数年前の本ですが、 三浦 展 『「家族」と「幸福」の戦後史』 (講談社現代新書, 1482, ISBN4-06-149482-1, 1999) の読書メモ。 日本の郊外論で有名な著者の本ですが。 この本を読んでいて最も興味深いのは、 「家族」や「郊外」は冷戦時代を戦うために整備されたものである、という指摘や、 消費、産業、就業という点から見て日本はアメリカからおよそ20〜30年遅れながら「郊外」化が進展した、という指摘。 今まで断片的にそういう感じの主張は読んだ記憶はありますが、 こういうはっきり解りやすい形で読んだのは、初めてのような気がします。 これについてはなるほどもっともと思うところもありますし、示唆を受ける所も大きいです。
しかし、この著者のテキストを読んでいていつも胡散臭く感じるのは、ポスト郊外の主張。 この本でいうと第8章の「郊外を超えて」。 フリーターの生き方「フリマ的人生」をポスト郊外の生き方として、この著者は肯定的に持ち上げるわけです。 確かに、そのような生き方はポスト郊外のひとつの特徴になり得るとは思いますが、肯定的に持ち上げるようなことなのか? と、読んでいて疑問でなりません。
「郊外」を論じるときに出て来た冷戦構造やアメリカから20〜30年遅れという観点が、 「ポスト郊外」の話になったとたんに無くなってしまうし。 それまでは、郊外に居住する核家族当事者の主観よりも経済・社会的状況に重きを置いた分析をしているのに (郊外に出て核家族を形成した人々が、冷戦と戦う意識を持ってそうしたわけではない)、 ポスト郊外の話になったとたんにフリ−タ−の主観的な意識ばかりに依拠した話になるし。 その落差がとても胡散臭いです。
フリ−タ−の価値観は「家族」「郊外」の価値観の拒否であるとこの本は言うわけですが。 冷戦を戦うために家族や郊外が整備されたと捉えるのであれば、 フリ−タ−の側が拒否するまでもなく、 冷戦が終った今、「家族」「郊外」を整備維持する社会的要請は無くなったと考えられます。 そして、冷戦後の社会 (特に一人勝ちの新保守主義) にとって「都合の良い」労働力の要請に応じる形で、 「郊外」「家族」からフリ−タ−へと再編整備が進められている、と捉えることもできるのではないのか、と思ってしまいます。 それに、20〜30年遅れだった郊外化の進展と同様、 今から20〜30年前にアメリカでも同じような起きていた可能性は無いのか、 あったとしたらそれはどんなものだったのか、とかそういう考察も無いですし。
で、そういう部分を補うのに良い本かなぁ、と思うのが、 宮本 みち子 『若者が《社会的弱者》に転落する』 (洋泉社 新書y, Y720, ISBN4-89691-678-6, 2002)。 この本は、フリーターやパラサイトシングルに象徴されるような今の日本における若者の社会的地位の転換と同様のことが、 欧米では1980年代に起きていた、と指摘しています。 この本では日本では今に至るまで問題にならなかったのか明確な指摘は無いのですが、 消費、産業、就業という点から見た変化がアメリカより20〜30年遅れで進行している、という 『「家族」と「幸福」の戦後史』の指摘が正しいのであれば、 20年後の今、その変化が日本に来ている、とも考えられるように思います。
フリ−タ−の価値観にしても、確かに、それまでの「郊外」「家庭」の価値観の否定として捉えられるかもしれません。 しかし、「郊外」「家庭」の価値観が冷戦を戦うために形成されたと捉えられるのであれば、 フリ−タ−の価値観も現在の社会環境下で形成させられていると捉えられるように思います。 例えば、小杉 礼子 (編) 『自由の代償/フリーター ―― 現代若者の就業意識と行動』 (日本労働研究機構, ISBN4-538-41150-7, 2002) の 第4章「フリ−タ−の職業意識とその形成過程 ―― 「やりたいこと」志向の虚実」では、 高校時代の職業選択に遡る調査に基づいて、フリ−タ−の価値観の形成過程をこう分析しています。
第三に、フリ−タ−の職業意識は、自分がいわゆる「良い」進路を目指すことができないと悟った時、それでも積極的に進路選択をしようとした結果、主観的な選択基準を過度に強調せざるを得なくなったことに起因する。
『「家族」と「幸福」の戦後史』では、 第7章「郊外の問題」で「郊外」「家族」が後に払った代償について述べています。 第8章「郊外を超えて」で称揚されている「フリマ的人生」「フリ−タ−」にも、いずれ代償を払うときが来るように思います。 『若者が《社会的弱者》に転落する』や『自由の代償/フリーター ―― 現代若者の就業意識と行動』を読んでいると、 もうその時は来ている (欧米では20年前に来ていた) と思わざるを得ません。
一ヶ月近く前の話ですが、仲俣 暁生 氏の 陸這記 crawlin’on the ground という はてなダイアリー で、 Rough Trade というか、ポストパンク期のインディーズのことが話に取り上げられていました。 「売り買いのクリエリティヴィティ」とか、 「パンクという経済」 とかのあたりです。 この話にちょっと違和を感じていたんですが、国外出張などで時間が無くて流していました。 そのまま流してしまうのもアレなので、自分への備忘録も兼ねてコメント。
他人へのコメントをする前に、まず、自分がポストパンク期のインディーズをどう捉えているかについて、軽く。 これ関しては、この談話室でも何回か言及したことがあるわけですが。 音楽趣味事始として過去の発言が残してあるので、 Mon Aug 28 2:28:17 2000 以降4つくらいの発言を読んでもらえれば、僕がどう捉えているか判ってもらえるかと。 音楽趣味事始に書いているように、 自分自身30歳代後半で、かつ能動的に音楽を聴くきっかけが Rough Trade レーベルだっただけに、 「Rough Trade は40歳前後のパンク〜ニューウェイヴ世代の音楽好きにとって特別な意味をもつインディレーベル」 というのはとても良く判るつもりです。 しかし、それ以上にこの話は違和感の方が大きかったりします。
