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text by Takawo Nishi


〜98-99シーズン編・その5〜

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1月11日
 ユベントス×バリは1-1のドロー。やけにバリ贔屓の解説・金田さんの後押しが効いたわけでもないだろうが、バリの同点ゴールは、ユーベのホームゲームとは思えない判定によるPKであった。あれを取るならインザーギが倒されたのもPKじゃねーのかよ、おい。
 ま、インザーギが決めるとこ決めてくれてりゃ、何の文句もなかったんだけどさ。あきまへんなー。おまけにサモラーノはいまごろハットトリック決めたらしいし。実は俺、例のコンテストでもう一口参加していて、そっちのほうはブービー争いをしている(つまり、もう得点を増やしたくない)のだが、なんとサモラーノを指名しているのであった。決めて欲しい奴は決められず、もう決めて欲しくない奴は大活躍。完全に運気が下降線である。

 ところで、カズの出場するザグレブの試合を中継する奇特なテレビ局って、どこなんだろうか。日本人が海外に行くたびに中継してたら、そのうちキリがなくなるんじゃないかね。Jスポーツでは森山のスロベニア・リーグまで放送するみたいだし。そういえば小野はテレビで「プレミア・リーグに行きたい」と言っていた。「マンチェスターが触手」みたいな報道もあったと思うけど、スカパでしか見られないのは困るなぁ。

1月10日
 ペルージャ×ウディネーゼ観戦。今夜にかぎっては、おそらく日本で唯一の熱狂的ウディネスタ(そんな言葉ないか)として声援を送る。勝ったのはいいけど、ウディネーゼの2点目、なんであれがオウンゴールなんだよ。何度も言うけど、俺はアモローゾが点を取ってくんないと困るんだってば。あれは彼のゴールだろ、誰が見たって。DFに当たってコースが変わることはよくあるけど、ふつうオウンゴールにはならないぞ。だいたいオウンゴールの定義って何なんだ。ディフェンダーの「ミス」と言える面が少しでもあったときに、初めてオウンゴールになるんじゃないのか。あれがオウンゴールにされたんじゃ、アモローゾもディフェンダーも俺も気の毒すぎる。
 それに加えて中田のファイン・ゴールである。ああいうシュートって、ふつうは「とりあえずシュートで終わりました」で済むもんだろ。なんで入っちまうんだ。利害関係がなければ手放しで賞賛するんだけどよ。頭抱えたぜ。こうなったらはっきり言うけど、俺はあるセリエAゴール数予想コンテスト(前半戦の第17節までが対象。各自ストライカーを6人指名してその合計得点数を争う)で、第15節まで1点差の2位だったのよ。んで、アモローゾを指名してるのは俺だけで、1位の人は中田を指名してるわけ。つまり今夜の試合は、勝負を大きく左右する大詰めの決戦だったのである。それが最悪の結果。おまけにアモローゾは途中で引っ込んじゃうし。彼がピッチを去ったとき、愚妻に「あなたって、そういう人なのよ」と言われた。ありゃまこりゃまそりゃま。
 まあ、こんなことに文句つけてんのも、日本で俺だけだと思うけど。広く世界を見渡しても、アモローゾと俺の2人だけだろうな。ちくしょーめ。ほかの5人はゴールを決めているのだろうか。

 昨日、渋谷で買い物をしたついでにまたカンピオーネに寄る。「そこまでマニアックなものはなかった」と前に書いたが、なんとアヤックスのセカンド・ジャージが今回はあった。買わなかったけど、日本って変な国だよなー。ま、それを「欲しい」と言っていた俺も変な日本人なんだが。
 ジャージは買わなかったが、『トータル・フットボールのすべて〜74年、78年のオランダ代表』というビデオを発見してゲットした。「クライフのトータル・フットボールとはなんぞや?」というのが、俺の以前からの大いなる疑問だったからである。これを見れば、オランダ・サッカーの原点が理解できるはずだ。そう思った。
 ところが、である。世界に衝撃を与えたと言われるオランダの戦術をチョークボードか何か駆使して解説してくれるのかと思ったら、単なるW杯の総集編ビデオだった。若干、オランダの試合が多めに収録されているとはいえ、西ドイツ大会もアルゼンチン大会も開催国が優勝しました、というだけの話。最後までトータル・フットボールの正体は明かされなかった。騙された。いや、総集編として見れば面白いんだけどさ。アルゼンチンのケンペスって、めちゃめちゃ巧かったんだなぁ。
 それにしても、トータル・フットボールである。俺がこれまでに断片的に仕入れた知識だけで判断すると、「ローテーション・フットボール」という別名どおり、10人のフィールド・プレイヤーが変幻自在にポジションを移動しながら戦う、というイメージなのだが、そういうことだったんだろうか。ビデオでも、中盤の選手がDFにボールを預けて後ろに下がり、ボールを受けたDFがするするとゴール前まで上がっていく、というシーンが2つ3つあった。ああいうことなのか。そう単純なことではないような気もする。誰か解説してくださいませんかね。

