新たな「抵抗としての無反省」をめざして


北田暁大(あきひろ)

(わら)う日本の「ナショナリズム」

NHKブックス(日本放送出版協会)、2005年



4.「泣きつつ嗤う」時代への「抵抗としての無反省」
―― 第四章と終章をめぐって ――


ナンシーが抵抗したもの

 この章の第1節に私がこの文章の最初に採り上げたナンシー関の話が出てくる連載第一回

 ナンシー関に視点を据えつつ北田さんが書いているのは、1980年代的テレビの変化の過程だ。

 テレビがはやらせれば何でもはやる、テレビが感動させれば何でも感動的なものになる――それを前提に番組が作られていくうちに、視聴者の側も、テレビに乗せられていると知りながら流行を追い、テレビに感動させられていると知りながら感動を求めるようになる。

 『元気が出るテレビ』や『オレたちひょうきん族』では、「テレビがはやらせれば何でもはやる」ことを前提とする方法はまだ冒険的なところと新しさを持っていた。

 けれども、1990年代になると視聴者もそれに慣れて、そのテレビのやり方に積極的に反応しはじめる。テレビに「流行を作ってくれること」や「感動させてくれること」を追い求めることになるのだ。そして、たいして才能もなさそうなのにそのテレビの約束ごとに乗ってうまく立ち回るタレントが重宝され、評価されるべき実力があるのにテレビの約束ごとに乗るのを拒否するスポーツ選手が叩かれる。

 ナンシーが抵抗したのは、テレビと視聴者との共犯関係によって作られるこういう全体主義的な構造だった(と北田さんは言う)


「ギョーカイ」よりさらに「ひとつ上」のレベルへ

 1980年代のテレビでは、「ギョーカイ」の立場に視聴者が自分の立場を移動させ、ともに笑い、ツッコミを入れ、感動するという楽しみかたが普通になった。それは「ギョーカイ」と視聴者が対等になったようにいちおう見える。

 だが、じっさいには、そこで主導権を握っていたのは「ギョーカイ」側だった。「ギョーカイ」はべつにアイロニーをやらなくても「ギョーカイ」だが、視聴者がアイロニー的態度で「ギョーカイ」に自分の立場を移動させるには、「ギョーカイ」の流す情報を集めるなどの努力が必要だった。しかも、「ひとつ上のレベル」で「下のレベル」を見下すのがアイロニーの方法だけれど、「ギョーカイ」は最初から「ひとつ上のレベル」の最高の場所にいるわけだから、アイロニーの方法を採っても「ギョーカイ」を上から見下すことはできなかった。最初から「上のレベル」にいる「ギョーカイ」が特別に「ギョーカイ」を視聴者に開放してやることで、視聴者は初めてアイロニー的な態度で「ギョーカイ」とともに笑い、ツッコミを入れ、感動することが許されていたのだ。

 だが、それに慣れてしまった視聴者は、まず「ギョーカイ」と対等の共犯関係に入る。「ギョーカイ」とともに笑い、ツッコミを入れ、感動するという流れを妨害せず、それを盛り上げてくれる無能な(ほんとうに無能なのかどうかは私は知らない)タレントを持ち上げ、有能なスポーツ選手でもその流れに逆らう者を叩くようになる。

 そして、その視聴者は、ついに「ギョーカイ」よりも「ひとつ上のレベル」を目指し始める。「2ちゃんねる時代」の幕開けだ。


あらためて「嗤いつつ感動するナショナリズム」の謎

 2ちゃんねるでは、それまで主導権を握っていた「ギョーカイ」自体が笑い(というより「嗤い」)やツッコミの対象になる。その「ギョーカイ」は1980年代を引っぱってきたテレビに限られない。そこでツッコミの対象になるとくに巨大な「ギョーカイ」は、戦後日本を引っぱってきた「進歩」派言論「ギョーカイ」――具体的に言えば『朝日新聞』や『朝日新聞』に自分の文章を載せる(あるいは『朝日新聞』に自分の文章が載ることをステイタスと考えているような)「進歩派」・「左翼」知識人集団である。

