新たな「抵抗としての無反省」をめざして


北田暁大(あきひろ)

(わら)う日本の「ナショナリズム」

NHKブックス(日本放送出版協会)、2005年



1.サルにはできない「反省」の歴史
―― この本の概略 ――


ナンシーへの思い入れ

 最初に読んで受けた印象を二つ述べておきたい。

 まず、1970年代から現在までの社会の動きをつねに客観的に明晰に叙述している北田さんの筆運びが、ナンシー関について語るときだけ、ウェットに、思い入れたっぷりに感じられるということだ。

 たぶん私の読み誤りではない。著者は「あとがき」でもいろんなひとへの謝辞の前にとくにナンシーに言及して、

 ナンシー関という人は、この複雑な〔テレビ以外のものは目に入らない場所の〕リアリティをその強靱(きょうじん)な知的体力をもって、ほとんど独力で、批評の対象へと見事に昇華させた。畏れおおくて、とても「彼女のひそみにならって」などという勇気はないが、私なりにナンシーが批評的に(くく)り出そうとしたリアリティを、社会学の対象として再解釈したつもりではいる。(268ページ)

と書いている。この本で批評の対象になっている「登場人物」のうちで「あとがき」で言及されているのはナンシーだけだ。

 ナンシー関は、おもに1990年代、テレビに対して辛辣(しんらつ)な批評を向けつづけ、2002年に亡くなった「ケシゴム版画家」・「テレビ批評家」である――らしい。じつは私は生前のナンシーには何の関心もなかったのでよくわからない。私がナンシー関がどういう人物かを知ったのは、この本の228ページに紹介されている2ちゃんねる上の「弔辞」を読んだときだった。知り合いが「傑作な弔辞がある」とメールで転送してくれたのだ。

 著者はそのナンシー関について「反時代的思想家」という評価を与えている(190〜191ページ)。

 「反時代的」というその「時代」とは、ここでは、「テレビに感動させられていることを知りながら感動を求める」ような時代のことだ。その時代の仕組みは、正面からの批評はもちろん、皮肉による批評すら通じないほどの強固さを持っている。他の多くの論者は皮肉を浴びせるという方法を否定して、テレビとは別の分野から啓蒙的なもの言いを社会に向け始めた(「啓蒙」とは、何かについてよく知っているひとが、それについてよく知らない人びとに「知らないなら教えてあげましょう」という態度をとることだ)。しかしナンシーだけはその動きに同調しなかった。テレビを中心に組み立てられ、外部への離脱すら許さないその時代の仕組みを批評しつづけた。それは、別分野から社会を啓蒙するという方向性が、じつは「テレビに感動させられていることを知りながら感動を求める」という時代の仕組みと同じ方向性を持っていることに気づいていたからだ。ナンシーは、一日に15時間もテレビばかりを見つづけ、テレビへの批評をつづけることで、その時代に抵抗した。それが著者のナンシーへの評価である。

 北田さんはどうしてナンシーにこれほど高い位置づけを与えるのだろう?

 それは、たぶん、北田さん自身がナンシーと同じ「反時代的」な社会学者でいたいという信念からだろう。北田さんが感じている2000年代半ばの社会全体の仕組みとは、「感動させられていることを承知で感動する」、「ある信念が虚構であることを承知でその信念を熱心に信奉する」というものである。その仕組みは、正面から批評しても少しも揺るがないし、皮肉を言っても通じない。皮肉を言われることすらが、仕組みのなかに、しかもその仕組みの骨組み部分に組みこまれているからだ。その時代を批評するのは不可能に近い難事である。

 北田さんは、自分が『電車男』を読んで泣いたことをこの本の最初で暴露し、自分自身がその「感動させられていることを承知で感動する」仕組みのなかの一員であることを認めている。その「時代の仕組み」のなかの一員として、その自分の時代を社会学者として批評していきたい――この本の中のことばでいえば、その時代を「反省」していきたい。この時代を「反省」する方法を何とかして見出したい。その思いが、ナンシーへの思い入れとして表れているのだろうと思う。


