東浩紀氏のオタク論を読む

清瀬 六朗



第三回 『動物化するポストモダン』(3)

テキスト

 東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、2001年

 第一章「オタクたちの疑似日本」(3)



現在はポストモダン?

 「ポストモダン」ときいて「新しい郵便局のことでしょ?」と問い返された――というようなネタは、私が1980年代後半にはじめて「ポストモダン」思想に接触したころに聞いた。こんなネタはそのうち忘れられていくことになるのだろうか。

 そういえばあのころって本局も特定局もやたらと郵便局が建て替えられていた印象があるな。バブル期の東京だったから当然なのかも知れないけど。

 もちろん1980年代末になって私が「ポストモダン」ってことばにはじめて接触したのは、そのころやっと「ポストモダン」ということばが社会的に認知されはじめたということではない。それ以前からたぶんあったのだろう。日本に「ポストモダン」思想を普及させるきっかけとなった「ニューアカ」(「ニュー・アカデミズム」)ブームはもっと前に起こっている。ただ、1980年代も末になるまで、私は、たとえ「ポストモダン」ということばと遭遇していても、気がつかなかっただけなのだ。

 そんな実感をもっている私は、東氏のこの本で、「ポストモダン」は1960〜70年頃に始まっていると知って仰天した。

 私にとって「ポストモダン」はいまだにわけのわからないシロモノである。自分はそんなわけのわからない時代のなかで30年とか40年とか生きてきたのか! 責任者出てこい!

 ただし、東氏の立場からすると、私が「わけがわからない」と思っているのは「ポストモダン」ではなく「ポストモダニズム」だという定義になる。「ポストモダニズム」は「ポストモダン」時代の思想の一つの流れに過ぎない。だから、「ポストモダニズム」がわからなくても「ポストモダン」の時代を生きるうえで何も不都合はなかった、ということになる……んだろうな。

 それにしても、1960〜70年以後の時代を「ポストモダン」と呼ぶなんてまったく知らなかった。

 東氏の説明によると、アメリカ(合衆国)、日本、ヨーロッパなどの高度資本主義社会で「文化とは何か」を規定する根本的な条件が変容し、それまでとは違った文化がつぎつぎに出現した。このような文化状況はそれまでの「近代」の延長として捉えるのは無理である。そういう「常識的な直観」を現代思想や文化研究(よく日本語訳しないで「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれている分野だろう)では「ポストモダン」と呼ぶ。

 なるほど。

 でも、そういう説明をしてもらっても、私にはなお疑問は残る。



「ポストモダン」はほんとうに「近代の後」なのか?

 まず、この「ポストモダン」状況が何から生まれてきたかという問題である。

 それは、東氏の説明にあるように、資本主義の高度化によって生まれてきたものだ。もう少し具体的にいえば、1960年代にアメリカ型資本主義が「大量生産‐大量消費」の段階に本格的に達した。人びとは、手に入れたいと思うものの多くを市場で気軽に手に入れられるようになった。

 そうしたなかで、何を手に入れたいと思うかという欲望が多様化した。しかも、資本主義の高度化は、その欲望の多様化に対応して多様な商品を市場に送り出せるようになってきた。その結果として文化も多様化した。または、文化が多様化しても、市場がそれを支えられるようになったのだ。

 東氏は、この「ポストモダン」時代になって、政治が失墜し、「前衛」の概念が消滅したという。まあいまとなっちゃ「前衛」なんてことば説明抜きではまず理解できない人が多いんじゃないかな。あんまり適切な表現じゃないことはがまんしてもらうとして、いちおう私が説明しておこう。「前衛」というのは、政治運動でも、社会運動でも、芸術でも、新しい分野を切り開くいちばん先頭を進んでいると自負し、また世のなかからそう理解された人びとのことだ。

 世のなかの求めているものごとが、少なくとも大きく見れば一つの方向に向かっていたからこそ、「前衛」はあり得たのだ。みんながそれぞれ勝手な方向に進みたいと思いはじめたら、社会全体で「これが前衛だ」と認めることのできる集団はなくなってしまう。ある人から見れば新領域の開拓者であっても、ある人からは何やってるのかさっぱりわからないということになるし、ばあいによってはいっしょうけんめい後戻りしようとしている人びとに見えてしまうかも知れないからだ。

 政治が「失墜」したという表現で東氏が指しているのが何なのかは私にはよくわからない。ただ、政治が人びとを統合する力が弱まったということならば、ある程度は言えるだろう。人びとの欲望の向かう方向がさまざまになれば、政治はその欲望や将来への願望を束ねきれなくなってしまう。  資本主義が「高度」に発達したことで、欲望の多様化、消費の多様化、文化の多様化が生じた。その多様化に資本主義の側も応え、それを支えた。促しもした。市場が多様化していたほうが資本主義は破滅的な危機に陥らずにすむ。何かの市場がだめになっても、他の商品の市場がその危機を救うからだ。可能ならば資本主義は市場の多様化を求める。

 その結果、「ポストモダン」の状況が生まれるわけだ。

 しかし、である。

 資本主義とは「近代」のものだ。「近代」が生み出し、そして「近代」の発展を支えてきたものだ。

 だったら、その高度化がもたらした文化的状況も、「近代」の枠のなかで説明しようとしてみるのが筋ってもんではなかろうか?