 でも、それは、2ちゃんねる参加者が「保守化」・「右傾化」しているから、とくに「進歩派」・「左翼」が叩かれるというわけではない。なぜ叩かれるかというと、「進歩派」・「左翼」が戦後日本の「巨大ギョーカイ」だったからだ。だから、必ずしも「左翼」でなくても、何か大きいツッコミどころのある「ギョーカイ」であれば、2ちゃんねる参加者のツッコミやバッシングの対象になりうる。

 ここで問題は北田さんが最初に提示したところに帰ってくる。つまり、その2ちゃんねる参加者がどうして『電車男』のような感動ものを作ってしまうのかという問題だ。

 どうしてシニカルなはずの2ちゃんねるの人たちが『電車男』のような感動物語を作り上げてしまうのか? 普通はシニカルな人は感動などしないはずで、仮に感動したとしてもそれをひた隠しにするはずなのに。

 また、シニカルなはずの2ちゃんねるの人たちがなぜこんなにもナショナリスティックなのか? 普通はシニカルな人はナショナリスティックな価値観すら嗤いものにしてまじめに信じたりしないはずなのに(なぜなら、ナショナリズムを基礎づけるものごとには神話などの合理的に説明のつけられないものも多いからだ)


2ちゃんねる時代のコミュニケーション

 北田さんは、それに答えるために、2ちゃんねる時代とそれより前とのコミュニケーションの枠組の違いをまず説明する。「ギョーカイ」がコミュニケーションの枠を支えなくなったことが2ちゃんねる時代とそれより前との違いだというのだ。

 連合赤軍では、「ギョーカイ」なのかどうか知らないけど、革命への情熱とか、自分たちの運動の目標とかがその枠を支えたのだろう。糸井重里の「抵抗としての無反省」を社会に広めたのは西武百貨店やPARCOの資本だった。川崎徹の広告や『元気が出るテレビ!!』を支えたのはテレビの「ギョーカイ」だった。しかし、2ちゃんねる時代のコミュニケーションでは、「ギョーカイ」は嗤いやツッコミのネタになってしまっている。

 では、2ちゃんねる時代のコミュニケーションの枠は何で支えられているのだろう?

 それは、端的に、自分に続く者が自分の書きこみに反応してくれることによって支えられている。自分の書きこみにだれも反応してくれなかったら――自分の書きこみにレスやコメントがつかなかったりトラックバックを打ってもらえなかったりしたらアウト(「出て行け!」、「退場せよ!」の意味)であり、反応があればコミュニケーションが成立したことになる。

 これは「ギョーカイ」がコミュニケーションの枠を支えていた時代とは違って非常に不安定である。安定した「枠」はどこにも存在しないのだから。前に自分の書いたことにレスがついたからと言って、次の書きこみにもちゃんとレスがついてくれるかどうかわからない。もしかすると、次の書きこみからあと、ずっと自分の書きこみにはレスはつかないかもしれない!

 その不安をカバーするためには、できるだけ多くの人から反応をもらえるようなネタを出さざるを得ない。

 多くの人から反応を得られる題材は、感動するものやナショナリスティックな内容のものだ。反応はもしかすると「感動した」とか「たしかにそのとおり」とかいうものではないかも知れない。「どうせヤラセだろう?」とか、その他、辛辣な乾いた嘲笑しか返ってこないかも知れない。けれども、それでもだれもつながってくれないよりはずっとましだ――と2ちゃんねるの人たちは感じるのだと北田さんは考えているようだ。

 シニカルなのだけれど、ともかく「繋がり」を確保するために思いきりロマンチックになる――これを北田さんは「ロマン主義的シニシズム」と呼んでいる。なお、シニシズムとは、前に書いたように「アイロニーが仕組みとして組みこまれている状態」のことであり、「シニカルな」とはそれを前提としてとくにアイロニー的にふるまう必然性もないのにアイロニー的な言動を行うことを言う(らしい)。また、「ロマン主義」という表現には、感動志向とナショナリズム志向の両方が含まれている。