独特のわかりにくさ

 もう一つ、印象を受けたのは、この本の独特のわかりにくさだ。それは、「この本はわかりにくい」ということ自体がまずわかりにくい。つまり、難しいことを考えずにさらっと読み流せば読み流せてしまう。ところが、「難しいこと」を考え出すととたんに難しく感じられる。そういう本なのだ。

 この『嗤う日本の「ナショナリズム」』は、最初に読んだときには、たとえば――いや、たとえなくても東浩紀さんの『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)よりもずっとわかりやすく感じた。

 『動物化するポストモダン』をはじめて読んだときは、通勤電車のなかで「なんじゃこりゃ? わからんぞ」と何度も小声で口に出していた。その声に気づいたひとがいたらけっこうブキミだっただろう。しかし、この『嗤う日本の「ナショナリズム」』は、3月末に岐阜から伊賀上野まで旅行に行ったとき、かなり疲れ果ててたどり着いたホテルで読んで、東京に帰るまでに読み終えてしまった。旅行中でリラックスしていたという要素を考えても、やはり読みやすかったのだろうと思う。

 ところが、この本をここのネタにしてやろうと思い立って、確認のために再読したときには、こんどは一転してえらく苦労した。いままた読み返してみて、再読したときによくわからなかった部分がやっとだいぶわかるようになった。でもまだ十分にはわかっていない。わからないまま「見切り発車」的にこの批評を書いている。ということは、この批評はトンでもない誤解に基づいている可能性があるわけで、これを読むかたは気をつけてください。

 『動物化するポストモダン』のばあいは、「動物化」や「シミュラークル」、「萌え」、「データベース」といった東さん独特の術語が、読みすすめていく道の上にはっきりとばらまかれている。「あ、これをクリアしないと先へ進めないな」ということが見通せる。だから独特の「読みにくさ」感があったのだろうと思う。

 この『嗤う日本の「ナショナリズム」』にも独特の術語はたくさん出てくる。しかし、連合赤軍、糸井重里、田中康夫とつぎつぎに出てくる「登場人物」の紹介を読んでいると、その独特の術語に引っかからずに読み進められる。「反省」が自己目的化して殺し合いに発展した連合赤軍、それに対する「抵抗としての無反省」を自分の方法とした糸井重里、その「抵抗として」のスタンスを棚上げしてしまった田中康夫、そしてやがて抵抗を棚上げしたことも忘れてたんなる無反省がはびこる1980年代の日本文化――そういう流れがなんとか見通せた気がするのだ。そのまま勢いで1990年代から2000年代について論じた最後の章まで読んでしまえる。


「わかりにくさ」は存在意義の裏返しである

 ところが、「何が書いてあったか」を考え直してみると、この1980年代の「抵抗を棚上げしたことすら忘れた無反省」の話あたりから先の論理展開が思い出せない。読み返してみてもわからない。それどころか、読み返してみると、最初に読んだときにはよくわかったつもりでいた前半の論理展開もわかりにくく感じられてくる。その1980年代以後のわかりにくい部分が前半の部分を参照しているので、その参照されている部分を読み返してみると、あらためて「あれ? この本ってこんなこと書いてあったっけ?」と感じる。その部分は最初に読んだときにふんふんと頷きながらじつは読み飛ばしていたのだ。

 この本にも、『動物化するポストモダン』の「データベース」や「萌え」と同様に、「抵抗としての無反省」、「消費社会的シニシズム」などの「難しげな術語」がたくさん出てくる。しかし、連合赤軍や糸井重里その他の登場人物をめぐる話を中心に読んでいると、それに「オマケ」的にくっついて出てくる術語はそれほど気にせず読んで行ける。しかし、「難しげな術語」を中心に論理展開を追い、連合赤軍や糸井重里以下の登場人物をその説明に援用されているキャラとして読み始めると、なんか待ちかまえていたような難しさが姿を現す。それが私がこの本に持っている率直な印象だ。

