東浩紀氏のオタク論を読む

清瀬 六朗



第五回 『動物化するポストモダン』(5)

テキスト

 東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、2001年

 第一章「オタクたちの疑似日本」(5)



日本文化は敗戦で断絶したか

 東氏の議論は、日本の伝統文化は第二次大戦時の敗戦で断絶し、その後の日本はアメリカ合衆国の文化の劣悪なコピーを押しつけられたということを前提に組み立てられている。

 そうなのだろうか?

 たしかに敗戦後の日本にはアメリカ的なものが押しつけられ、それが戦後の日本文化に大きな影響を与えた。六本木などの東京の繁華街は占領軍の将兵が遊び歩いて開けた場所で、それが、米軍が姿を消してから「若者の街」などに姿を変えていったという話をきいたことがある。また、日本の戦後の大衆文化が作られていく過程にも占領軍の存在は大きい。戦後初期の芸能人の思い出話をテレビなどで聞くと、米軍の兵士の集まるクラブでプレイして腕を磨いたというような話がよく出てくる。

 戦後日本の大衆文化が形づくられるうえで、アメリカ軍が決定的な影響を与えたのは確かなようである。そして、その戦後すぐの大衆文化の上に、現在までの日本の大衆文化は形づくられてきた。

 しかし、それまでの日本の伝統文化は、ほんとうにすべて姿を消してしまい、日本は文化的に大きな断絶を経験したのか?

 私はそうは言えないのではないかと思う。

 まず、都市の大衆文化のある部分は、大きくアメリカ化されただろう。食文化もそうだ。アメリカ合衆国から「成恵もいいけど小麦もね」とばかりに小麦が大量に入ってきて(こういうことを書くからオタク呼ばわりされるんだよなぁ。でも小麦ちゃんが大量に入ってきたらうるさそうだな。……というわけでわからないひとは無視していっこうにさしつかえないです)、パン食が普及し、クリームスープとかハンバーグとかが日本の食文化に定着した。

 だが、庶民生活を全体としてみれば、そのどれほどの部分がこの敗戦と占領で変わっただろう。歌舞伎や古典落語などの古典芸能も敗戦後の時代にはまだ生命力を保っていた。農地解放があったけれど、農山漁村の人たちの生活が劇的に変わったわけでもない。

 逆の面から見ると、日本の都市文化のある部分は、敗戦よりも前にすでに「アメリカ化」されていた。戦後すぐの日本から米軍のクラブで演奏してやがて名をなすような芸能人が出てきたのは、戦前にすでにジャズなどのアメリカの大衆音楽が日本に入っていたからである。

 1920年代はアメリカの大衆文化が世界に広がった時代である。フランスのラヴェルやソ連のショスタコーヴィッチのような一流の作曲家がジャズを採り入れた音楽を書いているのだから、アメリカ大衆文化の世界への影響の大きさは相当なものだった。チャップリン映画などのアメリカ映画も世界中で上映された。背景には、第一次大戦でアメリカ合衆国が存在感を増したことと、その後の1920年代に、他の産業先進国が大戦時の影響を引きずった経済の不調に苦しむなか、アメリカがひとりバブル的な経済繁栄を誇ったことがある。加えて、西ヨーロッパに限らない世界の広い地域で産業化が進展して、新たに現れた中間層がアメリカ文化の受け手になったという事情もあるのかも知れない。

 日本も例外ではない。1920〜30年代の日本は、アメリカの「モダン」な文化が、「軽薄な都会文化」という侮蔑や好奇の目と同時に、羨望をもって見られた時代でもあった。

 第二次大戦後の日本の文化には、室町時代ごろに形成された伝統文化から、江戸時代の都市文化、明治時代に形成された文化、1920年代にアメリカから入ってきた大衆文化が併存しており、その中の一つとして戦後に占領軍といっしょに入ってきたアメリカ文化が存在した。全体としてみれば、アメリカ文化の存在は大きかったかも知れない。けれども、それが大きな影響を与えた分野もあれば、ほとんど影響を与えなかった分野もある。そう整理するのが妥当だと思う。



