Александр Сокуров (Aleksandr Sokurov) の映画を正月に観たり、 『無声時代ソビエト映画ポスター展』 (Плакаты Советских Филъмов Времени Немого Кино) を観たり、 ロシア盤のCDやDVDをまとめ買いしたり、と、最近キリル文字を読む機会が続いてます。 といっても、ロシア語をちゃんと勉強したことはなく語彙も文法もさっぱりですが。
ただ、Russian Avant-Garde の映画や美術・デザインを、 もしくは旧ソ連・東欧の underground/independent/alternative な音楽を 10年以上追いかけているうちに、 音としてキリル文字を読むくらいはできるようになってしまいました。 固有名詞はもちろん、固有名詞以外でも西欧由来の外来語であれば、 例えば、展覧会タイトルの Плакаты は "Plakaty" だからポスター (ドイツ語で Plakate) だろう、とか、 そのポスターに РЕЖИССЕР と書かれていれば、 "REZHISSER" だから監督 (フランス語で régisseur は助監督ですが) だろう、 とか、その程度は判ったりします。 ギリシャ文字もキリル文字と同じレベルで読むことはできます。 おかげでデザインとしてNの代わりにИを使う「偽キリル文字 (faux Cyrillic)」や Eの代わりにΣを使う「偽ギリシャ文字 (faux Greek)」を 読むのに戸惑いがちですが……。デザイン的にもダサく感じがちです。
そんなキリル文字づいた勢いで、このブックレットを手に取ってみました。
ロシア語をはじめ旧ソ連・東欧の多くの言語で使われている キリル文字 (Кириллица, Cyrillic alphabet) の歴史を、 9世紀のグラゴール文字から東欧革命後のインターネット時代まで辿る本です。 A5判64ページのブックレットということで入門的な軽い内容ですが、 単色刷ながら図版も多くて楽しめました。 特に興味深かったのは、18世紀のピョートル大帝の文字改革から 1917-18年のソビエト革命時の正書法改革にかけて。 字体デザインの近代化、というか。 現在のキリル文字の字体デザイン原理 (セリフ、ストロークなど) はラテン文字と同じで、 キリル文字に拡張されたラテン文字のタイプフェイス (Times とか Helvetica とか) も少くなくありません。 それが可能なのも、ピョートル大帝の文字改革のおかげなのだなあ、と。
キリル文字のタイプフェイスやタイポグラフィについて もう少しつっこんだ話を読みたいと思うのですが、参考文献に挙がっているのは 「特集:スラヴ文字」 (『たて組ヨコ組』第53号, モリサワ, 1999)。 『たて組ヨコ組』は1983年から2002年57号まで発行された モリサワの季刊PR誌のようですね。 ううむ。古書店を探すしか無いのか……。
キリル文字のデザイン関連情報を調べていて気付いたのですが、飯田橋の 印刷博物館で 『ブルガリアで生まれた ——「キリル文字をポスターに」展』 という展覧会が始まります。これは是非観に行きたいものです。 キリル文字のタイプフェイスやタイポグラフィについての情報が得られるかな、と。 印刷博物館のライブラリーに『たて組ヨコ組』があるのですが、 貸出・複写サービスは無く閲覧のみ。うむ。
この展覧会が関連イベントだということで気付いたのですが、今年は、 日本・ドナウ交流年2009なのですね。をを。 まだイベントカレンダーはスカスカですが、 オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア関連の展覧会や舞台公演などがいろいろ観られそうです。 しかし、イギリス年やフランス年は一国開催ですが、 これは4ヶ国合同開催なんですね。ふむ。
商用目的のカラオケ装置、カラオケボックス、通信カラオケの3つについて、 その発明者・考案者を丁寧な取材で追った本です。 また、カラオケ音源制作の現場に一章を割いています。 読んで意外に思ったのは、「カラオケの発明者」の特定が困難だというのはもちろん、 その技術がほとんど特許化されていないということでした。