 それでも、たぶん田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の少し先で終わっていれば、これほど込みいった印象はなかっただろうと思う。「抵抗を棚上げした無反省」はついにただの「無反省」に落ちこんでしまいましたで終わるのだから。それは、連合赤軍が特別に特権的な行為にしてしまった「反省」という行いがついに消滅しましたという一貫した動きとして――「反省」消滅史として、ともかく理解することができる。その「反省」って何なんだとかいうことを難しく考えないとすれば、だが。

 とくに難しく感じるのはその「たんなる無反省」から後の動きの説明だ。いったん消滅したはずの「反省」がまた動きだし、それが「2ちゃんねる化する社会」へと行き着く。その道行きである。

 まず、近代的な「主体性の確立」を求める「反省」が、「主体性の確立」そのものの不可能さに直面して死滅する。ところが、その「主体性の確立」に対する「抵抗」として始まった「一つ上のレベルに立ってものごとを見下す」という方法(「アイロニー」)がこんどは新しい「反省」の型になってしまい、いままたそれが行き着くところまで行ってしまっている。北田さんが書いているのはそういう道筋なのだと思う(この評はその理解を前提に書いている。まちがっていたらごめんなさい)。この過程の説明のためにいろいろな要素が援用され、それが錯綜していて、ともかくわかりにくい。

 このわかりにくさは、まずは、消滅していく過程を説明するほうが生成する過程を説明するよりもたいていはかんたんだという理由によるものだろう。何かが(この本のばあいは「反省」という行いが)消えていく過程は、最初にあったものが徐々に失われていく過程を説明すればいい。しかし、生成していく過程の説明では、どういう素材があって、それがどういう型にあてはめられて、どういう作用を受けつつできあがっていくのかを説明しなければならない。それだけ説明の手間は増す。

 けっこうむちゃな試みである――というと北田さんは怒るかも知れない。その「反省」復活の仕組みの説明こそがこの本でいちばん書きたかったことなのだから。でも、すごく突き放した言いかたをしてしまえば、1980年代で「賞味期限」が切れた「反省」は潔く捨てて、その後は別の原理で説明すりゃよかったのである。そして、まさにそれをせず、1980年代に消滅したはずの「反省」史として「2ちゃんねる時代」までを描ききったところにこそ、この本の独特の存在意義がある。


北田さんの「自分探し」

 後半がとくにわかりにくい理由としては、これ以外にも、この前半部分を読み終えたあたりでそろそろ私の集中力の限界が露呈し、集中力が切れるので、後半がわかりにくいのだという凡庸なというかなさけない説明も思いつく。

 だが、もうひとつ、この後半部分をわかりにくくしている要因があるのではないか。

 それは、前半が、北田さんがいま残っている資料から再構成した流れなのに対して、後半は北田さん自身がその流れの中にいたということだ。

 北田さんは1971年生まれだという。まさに連合赤軍が殺し合いとあさま山荘事件で崩壊する時期だ。この連合赤軍の話を北田さんが自分の体験として覚えているわけがない。糸井重里が関係したパルコの広告を目にした記憶はたぶんあるのだろう。でも、そのころの北田さんは、糸井重里の「抵抗としての無反省」の立場に思いを致したりしなかっただろう。ここまではたぶんあとから再構成した「時代の流れ」だ。

 しかし、糸井重里の話のあとに出てくる1980年代半ばのテレビ番組『オレたちひょうきん族』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、北田さんはふつうの視聴者として見ていただろうと思う。俵万智の『サラダ記念日』を刊行直後に読んだかどうかは知らないけど、そこから起こった「短歌ブーム」みたいなののなかに10歳代の北田さんは身を置いていたはずだ。そこから「2ちゃんねる時代」までは北田さんが自分で体験してきたことなのだ。