まず、Rough Trade 以前の独立系レーベルの話をしたいと思います。 例えば、日本の jazz ファンの間で「モダンジャズ三大名門レーベル」として特に神格化されてコレクターの蒐集対象になったりしているレーベルとして、 1950s hard bop を支えた Blue Note、Prestige、Riverside というレーベルがあります。 今でこそ Blue Note は EMI 傘下のメジャーレーベルという趣がありますが、 全盛期といわれる1950s後半は、どのレーベルも小さな独立系レーベルだったわけです (今でも Prestige や Riverside はメジャー配給じゃありません)。 jazz 以外に目を向けても、今でこそ、代表的な大規模量販店 Virgin Mega Store や メジャーの EMI の中核を占める Virgin レーベルとなっている Virgin だって、 Richard Branson のメール・オーダーとそれに続く独立系レーベルとして出発しているわけです。 Rounder のように地道に良質な folk/roots/world music 系のリリースと他のレーベルの配給・通販を続けてきているレーベルの存在だってあります。 ポストパンク期に Rough Trade が登場するまでまともな独立系レーベルのようなものが無かったということはなくて、 それまでも「独立系レーベル (インディーズ) が成功して大きくなり、メジャーに吸収されたりしてその独立系レーベルとしての役割を終える、というのは、例を挙げるまでもなくよくある話」です。 しかし、そういった話は、「インディーズ」の話の中では無視されがちです。
それでは、Blue Note や Virgin のパンク以前の元独立系レーベルと、 Rough Trade のようなポストパンク期の独立系レーベルでは、何が決定的に違ったのでしょうか。 Rough Trade は成功しても「インディーズ」であり続けた、という点が挙げられるでしょう。 しかし、それは単純に良いと言えるようなものでは無かったとも僕は思っています。 そもそも、どうしてインディーズであり続けたのか、続けられたのか、それに対する、僕なりの答は、 残念ながら「売り買いのクリエイティヴィティ」なんて類の話ではなく、 「インディーズであることに市場戦略的な意味付けがなされた」、 つまり、「インディーズ」がマーケティング用語になったということです (関連するレビュー)。 そして、Rough Trade 全盛期ともいえる1980年〜1994年という時代は、 rock / pop を扱うレーベルは独立系もメジャーも「インディーズ」という言葉に振り回された時代だったのだと、僕は思っています。 Rough Trade だって何事もなく今まで25年続いてきたわけではなく、マーケティング用語「インディーズ」に振り回されるかのように、1992年に一度倒産しています。 そのドタバタ騒ぎは、セミポピュラーな音楽シーンにおける支配的なイデオロギーが、 indie pop / rock にみられた反商業主義・DIY主義から、 techno/breakbeats 〜 post-rock にみられた前衛主義・実験主義へ 大きく舵を切った1994年頃まで続いたと思っています。 このとき、やっと独立系であるということはイデオロギー的な呪縛から解放されたわけです。 それ以降、Warp のようなレーベルが独立系であるかどうかということや、 Stereolab が自身の独立系レーベル Duophonic だけでなくメジャー Elektra と契約していることの是非など、 もはや重要でなくなり誰も気にかけなくなったように。
独立系レーベルにオルタナティヴとのしての重要な意義があることを否定するつもりは僕はありません。 メジャーでは扱えないような先駆的な動きに場を提供しきたのは独立系レーベルだったわけですし、 新しい価値観を生み出す場ともなってきたと思います (ただし、全ての独立系レーベルが先駆的なわけでなく、むしろ凡庸なものの方が圧倒的に多いですが)。 しかし、そういった役割は、ポストパンク期に Rough Trade のような形でいきなり登場したものではなく、 それ以前から独立系レーベルが連綿として担っていた役割です (上に挙げた Blue Note、Virgin 以外の例は、 サイモン・フリス 『サウンドの力』 (Simon Frith, Sound Effects. Youth, Leisure, and the Politics of Rock'n'Roll; 晶文社, 1991) の「レコードを作る」の章、特に、p.132 あたりを参照)。 先駆的な動きに場を提供する独立系レーベルという意味で、 「Rough Trade の編集盤に rock / pop の名演が多い」という話は、 「1950s後半の Blue Note / Prestige / Riverside といったレーベルに modern jazz の名演が多い」 というレベルの話と大して変わらない、と思わざるを得ません。 むしろ、1980sのポストパンク期にインディーズの役割がいきなり浮上したように見えるのは、 インディーチャートやカレッジラジオ、それを支持するメディアを通して「インディーズ」がマーケティング用語となり、 インディーズの役割が前景化・可視化したからだと思います。
だから、独立系レーベルとして Rough Trade のようなポストパンク期のものだけを取りあげて、 「パンク/オタク/ハッカーの共時性」のような時代の話に繋げられることに、僕は非常に違和を感じます。 それに独立系レーベルのあり方が「「ポスト資本主義社会/ポストモダン」における商形態」だとも僕は考えていません。 音楽業界におけるインディーズのメジャーに対する関係は、 「メジャーに対する批判的存在でありながら、その予備軍である」という点で、 例えば、スポーツ文化におけるワールドゲームズ参加競技のオリンピック競技に対する関係と相同だと、 僕は見ています (関連発言)。 そして、周縁的な動きを中心を新陳代謝していく原動力として利用していくこと、そしてそれをシステム化していくことは、 実はとても近代的なことなんだろう、とすら僕は思っています。