「ポストモダン」論の「近代」像

 そのこととも関連させつつ、つぎに私が感じた疑問は、近代という時代は文化批評が考えるほど多様性のない時代だったのかということだ。

 「近代文学」に対する批評は「ポストモダン」時代の文学には通用しなくなったと東氏は言う。だから、「ポストモダン」時代の文化を批評するには「近代文学」批評とは別の方法を考案しなければならないというわけだ。そしてそのために有効な方法こそがオタク系文化の分析だというのが東氏の議論の流れである。

 しかし、「近代文学」に対する批評は、果たして「近代」の「文学」全体を批評しうるものだったのか。たとえば日本の近代には落語もあったし講談もあった。文楽も歌舞伎もあった。テレビが普及するとこういう「伝統」芸能は徐々に廃れ、生命力を失って行ったが、日本のテレビの普及は東氏のいう「ポストモダン」時代に入る時期のことだ。それまでは庶民の娯楽として落語も講談も歌舞伎も支持されてきた。これらを「近代文学」批評は取り込むことができただろうか?

 それは日本が特殊だったからで、アメリカ合衆国やイギリス(連合王国)では違うのだろうか? アメリカやイギリスでは、大衆娯楽としての性格の強い芸能も「近代」的な批評は十分に取りこむことができたのだろうか? 私は具体的知識を欠く(だからこの本の学術的「検討」なんかできないのだ)。けれどもやっぱりそんなことはなかったんじゃないかと思う。

 東氏のいう近代とは規範(「こうでなければならない」という決めごと)がしっかりしていた時代である。「ちゃんとしたもの」と「そうでないもの」がきちんと分けられていて、その区別が通用していた。「まともな批評が相手にすべきもの」と「まともな批評なら相手にしてはいけないもの」が区別されていた。

 規範の存在は必要でもあった。当時の生産力では、ある程度は、市場に出していいものとそうでないものを区別しなければならなかった。生産力が限られているので、市場に出すだけの意味のあるものを厳選して生産し、市場に送り出さないといけなかったのだ。

 この規範の存在によって、「近代」の時代に存在しながら、「近代」の批評が相手にしなかったものがいくらでもあるに違いない。また、「近代」の文学や芸術のなかに姿を現していながら、「近代」の批評ではその規範からはずれてしまうために見過ごされてきた要素だって多いに違いない。

 資本主義の高度な発達で文化が一挙に多様になった。その多様化によって、「近代」の規範にしばられた見かたで批評しきれる範囲は相対的にごく狭いものになってしまった。そこで批評はその規範を捨てなければならなくなった。また、資本主義の高度な発達で、「近代」の規範に縛られない批評を書いても世に出すことができるようになったのだ。それが「ポストモダン」の文化状況である。

 だとすれば、「近代」から「ポストモダン」への移行は、対象となる文化の問題であると同時に、批評する者自身、または批評自体の問題でもあるのだ。「近代」の批評は規範によって対象を厳しく限定していた。「ポストモダン」の批評ではそのような制約が少なくなった。「近代」に実際に存在した文化のうち「近代」の批評がまともに相手にした範囲は狭い。それに対して、「ポストモダン」の時代に存在する文化の多くは「ポストモダン」の批評の対象になっている。その違いをきちんと捉えないと、「近代」というのは、数少ない規範によってすべてが秩序づけられ、整然としていたかわりに、多様性に乏しかった時代、「ポストモダン」は秩序がなく多様性にあふれた時代という像ができてしまう。そんなはずはないのだ。「近代」だって「ポストモダン」時代と同じように猥雑で多様な時代だったに違いない。「近代」には「階級」というものがあり、それぞれの「階級」に独特の「階級文化」が長いあいだ残っていたから、階級が違えば文化も違うということがあったはずだ。「階級文化」が消滅した私たちの「ポストモダン」時代よりももしかすると多様な文化はあったかも知れない。ただ、その多くが批評にまともに相手にされないで通り過ぎられてしまった。そう考えるほうが適切ではないだろうか。

 東氏がここで書いていることを読むかぎり、東氏は「近代批評がまともに相手にした近代」だけを「近代」と考えているようにどうも読めてしまう。だとすれば「近代」と「ポストモダン」の断絶は際立ってしまうはずだ。しかし、それは「社会を論じる」という東氏の目的に照らして妥当なものなのかどうか、疑問に思う。


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