 自分はアイロニー的な態度を持ちつづける。しかし素材としては思いきり「ベタ」な――ツッコミどころ満載のロマンチックなものを採り上げ、それをネット上(掲示板でもブログでもいい)に残す。そして、それに接してくれるひとも、アイロニー的にそれに接してくれることを予期する。それに接してくれたひとが、「感動した」でもいいし「どうせヤラセだろう」でもいいから反応を返してくれることが重要なのだ。


実存主義的不安と「ロマン主義的シニシズム」

 北田さんは、この「ロマン主義的シニシズム」の人たちの特徴を「人間になりたいゾンビ」だとする。この論理が私にはわかりにくかった。いまでも自分がちゃんと理解しているか自身がない。

 わかりにくかった理由は見当はつく。北田さんがここで使っている「実存主義」という概念がよくわからないからだ。

 私はキルケゴールもハイデッガーも途中まで読んで投げ出してしまったような人間だから、実存主義とはどういうものかがまずよくわかっていない。常識的に言えば、人間とは「なぜ存在するか?」などという問いより先に存在しているものだという人間観だろう……たぶん。

 ここでいう実存主義とは、「ギョーカイ」という枠組さえ自分の「下のレベル」に組みこんでしまった「2ちゃんねる時代の人たち」のあり方のことだろう。「ギョーカイ」すら「下のレベル」にしてしまった人たちは、自分の居場所を「〜〜という枠組のなか」に見つけ出すことができなくなる。「消費社会的シニシズム」のなかで「アイロニー」的な態度をとりつづけてきた人びとはともかく「ギョーカイ」の枠のなかで動いていた。しかし「ギョーカイ」を「下のレベル」に組みこんでしまった「ロマン主義的シニシズム」の人たちには、自分の居場所を説明するための枠組も素材もない。ともかく、自分は、何の説明も抜きに、「ギョーカイ」を「下のレベル」に見下す場所に最初からいるのだ。この気分を「実存主義」と呼んでいるのだろう(と思う)

 その先は、ここまでで紹介したように、だからこそ他の人間との繋がりによって自分の存在を確認しなければならないと感じるようになる。存在を確認してもらえなければ自分は存在しないも同然だ。存在を確認してもらえて、はじめて自分が「人間」であるということを信じられるようになる。そのための「ネタ」として「ロマン主義」を採用する。そこで「ロマン主義的シニシズム」が登場する。

 ……ということなんだろうなぁ……私の理解している範囲で話をつないでみると。

 その「ロマン主義的シニシズム」の人たちが「人間になりたい」と北田さんが表現するとき、この「人間」とは何なのかがよくわからない。これは、コジェーヴの言うような、環境を否定しながら先へ進んでいくという「人間」像を指しているのか、それともそうではないのか? ここで北田さんはスローターダイクという学者のナチズム論を借りて議論を進めていて、「実存主義」という概念もそこから来ている。ところが、このスローターダイクの議論の引用が唐突で、それまでの議論との「繋がり」がよくわからないのだ。それがこの部分のわかりにくさの原因のように私は感じる。

 「2ちゃんねる時代の人びとは、ほかの人との繋がりによって自分の存在を確かめてもらう存在であり、その繋がりを確保するために思いきりロマン主義的な信念を(自分で信じているかどうかにかかわらず)表明したい欲求に駆られる。それが、2ちゃんねるにナショナリスティックな雰囲気が広がる理由であり、また、2ちゃんねるから『電車男』のような正真正銘の感動物語が生まれてくる理由でもある」というのがこの本の結論だと言ってよさそうだ。


死んでも終わらない「総括」はやめるとして

 終章の前半は、先に(だいぶ前に)書いたように、ここまでの議論のまとめ(「総括」)である。まとめはここまで長々とやってきたが、ここでもう一点だけ「さらなる総括」をしておこう。

 北田さんの描くここ半世紀弱の日本社会は「主体性が動かす時代からアイロニーが動かす時代へ」とまとめることができる。

 1960年代までの「主体性が動かす時代」は、その「主体性」を求めて泥沼に落ちこんだ連合赤軍事件にまで行ってしまう。その「主体性が動かす時代」への抵抗として始まったのが「アイロニー」だった。しかし、1980年代になると、「主体性」にかわってこんどは「アイロニー」が時代を動かし始める。1980年代には「主体性が動かす時代」が完全に終わり、それまで「主体性」がいた位置に「アイロニー」が座ってしまう。そして「アイロニーが動かす時代」が再び行くところまで行ってしまったのが「ロマン主義的シニシズム」の「2ちゃんねる時代」である。