大量消費社会とアメリカ化

 しかし、現在の日本では「伝統文化」は生命力を失ってしまった。都会のあちこちにあった寄席は姿を消し、いまでは特定の街に残っているだけだ。歌舞伎や文楽も国からの保護を受けて文化財として保存されている状態になってしまった。相撲も……どうなんだろうね? たしかに大相撲は「伝統文化」のなかでは人気を持続しているほうだろうけど、それは「テレビ放映されるスポーツ」の地位を獲得したからで、民衆文化としての相撲はやっぱり廃れてしまった。

 これは、けっきょく、戦後すぐの日本に併存していたさまざまな文化のなかで、アメリカが戦後に占領によって持ちこんだ文化以外がぜんぶ廃れてしまったことを意味するのではないか? アメリカが占領とともに持ちこんだ文化を基礎に発展した戦後大衆文化が、枝分かれし、複雑化して、現在の日本文化のほとんどすべての分野を覆っているのではないか?

 表面的に見れば、そうなっているのは確かである。しかし、それは「アメリカの文化侵略」の結果なのだろうか?

 私は必ずしもそうではないと思う。日本自体のなかで産業化が進み、産業化とともに社会のあり方が変わって、日本社会のなかで伝統文化が根づいていた部分が細っていった結果ではないか。一方で、急速に日本社会のなかで重要性を増していった都市の文化にいちばん適合したのが、占領軍が戦後に持ちこんだアメリカ文化を基礎の一つとして発展した大衆文化だった。アメリカ文化だったから発展したのではなく、それが産業化の結果として発展した都市の社会に適応した文化だったから発展したのだ。

 しかし、そういう見かたに対して、東氏の立場からは反論があるだろう。

 日本の産業化自体がアメリカ合衆国の世界戦略のなかに組みこまれていたのだから、やはりその社会の変容はアメリカのせいだ。日本は、「最先端」のアメリカの産業で陳腐化した産業をアメリカから割り振られ、ひと時代まえのアメリカの劣悪なコピー生産国として産業化を果たしていった。そのことと、戦後日本の文化状況の変化とは並行する現象として起こった。だから、これはやはりアメリカの文化侵略なのだ。東氏の立場からそんな反論があるだろうと思う。

 けれども、この時期の社会の急速な変化と、それと同時に進んだ文化の大きな変容は、べつに敗戦国日本だけで起こったわけではない。イギリスでもフランスでも起こったのである。また、産業化の進展と、それと同時に起こった都市化の進展とは、それがアメリカと無関係に起こったものであったとしても、やはり大きな文化の変容を引き起こしたはずだ。

 東氏は、アメリカ合衆国を中心とした占領と、その後の産業化と大量消費社会の到来とをひとまとめにして捉えているようだ。だが、占領と産業化・大量消費社会の到来とのあいだには、時間的にも差がある。大量消費社会の到来は、アメリカの思惑の影響も受けているだろうけれど、日本の産業自体の動きの結果でもあると考えるべきで、その点で占領と直接につなげて論じるのは乱暴だというのが私の抱いた印象だ。



『水滸伝』は「ポストモダン」か?

 また、私は、何が流行して何が衰退したかという文化の表層とは別に、文化的なものに対する感じかたのような文化の表面に出にくい部分は変わりにくいのではないかと私は思っている。いや、一概に「変わりにくい」と言うのはあまり適切ではないだろう。あるときにはころっと変わってしまう可能性もある。しかし、文化の表層とは違った変わりかたをするものだと私は思う。

 だから、東氏の論断とは反対に、オタク系の人たちのオタク系の作品への接しかたに江戸時代と同じ感性が見られるという「オタク論者」たちの説は、私は全面否定はできないだろうと思っている。

 現在の日本のアニメで、人気が出た作品の続編が延々と作られていくことや、人気の出たキャラクター(砂沙美とか小麦とか)を主人公にして別のエピソードが作られていくことなどは、『水滸伝(すいこでん)』などの中国の古典小説の発展過程に似ている。

 『水滸伝』は12世紀の中国で活動していた盗賊集団をモデルにして作られた中国の古典小説である。しかし、その内容はほとんどフィクション(つくりごと)と言ってよい。 

 『水滸伝』は、その成立過程で、その盗賊集団のメンバーを主人公にした民間劇の筋書きや登場人物を吸収しながらいまのかたちにまとめられていった。それが実在した盗賊団のメンバーだったかどうかはわからない。たぶん何の関係もない作り話だろう。それをまとめたのが現在の『水滸伝』なのだ。