丁寧な取材はもちろん、カラオケ機器が同時多発的に開発された背景には 高度成長期のふんだんな交際費があったという指摘は、 『Jポップとは何か —— 巨大化する音楽産業』 (岩波新書 新赤版945, ISBN4-00-430945-X, 2005) [読書メモ] での「渋谷のパルコ化、全国のパルコ化」とも共通するところがあって、 この視点はこの著者らしいなあ、と。
「カラオケの発明者」の定説を丁寧な調査で覆すような所は 安岡 孝一, 安岡 素子 『キーボード配列 QWERTY (クワーティ) の謎』 (NTT出版, ISBN978-4-7571-4176-6, 2008-03-18) [読書メモ] と共通点を感じる所もありますが、 『カラオケ秘史』の登場人物は、どの人も、特許や規格を使った市場の独占に無頓着。 そこがビジネス的には甘いのかもしれないですが、 良いなあ、と、思ったりもしました。
最近読んだ新書 (新刊ではありません) の中から、それなりに興味深かったものを簡単に読書メモ。
韓国に残る20世紀前半植民地時代の近代建築や日本家屋を辿る本です。 建築やそれが残る街区の由来の話を通して、日本の植民地支配の実際が見えてくるよう。 取材紀行的な文体はこのような堅めの主題には合わないような気もしましたが、 取材時のエピソードも、このような建築が現在の韓国でどう見られているのか伺われます。 あまり詳しくないこともあり、興味深く読むことができました。 ただ、紹介された建築や街区の建築年代や様式に関する情報は 紀行的な記述とは別に判りやすく体系的に示して欲しかったですし、 写真と本文がちゃんと関係付けられていないのも不親切。 編集のレベルでどうにかならなかったのかと……。
史跡を辿る気楽な紀行本だろうと手に取ったのですが、良い意味で予想は外れ。 一応紀行物的な記述も少しありますが、読み応えあるスコットランド史の入門書です。 特に、十六世紀の宗教改革から1707年のイングランドとの合邦を経て 十八〜十九世紀の産業革命に至る近世・近代史に焦点を当て、 スコットランドのアインデンティティの形成過程を描いています。 近代的な民族アイデンティティ形成の一例を読むようでした。 キルトやタータンの伝統が十九世紀に作られたものだという話についても、 単に仕掛け人 Sir Walter Scott を紹介するだけでなく、 普及に軍隊が果たした役割なども描いています。 スコットランドにおける宗教改革の激しさや、十八世紀後半のスコットランド啓蒙など、 この本で知ったことも多く、勉強になりました。
機関銃の発明から普及までの受容を通して、当時の人々の考え方を描いた本です。 機関銃が登場した最初の戦争である19世紀後半のアメリカの南北戦争に始まり、 機関銃が本格的に利用されるようになった20世紀前半の第一次世界大戦を経て、 そして、アメリカのギャングや警察組織で軽機関銃が利用されるようになった 大戦間期までを描いています。
そのメインとなるのが、欧米の軍部が機関銃の導入に対して示した抵抗です。 第一次世界大戦まで欧米の軍部将校たちは近代的な火力や通信機器等を軽蔑しており、 第一次世界大戦で兵士達は機関銃掃射に全身を晒す突撃を強いられたという。 このエピソードを読んで思い出したのは、太平洋戦争における日本軍の戦い方です。 例えば、NHK取材班(編) 『太平洋戦争 日本の敗因 2 —— ガナルカナル 学ばざる軍隊』 (1993; 角川文庫 ん3-13, ISBN4-04-195413-4, 1995-05-25) が描くような。 しかし、第一次世界大戦まで欧米の軍隊も「学ばざる軍隊」だったのでした。
その一方で、19世紀末から、ヨーロッパのアフリカ植民地支配や、 アメリカでの労働運動の弾圧に、機関銃は積極的に利用されていきます。 少数の兵力でのアフリカ植民地化を可能にしたのは、機関銃であったと。 これは、正規軍ではなかったため機関銃使用への抵抗が小さかったことと、 銃口を向ける相手に対する差別意識があったため、と、著者は述べています。