何でもムダに否定したがる「スノッブ」

 で、終章の後半(237〜250ページ)は、北田さんによれば、「情況への処方箋」を作成するための覚書のようなものだという。

 北田さんは、まず、コジェーヴの「日本社会での形式主義の根強さ」という指摘を、留保をつけつつも(日本に一度だけ来て古典芸能に強い印象を受けたからって、それを「日本社会」全体の特徴にするな!――というようなこと)追認する。

 コジェーヴのいう日本的な「スノッブ」とは、否定する必要のないものをムダに否定しつづけるという存在だった。「否定する」ということが形式主義化してしまい、「否定する」ことの意味も意識しないでひたすら「否定する」ことを繰り返しているというのだ。

 北田さんの考える日本社会とは、「何のために主体的でなければならないか」とか「何のためにアイロニー的でなければならないか」という説明を抜きにして、「人間は主体的でなければならない」とか「人間はアイロニー的でなければならない」とかいうことがあらかじめ社会の基本的な仕組みとして組みこまれている社会だ。その社会に住む人間は、「何のために主体的でいなければならないか」とか「アイロニー的でいなければならないか」とかを考えるまえに、主体的であろうとしたり、アイロニー的であろうとしたりする。北田さんはコジェーヴの「スノビズム」についての指摘をそんなふうに読み替えているようだ。「主体的であることをめざす」とは「主体的でない自分を否定する」ということだし、「アイロニー的であることをめざす」とは「自分が受け取ったものをそのまま(ベタに)受け取ることを否定する」ということだから、コジェーヴの何でもやたらと否定する「スノッブ」の範囲に含まれるということだろう。


しんどい「否定」と楽な「否定」

 北田さんは、また、コジェーヴのヘーゲル解釈を読み替えることで、「連合赤軍の時代」から「2ちゃんねる時代」への日本社会の流れを説明しようと試みる。

 与えられた環境を否定しつつ進歩するのがコジェーヴの「人間」であり、環境を否定せずに安住してしまうのが「動物」、否定してもしようがないものをムダに否定してみせるのが「スノッブ」である。しかし、どうしてこの「スノッブ」というのが登場してくるのだろうか――否定てもムダなものを否定しても疲れるだけなのに?(北田さんはこういう問題の立てかたはしていないが、こうまとめてもそんなにはずれてはいないと思う)

 それを解く鍵はその「環境を否定する」の「否定のしかた」にある。

 「否定のしかた」にも二種類ある。この本で紹介されている表現はもっと複雑だけど、不正確なのは承知のうえでかんたんに整理すると、「それは違うぞ!」と環境のあり方を変えるために自ら飛びこんでいくやり方と、「それは違うぞ!」と心で思って決めつけるやり方だ。

 「それは違うぞ!」と自ら変革のなかに飛びこんでいくのはしんどい。それに、それは下手をすると戦争とか内乱とか革命とかいう大騒ぎになってしまうかも知れない。

 だが、「それは違うぞ、バカめ!」と心のなかで思っているだけならば、べつにだれも傷つかないし苦しまない。なんか自分が偉くなったような気分がするだけである。

 その「それは違うぞ、バカめ!」と思うだけで、自ら環境を変えるために飛びこんでいかないのが「スノッブ」だ。思うだけならば自分が偉くなったような気分がするだけでべつに何の損もしない。否定しなくてもいいものをムダに否定しても疲れない。だから何でも否定したがる。「否定」のしんどい部分を抜け落ちさせ、楽な「否定」ばかりを濫発する存在が「スノッブ」だというわけだ(しかし「スノビズム」がそんな楽なものなのならばべつに日本人だけじゃなくて世界じゅうの人間が「スノッブ」になっていておかしくない気がするんだけど……)

 そういう考えかたの傾向は日本社会に根づいていると北田さんは言う。それが「主体性」や「アイロニー」をめぐる日本社会の「形式主義」だというのだ。そして、現在のところのその終着点が2ちゃんねるの人たちの「ロマン主義的シニシズム」だと位置づける。


「スノッブ」を啓蒙することは可能か?