 自分が生きてきた時代を論理立てて論じるのは難しい。自分の生きてきた時代についてはいろんなことを知っているので、一つのやり方で論理を立ててみても、それとは違うものをいくらでも思いついてしまう。また説明のための素材を無数に思いつくので、そのどれを使えば適当かがかえってわからない。だから「自分探し」は難しい。しかし、だからこそ「自分探し」は人を――北田さんのような「若者」を――惹きつける。その「自分探し」の一つの方法として北田さんが見出したのが、自分の生きてきた時代を1960〜70年代との繋がりを軸に整理してみようという方法だった。1960〜70年代――糸井重里の時代までが「素材」編で、そこから先が実践編だと考えてみれば、この後半部分のわかりにくさの理由も理解できるのではないかと思う。

 北田さんは「抵抗としての無反省」の人 糸井重里を南伸坊が紹介した文を引用している強調は原文では傍点)

 糸井重里は、あの頃自分をしていたので、いまと同じように、いつでも自分を疑ることができたのである。(70ページ)

 北田さんは、この糸井重里の後を受け継いだのがナンシー関だという系譜を考えているらしい。そしてたぶん北田さん自身がこの「抵抗としての無反省」人の系譜に連なりたいのだ。1980年代の「あの頃」も、「2ちゃんねる時代」の「いま」も「自分」をしている北田さんが、どうやって自分や自分の生きてきた時代を疑ればいいのか――その「ラジカリズム」の表現の方法を探ったのが、たぶんこの本なのである。


この本は「日本のナショナリズム」の本ではない

 印象とその印象からの勘繰りの話はここまでとして、この本の紹介と批評に移る。

 その最初に「否定神学」的なもの言いをひとつしておこう(「否定神学」とは「○○は〜〜ではない」という否定的な表現でしかものごとは定義できないとする考えかたのことらしい)

 この『嗤う日本の「ナショナリズム」』は日本のナショナリズムについての本ではない。

 この本は「2ちゃんねる化」した社会についての本だ。2ちゃんねるから生まれた『電車男』が、2ちゃんねる投稿者(2ちゃんねらーというらしい)の枠を超えてベストセラーになったことを例に挙げて、北田さんはいまの社会は「2ちゃんねる化」しているという。ここでいう「2ちゃんねる化」とは、一方ではすべての感動は演出されるものであるという皮肉な見かたを身につけながら、他方では純粋に感動を求め、ときにはひとを感動させる『電車男』のようなものを作り上げてしまうことだ。このように表現すると矛盾しているように見えるが、2ちゃんねるの人びとにとってはそれは矛盾ではないらしい(と北田さんは言う)

 その2ちゃんねるは、『朝日新聞』に代表される「戦後」進歩主義を嘲笑・非難し、ことさらに愛国的・憂国的な立場をとる発言に満ちている。だが、北田さんは、これは従来の「右‐左」図式で解き明かせるナショナリズム(北田さんはこれを「思想としてのナショナリズム」と呼び、この本で問題にするカッコつきの「ナショナリズム」と区別する)とは性格の違うものだと捉えている。

 北田さんは、窪塚洋介の2001年から2002年にかけての発言を例に引いて、「2ちゃんねる時代」の「ナショナリズム」の性格を特徴づける。それは、一方で国境線は人為的に引かれたものにすぎないと知りながら、他方では本気で「日本人らしさ」を求め、愛国的・憂国的な言動に走るというものだ(私は窪塚洋介についてはナンシー関以上によく知らないから、「窪塚洋介的ナショナリズム」のこういう解釈が正しいのかどうかはよくわからない)

 それは従来の「右‐左」図式では解き明かすことのできない「ナショナリズム」である。伝統的なナショナリズムは国境線や民族の作為性を否定するものだと北田さんは考えているのだろう。その伝統的ナショナリズムと異なる2ちゃんねる時代の(カッコつきの)「ナショナリズム」は、「感動は演出されると知りながら本気で感動を求める」という「2ちゃんねる化した社会」のあり方と同じ構造を持っているのではないか。

