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在日アフガニスタン難民問題の現段階(2001.11.13筆)
 
法務省による在日アフガニスタン難民申請者の拘束・強制収容は、
逆に多くの人々の目を、日本の劣悪な難民政策に引きつけました。
東京地裁民事第三部は、アフガン人9名のうち5名の収容停止を決定。
これまでの経緯と現状を、簡潔にまとめました。

<Contents>

 
在日アフガン人・収容の経緯  

 2001年10月3日、法務省・東京入国管理局は千葉県内及び東京都内でアフガン人9名を含む12名を拘束、東京都北区の強制収容所(東京入国管理局第二庁舎収容場)に強制収容しました。東京入管はこの事件について「不法入国者を拘束」と発表、強制送還の手続を進めるとの方針を明らかにしました。 
 ところが、その後難民問題に取り組んでいる弁護士たちが、これら9名のアフガン人たちと面会したところ、驚くべき事実が発覚しました。彼らはアフガニスタンの大部分を実効支配するイスラーム教スンナ派の原理主義勢力、タリバーン政権による虐殺政策に直面し、アフガニスタンを逃れてきたハザラ人などの少数民族であり、日本入国後、すでに7〜8月の段階で難民申請を行っていた人々だったのです。 
 法務省・東京入管は、彼らが難民申請をした段階で、彼らの所在をすでにつかんでいました。テロ事件後の9月17日、彼らを含む数十名のアフガン人たちが東京入管から出頭を命じられ、彼らの母語であるダリ語で作成された質問票に応えるように言われました。その質問票には、タリバーン政権や、ウサマ・ビン=ラーデンの指導する武装組織アル・カイーダとの関係について、事細かな質問が書かれていました。そして10月3日、東京入管はねらいすましたように、9名を拘束、強制収容したのです。 
 問題が発覚して以降、法務省・東京入管はこの弾圧について、「彼らは不法入国者、経済難民である」と主張し、火消しに躍起になっています。しかし、実際にはこの弾圧は、9月11日の米国同時多発テロ事件の直後に政府首脳から法務省に対して「アフガン人を拘束して取り調べよ」という指示がなされ、それに基づいて行われたということがほぼ明らかであり、収容された9名は、収容後にもタリバーン政権やウサマ・ビン=ラーデンとの関係について質問されたと証言しています。 

集まる注目・広がる支援の輪  

 法務省の思惑に反して、反撃はすばやく準備されました。10月5日から9日にかけて、アフガン人たちは仮放免を申請。10日には「アフガニスタン難民弁護団」が結成され、強制収容に反対し、彼らの難民申請を求めるサポート活動を開始しました。15日には、98〜99年に来日し、難民認定を求めていた大阪在住のアフガン人たち4名が上京し、東京で収容されているアフガン人たちとも連帯して衆議院第二議員会館で法務省との交渉、記者会見、市民集会を行いました。そして19日、彼らは弁護団のサポートのもと、東京地方裁判所に対して、彼らを収容する法的根拠である「収容令書」を違法として取り消すよう求める訴訟と、「収容令書」の執行停止を求める申し立てを行いました。 
 マスメディアの注目も集まりはじめました。複数のテレビの報道番組で、在日アフガン人難民の苦境や、法務省の処分を批判する特集が組まれ、複数の新聞が特集記事を組むなど、注目が集まってきました。 
 法務省が、9名が「不法入国者だ」と言って拘束の正当性を主張していることについても、疑義が出てきました。昨年秋以降、外務省と法務省が「アフガン人が日本で難民申請すると困る」というあけすけな理由で、アフガン人の正規入国を厳しく制限する措置をとり、結果として2001年上半期のアフガン人の正規の入国者が、1年前の同時期の9分の1に減少したということが判明したのです。 
 この問題は、国会でも注目されてきました。衆議院・参議院の法務委員会などで、社民党民主党の議員たちがこの問題について時間を割いて質問。自民党の議員なども、「こういうことでいいのか」と問いただす状況となってきました。アフガン人たちに対する支援の輪が広がってきたのです。こうした中で、東京地裁がまず「収容令書」の執行停止申立に対してどのような決定を行うかに注目が集まってきました。 