1月9日
 ミラン×ユベントスは1-1のドロー。どうもインザーギはムラっけがあっていかん。最後のフォンセカからの折り返しはねじ込んでもらわないと困る。ちなみに俺はわけあって、前半戦の残り2試合、インザーギ、ビエリ、アモローゾ、ネドベド、シニョーリ、サラスがたくさんゴールを決めてくれると(あるいはその所属チームが勝つと)、とても嬉しい結果になるんである。逆に中田君には、あと2試合、どうかおとなしくしていてもらいたい。頼むから。

 それはともかく、イタリアもスペインもリーグ戦は混戦模様である。今の順位でいくと(は考えにくいが)、ユーベもインテルもレアルもバルサも来季はチャンピオンズ・リーグに出られなくなってしまう。オランダではアヤックスも危うい感じだし。このあたりが雁首揃えてUEFAカップに回る、なんてこともあるわけなのか? マジョルカとかCLに出てきたら、なんかシラけそうだ。このあいだチラリと見たのだが、どうやらスペインにあるまじき「守ってカウンター」のチームらしい。
 こうして見ると、今季のCLは見事にメンツが揃ったということだったのだなぁ。CLがいつもこういう品揃えになるとは限らないと考えると、スーパーリーグってのも魅力的に思えてきたりして。そりゃあ、やれば儲かるだろうよ。定期的に、バルサ×ユーベとかレアル×マンチェスターUとか見られるわけだから。目先の快楽だけを追うなら、見たくないサッカーファンはいないと思う。ま、そういう顔合わせはたまに実現するからこそ興奮も倍増するんだろうけど。でも、MLBのインター・リーグ的な企画がセリエAとリーガ・エスパニョーラの間であったら楽しいだろうな。あるいはポルトガル・リーグを加えた「南欧カップ」とかさ。各国のカップ戦は注目度も低いから、少し統廃合してもいいような気がするぞ。

1月8日
 オランダ×ガーナ(親善試合)観戦。0-0のドロー。しっかりせんかベルカンプ。

 久々に復活した週刊文春の「顔面相似形」には、やられた。ロマーリオと郷ひろみ、TOSHIと中山ゴンにも笑ったが、何と言ってもカズと竹下登があんなに似ていたとは。気づかなかった。ま、写真がないと成立しないネタではあるが。本誌の「似てる人シリーズ」も、ますます精進せねばならない。

 以前、ある著者からこんな話を聞いたことがある。アメリカのテレビが古いドラマ(奥様は魔女、とか)をくり返し再放送し続けるのは、共通の話題を提供することによって世代間のコミュニケーション・ギャップをなくそうとしているからだそうだ。歴史の浅い国だけに各世代をつなぐ伝統文化がなく、それをテレビが補っているという。
 それがあらかじめ意図されたものかどうかは検討の余地があるような気がするが、少なくとも結果的にテレビがそういう役割を果たしている部分はあるんだろう。おじいちゃんと孫、部長と新入社員のあいだでも、同じドラマについて語り合える、というわけである。
 もちろん、この話は、「翻って日本は……」という具合に続く。その著者の言を待つまでもなく、日本は長い歴史を持つようでいて、戦後社会に限定すればアメリカよりもはるかに短い歴史しか持っていない。そしてこの半世紀のあいだ、社会のあらゆる分野で目の回るようなモデルチェンジ、際限のないスクラップ&ビルドをくり返してきた。それが経済を押し上げてきたことは言うまでもないが、結果的に世代間のコミュニケーションを分断する一因になったことも事実だろう。経済成長はゴミの量に比例し、ゴミの量が増えれば増えるほど世代の断絶サイクルは短くなる。そして親の世代と子の世代は、共通の言葉を持ちにくくなってしまった。
 何が言いたいかというと、日本代表のユニフォームに注文をつけたいのである。「炎」が消えたこと自体は歓迎するが、こうもめまぐるしくデザインのコンセプトを変更していいものだろうか。俺が苛立つのは、そこに「スタンダードなものを作ろうとする意思」が感じられないからなのだ。
 もしサッカーの強化に国全体の一体感が必要なのであれば、代表ユニフォームのデザインはあらゆる世代が等しく愛着を感じられるものでなければいけない。伝統を築く気構えがあるのなら、デザインの変更はマイナーチェンジにとどめ、まずは今後100年使えるぐらいのスタンダードなものを定着させることを考えるべきなのだ。過去の経験や記憶を「スクラップ」にしてはいけない。スタンダードな価値観(=伝統)のないところには、「誇り」も「憧れ」も生まれないと思う。われわれが代表のユニフォームを通じて自分の子供や孫の世代と一体感を持てるようになったとき、日本サッカーは世界で一定の存在感を示せるようになっているのではないだろうか。ロマンティックすぎるかもしれんが。
 しかし「炎は燃え尽きました」などという協会関係者のふざけたコメントを聞くと、あらためて絶望的な気分にならざるを得ない。サッカーにしても野球にしてもラグビーにしても、高校や大学は各校の伝統的デザインを大事にしているのに、そのメンタリティがどうして学校の外には及ばないのだろう。「経済」がからんだとたん、人は節操をなくすということなのか。学校スポーツは日本のスポーツ界に多くの弊害をもたらしたと言われるが、この点を含めて肯定的にとらえられる面も少なくないような気がする。