 そういう理解のもとに、「2ちゃんねる化した(2ちゃんねる化する)社会」がどこからどうやって生まれたかを解き明かす。それがこの本の主題である。

 なお、東浩紀さんはこの本を評して「タイトルと帯文に反して、2ちゃんねるの本でもナショナリズムの本でもない」と書いておられる「渦状言論」2005年3月14日の項)。「ナショナリズムの本」でないのは確かだが、「2ちゃんねるの本」ではなく「中心は1980年代論である」という東さんの読みかたには私は同意できない。たしかに、連合赤軍論の後にいきなり「八〇年代はまだ遠い」(64ページ)という文が出てきたりして、北田さんが1980年代に特別の重みを置いているように読めないことはないけれども、べつに1980年代を扱った章(第三章)が特別に重要な章だというわけではない。ただし、東さんの「いまこの時期に1980年代論を出版した意図は、1960年代から2000年代にいたる日本のサブカルチャーの風景を一本の線で繋ぐことにある」という評はそのとおりだと思う――「サブカルチャーの風景」という表現がこの本にふさわしいかどうかという点に違和感は感じるけれども。たしかに扱われている内容は「サブカルチャー」にかかわるものが多いが、北田さんは主流「カルチャー」と「サブカルチャー」という概念をそれほど重要視していないように感じるからだ。


この本の大ざっぱな構成

 この本は、序章、第一章から第四章、終章の6つの章に分かれており、最後に註とあとがきがついている。

 序章はこの本の問題意識を提示した章だ。いま書いた「感動は演出されると知りながら本気で感動を求める」という「2ちゃんねる化した社会」のあり方がここで提示される。

 第一章から第四章は、連合赤軍の凄惨な「総括」から2ちゃんねる時代の「感動は演出されると知りながら本気で感動を求める」にいたるまでの「反省」の歴史である。第一章が1960年代(扱っている事件は1970年代初頭のできごとだけど)、第二章が1970年代、第三章が1980年代、第四章が1990年代から現在に大まかに対応している。また、ここでいう「反省」というのは、「自分が悪かったことを認める」という狭い意味(「反省だけならサルでもできる」というときの「反省」と言ったらいいだろうか?)ではなくて、「自分の心のなかを振り返って(反)よく考えてみる(省)」という漢字どおりの意味、または、「自分の心のなかに光を当て返してみる」という reflection という英語の意味に近い(これはヒト以外のサルにはできなさそうである。よくわからないけど)

 もうちょっと言うと、北田さんが言っている「反省」というのは、自分を「反省する自分」と「反省の対象である自分」にいったん分けてみて、「反省する自分」が「反省の対象である自分」についていろいろ考え、考えることによって「自分」を再統合して上のレベルに進むという「弁証法」っぽい過程のことのようだ(ただし、この理解では「無反省という反省」のあたりから先が十分に解釈できないから、百パーセント正しい理解ではないのだろう)。「自己批判を通じた人格の成長」とか「批判することによってさらに団結を固める」とかいうイメージか背後にあるのだろう。

 北田さんの議論の根底にあるのは、そういう「批判を通じた再統合」みたいな美しい「反省」像というのは理念にすぎず、それは暴走して他人の身体を抹殺する(連合赤軍の)「総括」に化けたり、自分の社会的位置を自在に操ることで他人に対する「アイロニー」になったりする不安定なものだということだろうと思う。