 そういう「2ちゃんねる化する社会」に対する一つの「啓蒙」の方法として北田さんが注目するのが宮台真司の方法である(244〜250ページ)。

 「援交から天皇へ」(という本を宮台さんは書いていたと思う)――「日常」をさりげなくやり過ごす女子高生をたたえていた宮台真司から、「国民の天皇」・「亜細亜主義」を積極的に主張する宮台真司へという変化のなかに、「2ちゃんねる化する社会」への「啓蒙」の方法の可能性をいちおう見出しているのだ。

 それはアメリカ合衆国の哲学者リチャード・ローティのやり方の日本版だと北田さんは言う。

 ローティは、一般的理論として「リベラルな民主主義」を完全に正当化する論理が見出せないと考えられ始めたとき、その事実を認めたうえで、アメリカの伝統としてのリベラリズムと民主主義というのを基礎に「アメリカのリベラルな民主主義」を正当化したらしい。ローティは、リベラリズムを正当化するために「アメリカという共同体の伝統」というコミュニタリアン(共同体の伝統や共同体内の対話を重視する考えかた)な発想を裏口から輸入したというので、リベラリズム論者の井上達夫さんに酷評されていたのを覚えている(井上達夫『他者への自由』)

 それの日本版ということで、宮台さんは「天皇制」とか「亜細亜主義」とかをあえて持ち上げて見せる。すでに「ロマン主義的シニシズム」によってネタにされているものを、自分がもっと良質の立場からネタにして返すことで、どこへ走っていくかわからない「ロマン主義的シニシズム」を方向づけようというのがその意図らしい。「ロマン主義的シニシズム」にあえてつき合って見せ、その「ロマン主義的シニシズム」を方向づけてあまりよろしくない方向に行くのを防止する。そこに宮台さんの「啓蒙」のためのぎりぎりの「戦略」を見る――それが北田さんの立場だ。

 だが、北田さんは、その「ローティ日本版戦略」について、「動物的アメリカ」と「スノッブ的日本」の違いを見過ごしていることを指摘し、危惧も表明している(248〜249ページ)。そして、その宮台真司の批判者として、「戦後民主主義」を掲げて(これも「あえて」だろう、たぶん)対抗している大塚英志を紹介して、最後の一段(形式的には段落3つぶん)を残して北田さんはこの「覚書」を終えている。

 私は宮台真司にも大塚英志にもあんまり関心がないので、この部分は私にはよくわからない。わかろうという気もちもあんまりない。ただ、宮台真司が天皇制やアジア主義を語り始めたからと言って、「宮台が右傾化したっ!!」みたいな大騒ぎをするつもりは私にはない。なぜそんな大騒ぎをしなければならないのかもわからない(それは私が最初から右傾化しているからかも知れないけれど)。他方で、私は「戦後民主主義」をのうてんきに全面肯定する気にはなれないけれど(このへんのことは、よかったら『PAX JAPONICAをめぐる冒険』「3.押井守の最後最大の戦い」を参照してください)、「戦後民主主義」をあえて擁護するのも一つの立場だろうとは思う。

 ただ、「宮台右傾化への危惧」みたいなのとは別に、良質なものを提示すればシニシズムは方向づけができるのかという疑問はある。良質なものを提示しても、それはたんに「アイロニーの対象」として弄ばれ、飽きられるだけではないのか? 私が危惧を抱くとしたらその点だ。


だれに対する「啓蒙」が必要なのか

 宮台真司と大塚英志を紹介したあとに残った最後の一段(250ページ)に北田さんは何を書いているか?