1月7日
 バリ×ペルージャ観戦。ペルージャの横縞ユニフォーム、俺は初めて見たんだけど、ニューバージョンなんだろうか。ぜんぜんピッチに映えてないぞ。なぜか俺はコンビニのおにぎりを連想してしまった。あの、最初に真ん中の部分をタテにぺろりとはがすタイプのやつ。ほら、そう言われると、タテに黒くなってる部分が海苔みたいに見えてくるでしょ? 見えませんか。見えろよ。
 ユニフォームと言えば、日本代表の新デザインから「炎」が消えてくれた。協会もやっと俺の意見に耳を傾けるようになったな。そんなこと、あるわけないのである。ともかく、炎が消えてくれただけで大歓迎だと言っておこう。だからといって新デザインが素晴らしいとも思えないが、ま、ユニフォームの善し悪しってのは選手が着てプレイする姿を見てみないとわからないもんだ。
 でも新聞で見るかぎり、あの青はあんまり美しくない。そもそも、なんで青が「伝統の色」になったのか意味不明だが(海と空なんてまったく日本独自のシンボルだとは思えないし)、俺としては、赤(もしくは桜色)と白の縦縞でいいと思う。青系統にこだわるんなら、濃紺か藍色を使ったほうが日本らしくていい。

 まったく話は変わるが、30を過ぎるとなぜ人の名前を忘れるのだろうか。昨夜、飼っているサルを風呂に入れているとき、どういうわけか「オネスティ」の旋律が頭に浮かんだのだが、それを歌ったアメリカ人シンガーの名前がどうしても思い出せなくなって愕然とした。やっとビリー・ジョエルの名前を思い出したと思ったら、「まったく、このあいだもあの女優の名前忘れたんだよなぁ。あの、ハンフリー・ボガートの奥さん。えーと、……あら?」と二次災害を起こしてしまった。正解はローレン・バコールである。こちらは妻に教えてもらうまで思い出せなかった。ローレン・バコールを忘れたのは5回目ぐらいで、俺にとっては鬼門なのだ。
 名前を思い出そうとする瞬間って、頭の中に死神みたいな奴が登場して「へっへっへ、その名前は思い出せないんだよーん」とでも言うような意地の悪い笑みを浮かべながら黒いカーテンをサッと閉じる音が聞こえるような気がする。ああ、あと5秒開けておいてくれたら思い出せたのに、という感じ。
 あと不思議なのは、たとえばローレン・バコールを思い出そうとするとき、必ず「たしか"キ"で始まるんだよなー」と思ってしまうことだ。"キ"なんて一つもつかないのに。……あ、そうか。いま気づいたが、最初にローレン・バコールを見たのが「キーラーゴ」という映画だったからか。なるほど。でもそのお陰で、いつもキム・ベイシンガーとかキム・ノヴァクとか関係ない名前ばかり頭に浮かぶのである。ちなみにジム・キャリーを忘れたときにはトム・ハンクスの名前ばかり浮かんで往生した。これはわかるような気がするが。あれ、わからないですか。昨夜ビリー・ジョエルで苦しんでいたときは、いっさい何も思い浮かばなかった。そんな自分が怖かった。
 無理やりサッカーに結びつけるわけではないのだが、ペルージャのラパイッチとビリー・ジョエルは似ている。ついでに言うと、この2人はプラティニにも似ていると思う。