 だから、一貫した物語として見れば、『水滸伝』にはあちこちにアラがある。ある時点まで目立つ主人公として活躍した人物が、あとで出てくるときにはまったく目立たない脇役になってしまうこともある。最初に出てきたときには荒くれ者だった道士が再登場した後はやたらと聖人っぽいキャラクターになっていたりもする。同じような筋書きを登場人物を変えて流用しているエピソードもある。また、同じ時期に完成に向かっていた『三国演義』(小説の『三国志』)の人気者であった関羽のキャラクターを模倣した登場人物も『水滸伝』には登場し(それも複数いる)、『三国演義』のような合戦場面で活躍している。

 しかも、この『水滸伝』という作品は、終わりかたにいくつものパターンがある。最初に完成した小説では、主人公たちが皇帝に帰順したあと、北方の異国を討伐して降伏させ、南方の反乱軍の平定に向かう。その南方征伐の過程で多くの仲間を失い、悲劇的に終わる(百回本)。ところが、この最後のほうの征伐物語を増やし、最初の版では活躍の場があまりなかったメンバーに活躍の場を与えた版がその次に作られた(百二十回本)。かと思えば、その後には、この皇帝に帰順するエピソードの全体をそっくり削ってしまった版が出た(七十回本)。

 『水滸伝』は、テレビ放映版とOVA版とゲーム版とコミック版とラジオドラマとで微妙に(ばあいによっては大きく)ストーリーが違うという現在の「オタク系」作品によく見られる特徴が共有されているのだ。

 ところで、『水滸伝』のうち、皇帝に帰順するエピソードのない版(七十回本)によると、主人公たちは最後まで盗賊のままで終わる。そこで、この盗賊集団と王朝軍との戦いを新たに考えて、『水滸伝』のオリジナルとは違う結末を描いた作品も出た。二次創作である。そのうち、いちばん有名なものは、最初の版(百回本)の続編として、生き残った盗賊団のメンバーがシャム(現在のタイのことだ)にわたってそこの王になってしまうというエピソードである。『水滸後伝』というタイトルで出され、翻訳も出ている(平凡社東洋文庫)。

 さらに、この『水滸伝』のサイドストーリーのかたちを取って書かれた作品でいちばん有名なのが大河官能小説『金瓶梅』であろう。二次創作になると「18禁」になる。たいしたもんだ。



「データベース」的構造

 この『水滸伝』の物語の特徴は、どんなものだろうか。

 まず、キャラの類型がある。騎兵の先頭に立ってかっこよく戦う将軍、マッチョな身体を誇り粗雑だが純朴な騎兵たち、頭のいい参謀役、神のような神秘的能力を発揮する魔術師、日常事務を支える官僚的人物、そして、自分自身にはさして能力はないが、人徳で人を引きつけるまとめ役……などである。この類型は『水滸伝』だけに通用するものではない。『三国演義』や、『水滸後伝』などの『水滸伝』の二次創作群、『残唐五代史演義伝』など同時期に作られた小説群にも共通に使える類型である。

 つぎに、キャラの見せかたがある。悪い役人(悪代官)に主人公が陥れられる話、不倫の話、監獄にぶち込まれるが「袖の下」で刑を軽くしてもらう話、スパイが潜り込む話、戦闘シーン……これも類型化されている。他の作品にも流用できるのはキャラのばあいと同じだ。

 つまり、中国の古典小説の世界というのは、東氏が「ポストモダン」のオタク系文化の特徴として挙げている「データベース」的な構造によって作られているのだ。

 いやぁ……『水滸伝』が書かれた15〜16世紀ごろっていうのが「ポストモダン」の時代だったとは、私はぜんぜん知らなかったよ。

 東氏のいう「データベース的消費」なんて昔からあった。べつにオタク系文化が新しく生み出したものでもなければ、オタク系文化の独特の特徴でもない。違いといえば、『水滸伝』が成立し、それが二次創作群を生み出していくまでには何百年という時間がかかっているわけだけれど、その時間が今日では数か月に短縮されたというぐらいである。

 そして、この中国の古典小説は、江戸時代の日本の大衆文学や大衆芸能に強く影響を与えている。

 江戸時代の大衆小説として人気を博した『南総里見八犬伝』は、全体としては『水滸伝』を下敷きにしつつ、部分的には『水滸後伝』なども参照しながら書かれた大河小説である。これも、本来はもっと短く終わるはずだったのが、後半のほうで人気が出てしまったのでどんどんと長く書き続けられたという性格がある。現在の人気アニメシリーズが長期化するのと同じ原理だ。