民事第三部の歴史的決定 

 アフガン人9名の申立および訴訟は、機械的に東京地裁の民事第二部(市村陽典裁判長)に4名、民事第三部(藤山雅行裁判長)に5名が振り分けられました。最初に決定が下ったのは11月5日、民事第二部の方でしたが、内容は愕然とさせられるものでした。9名は難民の可能性もあるが、不法入国の偽装難民の可能性もある、また、難民認定手続と退去強制手続は別物であって、難民調査中に退去強制手続を別個に進めることは問題がない、だから、収容もしかたがない、というものだったのです。4名の収容は継続することとなり、弁護団は意気消沈しました。ちなみに、この決定を下した市村裁判長は、シェイダさんの裁判の裁判長でもあります。 
 ところが、その翌日に下された民事第三部の決定は、前日の決定による沈滞ムードを吹き飛ばしてあまりあるものでした。藤山裁判長は、決定文の中で、法務省側の対応を「国際秩序に反する」と糾弾、5名の収容は取り返しのつかない損害を与えるとして収容令書を執行停止したのです。5名は11月9日に、晴れて身柄を解放されました。 
 民事第三部の決定は、その内容も極めて画期的なものです。 
 難民条約は、危険にさらされていた地域から直接来た難民について、不法入国・不法滞在を理由に刑罰を科してはならず、難民の移動についても必要な制限以外の制限を課してはならないと定めています。しかし法務省はこれについて、「難民認定されていない人は難民ではないから収容は適法」「そもそも収容は刑罰ではない」などと屁理屈をこねて自分の主張を正当化してきました。 
 しかし、民事第三部はこの考え方を否定、収容令書の発付に当たっては、まず最初に対象者が難民に該当するかどうか検討し、その可能性がある場合には、その可能性の大小や移動の制限の必要性について、難民条約に照らして検討しなければならないとしました。 
 民事第三部はその上で、民事第三部が扱う5名について検討し、難民該当性が高く、収容の必要性は低いため、彼らを収容する必要はないとし、逆に収容が彼らに取り返しのつかない損害を与えるとして法務省の収容令書の執行停止を決定。さらに、法務省の処分のやり方について、「難民条約を無視しているに等しく、国際秩序に反するものであって、ひいては公共の福祉に重大な悪影響を及ぼすものというべきである」と厳しく糾弾したのです。 
 本決定は、今回の強制収容にとどまらず、法務省の閉鎖的な難民政策全体に対して、初めて法の裁きがおりたものとして画期的であり、日本の難民政策全体をより開放的なものに変えていく上での一つのターニングポイントになりうるものであると考えることが出来ます。 

アフガン人9名全員の難民認定に向けて  

 民事第三部の決定により、アフガン人9名のうち5名が解放されました。しかし、民事第二部の管轄下にあった4名は、未だに収容され続けています。アフガン人9名は、いずれもタリバーン政権の迫害にさらされた少数民族であり、難民たる要件については、何らかわりがありません。このような形で9名を分ける理由は全くなく、分断は絶対に許されません。4名は民事第二部の決定を不服として即時抗告(普通の裁判の「控訴」にあたる)を行い、現在東京高等裁判所第三民事部において検討されています。東京高裁が、残る4名の収容令書の執行停止についてどのような判断を下すかが、今後の一番最初の注目ポイントです。 
 一方、法務省は東京地裁民事第三部の決定を不服として、翌日に東京高等裁判所に即時抗告を行いました。これは現在、東京高裁第九民事部において検討されており、これがどうなるかも大きな問題です。 
 また、この問題は、この決定によって終わったわけではありません。解放された5名も、収容令書の執行停止によって一時的に解放されたというだけであり、現在も彼らを強制送還するための手続は進んでいます。この手続が最終的な段階まで進めば、法務省は彼らに「退去強制令書」を発付して彼らを再び収容することが可能になってしまうのです。 
 また、彼らの難民申請がどのように扱われるかも問題です。法務省は、テロ対策のために彼らを捕まえておきながら、それを覆い隠すために、彼らは不法入国の「経済難民」であると言い続けています。もし、彼らが難民認定されなければ、彼らは難民不認定処分の取消訴訟を提起しなければならなくなってしまいます。 
 このように見れば、最大のポイントは、「収容令書」の是非の問題ではなく、彼らの退去強制手続および難民認定手続がどのようになっていくかということにあると言えます。「収容令書」におけるやりとりは、闘いのいわば「前哨戦」であるということができるのです。 
 アフガン難民たちは、出来るだけ早く、出来るだけいい形での解決を望んでいます。ふつう、法務省・入管体制との闘いは、きわめて長期にわたってしまうことが多いのですが、私たちは全力を集中して、彼らの取り組みを支援し、彼らが難民として日本に滞在できるよう、そして、このアフガン難民問題が、日本の「難民鎖国」をとくうえでの一つの大きなきっかけとなっていくよう、がんばっていきたいと考えています。

 
 



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