1月6日
 バルセロナ、大爆発である。昨夜放送の対アラベス戦(1月3日開催)は7-1の大勝利で、KKコンビ(倉敷&金子)も納得の出来映えであった。ルイス・エンリケ、リバウド、途中出場のオスカルがそれぞれ2ゴールにフィーゴの1ゴールで、計7ゴールだ。ファン・ハールの逆転優勝宣言は単なる強がりではなかったのかもしれない。
 たしかにボールはよく動くし、何より自信満々のプレイぶり。年が明けただけで、こうも変わるもんかね。グアルディオラの復調がチーム全体に勇気を与えたのか、はたまたトップ下に突貫小僧ルイス・エンリケを戻したのが功を奏したのか。
 しかし愚妻によれば「クライファートが疫病神だったんじゃないの?」とのこと。ああ、それを言ってはいけないのに。クライファート、このゲームは出場停止だったんだよねー。地元では絶大な人気を誇るというオスカルにポジション取られてしまいそうだ。来季、彼はどこのチームにいるんだろうか。ま、コンサドーレぢゃないことは確かだろうけど。
 ちなみにアラベスというのは2部から昇格したチームで、去年まで横浜Mにいたサリナス(元バルセロナ)を最近になって獲得したのだが、マリノスとの契約が1月5日までだったので、このゲームには出られなかったとのこと。「懐かしのカンプ・ノウでプレイできないのは残念でしょうけど、日本に行った時点で、もうそんな日は来ないと思ってたでしょうから」とは金子達仁のコメント。サッカー選手の人生も忙しいものである。
 バルサ戦の前に見たレアル・マドリード×テネリフェは4-0でレアルの楽勝。後半途中からの観戦だったが、サビオの3点目を生んだセードルフのスルーパスは見事だった。4点目はラウールがパヌッチの後方からのクロスにヘッドで合わせたもの。彼、ほんとに後ろからのボールの処理は絶品である。しかしKKコンビはこの日のレアルの出来に不満足のご様子だった。相手が弱かっただけらしい。どうでもいいけど、バルサ戦もレアル戦も3日に開催されたゲームである。KKコンビ、どんなスケジュールで仕事してるんだろうか。どちらもこのペアで放送してくれるのは嬉しいが。ちなみにスーケルはフル出場していたようだが、いいところなし。終盤にモリエンテスが投入されてからはサイドのほうに追いやられ、完全にふてくされていた。ほんと、もう移籍したほうがいいと思う。年上の女優とも別れて。
 いよいよ来週は、レアルがいまだに首位を走るマジョルカと、バルサはビルバオと激突するらしい。スペインリーグも一気に盛り上がってきた感じだ。見たい人は、いますぐディレクTVとご契約を!(笑)
 それにしても、インテルやユーベが今のバルサとどう戦うのか、CLで見てみたかったよなぁ。すっかり邪教集団に情が移っている俺であった。

 今朝の朝日新聞によれば、W杯隔年案にロナウドは賛成し、UEFAは猛反発しているらしい。しかしブラッターという人はいつも企画倒れのアイデアばかり口にする(例の「キックイン」も彼の提案だったんですね)そうだから、ちょっと言ってみただけのことなんだろうな。マトモに取り合わないほうがよさそうである。

1月5日
 昨日から仕事を再開。いきなり時間的に追い詰められているせいか、正月ボケもあまりなく、せっせと資料整理に励む。今回執筆するのは高校野球関係のエッセイで、ライター稼業を始めて10年目にして初のスポーツがらみの仕事である。つい筆(指)がすべって勝手なことを書いてしまいそうで怖い。ちなみに先月は刑法の一般向け解説書を書いていた。我ながら呆れる器用貧乏ぶりである。