 「2ちゃんねる時代」に思想を語ろうとする者にとっては、「2ちゃんねる時代」を病気と捉えてその「処方箋」を書くことより先に必要なことがあるのではないか。

 それは、自分自身に対して「処方箋」を書くこと――どんな思想を発信しても掲示板やブログでネタにされて叩かれてやがて忘れられていく時代のなかで、それでも思想を発信しつづけるとしたら、それはどうすればいいかを考えることだ。「2ちゃんねるの人たち」を「啓蒙」しようとする前に、「啓蒙」するには何が必要かをまず自分自身に対して「啓蒙」する必要がある。そのアジテーションを最後のことばとして、この本の本文は終わる。

 このあとに註と「あとがき」がついている。あとがきは、この本についての北田さん自身の評価(とくに「この本には何が書いてないか」の指摘)と北田さんの個人史と謝辞で、このうち北田さんの個人史と関連してナンシー関の話が出てくる。しかし1980年代に下校途中にアニメイトがあったとは、なんというか……羨ましい。註で感心したのは、横文字の文献がほとんど引用されておらず(ゼロではないが)、註で言及されているのが日本の文献か日本語に翻訳されている文献に限られていることだ。東大の先生ともなれば自由に英文文献を(もしかすると独文文献や仏文文献も)読みこなせるだろうし、またじっさい読みこなしておられるだろう。けれども、北田さんが、そういう文献に頼るのではなく、できるだけ1960年代〜21世紀初頭の文献に寄り添いながら、自分の議論を組み立てておられることに私は敬意を表したい。


また一人、隠れている重要登場人物

 この問いかけについては、少なくとも私は答えを思いつかない。画期的に効果的な方法なんかいまのところないんじゃない?――というくらいしか答えようがない。

 ただ、それとは別に、この本をここまで読んできてずっと感じていたことを書いてみたい。

 ずっと感じていたこととは「進歩派」を中心とする知識人のことだ。この知識人たちはこの本では一度も正面から論じられることはない。しかし、この本の叙述の背後につねに隠れていて、ときどき姿を現している。

 そこで、この本で姿を見せているところを拾うことで、「進歩派」知識人がこの社会の流れとどう関係してきたかを見てみよう。

 連合赤軍事件に知識人がどう関係したかはよく知らない。少なくともああいう殺人を肯定はしなかったんじゃないかとは思う。

 ただ、連合赤軍が凄惨な殺しをやるところまで「主体性」を追い求めた背後に、「進歩派」知識人による「主体性を持て」とか「主体的であれ」とかいう「煽り」があったことは容易に想像できる。

 もちろん連合赤軍の人びとが「進歩派」知識人の権威に従順であったということではない。

 むしろ、連合赤軍の人びとは、社会のなかで「進歩派」知識人のような「立ち位置」をとることを否定しようとした(これも北田さんの議論の流れではスノッブ的な「否定」ということになるのだろう)

 北田さんも指摘するように(39〜43ページ)、「進歩派」であれ何であれ、当時、大学という場に身を置いていること自体が「特権」的なことだと思われていた。

 たしかに1960年代には大学進学率は現在よりかなり低く、大学入学へのハードルは高かった。だから、その大学で学ぶのは特権的なことであった。連合赤軍のような極端な左翼集団はなおのことその「特権」性を重視しただろう。

 そこから見れば、「進歩派」の知識人は、口では進歩的なことを言いながら、じつは大学という特権的な場所に安住していると見える。そんな「立ち位置」に立ってしまいがちな自分を否定し、それとは違う自分として自分を確立すること――それが連合赤軍の人びとやその同時代の「70年安保闘争の人びと」が追い求めた「自己否定」だった(44〜45ページ)。


ハシゴをはずされた人たち

 だが、それではどうなればいいのだ?

 「大学の権威」のようなものから離れて、自分を「主体」として確立するにはどうすればいいのだ?

 「進歩派」知識人ご推奨の「主体」的な生きかたをしようと模索し、大学という「特権」的な場に安住している当の「進歩派」よりも先に進もうとした結果、連合赤軍の人びとは自滅への道を突進してしまった。

 「進歩派」の先生方はけっして連合赤軍事件のような殺しを勧めたのではないだろう。「主体性」を求めて異常で凄惨な殺しに到達した責任は連合赤軍自体にある。だいたい「“人の要素第一”の原則」(51ページ)とやらを追い求めて殺しに到達すること自体がおかしい。それに気がつかないというのがまず異常だ。そのことは確認しておきたい。