 江戸時代の大衆小説を享受してきた文化的な「受け取りかた」が、日本の人たちのあいだに受け継がれてきて、それが現在のアニメやゲームの享受のしかたを形づくっているのだと考えたほうが自然なのではないか。この「中国の古典小説‐江戸時代の大衆小説」という文化の流れと、今日のアニメやゲームの文化の流れがつながっていないと考えるほうがはよほど無理なように私には思える。

 べつに時空を超えて受け継がれたなんてことは考えなくていい。歌舞伎、浄瑠璃や講談、浪花節、落語などから、戦前の大衆小説や児童文学にいたるまで、明治から戦前の文化のなかで、江戸時代の大衆小説が持っていた感覚がじつは受け継がれていただけのことである。

 近代文学というのは文学のすべてではなかった。日本への近代文学の導入を主張した坪内逍遙だって、本人は江戸の大衆小説(戯作文学)の影響を強く受けていたというし、森鴎外も外国の演劇を歌舞伎の台本のように翻訳したりもしている。

 近代文学の裏には大衆文学の流れがつづいていた。作品をどう受け取るか、作品の受け手が作品にどう影響を与えていくかというあり方や、そこに働く感性は受け継がれていたのだ。そう考えるほうが自然だと私は思う。



東氏の日本論の評価

 岡田斗司夫や大塚英志や村上隆がどう説明しているのかは詳しくは知らないし、関心もない。私には同意できないこともいろいろ言っていると思う。しかし、江戸時代以前の文化と現在のオタク系作品をめぐる文化とに共通性があるのではないかと考える点では、私の立場はこれらの「オタク論者」の立場に近い。

 「オタク論者」たちの「オタク文化は日本伝統文化の後継者」説に対して、東氏はそれをどういう論理でそれを正面から否定しているのか。その説明は残念ながら私には読みとれなかった。日本の伝統文化は敗戦と占領で断絶してしまったという自分の断定を対置しているだけで、その前提が崩れれば東氏の説明は崩れてしまうように私には読めるのだ。

 オタク系文化のなかでは「日本の伝統文化」らしきものが断片的に引用されており、それは日本の「伝統」そのものではない、と東氏は言い、それを「敗戦と占領による日本の伝統文化の断絶」という議論と結びつける。だが、私は、江戸時代の大衆文学や大衆芸能を支えた文化自体に、東氏の言う「データベース的消費」の性格があったと考えている。そうだとすれば、それはべつに戦後のオタク系文化独特の特徴ではなくなる。逆に、そういう断片的な引用のしかたそれ自体が日本の伝統文化を引き継いでいるという議論も可能になると思う。

 ただ、今日のオタク系文化に江戸時代の大衆文化が引き継がれているからといって、オタク系文化を持つ日本が世界の最先端なんてことにはならないわけだし、そんなことを言う必要はないと私は思っている。だいたい、いま書いたように、江戸時代の大衆文化は、その少しまえの時代の中国の大衆文化の影響を強く受けているわけだから、それを誇りにするのもどうかと思うしね。その点では私は東氏の批判にも同意する、といったところかな。

 また、東氏が第一章の最後で言っている点、つまり、現在の政治やイデオロギーをめぐる言論が「オタク系文化」と共通のサブカルチャーに根ざして存在しつづけているという点は、これは重要な指摘だと思う。『動物化する世界の中で』での東氏の説明も参照しつつまとめると、つまり、現在の日本の「世論」の担い手の多くは、北朝鮮やイラクを、ナチスドイツやスターリンのソ連と重ね合わせるのではなく、『ガンダム』のジオンや『宇宙戦艦ヤマト』のガミラスや彗星帝国と重ね合わせ、そして論評しているのではないかということだ。そして、あえてつけ加えれば、そういう状況に、「実証的研究」を信奉するばかりの日本の知識人はついて行くことができなくなりつつある。

 しかし、こちらの話は東氏はこの本では展開する気がないようだし、私もこれ以上は触れないことにしよう。

 東氏の議論は、次の章でオタク系文化の核心の正体は何かということへと向かって行く。


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