 昨夜は、バルセロナ×バイエルン(CL第4節)、モナコ×マルセイユ(UEFAカップ3回戦第2戦)、スペイン・リーグ(対戦カード忘れた)をザッピング。CLは前にBSで見たゲーム(2-1でバイエルンが勝ったやつ)だった。UEFAカップはどっちが勝ったんだろう。マルセイユが先制したところまでしか見てなかった。スペイン・リーグは倉敷アナが例によって楽しそうに実況していたことと、ピッチが野原のようにぼこぼこだったことしか覚えていない。バルサやレアルも、あのグラウンドで試合するんだろうなー。なんか気の毒。
 どうでもいいが、この日誌、WOWOWやディレクTVのPR記事みたいになってるような気がする。ディレクTV、スポンサーになってくれないもんだろうか。うまくすれば、J2チームのユニフォームにロゴ入れるよりは宣伝効果が上がるかもしれないですぜ。んなこたないですね。

 あらためてW杯隔年開催について考えてみたのだが、「代表チームの活性化」という表向きの理由は、たしかにアジアやアフリカには当てはまるかもしれない。なにしろ毎年、予選か本大会があるわけだからな。一方、選手の疲弊による欧州各国のレベルダウンは避けられまい。しかもチャンスが増えるわけだから、アフリカやアジアのチームがW杯を制する日も近づくというものだ。
 でもねぇ。欧州で何が起きるかというと、たぶん過密スケジュールをこなすためにクラブチームの登録選手数を増やすことになり、その結果、アジアやアフリカの選手がいま以上に欧州リーグに引っこ抜かれることになる。いまでさえ岡野がアヤックスの入団テストを受けるとか何とか言ってるぐらいだから、それこそ今のMLBがそうなっているように、高校サッカーの有力選手たちがいきなり欧州行きなんてことにもなりかねない。それはそれで結構なことだけど、Jリーグどうすんだ。ブラジルみたいに国内に掃いて捨てるほどの人材が溢れてりゃ国外に選手がばらけても大丈夫だろうけど。日本みたいな国は、国内のクラブが充実しないと代表も強くならないような気がする。だいたい、国内が充実してないと海外からも声がかからないわけだし。
 なんか、えらく先走っていろいろ考えてしまう俺だが、やっぱW杯は4年に一度ぐらいでちょうどいいんじゃないかね。予選や本大会が毎年あったんじゃ、仕事にも支障を来しそうだしさ。いや、仕事って俺の仕事のことだけど。どうしても何かやりたきゃ、高校野球の「センバツ」的な大会を企画したらどうかね。FIFAランキング上位16ヶ国のホーム&アウェーによる対抗戦、とか。

1月4日
 なんと! W杯隔年開催案をFIFAのいちばん偉い人がほのめかしたらしい。ってことは、欧州選手権とW杯が同じ年に開催されることもあるわけなのか? 予選も並行してやんの? よくわからんが、選手は死ぬぞ。スーパーリーグへの対抗策という話だが、こういうのを自爆行為と言うんじゃなかろうか。量が増えれば質が劣化するのは理の当然である。それに、地球人はそこまでサッカー見たいのかしら。おせち料理だって、3日食えば飽きるぞ。

1月3日
 セリエA第11節、インテル×サレルニターニャを後半だけ観戦。0-1の劣勢から、後半40分すぎぐらいに同点、ロスタイムに逆転したインテルの勝負強さに触れ、再び精神力について考える。やはり「俺たちが負けるわけがない」という信念(あるいは「物語」と言ってもいい)を持ってる奴は強いのだ。

1月2日
 ラグビー大学選手権準決勝、早稲田は関東学院に惨敗。伝統と経験だけでは勝てないのであった。あはは。

1月1日
 年が明けたのである。1999年なのである。知らんぷりして平然としようと思っても、なかなかそうはいかない数字である。1999年。いままで(少なくとも俺が生まれてからは)西暦年は最大でも下2ケタが変わるだけのものだったが、来年は4ケタ一気に変わるのである。カチャカチャっと。この煮詰まり感と激変感が人間心理に与える影響は、やはり侮れないような気がする。コンピュータに与える影響もね。大丈夫なのか2000年問題。
 天皇杯決勝は、横浜Fが2-1で清水を下す。なんという日本人好みの結末。いや、最後に負けたほうが日本人好みだったか。何にしても、今回のフリューゲルスといい、W杯最終予選の日本代表といい、ジャンプ団体の原田といい、とことん追い詰められないと強い精神力を発揮できない日本人の体質はどうにかならんもんか。それとも洋の東西を問わず、スポーツマンとはそういうものなのか。しかし大和魂はゲルマン魂に勝てそうもないしな。ゲルマン魂にあって、大和魂にないものは何だろう。やはり行き着くところは伝統と経験か。これはサッカーにかぎった話じゃないように思える正月である。謹賀新年。



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