この本は第二次大戦前の軽機関銃の登場で終ります。 その後に続く話があるとしたら、やはり、突撃銃カラシニコフの話でしょうか。 カラシニコフについては、 松本 仁一 の『カラシニコフ I』 (2004; 朝日文庫 ま16-3, ISBN978-4-02-261574-9, 2008-07-04)、 『カラシニコフ II』 (2006; 朝日文庫 ま16-4, ISBN978-4-02-261575-6, 2008-07-04) があります。社会史的な記述ではなく、現在の国際社会のドキュメンタリーですが。
Twitter の自分界隈で局所的に (って、自分を含めて2名か) 盛り上がっていたこの新書の読書メモ。
当時の記録はもちろん、 琵琶法師によって伝承された『平家物語』などの軍記物語や『俊徳丸』などの説経節、 ラフカディオ・ハーン『耳なし芳一』やその元となった琵琶法師に関する伝承を通して、 琵琶法師が辿った平安時代から現代に至る歴史を描いた新書です。
この新書が素晴らしいのは約20分の映像を収録した 8cm DVD が付録として付いてくること。 収録されているのは、肥後の琵琶法師 山鹿 良之 (1901-1996) の演唱する『俊徳丸』の三段目(部分)。 山鹿の自宅で著者が録画したもので、物語の字幕程度で映像上の演出の類は全くないのですが、 凄さが直に伝わってきます。 その上、語っている物語も、俊徳丸の継母おすわが清水寺で呪い釘を打ち付ける場面という。 近代的なアーティスト的な技巧でもなければ、売れっ子芸人のオーラでもない、土俗的な凄みというか。
もちろん、新書本体の方も読み応えがありました。 芸能史というと近世被差別民関連のものを読むことが多かったのですが、 この本の話の中心は、軍記物語や説経節が成立した中世。 あまり知らない事も多く、 平安時代までの宮廷文化に代わる新たな芸能文化の成立を、琵琶法師を通して読むような興味深さがありました。 特に、軍記物語や説経節にある、平家怨霊慰鎮や源平交代説という国家レベルの物語と 盲目の芸能職能民の物語の重層を解きほぐして読み解いて、 そこから琵琶法師の歴史を浮かび上がらせていく所が、スリリング。 この内容に付録DVD付きで税込1029円というのも、素晴らしい。おすすめ。
この本を読んで、軍記物語や説経節をちゃんと読もうかな、という気にもなったりしました。が、 『説経節』 (平凡社東洋文庫 243) は版元品切。うーむ。ま、とりあえず、 『平家物語』 (岩波文庫) からかなあ。
しかし、『子どもの貧困』 [読書メモ] といい、 最近の粗製濫造新書の中で、 岩波新書は読み応えのある内容のものを比較的多く出しているように感じます。 この調子で頑張って欲しいものです。
退院後に最初に手に取った本が面白かったので、さっそく読書メモ。
中世以前のイスラーム世界、特に、イスラーム帝国アッバーズ朝 (首都バグダッド) から カイロを首都としたアイユーブ朝、マルムーム朝にかけての 砂糖に関わる生産技術、商業活動や食文化などを、 欧米経由の見方ではなく、当時のアラビア語資料に基づいて描いた本です。 この地域・年代については王朝の交替について教科書レベルのことを知っている程度。 社会について具体的イメージをほとんど持っていなかったので、 とても興味深く読むことができました。 入門書というより学術書という作りの本で、正直、人名を追うのにもいささか苦労しましたが。
この時代に成立した製糖技術に関する記述など、 当時の最先端科学技術としてのイスラーム科学の一端を見るよう。 古代ギリシャ・ローマの科学を承けた記述も多く、その継承者だったんだな、と。 また、この本には出てきませんが、アルコール蒸留技術も、同時期に成立しているわけで、 精製技術という意味では何か共通するものがあったのかな、とも思ったりしました。 商業活動の記述も、王朝や君主の交代劇とは違う人間らしらを感じて、面白いです。
資料の翻訳引用が多く、そこが興味深いのですが、 その中で特に面白かったのがアッバース朝の宮廷料理のレシピの紹介。 その砂糖をふんだんに使いバラ水を使う肉料理って美味しいのか? と思ってしまいましたが。 中東の砂糖をふんだんに使った菓子といえば、 トルコ料理店などで定番の甘いデザート、バクラヴァを思い出すわけですが、 それに相当しそうなレシピが出てこなかったのは、少々意外でした。 しかし、製糖技術にしても料理レシピにしても、資料テキストの紹介がほとんど。 この本の守備範囲を越えるかなとも思いましたが、 製糖プロセスの図解や料理の再現写真のような図版があればもっと面白かったもしれません。
