデジタル上映でした。

Louise Brooks 演じる Lucienne の愛称は Lulu で、 Lulu を好きになった男 André が身を滅ぼす話というところも、やはり、 Die Büchse der Pandora を意識したところがあるかもしれません。 といっても、Lucienne には Lulu 程にも悪女的要素は無く、嫉妬に狂った男の自滅の物語です。 束縛系モラルハラスメントの傾向をもつ夫のとの家庭か仕事での出世か悩む女性が、最後はストーカーと化した夫の犠牲となる現代のストーリーとして翻案できそうです。 スクリーン上の歌う Lucienne と彼女の死に顔が並ぶラストシーンなど、印象的な場面も少なからずで。 しかし、続けて観たせいか、植字工やタイピストという労働者の世界とセレブの世界の間の残酷な格差を扱いつつも、 Pabst 監督の2作と比べると、表現主義的な演技演出が後退したこともあるのか風刺が弱く感じられ、少々物足りなく感じました。

サイレントではなくサウンド版という違いもありますが、 Pabst の2作は多くがスタジオ内のセットで撮影されていましたが、 この映画はロケを多用していたのが印象的で、明るく自然な光で撮影された画面が多かったことも大きな違いでした。 植字工 André が働く新聞印刷工場の機械類の動く様子などのモダンさ、 スペインのリゾートのコンテスト会場の様子など、興味を惹かれました。 そんな中でも、冒頭、日曜日 (Dimanche) という字幕の後、 Lucienne らの日曜の余暇の様子を半ばドキュメンタリーのように撮った映像に、 Robert Siodmak, Edgar G. Ulmer (Regie): Menschen am Sonntag 『日曜日の人々』 (1930) [鑑賞メモ] を連想しました。 そんな若者たちが和やかに過ごす余暇を描いた他愛無いコメディ的な展開から、 次第にその色が消えて、そしてラストは悲劇的になるという話の運びも見事でした。

当時の社会問題への社会民主義的な意識も感じられる主題のヨーロッパ時代の主演作3本を観つつ、 戦間期の風俗をとらえた映像の中での Louise Brooks の蠱惑的な魅力も堪能しました。 それだけでなく、スチルではなく映画の中で動く姿を見て、ダンサーとしての Louise Brooks を再認識しました。 Die Büchse der Pandora の Lulu の本職はショーダンサーで、 舞台に立っている場面ももちろんあります。 Prix de beauté 冒頭の日曜の浜辺の場面でも、水着姿の Brooks が軽やかに体操する様子が出てきます。 中でも最も印象に残ったのは、Das Tagebuch einer Verlorenen で Thymian が娼館でダンス教室を開くという場面。 足を蹴り上げるかなり激しい動きをしても上半身がぶれない体幹の強さは、ダンサーならではでしょう。 このダンス教室に、彼女と組んでのボールルームダンスの教室かと期待した男性が来るわけですが、実はモダンダンスの教室だったということで、 キレ良く踊る Louise Brooks と、ヘナヘナに踊る男優の対比もコミカルでした。 ここで彼女が示している動きは、彼女がダンスを習った Denishawn school のメソッドなんでしょうか。 体操風の動きにリトミックとかそれ系かなと想像したりもしました。

特集『宿命の女 ルイズ・ブルックス』で上映された1920年代ハリウッド出演作4本も観たのですが、これについては、別記事にしました。