 そのうえで、なお連合赤軍の人びとの立場に立ったとしたら、その「進歩派」の先生方はどう見えるだろうということを考えてみよう。「進歩派」の「先生」たちに言われて「主体性」へのハシゴを上りはじめ、じつは大学という「特権」に安住している当の「先生」たちより上まで昇ったらハシゴをはずされた――と連合赤軍の人びとが感じたとしても、私はけっしておかしくないと思う(私は同じようなことを押井守について書いた。『PAX JAPONICAをめぐる冒険』「3.押井守の最後最大の戦い」の「何が「機会主義」だったか」以下をご参照ください)


1970年代から2ちゃんねる時代までの「進歩派」

 次に登場する「進歩派」知識人は、「抵抗としての無反省」の人 津村(たかし)のマンガ論を頑として受け入れなかった稲葉三千男だろう。

 北田さんの整理によれば、津村の立場とは、メディアはそれが表現するものからは自立した存在で、メディアはメディアとしてまず論じられなければならないというものだったという(「コピーライターの思想」。95ページ)。

 それに対する稲葉の論理は、この本では十分に紹介されていないのだが、要するに、どの作品がどうという議論に行く以前に、「マンガ」全体に社会学的に低い位置づけを与えて全面否定してしまうというもののようだ(91ページ。ちなみにこのページで触れられている少女マンガの話はもっと読みたかった)。

 「社会学」というのが、分析対象になっているもの――このばあいはマンガ――を系統的に調べもしないで、ただ自分がちょっと読んでみた印象だけで論じて成立するものなのかどうかは、私にはちょっとわからない。違うんじゃないかという気はして、だから、このときの稲葉という東大の先生の言っていることはやっぱり「社会学」とは無縁の情緒的な印象批評みたいに思えるんだけど……どうでもいいや、関心ないから。それに、ご自身が社会学者の(しかもかつて稲葉先生がおられた大学で研究しておられる)北田さんが「社会学」だと断定しているのだから、やっぱり「社会学」的だと言っていいのだろう。

 ここに出てくる「進歩派」知識人の稲葉は、固定した「あるものごとと、それを表現することば」という関係(シニフィアン‐シニフィエの関係)からどんな表現様式も逃れられないという発想しかできない人である。稲葉は、津村が自分に向かって「表現には表現固有の論理がある」と主張しても、それが正しいかどうかを検証しようとすらしなかった(らしい)

 日本社会は、この津村と方向性を共有する(と北田さんが主張する)糸井重里を受け入れる方向へと進む。さらに、糸井重里の「抵抗としての無反省」から「抵抗を棚上げした無反省」へと進んで津村を完全に時代遅れの言論人にしてしまい、ついには「ただの無反省」へと進んで、「主体性の追求」ではなく「アイロニー」が自己目的化する社会へと変わっていく。

 この間、「進歩派」知識人はまったく登場しない(浅田彰や柄谷行人は「進歩派」ではないとして)。次に登場するのは、「2ちゃんねる時代」になってからである。この本でははっきり書かれてはいないものの、「進歩派」は、「2ちゃんねる」で嘲笑の対象になっている「戦後民主主義」や『朝日新聞』的なものの同行者として、やはり嗤われる立場にある。


たんなる「無反省」としての「進歩派」

 ここまでの過程を見てみると、「進歩派」知識人の人たちは、その「進歩」という名に反して、1960年代の「立ち位置」から少しもその「立ち位置」を変化させていないように見える(自分で自分を「進歩派」と名のる知識人はそんなに多くないと思うが、それでも「進歩」という概念を肯定的な価値観として捉えている知識人は多いだろうと思う。「西洋だけを進歩のモデルと考えてはならない」とかの何らかの留保つけてであっても)

 社会の側が、「主体性」が自己目的化することに抵抗して「アイロニー」という方法を身につけ、いつの間にかその「アイロニー」が自己目的化して行くところまで行ってしまうという七転八倒の大変化を遂げているあいだに、この「進歩派」知識人の人たちは、「主体性の確立こそ重要だ」という最初の「立ち位置」から一歩も踏み出していないように見えるのだ。北田さんはそんなことは書いていないけれど、でも、このめまぐるしい「大衆社会」の変化に対して、「進歩派」の知的エリートが何か変化したようにはこの本からは読みとれないのだ。しかも北田さんが大きな見落としをしているとも思えない。