この本を読んでいて、昔、 アミン・マアルーフ 『アラブが見た十字軍』 (リブロポート, ISBN4-8457-0218-5, 1986) という本を読んだことを思い出しました。 ほとんど内容を思い出せないので、再読するのも悪くないかな、と思ったりしました。 とりあえず本は発掘したけど……。
入院中に読んだノンフィクションの本も1冊くらい紹介したいとは思ってるんですが、 『砂糖のイスラーム生活史』がとても面白かったので、こちらを先に、ということで。
入院中に読んだ本の読書メモ、ノンフィクション編。 新刊ではありませんが、最も面白かったのはこれでした。
明治12年 (1978年) の円筒式錫箔蓄音機 (Phonogrph) の輸入に始まる 近代日本のレコード受容の歴史を描いた本です。 最後の第7章「音の追求」で戦後のLP以降の歩みを描いていますが、蛇足という感じは否めず。 明治から昭和戦前期の円筒式〜SP盤の時代を描いた本と言っていいでしょう。 どんな人が輸入や国産化に奔走したのか、 初期のSP盤にはどんなタイトルが多かったのか、 戦前レコード文化 (SP盤文化) は戦争でどうなったのか、といったことを 資料文献に基づいて描いています。 レコードの受容を通して読む、日本の近代化、としても読めるでしょう。 しかし、触れられているSP音源を聴くことなく、本だけ読むというのも物足りないものです。 個人的にはここを深追いする余力はあまりないのですが、 併せて聴くのにちょうどいいコンピレーションでもリリースされればいいのに、と思います。 併せて聴くのにいい手頃なアンソロジーで お薦めがあれば、ご教示下さい。
この本に出てくるSP盤化された戦前の音楽・芸能の話を読んでいて、 自分が『ミュージックマガジン』誌を購読していた1990年前後に 「日本の芸能 100年」という連載があったことを思い出しました。 あの連載って、完結して単行本化されたのかしらん? と、検索してみたら、 「『ミュージック・マガジン』誌連載 「日本の芸能100年」 見出し・執筆者 一覧」 (山田 晴通, 2007) というページを見つけてしまいました。こうして見出しだけ見直しても面白そう、というか、 いま読み返しすと当時より遥かに面白く読めそう、と思います。 といっても、雑誌はもう手元には無いのですが……。 単行本化についてはよく判らず。 執筆者別に変えて違う単行本に収録されていたりするのかもしれませんが。
久しぶりの読書メモは、再読物。読み直して気付いたりしたことなど。
成美 弘至 『20世紀ファッションの文化史 —— 時代を作った10人』 (河出書房新社, 2007) の読書メモを以前書いたとき、 「『ファッションの20世紀』をデザイナーを主役に組み換えたような感じ」 というようなことを書いたわけですが、ちゃんと読み直してみると、かなり違いました。 特に、第二章「国民服と標準服——総力戦とファッション」など 作家 (デザイナー) 主義的な歴史観からは抜け落ちてしまうような点ですし、 第四章「ミニ・スカートからパンクへ——対抗文化とファッション」の記述の多くにしてもそう。 そういう意味で、柏木 の本の方がスコープが広いです。
この本の再読は、東京都現代美術館での 展覧会を 観に行く前の予習を意識したところもあったり。 けど、週末の予定も立て込んでるし、来年頭までやってるので、直ぐには観に行かなさそう……。
5年ほど前に読んだときは、 モダンな見世物的空間としてとしての招魂社〜靖国神社の姿を描いた所が強く印象に残ったのですが、 今回最も興味深く読んだのは、 アヴァンギャルドなモダニズム建築とキッチュな帝冠様式建築、そしてナショナリズムとの関係を 九段下の軍人会館 (帝冠様式) と野々宮アパート (モダニズム) を通して読み解く 第九章 「軍人会館と野々宮アパート」。 画廊九段 や 『光画』『FRONT』 といった雑誌、舞踏家 伊藤 道郎 の話など、 当時の前衛的な芸術の動きと関連付けられているのも興味深く読めました。 この章に関連して、山口 昌男 『「挫折」の昭和史』 (岩波書店, 1995; 岩波現代文庫 2005) と 北澤 憲昭 『岸田劉生と大正アヴァンギャルド』 (岩波書店, 1993) も、読みたいものです。