 この本でわかりにくい点の一つはこの「アイロニー」の用法である。日本語の「皮肉」にあたる英語の「アイロニー」と「シニシズム」を北田さんは使い分けている。さらに、浅田彰氏の「イロニー」(「アイロニー」)と「ユーモア」という二分法を北田さんは第三章以後で参照している。参照するのはいいのだけど、北田さんの定義とは異なる浅田氏の「アイロニー/ユーモア」の構図を、北田さんはときどき自分の議論のなかに引っぱってきている。もちろんていねいに読むとわかるように書いてあるのだけど、注意しないとこの本の読者は「アイロニー」ということばに振り回されてわけがわからなくなってしまう可能性がある。


この本のもう少し詳しい「総括」(まとめ)

 第一章では1960年代的なものとして連合赤軍の「総括」という異様な行動のダイナミックス(動態、動きの仕組み)にスポットライトが当てられる。

 北田さんは、連合赤軍が「総括」の名のもとに凄惨なリンチを繰り返したのは、反省を強いるあまり、それが形式化して暴走してしまったからだとする。章の最後に、その「反省の暴走」に対する抵抗の動きとしてウーマン・リブの運動家 田中美津の運動論が紹介されている。ただし、この部分は全体から見れば傍論で、フェミニズムをめぐる話題はここ以外ではほとんど展開されていない(この評でもこの話題にはほとんど触れない)

 第二章では、連合赤軍的なものへの抵抗として、ウーマン・リブにつづいて現れた糸井重里の方法が中心に採り上げられる。それは「連合赤軍的なもの」に抵抗するために最初から「反省しない」という立場を打ち出すことだった。これを北田さんは「抵抗としての無反省」と呼んでいる。

 第三章の最初には田中康夫の『なんとなく、クリスタル』論が置かれている。田中康夫の方法は、糸井重里の「抵抗としての無反省」とも少し違っていて、「抵抗」の部分を棚上げした「無反省」だという。

 ところが、1980年代半ばからは「抵抗を棚上げした」という部分まで忘れられてしまって、「抵抗を棚上げした無反省」はただの「無反省」になってしまう。それをよく表現しているのが、『元気が出るテレビ!!』を代表とする「テレビがはやらせれば何でもはやることを前提に作られたテレビ番組」であり、また、「反省」の構図(自分を「反省する自分」と「反省の対象である自分」に分けてみること)などとは無関係に作られた(ように読める)俵万智の『サラダ記念日』である。

 第四章では、1980年代の段階では「無反省」の人たちの言動の上にじつはまだ存在した「ギョーカイ」(テレビやイベントなどの情報の送り手側)の権威が崩壊した後の1990年代以後の社会が主題となる。「ギョーカイ」さえネタにされてしまう「2ちゃんねる化した社会」では、皮肉(アイロニー)という形式の「反省」の変種すら、皮肉として成功するかどうかは賭けのようなものになってしまう。それまで「判定基準」として機能してきた「ギョーカイ」を葬ってしまった以上、それが皮肉として通じるかどうかの基準は、ただ自分に繋がる相手(掲示板でレスをつけてくれる人とか)の評価しかないからだ。そうやって「反省」が化けたなれの果ての皮肉(アイロニー)すらが形式化してしまう。そこでは、「自分に繋がる相手」を求めるためのきっかけとして――そのきっかけとしてのみ「ロマン主義」が登場してくる。その「ロマン主義」の代表が先に触れた「窪塚洋介的ナショナリズム」だ。

 終章は、第一章から第四章までの「総括」(もちろんごく穏当に「まとめ」の意味である)と、「では、2ちゃんねる化した社会で私たちはどうすればいいのか?」についての北田さんの考えを述べた章である。

 次回以降では、この本の各章を詳しく紹介しながら、少しずつ私の考えを並べて述べていくことにしたい。



―― つづく ――


第2回(次回):「連合赤軍事件をめぐる「さらなる総括」」
第3回:「「反省」をやめようという時代」
第4回:「「泣きつつ嗤う」時代への「抵抗としての無反省」」
第5回:「感動とアイロニーの共存をもう少し考える」
第6回(完):「「日本のナショナリズム」について少しだけ」