 もちろん、そう見えるのは、この「進歩派」のなかから、柄谷行人も浅田彰も、1990年代から大々的な活躍を始めた大塚英志も宮台真司も、また2000年代に入ってから活躍が目立つようになる東浩紀さんや北田さんご本人もはずしてしまったからだ。「進歩派」の人びとから東さんや北田さんまで系譜関係を見つけて論じればまた違った結論が出て来るかも知れない。少なくとも北田さんは戦後「進歩派」‐柄谷・浅田‐大塚・宮台‐北田・東という系譜が論じられるのを期待しているようではある。

 しかし、「2ちゃんねる化する社会」に向き合おうとする東さんや北田さんのような知識人がいる一方で、そういう社会の変化に対応しようとしない、いやその変化の重要性に気づきもしない「進歩派」の後継知識人もまた多いのではないか。そうでなければ「戦後民主主義」が「2ちゃんねる化する社会」で「嗤う」対象になり得るはずがない。「2ちゃんねる化する社会」にまったく対応していない「戦後民主主義ギョーカイ」が巨大だからこそ、「ロマン主義的シニシズム」で嘲笑われるための恰好の「ネタ」として通用するのだ。

 もちろん「進歩派」知識人の世界からは反論があるだろう。

 世のなかがどう変わろうと、「主体性を確立することがたいせつだ」という真理は変わらない。だから自分たちは変わる必要がなかったし、これからも変わる必要はないのだ、というのが予想される反論である。

 だが、もしそういう反論があるとしたら、それはあまりに「無反省」なのではないかと思う。べつにそれでもかまわない――「進歩派」知識人の人たちが「ロマン主義的シニシズム」のネタにされつづけ、もしかするとそのうちに飽きられてネタにもされなくなることで満足するのであれば。

 でもそれはあからさまな頽落だろう。「ロマン主義的シニシズム」の人たちは「主体性を確立せよ」などという「進歩派」知識人のことばをなかなかまじめに実践しようとはしないだろう。それを理解せずに主張をつづけるならば、自分の「立ち位置」や影響力について何も考えようとしない「ただの無反省」、わかっていて主張しつづけるならば「シニシズム」へのおつきあいに過ぎない。


新たな「抵抗としての無反省」へ?

 もしかすると、北田さんはこの「無反省」に意味を与えたいのかも知れないと私は妄想する。

 日本社会が七転八倒して「アイロニー」の果てにまで行き着くあいだ、ひたすら愚直に「無反省」を貫いた「進歩派」知識ギョーカイの方法「無反省」に、北田さんは「抵抗としての」をくっつけたいのではないか。

 北田さんは、「アイロニーが自己目的化した社会」に対して「あえて」の方法で方向つけを試みる宮台真司に強く共感しつつも、その方法には十分に賛成していない。北田さんが見出したい方法とは、その「アイロニーが自己目的化した社会」に「抵抗」するためにあえて「無反省」でいることではないのだろうか(だから、北田さんは「アイロニー」が自己目的化することに「抵抗としての無反省」を貫いた人としてのナンシー関に共感するのだろう)

 連合赤軍と同時代を「過激派」として生きた糸井重里が、その「主体性の押しつけ」に疑問を抱いてその戦列を離れたとき、その「抵抗としての無反省」の方法について何か強い確信があったかというと、私はそうでもないと思う。PARCO資本と結んでその「コピーライターの思想」を成功させるまでにはいろんな模索があったのではないだろうか。

 北田さんは、たぶん、いま同じような模索のなかにいるのではないか。そして、その模索途中の一「総括」として、この本を書いてみたのではないだろうか。



―― つづく ――


第1回:「サルにはできない「反省」の歴史」
第2回:「連合赤軍事件をめぐる「さらなる総括」 」
第3回(前回):「「反省」をやめようという時代」

第5回(次回):「感動とアイロニーの共存をもう少し考える」
第6回(完):「「日本のナショナリズム」について少しだけ」